表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
57/147

3 那吒、大いに清流堂を鬧がす

 サブタイトルは『大いに清流堂を(さわ)がす』と読みます。

 サブタイにもルビふれたらいいのにっ。

 まずいことになった。

 黄雲は現状を苦々しく思う。なにせ天仙と敵対せざるを得ない展開だ。

 

「さあどうする。先手は打たせてやる」


 那吒(なた)は空中高く浮いたまま、槍を構えて余裕の表情だ。

 先手を譲るとは、大層な自信である。しかしその自信の源は存分に分かる。彼の発する仙氣は天を衝き四方を呑み、敢えて説明されずともその強大さを物語っていた。

 黄雲のような道士の端くれなど、その気になれば一瞬で塵のように消し飛ばしてしまえるだろう。

 雪蓮を背に後ずさる黄雲の頰を、一筋の汗が伝った。

 

「どうするの、黄雲くん!?」

「どうするって……!」


 背後の雪蓮は切羽詰まって問うけれども。

 

「……どうしましょう」


 黄雲、今回ばかりは気弱に答えるしかない。本来崇拝すべき対象が、自分たちを敵視しているのだ。

 黄雲が知恵をふりしぼって考えたことは。

 

「あー、えーと那吒! いや那吒さま! ちょっとお話が!」


 時間稼ぎだった。

 

「なんだよ! 話ならさっき十分したろ!」

「い、いやぁ……えーとその、あっそうそう!」


 黄雲は言いよどみつつ、ふと適当な言い逃れを考えつく。

 

「ぼ、僕知ってますよ! 天仙の皆さまは僕らと同様、殺生をしてはいけないんでしょう!?」


 殺生の禁止。

 地上の道士はもとよりも、天上の仙道もこの戒律を遵守している。……と黄雲は師より聞き及んでいる。


「こちらのお嬢さんのはらわたをどうこうなんて、そんなむごいこと……いやはや殺生中の殺生ですぞ! さあさあさっさと天界へお帰り遊ばしてください!」

「別に殺しゃしないよ」

「……え?」


 黄雲の必死の呼びかけに、那吒の返答は軽い。

 しかし、彼は先刻なんと言ったか。雪蓮のはらわたごと、霊薬(エリキサ)を引きずり出すなどと言わなかったか。

 

「殺さないよう加減しながら、はらわたを引きずり出すよ」

「ば、バカを言うんじゃない! 死ぬわ!」


 那吒ののん気な言い様に、黄雲、口調から礼節をかなぐり捨てた。

 そんな無礼な言葉遣いに構うこともなく、那吒はいけしゃあしゃあと続ける。

 

「大丈夫大丈夫。オレのお師匠さまそういうの得意だからさぁ、多分」

「多分!?」

「あ、そうだ。その娘の頭だけ生かしてさ! 飛頭蛮(ひとうばん)みたいにすればいい! そんなら万事解決!」


 飛頭蛮とは、首だけで飛ぶ物の怪のこと。

 さも名案と言いたげな得意顔に、黄雲も雪蓮も当然憤慨だ。

 

「あ、あほかー! 何が万事解決だー!」

「そうよそうよ! 首だけになったらお食事するときにお箸が持てないから、お行儀が悪くなってしまうわ!」

「あなたもすっげーずれてるから黙ってて!」


 前門のアホ、後門のボケ。

 挟まれて黄雲、頭が痛くなる。

 そんな時に、嗚呼なんたること。横合いからさらにスケベ。

 

「うおお許さん!!」


 声を震わせながら割って入る変態黒ずくめ。

 巽は両の(まなこ)を血走らせ、かつ涙を(したた)らせている。鼻の辺りを覆う布が濡れていて、どうやら鼻水も流している様子。正直汚い。

 

「許さんぞ詐欺野郎!」


 涕泗(ていし)流る有様に、先ほど勘違い破廉恥をけしかけられた那吒も、顔に不快を漂わせる。

 

