3 爆熱! 模擬試合!
黄雲も雪蓮も、ここへ来るのは初めてだった。
知府邸から最寄りの兵舎。その一角に、亮州城内最大の調練場がある。
秀蓮来襲により招集された兵士達は、そのまま調練場に整列させられていた。雪蓮と秀蓮の模擬試合を見学後、秀蓮による熱血指導を仰ぐ予定である。心なしかみな顔色が悪い。
さて。稽古場になっている広場の脇にて。
「なんですかその格好?」
試合の準備を整えてきた雪蓮を一目見るなり、黄雲はぎょっと目を見開いた。
「まるで巽のやつじゃないですか!」
「う、うーん……」
変態ニンジャのようという形容に、雪蓮は複雑そうな表情を浮かべている。
黄雲の言葉通り。雪蓮の衣服は黒一色の武闘着。覆面こそつけてはいないものの、その出で立ちは木ノ枝巽そのもので。
「せっちゃん……俺に憧れるあまり……」
黄雲のそばで感極まったように声を湿らせているのは、当のクソニンジャ本人だ。しかし。
「お前まだ食われてんぞ」
「おう、この馬やべえわ」
背後から覆面に食らいつく汗血馬。巽はいまだもぐもぐ咀嚼されている。
黄雲、この変態は置いておく。気になるのは雪蓮の衣装の理由だ。
「で、何なんですその服は?」
「あのね、これはね……」
「模擬試合のためよっ!」
雪蓮の声を遮って。ぶわっと熱風が吹き付けるように、良く通る声が放たれる。
声の主はもちろん、熱血姉上・崔秀蓮。
「そう、これは安全安心に試合を行うための配慮……本当は妹と白刃を交わして武を語らいたいところだけれどっ!」
現れた秀蓮も、全身黒ずくめ。巽が三人に増えた。
秀蓮はビシリッ! と雪蓮へ人差し指を突きつけて。
「いい、雪蓮! 模擬試合といえども、姉は情け容赦は一切しないっ! 全身全霊、命をかけての試合を望むわっ! そして!」
拳を握りしめぐぬぬと闘志を燃やしたかと思えば、
「あなたの中の妙な物の怪を、腑抜けた性根とともに我が闘気にて叩きだしてあげる!」
姉は熱意に満ちた笑みをニヤリと残し、さっさと踵を返す。
突然会話に割り込んで、一方的に宣戦布告をする秀蓮だが。結局のところ。
「だから、その黒ずくめの理由は何だっつの!」
黄雲の問いには一切答えてくれなかった。仕方なしに少年は雪蓮へ問い直すが。
「ねえお嬢さん。結局どういう……」
「お姉さま……! お嫁に行かれても、相変わらずの熱血ぶり……!」
「ちょっと、お嬢さん?」
「頑張らなくっちゃ! よーしっ!」
「おーい」
この姉妹、全然答えてくれない。雪蓮は完全に全神経を試合へ向けている。
黄雲、諦めて。
「あの、二郎殿」
「なにかな」
黄雲はすぐ後ろにいた二郎真君へ話を振る。二郎神は巽に噛み付く汗血馬の毛並みを愛でていた。
「秀蓮殿の言い分ですけど。模擬試合をして、お嬢さんから霊薬を追い出すとかいう」
「うむ」
「そんなことできると思います?」
武術の稽古をして憑き物が取れるなら、これまでこんな苦労はしなくて良かったはずだ。黄雲は二郎真君に是非を問うが、正直「非」以外の答えは期待していない。
しかし二郎真君の答えは、なんともあやふやなもの。
「ものは試しと言うからな」
是非を答えず、わずかな可能性を否定しきらない答え方。
黄雲は内心「すっとぼけやがって」と毒を吐いた。この神将、こと霊薬に関してははっきりとした見解を避ける傾向にある。
少年は諦めて、師匠の清流道人を呼んだ。
