6 依頼
今宵は満月。街には煌々と月光が降り注ぎ、甍の波を静かに照らしていた。
街の南側、一際大きな水路を背にして、古い道廟が建てられている。門には『清流堂』と大書された額が掲げられ、しんみりと月明かりを浴びていた。
静けさの中、閉じられた門を敲く音。
どちらさま、と門の奥から誰何の声。門前に立つ客は、よく通る声で呼ばわった。
「亮州知府の使いである! 清流道人殿はおられるか!」
扉の内側。少年は、ため息をひとつ吐き出し、門を開いた。まさか亮州知府からの使いだとは。正直なところ、その知府宅の世間知らずな公主様に昼間振り回された身としては、歓迎したくないものである。
開いた門の先には、二人の男。兵装の彼らは、役所や知府邸を守護する衛兵のようだ。
少年は恭しく、手を組んで拱手。そして申し訳なさそうな面持ちを浮かべつつ、口を開いた。
「これは夜分までご苦労様です。あいにくですが、師は数日前から留守にしておりまして」
「参ったな……いらっしゃらないとは」
男たちは困った様子で顔を見合わせた。
知府邸から師に使いが来るというのは、滅多にない事だ。少年が知っている限り、使いが師を訪ねてきたのは今までに二度ほど。いずれも超面倒くさい案件だったことを記憶している。
しかし面倒くさいなりに、報酬が高額だったことも強烈に覚えていたもので。
「もし宜しければ、私めがお話を伺いましょう」
営業用のしゃべりと笑顔を、即座に振る舞う少年である。
「いや、さすがに清流殿が留守とて、子どもを頼るわけには……」
しかし使いの兵も、目の前の幼い少年に、大事な用をいきなり託すわけにもいかない。少年はそんなことも重々承知、言葉を続ける。
「ご不安、ごもっとも。いかにもこの黄雲、若輩者にして法力も未熟。しかし師より留守中の一切を預かる身、必ずや知府殿のお役に立ちましょうぞ!」
「へ、へえ……」
つらつらと、途切れることない売り文句。勢いに、使いの男たちも太い脛で後ずさりだ。
「おい、どうするよ」
「いやぁ、どうするって……」
ごにょごにょと相談を始める使い達。門戸で腕組み、それを眺める少年。
「ねえ、哥哥。誰か来てるの?」
「なんだお前たち、まだ寝てなかったのか?」
門の内からぞろぞろと、三人の子どもたちが顔を覗かせる。一様に眠たげに目をこすっている。
「なにー? お客さん?」
「そうそう、知府邸からの使いの方だ」
「……清流先生いないのに? 哥哥には荷が重いんじゃ……」
「こら声が高い」
一番幼い女の子の口を『箝口』と朱書された札でとっさにふさぎ、少年はちらりと使いの様子を伺った。こちらを気にせず、まだ話し込んでいる様子。
荷が重い、なんて発言を聞かれたら、仕事がもらえないじゃないか。恨みがましい視線を女の子に落とすと、口を塞がれた彼女もまた、恨みがましい視線をこちらに返すのであった。
「分かった、清流殿がいないなら仕方ない。今回は弟子殿にご協力願いたい」
使いの男たちがこちらへ向き直り、丁寧な口調で言った。手前の男は真摯な面持ちでこちらを見下ろしているが、後ろの男はいかにも胡散臭げな顔色を少年たちへ向けている。
「よろしい、お受け致しましょう」
答える少年はにやりと不遜な笑みだ。快諾するなり、後ろの子どもたちをを振り返る。
「聞いた通りだ。哥哥は今から仕事に行ってくるよ」
「はーい」
「じゃ、逍は僕の部屋から道具袋を取って来てくれるかい? 遥は土間から木剣、遊は師匠の部屋入って右側手前の薬壷から、活身丹を持って来てくれ」
「はい」
「はーい」
「…………」
少年の指示に、子どもたちの内、逍、遥のふたりからは返事があるが。
「こら、遊。返事は?」
「…………」