「うへぇ。なんだよ、まだなんか文句あんのかよ……」

「その可憐な容貌で男心を弄ぶ鬼畜の所業! 許しておけん!」


 巽、未だかつてない憤りっぷりである。いくら黄雲に埋められようとも、雷公に仕置きされようとも、ここまで怒りを露わにすることはこれまで無かった彼。

 きっと那吒を少女と信じてやまぬ期待と、その後の絶望との落差が激しすぎたのだろう。

 ニンジャは手加減容赦のない手つきで、懐から素早く暗器を繰り出した。

 

「死すべし詐欺野郎! 来世では正真正銘の美少女に生まれ変わってくれ!」

「お、おい巽!」


 黄雲の制止も甲斐なく、桜製の棒手裏剣が天仙へ射出される。肉眼では捉えられない速度。しかし。

 

「ふん」


 那吒は槍で一蹴。くるりと優雅に回す槍の柄に弾かれて、棒手裏剣は次々地へ落ちる。

 少年神の顔には、再び余裕の笑み。

 

「なんだ今のは? 蚊か、ハエか?」


 そして余裕の笑みには、徐々に怒りが混じる。

 

「……オレに刃を向けたということは、そういうことだな」

「巽! あのバカ!」


 黄雲は黒ずくめをなじり、唇を噛み締めた。

 手を出してしまった以上、那吒との敵対はもはや避けられない。それに。

 

「それに! オレのことを詐欺だとか! 女顔だなどと抜かしておいて! タダで済むと思うなよ……!」


 激昂。

 繰り返される巽の無礼に、那吒は仙氣を余計にたかぶらせる。機嫌は最悪だ。

 

「女顔は言ってねえし! 思ってはいたけど!」


 対する巽も、先ほどの恨みを三白眼と木氣にみなぎらせる。

 

「あーあ……」

「どうしよう黄雲くん! 巽さんが!」

「本当にどうしよう……」


 勝てるはずのない相手に売る喧嘩。

 勝利の見込みもなく、なんの益もない不毛な争い。

 心底やめてくれと思う黄雲の目の前で、戦いの火蓋は切られた。

 

「おらおら喰らえ喰らえ!」


 性懲りもなく放たれる、棒手裏剣の雨あられ。

 

「なんのっ、楽勝!」


 那吒は風車(かざぐるま)のように長槍をブン回して盾となし、二輪の宝具で空中を駆けながら巽の攻撃を無傷で弾く。

 その那吒の背後から。

 

「ばーかっ! 油断大敵だぜ詐欺野郎!」


 地面に落ちた棒手裏剣から芽吹いた桜の木が、黒い幹と枝をにょきにょきと伸ばし、天仙の四肢を捕らえようと迫った。

 

「ほほう」


 ところが那吒、避けるそぶりもなく。わざわざ黒い幹、薄桃の花々に捕まってみせた。

 しかし術者の巽は。

 

「よっしゃ、捕まえた!」


 那吒のわざとらしさに気づいていない模様。

 胴、腕、足と、しっかり枝に巻きつかれた那吒だが、表情には一点の焦りもない。

 彼を雁字搦めにしている桜の木。巽はその木へ跳ね上がり、那吒のつむじより一段上の枝に足をかけ、ぶら下がって得意満面だ。

 

「ふふん、どうだ見たかこんにゃろー! いやぁ、今となっては小憎たらしいツラだぜまったく!」

「ふん……」

「それにしても、神仙とはいえ他愛ないもんだな! こんな簡単に捕まっちまうなんてさ! うはははは!」


 途端に上機嫌になるニンジャだが。

 那吒はにやりと不敵にほくそ笑む。

 

「……これごときで捕まえたなどと、下々(しもじも)は生ぬるいんだな」

 

 そう言って氣を込めるのは、右手に握ったままだった長槍だ。

 

「燃えよ! 火尖槍(かせんそう)!」


 彼の吠え声に槍——火尖槍が呼応する。

 その穂先から炎が吹き出したかと思うと。炎は槍の柄を駆け上り黒い幹に燃え移り、一瞬のうちに桜の木を業火に包んだ。

 

「なっ、炎使いか!」


 すんでのところで炎から逃れて、巽はひらりと地面へ着地する。

 火眼(あいつ)みてえだなと、彼がつぶやく目前。

 清流堂の決して広くはない庭に、火柱を上げて炎は高く燃え上がっている。

 