「師匠はどう思います? 師匠ー?」
返事はない。振り返れば清流、整列する兵士達の脇で呑んだくれて潰れている。
「くかー……もう一杯……」
仰向けになって乳をゆるゆるさせている彼女は、直立不動の兵士達にとって正直目に毒。兵卒一同一様に歯を食いしばり、真ん前を見据える形相からは、「見るな!」「見たら秀蓮さまに殺される!」と、そんな心の声がほとばしっている。
「それっ!」
突然の掛け声。その後に、ドッと鋭く何かが刺さる音が続く。弓術練習の的が掲げられているあたりからだ。
的の前にいるのは、那吒と……。
「いかがです、素敵なお方! 我が弓の冴えは!」
「おー、意外とすごいもんだなお前」
崔家長男の子堅だ。彼の手には意外にも、弩が握られている。的のど真ん中には、見事に一矢突き刺さっていた。
「ふふふ……この崔子堅、剣も槍も不得手なれど、こと弩に関しては得意中の得意!」
「ふーん」
弩とは。引き金を引くことで、初心者でも難なく矢を射出できるように作られた武器のこと。横向きの弓の下に、射出機構の組み込まれた台座が備えられた形状をしている。
超絶美少女とお近づきになるため、いいところを見せるために子堅は必死だ。那吒が男とも知らず。
「さあ、二射目と参ろう! 父上、矢をつがえてくだされ」
「お前は自分でできんのか!」
近くにいた崔知府、息子の惰弱ぶりにがっかりだ。いくら弩の狙いが正確でも、自分で矢をつがえ弦が張れないのでは自慢にならない。
さて、そんな一同の憩いの時を破り。
「さあっ、そろそろ始めましょうか!」
楼安関の女夜叉の声が、調練場に響き渡った。
兵士達が為す隊伍の目前。黒ずくめ姿の秀蓮が、稽古場の西側に現れた。
手に持っているのは長い棒。その棒の先には、白い布切れを丸めた物がくくりつけられている。
そしてその対面。東側に、同じく白い布付きの棒を持った雪蓮が進み出た。
「いいか、良く聞きなさい二人とも!」
稽古場の中央で声を張るのは崔知府だ。知府は双方へ改めて、この模擬試合の規則を言って聞かせる。
「互いに得物はその棒を使うこと! その布に石灰をまぶし、それを槍の穂先と見立てて試合を行う!」
長い棒の先、白布に石灰を塗りたくれば。
攻撃が当たったならば、黒い装束に白点がつく。
「その白点の数が多い方を負け、少ない方を勝ちとする!」
秀蓮も雪蓮も、真剣な表情で父親の言葉に聞き入っている。
黄雲も説明を聞きながら、なるほどと得心した。黒い装束も、布を巻きつけた棒もこのため。白刃を用いない、安全安心な試合というのはこういうことだ。
さて、二人のそばに白い粉末の入った桶を持った兵が現れる。足元に置かれた桶にそれぞれ得物の白布を突っ込み、姉妹は石灰を存分にまぶし。
「…………」
真剣な表情で向かい合う。
崔知府、東西をゆっくり見渡しつつ後方へ下がると。
「はじめっ!」
晴天を突き抜けるように上げられる、試合開始の号令。父の声に応じて。
「ふっ!」
「むむっ!」
姉妹は互いに得物を構え、じりじりと歩み寄る。
居並ぶ兵たちの目前。暑い日差しの中。
「たぁっ!」
先に攻撃を仕掛けたのは秀蓮だ。姉は長い棒を妹のみぞおちへ、容赦なく突き入れるが。
「!」
雪蓮はわずかに身をよじり、一撃を難なくかわす。秀蓮の得物から舞う石灰の粉末が、わずかに雪蓮の黒衣へ降りかかるが。得物自体は一切彼女に触れておらず、雪蓮はかわした勢いのままに、姉の背後へ回り込んだ。
