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5 顕聖二郎真君

「お二方」


 しゃがみこみ、詫びを述べてから。

 二郎真君(じろうしんくん)はごく真面目な表情で、黄雲と雪蓮をじっと見つめながら言う。

 

「随分と仲がおよろしいようで」

「あ!」


 二郎真君の言う通り、仲良く声を合わせて二人は気が付いた。まだ彼ら、黄雲を上に折り重なったままである。

 弾かれるようにお互いから離れ、雪蓮は頰を真っ赤に染めて、黄雲は不機嫌にそっぽを向いている。

 

「はい、慰謝料!」

「いらないっ!」


 明後日の方を向いたまま差し出された銅銭二枚を、赤面で突っぱねる雪蓮だった。

 

「んだよ二郎(あに)い……何だって急に殴るんだよ」


 那吒(なた)は頭をさすりつつ、二郎真君へ涙目で恨みごと。見た目には小突く程度の一撃だったが、そこはさすがに神将の宝具・乾坤圏(けんこんけん)。どうやらかなり痛かったようだ。

 

「ったく、オレが何を勘違いしたっつーんだ!」

「那吒よ」


 三つの眼でじろりと那吒を見つめながら、美丈夫は彼へ問いかける。

 

「ならばきみに問うが。我らは主上より、いかな命を下されたか。いま一度述べてみるがいい」


 三つ目の神将の質問に、那吒、自信満々に胸を張り。

 

「天界の宝物殿より盗まれた霊薬(エリキサ)を、奪い返すことだ!」

「うん、違うな。全然違う」


 二郎真君、真面目な面持ちのまま首を横に振る。空飛ぶ二輪の上で、かっくんと那吒がよろけた。

 

「ち、違うのか!?」

「うむ。相も変わらずそそっかしい奴よ」


 言いつつ立ち上がり、二郎は少し足を後ろに引いて、背後の清流も含めた一同を見渡せるよう位置取った。

 そして再び口を開く。

 

「我らの命はすなわち、霊薬(エリキサ)の宿主を監視すること。危害を加えることにはございません」

「監視……?」


 黄雲の問いたげな声に、「失礼」と前置きして二郎は続ける。

 

「監視、と言っては少々語感が物々しいか。要するに我ら、その少女の観察に参った」

「観察……」


 つぶやきながら、黄雲と雪蓮は目を合わせた。

 監視にせよ観察にせよ。見張られるようで、あまり気分が良いものではない。

 

「あー……えーと、二郎真君よ」


 本堂前で黙していた清流道人が、不意に口を開く。

 いつものしたり顔は珍しく影を潜め、なんだかやけにぐったりしている。

 

「こんなところで立ち話もなんです。詳しいお話は、あちらで茶でも飲みながら」


 ところで本堂前。実はずっと焦げてたあの男。

 

「……はっ、俺はいったい」


 ふと目を覚ました巽の足元に、今までどこにいたのやら、三尾の狐が近付いて。

 黒焦げの彼の足へ、小水を引っ掛けている。

 

「えええ……?」


 覆面の中に困惑を浮かべながら、巽はぼやいた。

 

「消火活動にしたって遅すぎらい……」


 庭では火眼がぐうぐうと、面白い寝相のまま眠るのだった。

 

--------------

 

 母屋。使い古されたボロ屋の薄汚れた壁の前に、煌びやかな神将が二人。

 掃き溜めに鶴、どころではない。掃き溜めに鳳凰だ。

 さて。

 清流の顔色がぐったりくたびれている理由を、茶を沸かしている黄雲へ、逍と遥の二人が教えてくれた。

 

「あのにいちゃんさー、顔はいいけどただのお上りさんだよ」

「ピカピカの甲冑着てるくせに、とんだ田舎モンだよあいつ!」

「田舎モン?」


 なんでも彼らが言うには。

 道中、街路にある様々なもの……それこそ市場の屋台や、水路沿いの柳の木、捨てられた饅頭の包み紙に至るまでのありとあらゆるものに興味を示し。その度に試食だなんだと立ち止まり、なかなか歩みが進まない。

