6 環龍太源創世縁起
「霊薬とは何か」
しんと静まり返った部屋に、二郎真君の声だけが響く。
「それを語るにはまず、環龍・太源、そしてこの世界の運行についてを説明せねばなりません」
あなたは既にご存知のことかもしれませんが、と真君の視線は清流道人へ。
「構いませぬ」
清流は壁に背を預け、腕を組みながら答える。
「若い彼らは知らぬこと。是非天上の神仙たるあなたより、彼らへ語って聞かせて頂きたい。それに、私にも存じ上げぬことがあるかもしれぬ」
「ならば」
これから儀式でも始めるかのような厳かさで、二郎真君は語り出した。
「まずは太源。我ら神仙の間では、環龍とも呼ばれています」
環の龍。そのいわれは。
「太源はすべての始まりにして、すべての終わり。物質と生命の根源であり、その終焉の帰するところ」
そう語り、真君は朗々と諳んじる。
元始
先ず虚無ありて
後に太源の龍あり
かの龍が気息より
陰陽あらわれ
五行あらわれ
天地乾坤
森羅万象
かく宇内に満ち満ちる
人獣草木 万物死した後
魂魄は九天を昇り
太源へ還る
「ご存知の通り、これは古来より伝わる、太源を謳った詩句。ここに著されている通り、この世界は太源の息吹……すなわち『氣』より生み出された」
宇宙の始まり。太源の吐いた氣は陰陽の二氣に分かたれ、さらにこの二氣の交わりは木火土金水の五行を生み出し、五行は世界を形作った。
「そう、すべては『氣』によって形成されている。この世界に存在する全ての物を構成する最小単位、それが氣です」
黄雲も雪蓮も。彼らが腰掛けている椅子や卓ももちろん、二郎真君ら神仙とて例外ではなく、物質と魂、すべて氣によって形作られている。
言わば、この世界に存在する一切は太源の子。その息吹より生み出された子である。
「この世に在る森羅万象は、始原の時より生滅を繰り返している。そう、全ては太源より出でて」
二郎神、目を細めて言う。
「滅すれば太源へ還る」
人獣草木の棲むこの世界。
この天地に満ちる『物質』は太古、太源の息より生み出された五行により発生した。
そして全ての命に宿る『魂魄』もまた、この太華の天空、恒河沙の距離の果てを往く太源より齎されるという。
そして生命が死すれば。物質でできた身体は大地に還り再び自然の中に循環し、新たな命の身体の元となる。
では、魂魄はどうか。
「我ら天仙、魂魄は一度地獄へ納め、死者の管理を行っておりますが。生前の罪を清めた亡者たちは我らの手を離れ、九天の涯て、宇宙へと昇り、太源へ還るのです」
太源へ還った魂魄は、再びかの龍の吸気に混じり、肺腑へ取り込まれる。
そして太源に還った三魂七魄は再び氣に分解され、呼気となって宇宙へ吐き出されるのだ。
物質も今は太源から離れてこそいるが、いずれ……。
ぐるぐると繰り返される、円環の営み。ゆえに。
「我らはかの龍を環龍と呼ぶ」
昼下がりの陽光が、窓から黒髪の神将を照らし出していた。
その戦袍には、自らの尾を食む龍の姿が刺繍されている。
「さて。私は森羅万象はあまねく氣で構成されていると申し上げた。氣によって形作られるは、太源も同様」
万物の祖たる太源も、その身は氣で成り立っている。ただし。
「我らのそれとは密度が違う。……少年よ」
そこで真君は、黄雲へ茶を一杯、所望した。
黄雲、応じて茶杯へ茶を注ぐ。
茶杯から湯気が立つ。
「太源の吐く息は、当然かの龍より近いほど密度が濃く、遠いほどに薄くなる」
二郎真君はじっと茶杯へ視線を注いでいる。湯気は茶杯の直上にこそ濃く白く立ち昇っているが、茶杯から離れるほどに薄まって、周囲へ散じていく。
言わんとすることはよく分かる。
「つまり太源から遠く離れている僕らは、当然太源に比べて氣の密度が薄い。そういうことですね?」
「いかにも」
黄雲の言葉に肯定を示し、二郎真君は一口茶をすすった。
「太源の氣の密度たるや、凄まじいものだ。例えばこの太華の大地、すべての生命、そして天界をひとまとめにして」