黙り込んでいる彼女の口には、『箝口』の札。
「哥哥が『箝口符』使うから、返事できないんだよ」
「はがしてやれよー」
逍、遥のふたりの男の子に槍玉に上げられ、こりゃいけねと少年、沈黙の少女から札を剥がしてやる。しゃべれるようになった女の子は、少年に向かって二言。
「鬼! クソ野郎!」
「悪かったって! ほら! 早く準備!」
「自分でやれクソ野郎!」
わいのわいのと賑やかな子どもたち。見つめる二人の使いの男。
「おい……あんなのに頼んで大丈夫か?」
「さあ……いないよりマシだと思ったんだが……」
やがて準備が整ったのか、少年は腰帯に木剣を通し、肩掛けの道具袋を背負って再び門前に現れた。
「さあ、参りましょう!」
「なあ、お弟子さん。あんたホントに大丈夫か?」
「ご心配めされるな! さあ、道すがらご依頼の内容を聞かせていただきましょう!」
自信満々な少年に、一度依頼を託した手前、何も言うことができない使いたち。背後では子どもたちが「いってらっしゃ〜い」と間延びした声で、一行を見送っていた。
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月の位置は、先刻より高くなっている。
使いに先導してもらいながら、役所方面へ向かう中央街を行く。昼間の喧騒が嘘のように、街は静寂に満たされていた。
夜を恐れる人は多い。野盗や不審者が徘徊するのも大きな理由だったが、夜に力を増す幽鬼の類に怯える者も、少なくなかった。
現に少年の先を行く使いの兵は、がっしりとした体つきのわりに、松明を震える手で握りしめ、神妙な足取りで先を急いでいる。道中どこかで猫が鳴こうものなら、松明を落としかねないほどに取り乱したりしている。
(大の大人がこわがりかい……)
心中でぼやきつつ、少年にも不安がないでもない。といっても、幽鬼に対する恐れは全くない。彼が懸念しているのは別のことだ。
彼は昼間に知府邸のご令嬢と関わってしまい、顔を知られている。彼女に対し何らやましいことは……白玉をぼったくった以外にはしていないが、もし屋敷で顔を合わせた場合、どんな目に遭うか分かったものではない。
(ま、何とかなるでしょう)
もしドジを踏んだとしても、人生まあ何とかなるものだ。己が危機を案ずるより、高報酬を得る機会に恵まれたことを喜ぶべきである。
「で、いつまでも怖がってないで、内容を教えて頂けませんか」
「あ、ああ、そうだった」
怖がりの二人は、思い出したかのようにこちらを振り返る。
「実は、知府である崔伯世さまのご息女・雪蓮さまが先ほど突然、昏睡状態となってしまってなぁ……」
「ほう、ご息女が……」
まさか先ほどの少女が、そんな状態になっているとは。
昼間に見た、緊張感の無い彼女の顔が思い浮かぶ。
「腕利きの医者に見せても原因が全く分からず、ただこんこんと眠り続けておるのだ。知府さまは藁にもすがる思いで、清流殿に助けを求めるため、我らを遣わしたのだが……」
そこでじっと、二人が少年を見る。
「……何です、僕だと役者不足です?」
「あ、いや……うん」
不安に満ちた心中を言葉の端々ににじませながら、使いは続けて問う。
「な、なぁ……お前さん。本当に大丈夫か? 下手すると、清流道人殿のお弟子とはいえ、処断されてしまうぞ?」
「心配ご無用! お二人は僕が子どもだからといって、心配しすぎです!」
案ぜずともお役目は果たします、と少年。
そして三人の歩みは、知府邸の門前で止まる。
(ま、ちょっと多く貰い過ぎましたし。頂いた代金分は働くとしますか)
今日の戦利品の白玉を懐に入れた手の中でこっそり転がしながら、少年は月下の崔家大門を見上げるのだった。