 しまいには清流が引きずるようにしてここへ連れてきた、ということだ。

 

「ふーん……」


 来客用の茶器を手早く整えて、黄雲は気のない相槌を打つ。俗塵にまみれぬ天仙なれば、まあ下界のことはそりゃ珍しかろうと内心納得はするが。

 茶を淹れて神仙の待つ部屋へ向かったところで、彼もぐったりくたびれる羽目となる。

 

「おお……これを見よ那吒。なんと味わい深い色合いか」

「ただボロいだけだぜ兄い」


 客間代わりの食卓の間で、天仙二人は壁に見入っている。

 那吒の至極もっともな指摘に「いや」と(かぶり)を振り、二郎真君は熱のこもった瞳で続けた。

 

「この年季の入った風合い、吹けば飛ぶような簡素極まりない造り……。万事が永劫盤石の、我らが天界にはあり得ぬものぞ。げに儚き下界の衆生を象徴するかのような、素晴らしくも脆い家屋ではないか」

「お気に召したようで何よりです」


 褒めているのかけなしているのか。口調と仕草に悪気は一切感じられないので、純粋な賞賛のようだ。

 そんな壁の品評を聞き流しつつ、黄雲は卓に茶を並べる。

 

「む。お心遣い、痛み入る」


 二郎真君、礼を述べて興味を茶に移す。

 

「少年。この茶はどこの茶葉かな?」

「さあ。その辺でてきとーに買ったものにございますれば」

「ふむ、どれ」

「いただきまーす」


 神将二人はぐいっと茶杯を唇へ傾けた。

 

「なんだこれ……」


 一杯味わうなり、那吒は顔をしかめた。口に合わなかったのは明白だ。

 

「香りがない。しぶい。こんなの茶じゃねえ」

「そりゃどうもすみませんねえ」

「なんということだ!」


 美丈夫、突如として大音声を発した。真面目な面持ちに驚愕の色を浮かべ、茶杯を持つ手をわなわなと震わせて。

 

「この微々たる香り……渋みの奥に隠された滋味……! 下界の民がよもや、かような奥深い茶を味わっているとは……!」


 しばし目元を抑えて、感極まっている様子を見せた後。

 二郎真君はおもむろに懐から筆を取り出した。

 

「家屋といい茶といい、やはり下界は素晴らしい。この感動を五言絶句に留めておこう」

「ちょちょちょ、ちょっと!」


 黄雲、慌てて美丈夫を止めに入る。なぜならこの神将が一筆書き付けようとしているのは、部屋の壁だ。

 

「な、何するんですか! 人んちですよ!」

「壁に記念の詩を」

「だから! 人んち!」

「七言律詩をご所望か」

「そうじゃない!」


 話が通じない。

 黄雲、四苦八苦しながらやっとのことで諦めさせた。

 書き損じの護符を与えたところ、真君は大変な熱の入れようで裏面へ七言詩をしたためている。

 

「那吒殿! なんなんですかこの御仁は!」

「知らねーやい。文句なら玉皇大帝に言いやがれ」


 一見まともと見せかけて。

 物腰こそ丁寧だが、やる事なす事はどこかずれている。とにかく下界の諸事に興味津々だということは、痛いほどに伝わった。

 ともかくこの短時間内の接触で、黄雲すでに顔色げんなりである。

 そんな中。美丈夫を部屋の隅から熱く見つめる視線が、二人分。

 

「素敵ね……」

「ええ、素敵な殿方だわ……」


 雪蓮と遊は、すっかりこの美丈夫に魅入っていた。どうやら先ほどから繰り返される奇怪な言動は、目に入っていないらしい。

 雪蓮、ふと気付く。

 黄雲がひとしきりこちらへ気狂(きちが)いを見る眼差しを向けた後、呆れのため息を吐いたことに。

 