「はいっ!」
「甘いっ!」
背後から突いたはずの姉の背はそこになく。軽業師のような側宙でくるりと避け、秀蓮は不敵な笑みで妹に向け得物を構えた。
華麗な身のこなしに、士卒からは「おお……!」と感嘆の声が上がる。
「言ったはずよ雪蓮!」
初夏の日差しを浴びながら、秀蓮の放つ言葉、太陽にも負けぬ熱量。
「情け容赦は一切無用! 命を奪う気でかかってきなさいっ!」
「は、はいっ!」
そして息を合わせて同時に打ち掛かり。白粉舞う中、砂塵を巻き上げて。
黒衣の姉妹は武を競い合う。槍の穂先に見立てた白布は、時に首筋を狙い、時に心の臓を狙い。白刃戦ならば落命必至の戦いぶり。
一合、二合と、棒の打ち合う音は戦場に高らかに響き。やがて十数合ほど打ち合った頃。
「そこぉっ!」
「うっ!」
足元、胴、首元と三段狙いの秀蓮の棒捌きに、避け切れなかった雪蓮。肩口、黒地に鮮やかな、白い点が咲く。
「あーあ、当たってやんの」
「せっちゃーん。何やってんのー?」
観戦しながら黄雲と巽はのんきな口調。
しかし野次馬に構わず雪蓮、身を翻し軽快に、まるで豹のような身のこなしで。
「たーっ!」
緊張感のない掛け声とともに放つ、鋭い一撃。一瞬反応の遅れた秀蓮、その肩口にも、白い華。
同様に相手の肩へ一撃を見舞った姉妹。冴えてきた妹の技に、闘志に満ちていた秀蓮の表情へ恍惚の色が混じる。
「そうよ、そうよ雪蓮……!」
「…………!」
互いに後ろ手に得物を構え、相手を警戒しつつじりじりと距離を取り。
「さあっ! 燃え上がってきたわーっ!」
冴えてきたのは何も、雪蓮の技ばかりではない。久々に交し合う姉妹の武の応酬に、秀蓮、いっそう燃え上がる。
秀蓮は一気に距離を詰め、棒ではなく突如、かたく握った拳を雪蓮の顔へ叩きつけんとする。
「わ!」
突然仕掛けらた白打に雪蓮は驚いて頭を逸らすが、拳を振り下ろすはあくまで見せかけで。そこへ強襲するは姉の足払い。
雪蓮、足を払われぐらりと仰向けに倒れ込んだかと思えば、間隙なく彼女の視界へ現れる姉の黒衣、そして得物。石灰を散らしながら白布の穂先は容赦なく雪蓮を貫こうとする。が。
「くっ!」
あわやのところで横ざまに転がり難を避け、雪蓮は得物で姉の足を薙いだ。
秀蓮もさるもので、妹の逆襲に「はいっ!」と高く跳躍して足払いから逃れる。しかし素早く起き上がった雪蓮が肉迫し。
「お覚悟!」
得物を短く持ち替え、その一撃はあやまたず姉の喉元をえぐるように。
「甘いわっ!」
秀蓮は直前で得物をブン回し妹の棒を弾くと、その笑みはいっそう武の悦びに染まる。
「いいわいいわ! その容赦のなさこそ我が妹たるべきよ! さあっ、姉を倒し! 我が屍を越えて見せなさいっ!」
「は、はいっ! お姉さまっ!」
「おいおいこれ模擬戦だろ?」
久々の姉妹のふれあいはいささか物騒で。そんなやりとりに黄雲は正直な感想をぽつりと漏らすが、もちろん当人達には聞こえちゃいない。
「こたえなさい雪蓮!」
「応っ!」
「我ら、崔家の末裔は!」
「武門の誉よ!」
「鎧袖!」
「一触!」
「疾風怒濤!」
そして始まる謎の口上。姉妹は砂塵と白粉を大いに舞い上がらせて、得物を交わしながら高らかに締めくくる。
「見よ! 西方は紅く燃えているっ!」
ジャーーン!