「わ、もう! 火事! 火事になる!」


 黄雲があたふたと慌てるが、炎の勢いは意外にもすぐおさまった。

 燃え尽きる桜の花々の中から、美童の天仙が再び姿を現わす。

 

「ははは、余裕よゆ……」

「間髪入れずに追撃追撃!」

「おいちょっ」


 巽、冷静に氣を練った。

 わさり。周囲から桜の木々が立ち上がり、引き続き那吒を狙う。

 

「だーっ! 人が話してる最中に!」


 那吒は長槍でガシガシと迫る枝の群れを薙ぎ払い焼き払うが、桜は後から後からわいてくる。駆逐しきれぬ勢いに、

 

「ならばっ!」


 那吒は右腕に嵌めていた金の腕輪を取り外した。すると金環の円周がぐんと広がる。

 

「一切を粉砕せよ、乾坤圏(けんこんけん)!」


 槍を振って枝を払い下方へ間隙を作ると、那吒は立ち並ぶ黒い幹へ近づいて。

 金環を大きく一振り。

 

「だあああっ!」


 黒い木肌にめりこむ金の()

 一瞬、幹はみしりと大きくたわんだ。しかし次の瞬間には。

 

「塵と化せ!」


 那吒の呼び声に応じるかのように。桜の幹は受けた衝撃に耐えきれず、バツンと砕けた。

 そう、砕けた。木っ端微塵に、粉微塵に。

 わずかに根の部分だけが地面に残り、大部分の幹と枝は消失。

 桜の花がはらり散る。

 

「ん、んなっ……!」


 あまりの破壊力に一同仰天。なぎ倒すでもなく切り倒すでもなく、粉砕。

 しかし一本だけでは済まない。那吒は再び金環を振り上げ、

 

「ほいっと」


 投げた。

 投擲された乾坤圏、飛燕の如き軌道を描き。

 触れる桜の木立の一切を、木っ端微塵の破壊三昧。

 聞いたこともない音を立てて弾ける大木の数々を、交戦中の巽はもちろん、黄雲と雪蓮もぽかんと口を開けて眺めるのみだ。

 

「ははは! どうだ、オレの乾坤圏の威力は!」


 那吒は紅い絹布(けんぷ)を翻し、周囲の塵を払いながら高笑い。清流堂の庭にひしめいていた桜の木々は、すでに一掃されている。

 破壊を終えた乾坤圏はひゅるりと蒼天下に弧を描いて、那吒の掌中へ舞い戻った。勢い殺さず少年神。

 

「我が師より賜りし、天下無双の武具なればっ!」


 最後の標的は、黒ずくめ。

 あっけに取られていた巽、ハッと我が身の危機に顔を上げる。

 目の前には、金環を振り上げ、愉快極まりない様子の那吒の笑顔。

 

「その脳天かちわって! 脳漿をぶちまけてくれるっ! 殺さぬ程度に!」

「ふっ、普通死ぬわばかたれー!!」


 巽の叫びも虚しく、金環は殺意満々で振り下ろされる。しかしこのニンジャもただでは死なない。

 

「おっし間一髪!」

「ちっ!」


 得意の軽業でひらりとかわす。しかし那吒も続けて二撃三撃、巽も負けじと回避回避。

 

「んのっ! 大人しく! 脳漿を!」

「絶対! 死ぬから! いやだ!」


 必殺の武器から逃げ続け、天仙とニンジャの追いかけっこは本堂前の石段へ。


「くそっ!」


 そろそろ壁際。巽には後がない。

 

「さあ観念しろ!」


 再び振り上げられる乾坤圏。日の光を受けてきらり輝く必殺兵器。

 巽には後がない……ことはなかった。起死回生の忍び道具が、その辺に寝転んでいる。

 

「死すべしっ!」


 那吒、もはや殺生云々など忘れた様子で喜々としている。

 そして振り下ろされる乾坤圏。

 

——あわれ木ノ枝巽、童貞のまま死す!