「ち、ちがうの黄雲くん! あのね!」

「何が違うんです?」


 雪蓮の弁明に、黄雲は冷たく肩をすくめて見せる。

 

「知ってますよ。ああいう浮世離れした美男が好きなんでしょう、お嬢さんは」

「う、うぐ……」


 黄雲、数日前の芝居小屋で、そんなことはとっくにご存知である。彼女が鴻鈞道人に頬染めて声援を上げていたことは、まだ記憶に新しい。

 ちなみに。部屋には巽もいて、無意味に天井に張り付いている。三尾は庭で、やたら尻の穴の匂いを嗅ぎたがる黒犬から必死に逃げ回っていた。

 

「お待たせした」


 最後に部屋へ入ってきたのは、火眼を肩にかついだ清流道人だ。火眼を雑に椅子へ座らせて、清流は視線を二郎真君へ向ける。

 

「…………」


 真君は詩の推敲に夢中だ。清流の声に応じる気配もなく、尾聯(びれん)の締めの一字をどうするか、頭をひねっている。

 

「おい黄雲。真君は何をしていなさる?」

「あばら屋と渋茶の七言律詩をしたためているそうです」


 黄雲が師の問いに答えていると。

 真君、やっと書きあがったらしい。しかし納得いかない出来なのか、披露せずにしれっと紙を懐へしまいこんだ。

 

「……失礼、つい夢中になってしまった」


 こほんと咳払いをして、真君は続ける。口の端に、ほんのり暖かい笑みを浮かべて。

 

「実は私は下界の出身でな。久々に降りてきたものだから、つい懐かしく、新鮮で……。いやはや、(あい)すまない」


 この神将、無表情というわけではないが、あまり表情を動かさない。一見ごく真面目な顔で、終始振舞っている。

 しかしながら、話し相手を圧迫するような雰囲気はない。

 堅い言葉遣いながらも口調は軽やか。目元口元に時折浮かべるわずかな笑みが、絶妙な塩梅で彼の雰囲気を親しみやすいものにしていた。

 さて、ここからが本題。

 

「我らがここへ来た理由だが。まず第一に先に述べた通り、霊薬(エリキサ)の宿主の監視だ」

「第一?」


 清流の声に、真君そちらを見遣り頷く。

 

「そう、第一。第二に鴻鈞道人(こうきんどうじん)の身柄の確保」


 鴻鈞道人という名に、一同へ緊張が走った。

 漆黒の双眸を真剣な色に染めて、清流が問いを挟む。

 

「つまり、あなた方は鴻鈞道人と敵対している……ということか?」

「敵対とな。それはまた、なんとも言えぬ問題」

「なんとも言えぬとは?」


 はっきりしない答えに、清流はあごに指を添えてさらに問う。二郎真君、涼やかな面持ちで黒い双眸を見返した。

 

「あの方は実を言うと、天界でもある意味特権階級にある人物。何かと年ばかり重ねている天仙の中でも、筋金入りの古株だ」


 そう、筋金入りも筋金入り。

 

「どうも、太源が氣を吐きこの宇内(うだい)を創った時から存在すると聞く」

「この世の始まりから存在する、ということか!」


 鴻鈞道人、思っていた以上にとんでもない相手だったようだ。

 しかし二郎真君、それ以上に彼の来歴を語らず。

 

「ともかくあの方は天界にて治外法権状態でな。まあ要はやりたい放題」


 しかし、と続く言葉は少々厳しい。

 

「ただ、今回はやり過ぎだ。五百年前に天界の宝物殿より、至宝とも言える霊薬(エリキサ)を盗み出し、下界を混乱に陥れた。さらに」


 真君の指は、そっと雪蓮を指し示す。

 