神将は言いつつ、ぐっと拳を握る。
「すべてを氣に換え圧縮し、米粒程度の大きさに縮めたとて、太源の密度には敵わぬのだ」
万物の祖たる太源。その身魂はもはや、氣の結晶と言っても過言ではない。
「霊薬とは、その太源の身体の一部。環龍の血肉」
そこで二郎神は言葉を切り、視線を雪蓮へと向けた。
「きみの中にあるものは、そういうものだ」
「…………」
そういうもの、と言われても。
正直雪蓮にはピンとこない。「霊薬に取り憑かれた」とは言われても、彼女自身にとりたてて自覚症状がないのだ。
確かに先日の火眼金睛との一悶着の際、黄雲の腕を再生したり宝剣を呼び出したりしたらしいが、彼女の意識が無いうちのことである。
困惑を浮かべる少女へ、二郎真君はなおも真面目な眼差し。
「……いまいち実感がないと見える。まあいい。ちょうどここに二人もいることだ、話を少し他へ移そう」
涼やかな双眸が次に捉えたのは、水火のふたり。清流がにわかに表情を引き締めるとともに、ちょうど火眼が首をカクンとさせて目を覚ました。
「清流道人に、炎の少年よ」
呼びかけに清流は無言で応え、火眼はぼんやりと目をこすっている。
神将はなおも言葉を紡ぐ。
「あなた方について、天界もある程度のことは把握している。元々人の身だったところを、霊薬の贋作として改造された、と」
「ええ」
霊薬の贋作。
清流も火眼も、五百年前は市井の人間だったらしいのだが。霊薬を作り出さんとする道士連合・南慧道により、それぞれ水と火に投げ入れられた挙句、半不老不死の存在へと身魂を変容させられている。
人間だった頃の記憶もなく、真の霊薬にもなりきれず不完全。抑制の術をかけていなければ、本来は凶暴な物の怪の二人である。
「そう、物の怪。あなた方贋作は、物の怪ととても似ている」
ともすれば失礼な言い回しだが、二郎真君は至って真面目だ。物の怪というのも。
「物の怪とはすなわち、天地の氣が密集して生み出されたもの。例えば、類はご存知か」
「ええ、よく存じております。タヌキのような物の怪でしょう」
真君の問いに、清流は頷いて見せた。
類とは、たまにこの清流堂にも現れる、タヌキの顔に飛膜の張った手足を持つ、ムササビの如き身体の物の怪だ。
「あれは山に棲むタヌキとムササビの氣が長い年月の中、それぞれの群れのうちで凝り固まり、融合し合って生まれたものに他なりません。つまり、類とは氣が集積したものに他ならない」
物の怪とは。
自然を生きる様々な動植物などが、長い年月のうちに生息地へ氣を溜めることで生み出される。猪が何代にも渡って営みを繰り返す山中に、大猪の怪がわくように。
「贋作とはすなわち、その過程を人工的に再現したもの。氣の制御に素養のある人間を、依り代にして」
五行の氣を人体に集め、氣の密度を上げること。密度が上がれば上がるほど、その身は太源に近くなる。
「五百年前、錬丹術に傾倒した道士たちはそうすることで、実験体の身魂を太源へ近付けようとしたのでしょう。しかし先ほど申し上げた通り、我らの棲むこの世界の氣は薄い」
だから到底太源の身魂を再現するほどの氣は集まらない。
環龍太源に及ばぬ模造品。それが贋作。
「物の怪も贋作も、より多くの氣を欲する性質を有している。それゆえ、彼女を喰わんと欲するのだ」
大猪や類が、そして火眼金睛が欲し。
清流道人が必死に抑え込んできた欲は、雪蓮ごとその身に宿された霊薬を喰らうこと。
この天地にはあり得べからざる密度の、氣の塊を。
「もう一つ。贋作や物の怪はある特徴を持っている」
人差し指を突き立て、真君の目元はわずかに厳しい色を帯びる。
「天道から逸脱していることだ」
天道とは。
すべての物事のあるべき道。
天象、物理、道徳、あらゆる事象。木から落ちた実が必ず地面へ向けて落下するように、物事には決められた道理がある。
「天道とは物事のあるべき道のこと。そして我ら天仙の役割は、天道を管理すること」