 

 かと思われたが、変態は世にはばかるもの。

 

「秘技!」


 小癪にもニンジャはこの土壇場、新たな忍術を生み出した。

 ぐわん。

 振り下ろされた乾坤圏の一撃。衝撃音がぐわんぐわんと反響する。その金環がめりこんでいるのは、黒い覆面ではない。白銀の髪の毛だ。

 

「……寝太郎返し!」


 秘技・寝太郎返し。

 それは絶体絶命の危機の折、その辺にに寝ている火眼金睛(かがんきんせい)を身代わりに、盾とする技である。

 巽に両脇を掴まれ項垂れた体勢で、火眼は脳天に金環を受け止めたまま沈黙している。

 この火眼金睛、少々特殊な身の上ゆえ、常人よりもほんのちょっと丈夫にできている。だから脳漿も撒き散らさないし、まあ死なない。

 ただしやはり天仙の必殺兵器は、さすがに痛かったようで。

 

「……いたい」


 火眼金睛は目を覚ました。炎の眼は一瞬憮然とした色を浮かべたかと思うと。

 白目は赤く、瞳は金色に変じる。

 

「や、やばい! 火眼のやつすっげえ怒ってるぞ!」


 はたから見ていた黄雲が叫ぶ。彼の言う通り、目の色が変わった火眼は怒りの炎に燃えている。

 そう、文字通り燃えている。

 

「あっつう!!」


 全身から炎を噴出させる火眼。背後にいた巽が焼けた。

「ひいい本堂に火が!」と黄雲が恐慌をきたす。幸い火眼が立っている場所の石床と巽が焦げるくらいで、特段被害は無かったが。


「その眼の色!」


 突然燃え上がった白髪の少年に、那吒はふわりと跳び退(すさ)りつつ驚きの表情。

 

「その目はまさしく火眼金睛! なんだお前、斉天(せいてん)の親戚か何かか!?」

「わけのわからんことを……!」


 本堂から離れた那吒へ、火眼は無表情で怒り心頭だ。

 

「おれの目をさますとは……ぜったいゆるさん」


 側に転がっていた朱塗りの棍を足で跳ね上げ右手に掴み、火眼は那吒めがけて駆け出した。

 

「……せっかく助かったと思ったのに」


 その背後では、黒こげの巽が「げふっ」と黒煙を吹いて気絶するのだった。

 さて、戦況。

 本堂から庭へ移動し、那吒と火眼はさっそく各々の得物で打ち合っている。

 

「棍棒使いか!」


 長槍で棍を受け止めながら、那吒が口を開く。

 

「ますますもって斉天(あいつ)に似ている! 面白い!」

「だからなんのことだ」


 棍と槍が火花を散らし合う。さらにお互いに火氣も込めているのか、空気に熱が混じり始めた。

 そんな戦場を横目にこそこそと。

 

「こ、黄雲くんどこへ!?」

「いいからこちらへ!」


 人外大戦を避けながら庭を大回りに走り、黄雲は雪蓮の腕を取りつつ門へ向かう。目的はもちろん。

 

「ええっ! 火眼さんが戦ってるのに逃げちゃうの!?」

「だって無理でしょあんなん! いったんずらかって師匠を探します!」


 幸いこちらは今、那吒の死角。

 そう言って門をくぐろうとした黄雲だが。

 

「おっと逃がさんぞ!」

「ひえっ!」


 ひゅんっ、と黄雲の目の前をかすめていくのは、金の環。

 金環は先ほどのように那吒の手元へ戻るのだが、思わずそちらへ視線をやった黄雲と雪蓮、ぎょっと度肝を抜かれた。

 

「見えぬと思ったら大間違いだ!」


 なんと那吒の両側頭部に、一つずつ顔が生えている。

 さらに。

 

「我は那吒!」


 左右二対、新たな腕が肩から伸びる。

 

「さあ! 我が三面六臂(さんめんろっぴ)(まなこ)に焼き付け(おのの)くがいい! 我は戦いの申し子、神将那吒なり!」


 三つの顔に、六本の腕。

 あまりにも異様な姿形から、息も詰まりそうなほどの仙氣がほとばしる。

 

「……なんてやつ!」


 さすがの火眼の無表情も、驚きと焦りに塗り替えられる。

 那吒は増えた腕で槍を掴み、力任せに火眼の棍を押した。

 

