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2 もっと熱くなんなさいよ!

 崔秀蓮(さいしゅうれん)

 亮州知府・崔伯世が長女にして、現在は楼安関(ろうあんかん)太守・郭広永(かくこうえい)が子・郭広遠(かくこうえん)の妻である。

 彼女がこの世に生を受けたのは、十九年前。

 崔知府は初めての子であるこの娘を、それはそれはたいそう可愛がった。

 かつ、崔家の歴史を幼い秀蓮へ、誇らしげな声でよく語って聞かせたものだ。

 

『いいかい娘や。我が崔家は、もともと武門(ぶもん)の一族なのだよ』

『おとうさま! ぶもんってなーに?』

『武術を尊び、代々剛力無双の武将を輩出してきた家柄ということだ』

『よくわかんないけどかっこいー!』


 当時三つだった秀蓮は、父の話に目を輝かせて、よく分からないままにおもちゃの剣を振って遊んでいた。この時はまだ、平和なものだった。

 しかし、自身の一族が武を尊んできたという歴史は、秀蓮の中に相当な誇りを植え付けてしまったようで。

 彼女は幼少より独学で剣を学び槍を振るい飛刀を飛ばし。

 雪蓮が生まれ、ようやく歩けるようになった頃に。

 

『父上、母上! わたくし、本格的に武芸をやってみとうございます!』


 常々こんなことを言っては、両親を困らせた。

 致し方なしと崔知府、食い詰めた武芸者を街で拾ってきて師範に仕立て上げたが。

 

『弱いっ! 弱すぎるっ!』


 この時たった七つだった秀蓮は、大の大人をこてんぱんにのしてしまう。その後さらなる猛者を求め、秀蓮は武芸者をとっかえひっかえ。そんな姉のいる日常の中で、よちよち歩きの雪蓮は育った。

 秀蓮九つ、雪蓮三つの時。この日現れた武芸者は、一味違う男だった。

 元禁軍師範というその男。かなりの使い手で、初めて秀蓮を打ち負かした。

 秀蓮、初めての敗北とともに心に決める。我が師はこの人と。ついでに我が妹も武芸の道に染め上げようと。

 雪蓮、よく覚えている。たった三歳の子ども心ながら、いい迷惑だと思ったことを。

 というわけで、崔家の二人の姉妹はこの師範にビシバシと五年ほど鍛えられ、武芸十八般を習得するに至る。

 

 姉・秀蓮は大虫(とら)の如き剛力で敵を薙ぎ払い。

 妹・雪蓮は蝶のように舞い蜂のように刺す。


 ちなみに子堅は剣を手に取っただけで脱臼するという有様。彼は早々に武芸の稽古から手を引いた。

 さて。姉妹に免許皆伝を言い渡すと、師範は満足げに屋敷を去っていった。行く先も告げずに。

 つらい武術の修行が終わったことに、やれやれと内心安堵する雪蓮はともかくとして。

 密かに師範を倒すことを目標としていた秀蓮は、結局本懐を遂げられなかった。悔しい思いをぶつけるように、彼女の熱意のほとばしりは亮州の兵へと向かった。

 

(とつ)!』


 という怒鳴り声は、いまだに亮州兵の間で恐れられている。

 秀蓮は父の面子を使って勝手に調練場に入り浸り、並み居る(つわもの)どもを打ち負かして回った。

 その剣さばきの鋭さは、模擬刀での演習であることを忘れて死の恐怖を味わうほど。その弓の正確無比なることは、常に喉元を狙われているような錯覚を覚えるほど。

 いつしか秀蓮は亮州軍の長官や教頭(調練の指導役)をさしおいて、城兵達へ勝手に稽古をつけるようになった。この稽古の厳しさも、彼女の恐ろしさを伝えるものとして語り草となっている。

 さらに自宅でも。度々武芸者を招いてはコテンパンにやりこめてポイっと路上に蹴り出したり。

 武芸の稽古から開放され安心していた妹に、なおもやり過ぎな稽古を続行したり。

 弟の子堅に対しても、読んでいる本を取り上げて弓矢にすげ替えたり。

 やりたい放題で秀蓮は青春を武芸に捧げた。

 そんな彼女が西の果て、楼安関へ嫁に行った後、亮州の兵たちはほっと胸をなでおろしたものだ。

 しかし、秀蓮の武芸かぶれは嫁に行っても変わらなかった。楼安関の女夜叉などという物騒な噂話が、西から轟く遠雷のように亮州にもやってきたのだ。この噂話はもちろん亮州の民草の心胆を、大いに寒からしめるのだった。

 武芸を愛し、武芸に生き、武芸のために周りの迷惑省みず。

 それもこれも、彼女が己が血筋に誇りを持っていたからこそ。

 武門の誉れたる、名族崔家の末裔なれば。




「咄!!」


 二年の時を超え。数多の(つわもの)を恐怖のどん底にぶち込んできたあの怒鳴り声が再び上がる。


「ええい、ぬるいぬるいっ! ぬるすぎるっ!」


 勝手に検問を蹴破り城内に押し入っておきながら、秀蓮は己を押し留められない城兵に憤慨していた。

 