……と、どこからか銅鑼の音が。感極まった兵卒が、訓練用の銅鑼を打ち鳴らしたのだ。
それを合図に兵卒たち、堰を切ったように、我慢を堪え切れぬように大いに歓声を上げた。
崔秀蓮。亮州知府が娘にして、おてんばじゃじゃうま汗血馬。また別名を楼安関の女夜叉。彼女は士卒に畏れられてはいるものの、反面、大いに慕われてもいるのである。
さてさて大歓声に包まれて、姉妹の戦いぶりはいよいよ佳境。互いの黒衣に刻まれていく白い筋に白い点。実戦ならば血華が咲いただろう。
秀蓮は大虫の如き大力と、猿のような身のこなし。
雪蓮は蝶の様に蜂の様に素早く軽やかに、舞って刺しての丁々発止。
日々武術の稽古に明け暮れる兵士達は、目前の実践さながらな命のやり取りに熱狂し。
巽はやんややんやと若干卑猥な歓声を送り、二郎真君に那吒は「雪蓮選手ここで回し蹴り」「おっとそこで避けるか」「秀蓮選手逃げ切りました」と真面目に不真面目、実況観戦。
崔知府は「どうしてこうなった」とばかりに、成長した娘二人の姿に呆れていて。
清流はやっと起き上がり、酒の肴に姉妹の元気な姿を楽しんでいる。
黄雲は。
「…………」
周囲の熱狂ぶりに、ただただひたすら白けている。
(あの人たち……絶対目的忘れてんな……)
この模擬試合の目的は、雪蓮の中から霊薬を叩きだすこと。そのはずだったが。
「はああああっ!」
「たああああっ!」
もはやそんなことは関係ない。姉妹は武芸の悦楽に身を任せ、技を競い合うことさらに三十合。
なかなか決着のつかぬ中、秀蓮の面持ちにはわずかに苛立ちが兆していた。
「ちっ!」
妹の喉元からわずか一寸の距離をかすめ、秀蓮の得物は宙を斬り上がる。その得物が、納得いかない。
秀蓮は不満だった。この模擬戦という、命を安全に守られた中での戦いが。
彼女は渇望している。白刃のきらめき、一振りごとに命を危ぶむ技の応酬を。そしてついにこの姉は。
「ええいこんなものっ!」
「お姉さまっ!?」
白布のついた棒を投げ出して。秀蓮はちょうど脇に控えていた士卒から、彼の捧げ持っていた得物を奪い取る。
それは秀蓮が西方より携えてきた青竜偃月刀、すかさず振るわれるその刀身。
彼女の望み通り、白刃は戦場にきらめいて。寸前で太刀筋をかわした雪蓮の前髪が数本、わずかにはらりと青天下に散った。
突然の凶行、稽古場に満ちるどよめき。構わず秀蓮は声を張る。
「雪蓮! 武器を取りなさい! そのような玩具ではなく!」
「そんな! お姉さま!」
規則違反をした姉を責めるではなく、雪蓮は戸惑っている。しかしそんな妹の動揺を、姉は隙と見て。
「ぼやぼやしてる場合かっ、この腑抜け者!」
「ひえっ!」
縦一文字に襲い来る偃月刀、雪蓮は目前に棒を構えて防御の構え。だが。
棒はスパンと、いとも簡単に断ち切られ。
「わっ、わっ!」
得物を真っ二つにされた雪蓮は、慌てて姉から逃げ惑う。恐ろしいほどの切れ味、しかも姉は本気で殺しに来ているときた。
「かかか、貸してください!」
「はっ!」
雪蓮は逃げつつ脇にいた兵士から、戟を借りた。戟とは、矛の穂先の下に、さらに横向きの刃を取り付けたもの。直角を成す二つの刃先をグンッと振るい、雪蓮は追う姉に向かい合う。