「ありがたく思え、これがオレの本領だ! お前にゃ何の関係もないが、あのクソザルに似てるのは何とはなしに腹が立つからな!」


 何があったか、那吒は個人的な鬱憤を火眼にぶつけているようだ。もちろん火眼が天仙の人間関係など知るはずもなく。

 

「よく分からんが、さかうらみはやめろ」


 ごく正論を述べている。

 しかし冷静な言葉とは裏腹に、頰へ流れる冷や汗。那吒の槍を受け止める棍はみしみしと音を立て、彼の踵は地面を深くえぐりつつあった。

 大力で火眼を押しながら、那吒は両側の顔で黄雲たちを見張っている。腕も一本残し、いつでも乾坤圏を放てる構え。

 

「ひ、ひええ……なんだありゃおっかねえ……!」

「わあ……夢に出てきそうね……」

「そこの二人! もっと門から離れてろ!」

 

 腰を抜かしかねない黄雲と雪蓮へ命令を飛ばして、左の那吒の顔がにやりと笑った。

 仕方なし、と黄雲、雪蓮を連れて門から離れる。本堂の方へ近づいたところで、左の那吒は満足げな笑みを浮かべて視線を外す。しかし、様子を伺っている気配はなおも続いた。

 

「それにしても……」


 火眼と異形の神仙の戦いを見守りつつ、黄雲は本堂をちらりと見る。

 

「この一大事に、あのじじいは何故出てこない……!」


 それはともかく、戦いは那吒の優勢。火眼は棍に火氣を込めるが、那吒の槍も同じく炎の槍。双方火術の使い手のためか、互いにあまり効いた様子は無い。

 勝負の行方は武術の腕にかかっていた。

 

「くっ……!」

 

 火眼は棍を斜めに傾けて、のしかかっていた槍の柄を下方へ受け流す。思わず那吒の体勢が崩れた。

 

「しまっ……」


 二輪の宝具の上でよろける那吒。その槍を掴んで火眼、さらに地面近くへ彼を引き寄せて。

 

「睡眠のかたき!」


 よく分からない恨みを込めた棍を、那吒の頭へ叩きつける。しかし横合いから、

 

「甘い!」


 六本に増えた腕のひとつが棍を阻んだ。わっしと火眼の得物を掴み、勢いを利用して那吒は体勢を立て直す。そして。

 

「甘い甘い甘い!」

「なっ!」


 残りの腕で火眼の体をも掴み、那吒はその華奢な体躯に似合わぬ剛力で軽々と、火眼を上空へ投げ飛ばした。

 青天のただ中に飛ばされた火眼は、地上を驚きの目で見つめ。

 那吒は地上から余裕の表情で、天中の一点と化した火眼へ乾坤圏をかざす。

 

「さあ! 今度こそ脳漿をぶちまけてやる!」


 やたらと脳漿ぶちまけたがるこの神将、三面六臂の身体をしなやかに曲げて、宝具の金環を標的へ投げつけた。

 

「!」


 落下する火眼に、地上より乾坤圏が迫る。空を裂き唸りを上げて現れた金の環に、

 

「ぐっ……!」


 火眼はとっさに右手に火氣を集め炎を放つ。しかし狙いは金環ではない。上空へ向けた右手から放つ、高圧の火炎放射は。

 

「おおっ、あいつ落下の方向を逸らした!」

「まあっ!」


 そう、軌道を変えて乾坤圏を避けるため。

 

「小癪な真似を!」


 美しい面立ちを悔しげに歪める那吒。その彼めがけ、火眼は落ちる。

 

「かたき!」


 棍を突き出し、よく分からない恨みを込めて。

 そして火眼は着地した。土煙が上がる中、棍には手応えはない。

 

「……はずしたか」

「ふん」


 とっさに足下の二輪を後ろへ滑らせ、難を逃れた那吒。その彼へ、火眼はなおも棍を振りかざして駆け出した。

 

「つぎは、ぜったいに!」

「ばーか、後ろ」


 小馬鹿にした口調で、那吒がせせら笑ったときだった。

 ごいんっ。

 