「根性がない気概がない! なさすぎるっ! ああ嘆かわしい!」

「ひ、ひぃいい!」


 軍団は相変わらずひれ伏している。二年前まではよく見た光景だが、崔知府周囲の惨状にため息を吐き。


「これ、やめなさい秀蓮」


 こちらを見た秀蓮に、そっと首を振って見せる。すると秀蓮、兵を右から左にじろりと流し見て。

 

「ふん! 此度は父上に免じて許してやる! 後ほど貴様らには地獄の調練を再び味あわせてくれよう!」

「あああ……」


 一兵残さず絶望を賜い、馬から降りた。

 

「父上!」


 そして先ほどまでの仁王の如き迫力が嘘のように、少女のような可憐な笑みで父へ駆け寄り。

 

「お久しゅうございます、お元気そうで何よりですわ!」

「う、うむ」


 いじらしい表情で久闊を叙するのである。そして秀蓮はにこにこと隣の子堅の手を取って。

 

「子堅さんも、息災そうで何よりだわ!」

「え、ええ、姉上……」


 最後に妹の姿を見つけると、彼女のそばに駆け寄り。

 

「雪蓮!」

「お姉さま!」


 姉妹は二年ぶりの抱擁。暖かい姉の腕に包まれるようにして、雪蓮は少し気恥ずかしい気持ちで再会を堪能する。

 

「聞いたわ、雪蓮」


 その身から妹を離し、秀蓮は少し涙ぐんだ目で彼女を見下ろした。

 

「あなた、いま大変な目に遭っているそうね……子堅さんからの文で知ったわ」

「お姉さま……」


 しかし、一筋縄ではいかないこの姉。

 ひとしきり妹にうるうるとした視線を送ったかと思えば、持っていた青龍偃月刀をやにわに振りかざし。

 

「さあっ! 一騎当千の私が来たからには! 妖怪・物の怪何するものぞ!」

「お、お姉さま?」

「いざいざいざ! 火眼金睛を迎え撃たん!」


 えいえいおー! と姉は気合充溢。

 その様子を、雪蓮ばかりでなく、知府や子堅、黄雲たちまでもがぽかんと見つめていた。

 

「あ、あのー、お姉さま」

「さあっ! 火眼金睛はどこかしらっ!」

「お姉さまってば……」

「隠れてないで出てらっしゃい!」

「あ、あのね! お姉さま!」


 秀蓮はどうやら知らないらしい。

 火眼金睛の件は、とっくにかたがついているということを。

 雪蓮はそれを伝えたいものの、この姉、猪突猛進にして人の話を聞かない性分。なおも偃月刀をぶんぶん振りかざしつつ、まだ見ぬ炎の物の怪の姿を探すのだ。

 

「さあさあどこかしら! ややっ、なんと!」

「なんだなんだ?」


 秀蓮の目に、異様なものが飛び込んで来た。

 それは二つの輪の上に足を乗せ、空中にぷかぷか浮いている絶世の美少女。

 

「なんと面妖な! 貴様が火眼金睛か! あんまり炎っぽくないけれど!」

「オレ? 違う違う」

「違うとな! ……はっ!」


 秀蓮の視線は、今度は那吒の近くに佇む三つ目の神将へ。

 

「わ、分かったわあなたね! 三つの目とは何とも面妖で素敵な殿方だこと!」

「まことに申し訳ないが、私は火眼金睛にあらず」

「あら、そう……」

 

 なぜか残念そうに二郎真君から目線を外し、秀蓮、今度は清流道人と黄雲の師弟へ向き直る。

 

「ならばそこな面妖すぎる乳の化け物! ええいけしからん乳ね! 一応聞くけどあなたが火眼金睛!?」

「残念ながら違います」

「やっぱりね! じゃあそっちのちんちくりん!」

「もちろん違います」

「おのれ! いないじゃない!」

「はいはーい!」


 突然、秀蓮の背後から軽薄にうわっついた声が上がる。振り返った彼女の双眸が捉えたのは、覆面黒ずくめ。

 

「俺も火眼金睛じゃねえけど……おっねえっさまーっ! あっそびっましょー!」


 うっひょいと歓喜の表情で飛びかかるクソニンジャだったが。

 

紅箭(こうせん)!」


 秀蓮は眉ひとつ動かさず、愛馬を呼ばわった。呼応して汗血馬、ヒヒンと(いなな)き巽の頭上高くに前肢を掲げ、

 

「ぶべらっ!」


 黒ずくめを思いっきり踏みつけた。そしてそのままげしげしズンズン蹄をお見舞い。

 

「やっ、やめっ! やめろ馬のくせに!」

「おのれ、突如狼藉を働くとは無礼な!」


 秀蓮、キリリと柳眉を上げ、一喝。

 

「紅箭! 食っておしまい!」

「草食動物になんつー無茶を!」


 珍しく至極もっともなツッコミを入れる巽だったが、紅箭は主人の言うことに忠実で。草を食むが如く覆面頭をもぐもぐ咀嚼している。

 