「なるほど、戟とはっ!」
秀蓮は再び妹めがけて偃月刀を振り下ろす。雪蓮、その刃を戟の穂先へ引っ掛け受けとめて。
刃と刃の間に火花散る。じりじりと、姉妹の視線の間にも。
「はあっ!」
秀蓮は偃月刀を振り上げて戟から刀身を離し、続けて雪蓮の胴を狙う。雪蓮も負けじとその刃を、再び穂先を振るって受け止めた。
戦いはまさに真剣勝負の有様で。しかし攻めにかかるは秀蓮ばかり、対する雪蓮は守りに徹している。
秀蓮の攻めはまさに苛烈。間断なく襲い来る刃に、雪蓮の体力は見る間に奪われて。姉の一刀を避けそこなった手の甲を、黒衣を切り裂き偃月刀がかすめていく。
ちり、と皮膚の上に痛みが走った。
「どうした雪蓮! 戟を持ちながら防戦一方とは、情けなや!」
「だって、お姉さま!」
「ぬるいっ! ぬるいぬるいっ!」
秀蓮は得物でガンガン妹を狙うが、雪蓮は先ほどから柄や穂先で受け止めたり、すんでのところでかわすのみ。もちろん姉を傷つけたくない一心だが、それは秀蓮の望むところではなく。
「咄!」
姉は口癖のような怒鳴り声をあげて、妹の心の臓と喉笛をひたすら狙う。
「咄! とつとつ! とおーつっ!」
虎のような大力で繰り出される攻撃を、ひらりと蝶のようにかわす妹。なかなか撃ってこない雪蓮にしびれを切らし、秀蓮。
「おのれ! ならば何としても手を出させてくれるっ!」
「へ?」
秀蓮は手近にいた者の首根っこを適当に掴む。それは。
「黄雲くん!」
「はぁ!? なんで!?」
他人事のように成り行きを見ていた黄雲で。
彼の不幸は、そのとき秀蓮の近くにいたことと、ちょうど掴みやすいくらいのちんちくりんだったこと。
「雪蓮聞きなさい! あなたが攻撃しないと言うのなら! この道士の少年の命はないものと思いなさいっ!」
「そんな! さすがに卑怯ですお姉さま!」
「ええいだまらっしゃい! 実際の戦場に卑怯も何もありますかっ!」
「秀蓮殿! これ模擬試合ですよね!?」
姉妹のやりとりに黄雲が思わず口を挟むが、秀蓮は彼の首元に腕を回し、いとも簡単にキュッと締め上げる。「ぐえっ」と途端に蒼白な顔面から上がる声。そんな彼へ。
「おーい黄雲、頑張れ頑張れー。酒のアテだなこりゃ、はっはっは」
「ここが少年の死に時か」
「葬式代は盛大にケチってやるぜ」
「安らかに眠れ、クソ守銭奴」
「姉上ー! そのまま絞め殺せーっ!」
周囲からクソのような声援。黄雲は青くなりつつも怒りで煮えくり返るのだった。
さて。人質に取られた黄雲に、雪蓮の胸にはじわりと覚悟がのぼる。
姉は猪突猛進で、有言実行の性質。このままでは黄雲が──。
(ここは急所を狙い、お姉さまを気絶させなくてはっ!)
心に決めて、雪蓮は戟の穂先を姉へ向ける。戟の尖端は、姉の喉元を指している。その様に秀蓮は満足げに笑みを浮かべ。
「やっと目が覚めたようね! さあっ! いざいざいざっ!」
黄雲片手に、振りかぶられる秀蓮の刃。
虎と胡蝶の大一番、大風を巻き起こしながら横一文字に一閃の偃月刀。
雪蓮、さっと身をかがめて大刀をやり過ごし。縮地の歩法で距離を詰めつつ戟の刃を後ろへ返し。
(狙うなら……胴!)