「火眼!」

「火眼さん!」


 黄雲と雪蓮は思わず叫ぶ。

 駆け出した火眼の後頭部に、空中で避けたはずの乾坤圏。

 いかにも痛そうな音を立て、金環は白髪にめりこんでいた。

 

「あちゃあ……」


 黄雲は思わず嘆息する。

 

「そういやあいつ……金の氣が感知できないんだったな……」


 そう。金属製の乾坤圏。黄雲ならばありありと金の氣を感じ取ることができるのだが。

 雪蓮を守るため火眼に施された術式は、そのまま彼の弱点となっていた。

 大木をも粉砕する必殺の兵器を後頭部に受け。

 

「…………」


 火眼は前のめりに倒れ、沈黙した。

 ほどなくして、彼から聞こえるのは……

 

「ぐー……」


 安らかな寝息。

 

「おーい! かがーん!」

「起きてー! 起きて火眼さーん!」

「すぴー……」


 呼び声も虚しく、火眼は再び夢の中。

 

「さて」


 悠然とした挙措で、那吒が二人を振り返る。


「ったく、手間かけさせやがって……。おいそこのお前!」

「ぼ、僕?」


 那吒は右側の三本の手で、一様に黄雲を指差した。

 

「三人抜き……だろ?」

「はぁ?」


 突然の那吒の一言に、黄雲わけがわからない。

 そんな彼へ、那吒は好戦的に目を光らせる。

 

「あの黒ずくめに火眼金睛、そしてお前。全員倒せば、そこの女は無事我が掌中というわけだ!」


 言うなり那吒、槍を構えてこちらへ迫る。

 

「う、うわっ! うわうわうわ!」


 慌てて黄雲は雪蓮の腕を取り、本堂めがけて駆け出した。

 巽と火眼で実証済み。この美童の神仙に、太刀打ちできるはずもない。はずもないが、やるしかない。

 

「黄雲くん!」

「お嬢さん、本堂へ!」


 雪蓮を先に逃がし、黄雲は氣を練った。那吒は相も変わらず、不思議な二つの輪に乗っかってこちらへ飛んでくる。

 ならば地中より土の(かいな)を呼び起こし、その足を掴んで動きを封じれば。

 

(逃げるいとまくらい!)


 すぅっと息を吸い込んで、黄雲は道術を発動する。

 ところがここで大問題。

 

「あ、あれっ、出ない」


 道術が、起こらない。

 すうすう息を吸って土の氣を練るが、いくら足元の土に氣を送っても、砂つぶ一つ動かないのだ。

 

「……何やってんだ、お前?」


 殺意満々だったはずの那吒も、黄雲の異変に二輪を止めて小首を傾げている。

 

「あっ」


 ここで黄雲思い出す。燕陽翁に、三日間道術を禁止されていたことを。本日禁止期間、最終日であることを。

 

「じじい!!」

「あっ、おいどこへ」


 黄雲、那吒をほっぽり出して本堂へ向かった。


「こ、黄雲くん?」


 先に着いていた雪蓮があぜんとして見守る前で、黄雲は乱暴に本堂の扉を開いた。

 

「おいじじい! 緊急事態なんだから、僕の術を解禁……」


 しかしそこに老爺の神像はない。

 祭壇には、代わりに一通の置き手紙。

 黄雲、そして雪蓮が文面を覗き込む。紙面には一筆簡潔に。

『麻雀行ってくる』


「じじいーーーー!!」


 黄雲が雄叫びを上げた、その頃。

 

「……ロン」


 ここは老人の寄り合い所。四角の卓を囲み麻雀に興じている年寄りの中に、白髪白髯の老爺が一人。


「むむむ……」

「してやられたか……」

「あんた、一体何者なんじゃ……」


 ざわ……ざわ……と周囲のざわめきが心地良い。

 燕陽土地神は月に一度、こうして正体を隠し、老人会の麻雀会に混じるのが趣味だった。今日もニンジャと少女とクソガキが愉快に庭で騒いでいるところ、こっそり抜け出してきたのだ。

 ざわめきもそこそこに、老人たちはざらざらと牌をかき混ぜる。

 

(ふふふ……愉しいもんだのう……)