「それで! 結局!」


 馬に喰われるニンジャを背後に、秀蓮は一同へ怒りの視線を向ける。しかしその怒りの面持ちの中には、困惑の色もある。

 

「火眼金睛はいったいどこにいるの! どこにもいないじゃない!」

「だ、だからね! お姉さま!」


 雪蓮は姉に説明しようとするが、この娘。

 

「火眼金睛はね! 何日か前にね! どっかーんて来て、ボワって炎とかなんかすごかったけど! こうザバザバってなんとかなったの!」


 相変わらず説明がド下手クソ。後ろで二郎真君と那吒が「分かるか?」「全然分からん」と顔を見合わせている。

 

「全然分かんないわ雪蓮!」


 もちろん姉にも全く伝わらない。「うぐっ」と雪蓮、自分の説明能力の無さにほぞを噛む。そんな末娘を見兼ねて、崔知府は口を挟んだ。

 

「秀蓮、落ち着きなさい。火眼金睛なら、そこにいらっしゃる道士の方々が数日前になんとかしてくださったよ」

「ええ……!?」


 清流堂の師弟を指し示しながら告げる父に、秀蓮は驚きの表情。の後、どこか落胆した気配。

 

「なんだ……せっかく物の怪相手に戦えると、意気込んで馬を飛ばしてきたのに……」

「お前はなぁ……」


 やたらと好戦的な長女に、崔知府も呆れ顔だ。

 それにしても。


「秀蓮。お前、子堅からの使いから文を読んで来たのか?」


 子堅が張三に文を(ことづ)けて楼安関へ向かわせたのが、十日ほど前のこと。この亮州から西の果ての楼安関へは、早く着いたとしても一月半はかかるはずだが。

 

「ええ。張三のやつ、あんなに気概のある男だとは思わなかったわ! 聞いて驚きなさい、彼は七日で楼安関までたどり着いたわ!」

「は、はぁ!?」


 いくらなんでもそれは早すぎる。そもそも子堅、張三に馬すら与えていない。

 瞠目する父と弟へ、秀蓮は自慢げに語る。

 

「最初は馬もなく、途方に暮れていたそうなのだけれど……」


 ただの下男だった張三。亮州を出発したものの、道のりは遠く。途次、山賊に襲われたり森の獣に襲われたり。そうこうしているうちに、ひょんなことから山賊に気に入られて馬を与えられたりなどして、なんだかんだで七日という記録的な短期間で楼安関まで踏破したのであった。

 張三の辿った足跡は、それはそれは紆余曲折に満ち、波乱万丈の道のりであった。しかし本筋には関係ないので割愛する。

 さて。楼安関で子堅からの文を受け取った秀蓮は、名馬紅箭にまたがり、三日という唖然呆然の短期間で亮州へと到来した。

 

「三日!?」

「我が紅箭の駿足にかかれば、楼安関と亮州の間なぞ単なる散歩道ですわ!」


 こともなげにそう言って、秀蓮は視線を雪蓮へ戻す。

 

「まさか私が到着するまでに火眼金睛が退けられているなんて、思いもしなかったわ! まあそれはそうとして、雪蓮!」

「は、はい!」


 妹を呼ぶ秀蓮の声は、少々厳しい。

 

「あなた、妙な物の怪に取り憑かれたそうね。確か、『えりきさ』とかいう」

「え、えーと……物の怪というか……」

「雪蓮!」


 窮しつつも返答しようとしていた雪蓮だが、姉の声に遮られる。

 秀蓮、雪蓮の両肩をしっかと掴み。

 

「……気合いが足りないわっ!!」

「へ?」


 姉の表情は厳めしい。いや、その瞳は恐ろしいくらいに爛々と輝いている。そして告げられる次なる言葉は。

 

「いーい!? おかしな物の怪に付け入られるということは! それすなわちあなたに隙があったということ! 我が妹ながら嘆かわしいっ!」


 妹の肩を掴んで揺さぶりながら、姉の叱咤は止まらない。

 

「その様子だと武術の稽古をサボっていたようね! あなたは昔からいつもそう! せっかくの天賦の才がありながらなんと勿体無い!」

「あ、あの、お姉さま……」


 姉、止まらない。雪蓮の弱々しい呼びかけでは当然その勢いを押し留められるはずもなく。

 妹の肩をガクガク揺さぶって、秀蓮は爛々と輝く瞳で声高に一言発した。

 

「雪蓮! もっと……もっと熱くなんなさいよ!」

「…………」


 もはや誰も秀蓮に着いていけない。揺さぶられるままの雪蓮、熱気にげんなりしている黄雲、なおも馬に食われている巽。

 そして姉は斜め上の提案を持ちかけた。そう、腑抜けた妹を叩き直すため。

 

「ああ我が妹よ! そのぽわぽわして緊張感の無い心根を、この姉が鍛え直して差し上げます! お父さま!」


 そして秀蓮は父へ練兵場の使用を願い出て。

 

「模擬試合よっ! 今からこの私があなたを試し、鍛え! 妙な物の怪をその身魂から追い出してくれるんだから!」

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