大振りの後、隙のできた姉の腹を槍把(長柄武器の柄の最下部)で狙う。しかし秀蓮も野生動物の如き反射速度、冷静に刃を閃かせ、己を狙う妹へ振り下ろす。
「雪蓮!!」
「お姉さま!!」
戟と大刀がそれぞれへ打ち込まれる、その寸前。
「そこまで!!」
姉妹の間に風切り音。互いへ攻撃を叩きつける直前だった二人の得物の間を、ヒュッと何かがかすめて行った。
直後、風切り音の去った方からドッと何かが刺さる音。弓術用の的のど真ん中に、矢筈の羽根を震えさせて、一本矢が刺さっている。
弓矢の放たれた方を、姉妹が見て見ると。
「まったく……お前たちは女の子なのに……」
心底呆れた様子でため息を吐く、父・崔伯世。その手にはしっかりと弦の張られた弓が、放った時の体制のまま握られている。
「意外や意外……」
黄雲、自身の危機を忘れてその姿に呆然とする。
「知府殿が弓矢の名手であったとは……」
しかし感心するのも束の間。
「うっ、気持ち悪っ」
唐突に秀蓮は黄雲を放し、よろよろとその場へうずくまった。突然のことに雪蓮。
「お、お姉さま! どうしました!?」
戟を放り投げて姉へ駆け寄る。彼女が立ちすくんでいる黄雲の隣へ並ぶと同時に、この姉。
「いっけない! 忘れてたわっ!」
顔色悪くもお茶目な仕草で、コツンと自分の頭を小突いて見せて。
「私、妊娠してたんだったっけ!」
「え……」
爆弾発言である。
名勝負にやんやの大喝采を上げていた士卒は静まり返り。
清流堂の野次馬連中もぴたりと動きを止め。
崔知府、顎も外れんばかりの驚きで。
そして雪蓮。先ほど戟で姉のどてっぱらを叩きつけんとした雪蓮は。
「に、にんし……」
「ちょっと、お嬢さん!?」
あまりのことに顔面蒼白。ふらりと後ろによろめいた。
あわや稚児を屠るところ。ぐらりと体制を崩す彼女の肩を、脇に立っていた黄雲が慌てて支えてやった。
「秀蓮! この大馬鹿者!」
崔知府も、あやうくまだ見ぬ孫を亡くすところだ。真っ青な顔で長女を怒鳴りつけるが。
「いやー、すーっかり忘れちゃってたわ! ごめんなさいね、我が子!」
この汗血馬娘、馬耳東風。先ほどまでの仁王の形相どこへやら、幸せな顔色で腹を撫でている。
「……なんとも」
「烈火の如き女人だ……」
一部始終を見守っていた清流と二郎真君がぽつりとつぶやく。
「ちょっと! ちょっとお嬢さん!」
黄雲はなおも雪蓮を支えている。養生の術を使っているとはいえ、あまり長く密着していると心が持たない思春期。
「立てます!? 立てるでしょお嬢さん! ねえ、ほら手ぇ離しますよ!」
呼びかけの中に少々の必死さを混ぜつつ、雪蓮の意識を確認する。そんな彼の声に反応して。
「う、うーん……」
雪蓮は青い顔で弱々しく頷く。が、自分が黄雲に支えられていることに気付くやいなや。
「ひえええっ!」
「ぎゃあっ! なんですか急に!」
脱兎のごとく。雪蓮は黄雲から大いに距離を取って稽古場の地面にうずくまり、赤い顔を隠しながら胸の前でぶつぶつしゅばしゅば、覚えたての九字を切る。
黄雲、雪蓮が妙な印を結んでいるのに気付かず。「けっ!」といつもの不機嫌な顔でそっぽを向いた。
「臨兵闘者……あれ?」
雪蓮はふと、あることに気付く。先ほどの試合中、姉に切り裂かれたはずの左手。
黒い衣の裂け目から見える白い肌には、血一滴なく、傷一つなく。
(……ケガしちゃったと思ったのに)
あのとき、刃に傷つけられたような感触があったけれど。
しかし雪蓮は、そのことを「気のせい」の一言で納得してしまった。
気にするほどのことはない、些細なこと。だからまったくそれとは思わなかった。
負った手傷を癒したのが、霊薬の仕業であるなどとは。
今回の雪蓮と秀蓮の、黒衣と石灰を用いた対決形式は、『水滸伝』青面獣楊志が急先鋒索超の部下・周謹と試合を行ったときの対決方法を参考に致しました。