「此度はそこな少女に、至宝たる霊薬(エリキサ)を宿し、またぞろ何か企んでいる様子。さすがに捨て置けぬと、我ら主上より命を受けた次第」

「ふぅむ……」

「まあ立場上、なかなか捕縛だ敵対だときっぱり言い切れぬが。かの天仙を捕える命を受けたことは事実。身柄を確保した後にあの方をどう処遇するかは、主上の考えることではあるがな」

「つまり、鴻鈞道人が現れたらとっ捕まえてくれる、ってことですよね?」

「うむ」


 黄雲の挟んだ質問に、二郎真君は首肯して見せる。

 対鴻鈞道人に関しては、この二人は味方と見ていいのだろうが。

 肝心要は。

 

「では、雪蓮を監視するというのは」


 清流の発した次なる問いに、黄雲も雪蓮も、表情を真剣に引き締めている。

 

「監視するのみで、彼女の中の霊薬(エリキサ)を祓うご助力はしてくださらんのか」

「残念ながら、勅命は監視のみ」


 真君の涼しい表情は変わらない。

 

「天界はいま、二つに割れています。そこの少女より霊薬(エリキサ)を祓う研究をするべきだと主張する一派と、即刻殺処分して霊薬(エリキサ)を回収すべきだとする一派」

「殺処分!」


 突如出現した物騒な言葉に、一同さっと顔面蒼白。

 真君の後ろでぷかぷか浮いている那吒は、人ごとのような顔で茶をすすり、「しぶっ」とまたも文句を垂れている。

 美丈夫は続ける。

 

「と、一度この問題のために主要な天仙を集めて会議を行ったところ、紛糾しましてな。しかし研究にしろ殺処分にしろ、実際に現物を見てみないことには話にならない」


 そこで、と真君は自身と那吒を指し示す。

 

「監視役として私が選ばれ、補佐の那吒と協力して命を受けることとなったのだ。私は玉皇大帝の目として霊薬(エリキサ)が起こす全てを見、天へ奏上し、玉帝のご判断をお助けする役割。もし主上が殺処分のご判断を下されれば……」


 そこで二郎真君は言葉を切る。手に持つ三尖両刃の大刀が、冷たく光った。

 ごくり、と黄雲と雪蓮が固唾を飲む。


「おそらく那吒は、ここの部分だけ聞いて勘違いを起こしたのでしょうが」


 ふわっと雰囲気を和らげて、二郎真君は後ろを振り返る。那吒は逆さまに浮いて、バツの悪そうな顔。

 

「だ、だって玉帝陛下の話が長いんだっ!」

「不敬なり那吒。今度お前のお父上に一切を報告しておこう」

「あ、兄い! それだけは!」


 よほど父親が怖いのか、那吒は慌てて居住まいを正して真君にすがるが。

 

「ともかくとして、ご一同」

「は、はい……」


 三尖刀で適当に那吒をあしらいながら普通に続ける二郎真君に、みな唖然としつつ相槌を打つ。

 

「我ら天帝のご判断次第では、あなた方の敵とも味方ともなりうる。それをよく踏まえていただきたい」

「はぁ……」


 固くなる下々に、真君はにやっと笑って見せる。

 

「そう恐れずとも良い。我ら、半々の確率であなた方の味方ですぞ。それに、現状はなるべくご一同のご助力をするよう、主上より仰せつかっております」

「そうは言っても、あんたら半々の確率で敵にもなるってことじゃないですか……」


 天界を巻き込んだ途方もない話に、黄雲はため息混じりにつぶやいた。もし彼らが敵方に回るとして、あの乾坤圏のような必殺兵器がまた襲ってくると思うと、心底恐ろしい。

 しかし、黄雲にはもう一つ、どうしても聞きたいことがあった。おそらく清流も雪蓮も、同じく聞きたがっているだろうことを。

 

「結局のところ、霊薬(エリキサ)とは何なんです?」


 不死の霊薬、太源の血肉。

 一人の少女の人生を捻じ曲げてまで宿された、天界の至宝とは。

 

霊薬(エリキサ)とは——」


 二郎真君は、神妙な面持ちで口を開く。

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