 燕陽翁はほくそ笑む。

 この場にいるのは、燕陽の土地神という大それた存在ではなく。

 もはや一個の勝負好きのじじい。

 燕陽翁は今、街を見渡す神眼も、人の動きを察知する氣の感知も自ら封じている。そう、相手の手牌を読んでしまわぬように。

 全ては勝負を愉しむため。老爺は土地神の職能を全放棄して、実力と運の世界に身を投じていた。ゆえに。

 住まいの道廟に、とんでもない災難が降りかかっていることを知るはずもない。

 

「くそぉ、あのじじい! なんだってこんな時に!」


 場面は再び清流堂。黄雲は書き置きをわしわしと握り潰し、床へ叩きつけた。

 嗚呼なんということ、このままでは。

 

「これじゃあお嬢さんをお守りできないじゃないですか!」

「黄雲くん……!」


 膝をかっくりついて、黄雲は悔しげに眉根を寄せる。殊勝な言いっぷりだが、続く言葉を雪蓮は知っている。

 

「ああっ! さらば知府殿の高額報酬よ……!」

「ふふ、知ってた……」


 やっぱり。

 黄雲に続いて雪蓮も膝をつき、彼とは別種の悔しさで苦笑いに暮れるのであった。

 

「……なんだお前、金目当てでその娘を守っていたのか」


 本堂の入り口でやりとりを眺めていた那吒が、口を開いた。

 黄雲、立ち上がり熱弁を奮う。

 

「当然! 金のため銭のため! 僕にはそれ以外の目的などありません!」

「おい、そこの娘死んだ目をしているぞ」

 

 雪蓮といえば、那吒の指摘通りである。

 

「なるほどなぁ。オレはてっきり、惚れた女を守るとかいうアレかと思っていたが」


 言いながら那吒は仙氣を抑える。と、三つの顔は一つに、六つの腕は二つへ戻る。

 三面六臂の異形の姿は、元の通りの美少女へ。

 戦意もかき消して、那吒は腰の後ろに取り付けた豹皮の小物入れへ、手を突っ込んだ。

 

「オレとて天仙、なにも好きこのんで殺生したいわけではない」

「さっきはマジで殺そうとしてたくせに……」

「まあまあ。よし、そこな道士。取引だ」


 那吒は小物入れから出した手で、黄雲の目の前に何かを放って見せる。

 きんきらきんに、輝くそれは。

 

「き、金塊だ!」

「ええっ!?」

「まだあるぞ」


 那吒はなおもごとりごとりと、金塊を取り出しては放り、金の山をこさえた。

 黄雲、当然垂涎の面持ち。

 

「さあ、黄雲とやら」


 尊大な言いっぷりで那吒が始めたのは、商談だった。

 

「この金の山の一切はくれてやる。その代わり! 霊薬(エリキサ)を宿したその娘は、オレがいただいていく!」

「えええ!?」


 雪蓮にとっては、最悪の提案だった。

 彼女か金か。黄雲が選ぶ方なんて、もはや分かりきっている。

 

「さあ! どうする道士!」


 選択を促す神将の声。

 黄雲が、選ぶのは。

 多分後々出てこないので、ここで説明しちゃいます。


 那吒の言う「斉天(せいてん)」とは、斉天大聖(せいてんたいせい)・孫悟空のこと。そう、三蔵法師のおともでお馴染みの、世界的に有名なお猿さんです。サイヤ人じゃないよ。

 で、その孫悟空。太上老君の炉に放り込まれ、煙に燻されて『火眼金睛』の目となってしまうという逸話がありまして。

 実はこの逸話が、本作の火眼金睛というキャラクターの元になっていたりします。


 その孫悟空と那吒には繋がりがあり、『西遊記』で那吒は天界で大暴れする孫悟空の討伐に派遣されるのですが、残念ながら敗北してしまうのです。


 というわけで、火眼と那吒のやりとりはそういう繋がりを踏まえてみました。


 当作品では、数百年ほど過去に、大鬧天宮(だいどうてんぐう)西天取経(せいてんしゅきょう)に酷似した騒動があったものと思っていただけると嬉しいな。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