天仙とは、この天道を守るための天地の管理人である。
管理者の長である玉帝は天地の運行を常に見守り、必要とあらば龍王に命じ雨を降らせ、雷公に命じ雷を落とし、時には道徳に背いた王朝あらば天仙を差し向けて、易姓革命を促したりもする。
そして。
「道士。そう呼称される存在についても、我らの管理機構の支配下にある」
道士とは、様々な道術や符術を使う者共である。その術の源となる力は、すなわち氣。
道士達は氣を練って術を起こすのだが。
「もし道士達が自由気ままに術を使えたならどうなるか。すなわちこの世は混乱必至」
ゆえに、天界は術の運用について、道士があらかじめそれぞれの術を管轄する神に許可を得ねば使えぬよう取り決めている。
「おお、あれだな!」
ふと黒ずくめが声を上げた。巽はいつの間にか天井から降りて、清流の隣で乳の谷間をガン見していたのだが。
つい最近聞きかじった話の再来に、神将の語り口に首を突っ込むのだった。
「俺知ってるぜ! 例えばこの亮州で道術を使おうと思ったら、燕陽土地神のじいさんに許可を得ねばならない!」
三白眼をきりっとさせて。
「……だろ?」
「いかにもそうだ」
得意げに見返す覆面男へ、ごくごく真面目に真君は首肯する。
「土地の神、身体機能を司る神、天象を司る神……道術とは、本来彼らの許可を得、天界の意向の中でしか使えぬものだ。しかし」
物の怪、及び贋作は。
「天道にお構いなく、いつでもどこでも氣を練り、術を起こすことができる。なぜなら身中に宿す氣の量が多過ぎるため、神の管轄領域に関係なく術が発動できてしまうからだ」
天道に外れる者。
「それゆえ逸脱」
その言葉が、清流の表情に暗い影を落とす。
「まってくれ」
ふと二郎真君の話を遮って、声が上がった。
「天道にはずれているということは、おれたちはおまえたちにとって、処分対象ということか」
発言したのは火眼金睛だ。黄雲と巽がぎょっと視線を向ける中。
「おれたちは望んでこうなったわけではない」
炎の瞳は少し、悲しげな、恨めしげな色を浮かべる。
「そう話を急いてはならぬ」
火眼の言に手のひらをかざして首を横に振り、二郎真君今度は、わずかな微笑を浮かべて見せる。
「きみのような贋作という存在を、現在天界では物の怪の一種として認識している。物の怪はこの下界に数多はびこっていて、とてもではないが駆逐しきれない」
つまるところ。
「現状きみたちは黙認されているようなものだ」
「黙認……」
「天道に仇なせば即刻処分だがな」
最後の物騒な言葉も軽く言い切って、神将の眼差しは雪蓮へ。
「そのように、氣の密度と量が他を圧倒するゆえ、贋作は天道から逸脱している。ならば、きみの内にあるものはどうか」
「…………」
雪蓮は沈黙した。
今の論の立て方から言って、天界の認可しない、大きな氣を持つ者は天道の外にあるということだ。
それも彼女の中にあるものは、天界の至宝。この天地をひとまとめにしても敵わぬほどの、圧倒的密度の氣で構成されている。
「……天仙の方々は、だから私を殺処分しようとなさっているのですね」
ようやく口を開いた彼女だが、言葉は少し震えている。
雪蓮の中に宿されたものは、本来この下界にあってはならないものだ。だから天地の管理者たる天仙は、彼女を殺してでも霊薬を取り戻そうとしているのだろう。
戦慄している雪蓮へ、真君の真面目な口調は変わらない。
「そういう一派もいるということだ。ともかく圧倒的な氣を持ち、天界の管制を跳ね除けて術——すなわち奇跡を起こすことに関しては、きみも贋作のお二人も同様だ。黄雲少年よ」
「あ、はい」
雪蓮へ語りかけているところ、急に話を振られた黄雲は少々面食らう。そんな彼への真君の問いかけは。
「こちらの火眼金睛との戦いの折、彼女は二つ奇跡を起こしたそうだな」
「ええ、おっしゃる通り……」
続けて黄雲は説明する。
「まず一つは、火眼に焼き消された僕の右腕を再生させたこと。それから二つ目に、地面の砂鉄を呼び出し集積させ、『龍吟』なる宝剣を作り出したことです」
「ふむ」
自分の右腕を、袖をめくって見せながら答える黄雲に、真君は興味深げな視線を投げかけた。
「自身がそういう奇跡を起こしたことを、彼女は覚えていない、ということだったな」
「そのようです。そうでしたよね、お嬢さん?」
「う、うん……」
黄雲に問われて、雪蓮は少しほっとしたような面持ち。
「ふぅむ……」
神将は腕を組み、なおも興味深そうな表情で何やら考え込んでいるが。
「二郎真君さま……」
真君の思考は、雪蓮の弱々しい声に遮られる。
「教えてください」
雪蓮はぐっと覚悟を決めて、顔を上げて神将の双眸を真っ直ぐに見据えた。
「私はこれから、一体どうなってしまうのでしょう」
雪蓮の中に宿る霊薬。
太源の血肉は彼女の身魂にどう作用して、一体なにものへ変えようとしているのか。
二郎真君。じっと彼女の視線を真摯に見返し。
「お答えできません」
その一言はにべもない。
「答えられないとは、どういうことです」
神将の回答に息を詰まらせる雪蓮に代わり、言葉を返したのは清流道人だ。口調には少々、苛立ちが混ざっている。
「彼女が一体どうなってしまうのか。我々が一番知りたいのはそこです。雪蓮自身が不老不死となってしまうのか、はたまた我々贋作が本来そうなるはずだったように、不老不死の妙薬の材料となってしまうのか。それとも——」
「だからお答えできかねます。その問いに対する回答は禁じられている」
「禁じられている?」
「ええ。主上より命じられておりますゆえ」
涼やかな瞳にきつい光を灯しながら、神将は物腰柔らかく述べる。
「我々も、その少女の魂魄と霊薬との癒着の度合いが日に日に強まっていることは、承知しています。しかしその先に何が待ち受けるか。残念ながら申し上げることはできません。しかし、これだけはお教え致しましょう」
二郎真君はすっかり冷めた茶をもう一口すすって、けろりと言い放つ。
「霊薬によってもたらされるもの。よく言われる『不老不死』の恩恵は、あくまで霊薬によって起こされる奇跡の副産物に過ぎません」
「副産物?」
「その先は、ご勘弁を」
そう言って真君は茶杯を煽り、残っていた茶を全て飲み干した。
その姿を見つめながら、清流はあごに指を添えてじっと考え込んでいる。そしてふと口を開き。
「二郎真君。もう一つお聞きしても良いだろうか」
「どうぞ」
「彼女……雪蓮のように、霊薬を体内に宿してしまった存在に、前例はいるのだろうか?」
二郎真君の言い様に、清流の中に湧いてきた一つの疑問だ。もしや雪蓮のような霊薬の宿主は、過去にいたのではないだろうか。
二郎真君の返答は。
「黙秘します」
やはりにべもない。が、しかし。
「お答えできないことは重々承知。しかし、黙秘とは」
清流はあごに指を添えたまま続ける。
「前例が無いのなら無いと、おそらくはっきりそうおっしゃられるでしょうに、そうでなく黙秘とは。暗に『ある』とおっしゃられているようなものでは?」
「そうでしょうか」
少々意地の悪い清流の問いに、二郎真君はけろりとした顔色でしれっと言う。
「本当は無いものを有るように言い、相手を誤解させた挙句ずっこけさせることこそ、詭弁の醍醐味にございますれば」
「食えぬ御仁だ……」
結局のところ。
肝心要、雪蓮に宿った霊薬が、彼女に今後どのような影響を及ぼすかは分からずじまい。
その他にも霊薬の宿主の前例など、彼が語らなかったこと、隠していることは他にもまだありそうだ。
しかし。
「少年、茶をもう一杯」
「どんだけ飲むんですか!」
二郎真君は、もうこれ以上話す気はないらしい。
再び黄雲へ茶を所望し。
「うむ、この渋み。くせになる」
「そうかぁ? うわっ、しぶっ」
今まで無言だった那吒と一緒になって、茶杯をぐびっと煽るのだった。




