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5 昨日の敵は今日の金づる

「こんにちは!」

「こんにちはなの!」


 清流堂の門をくぐり足取り軽くこちらへ歩み寄ってきたのは、二人の少女。一人は十代半ば頃のうら若き乙女。もう一人は遊よりもやや年かさの、幼い娘だ。

 よく似た顔立ちのその二人。

 誰かというと、先日白虎娘娘(びゃっこにゃんにゃん)こと雪蓮へ、変態覗き魔の捕獲を依頼した姉妹である。

 姉妹はそれぞれ、新鮮な茄子や瓜、数種の葉物といった野菜が載ったざるを、胸元に抱えている。


「うふふ、皆さん集まって楽しそうですね」

「ええ、まあ……」


 にこやかに笑いかけてくる楚々とした乙女に、黄雲苦笑い。

 とてもじゃないが、今さっきまで「ふぐり」を連呼して騒いでいたとは言えたものではない。


「わあ、おいしそうなお野菜!」


 雪蓮はというと、先ほどまでの羞恥を忘れて、幼子の抱えた野菜へ見入っている。「城外の親戚がくれたの!」と幼い娘はざるを雪蓮へ手渡した。


「これ、白虎娘娘さまにも渡してあげてほしいの!」

「もちろん皆さまもお召し上がりくださいね」


 と、依頼人姉妹は穏やかな笑顔。

 この姉妹、あの破廉恥覗き魔事件以降、なにくれとなく寄付や食べ物を持ってきてくれるのだ。よっぽど白虎娘娘のことが気に入ったらしい。

 あの仮装を多少気恥ずかしく思っている雪蓮は、「えへへ」と照れ笑い……しつつもしっかり野菜を受け取る。


「いやあ、いつも申し訳ないですね。ありがたく頂戴します」


 姉の方から野菜を受け取って、黄雲が礼を述べている時だった。


「……あら?」


 依頼人姉の視線が、ふと本堂前、扉の横に留まる。

 その先にいるのは、赤い装束。ぐーすかいまだに眠り続けるあの男。


「あれ、見ない顔なの」


 妹の方も気づいたらしい。

 姉妹はそろってそちらへ歩み寄る。

 そして二人の(まなこ)に映り込む、白銀の髪、端正な顔立ち。


「はぁあああっ!」


 ずっきゅん。

 妙な心音を発して、依頼人姉妹は顔を紅潮させた。


「事件だわ事件だわっ!」

「姉さま姉さま! 事件なのっ!」

「じ、事件……?」


 人が変わったようにはしゃぎ出す依頼人姉妹に、黄雲は少々後ずさった。彼の後ろから姉妹を覗き見て、雪蓮も「いったいどうしたのかしら?」と不思議そうな表情だ。


「きゃーっ! きゃーっ! 美少年なのっ! 見まごうことなき美少年なのーっ!」

「きゃああっ! はきだめに鶴だわー!」

「悪うござんしたね、はきだめで」


 さりげなくはきだめ扱いされたことに多少文句を述べながらも、黄雲は「ははん」と姉妹の興奮に得心した。

 なるほど火眼。同性の黄雲からしてみればどうでもいいが、女性から見ればやはり美形の範疇に入る容姿らしく。

 折よく今は口元のよだれも途切れ、火眼は一見やすらかにまどろむ美少年。

 とても先ほどまで、女児に股間を踏みつけられ悶絶していたようには見えない。

 

「やだわっ、こうしちゃいらんないっ!」

「そうね姉さまっ!」


 姉妹はきゃいきゃいはしゃぎながら、真っ赤な顔を見合わせた。そして恥じらうように火眼から顔をそむけ、後ろを向いて走り出す。

 

「お友だちにお知らせしなくっちゃ!」

「紅顔の美少年なのーっ!」


 眼福のおすそわけなのーっ! ……と、姉妹はあっという間に門から飛び出し去っていく。

 

「どうしちゃったのかしら?」


 突然暴走した姉妹に面食らい、雪蓮は困惑の顔でつぶやいた。彼女も火眼は美形だと認識しているが、昨日は命を狙われた手前、ときめくなど天地がひっくり返っても無理だ。

 戸惑う雪蓮の背後から姉妹を見送り、黄雲は彼女らの残した言葉を心中にて反芻する。


 お友だち、お知らせ、眼福のおすそわけ。

 

 この言葉の意味するところは。

 あごに指を当て考えていた黄雲は、不意ににやりと口角を上げた。浮かんだのは毎度おなじみの不敵な笑み。そして。

 

「読めたぞ! こいつはまさしく商機到来!」


 パチンと指を鳴らし、この強欲はさっそく準備に取り掛かる。急に活気づいた彼へ、雪蓮は不審そうな目線で振り返った。

 

「どうしたの、黄雲くん?」

「どうしたもこうしたも! 今からきますよ、稼ぎ時が!」

「……うん?」


 小首を傾げる雪蓮に構わず、黄雲は意気揚々と袖をまくった。

 何を思い立ったのか、彼は火眼のもとへ駆け寄っていく。

 

「せっちゃん、ほっといた方がいいよ」

「あれ病気だもん」


 逍・遥・遊の三人は雪蓮の袖を引っ張った。

 病気。子ども達は彼の悪癖をそう呼ぶが。

 

「ほんと、病気ね……」


 雪蓮、げんなりと実感を存分に込めながら頷いた。

 彼が何を思いついたかは知らないが、目的はただ一つ。すなわち金、すなわち銭。

 

「もうっ、お金のことばっかり!」


 雪蓮は頬をふくらませ、ぷいっとそっぽを向く。

 

 昨日は突然の行動に驚いたしときめいたし、ハラハラしたりもしたし。

 今日もすごく期待したのに。最後は金。

 

「ふーんだっ!」


 雪蓮、ぷんすかご機嫌を思いっきり傾けて、踵を返した。そしてそのまま母屋の自室へ。

 

「なんだなんだ?」

「せっちゃん機嫌悪い?」

「おとめごころは複雑なのよ……」


 見送る逍と遥、知った風に頷く遊。

 さて、黄雲はというと。

 

「おらおらどけどけじじい共!」


 火眼を肩に担いで、本堂へ突撃していた。

 

「ば、ばっかもん! 急に突っ込むやつがあるかっ!」

 

 碁の勝負に白熱していた玄智真人と燕陽翁は、目を白黒させ強欲を避けるが。碁盤は蹴散らされ、碁石がバラバラと床へ散らばる。

 

「あーっ! せっかく良い勝負だったのに……!」

「ったく、碁打ちなら棋譜くらい覚えといてくださいよ」

「無茶言うな! わしらを何歳(いくつ)だと思うとる!」

「昨日の晩飯も覚えとらんくらいなのに!」


 神と真人にあるまじき発言を「ハイハイ」と受け流し、黄雲は本堂中央、祭壇の上に火眼を無理矢理座らせた。

 

「これでよしっと」

「お、おい黄雲! そこはわしの……!」

「なんですか、旧ご神体」

「旧!?」


 燕陽翁はあまりの発言にのけぞった。定位置どころか、まるでご神体の役目をも奪われたかのような言いぐさだ。

 黄雲は本来神像を祀るべき位置に火眼を据え、不遜極まりない態度と口調で老爺に胸を張る。

 

「今日からはうち、こいつを祀ります。いやなに、見目麗しいご神体の方が儲かりそうですし! はっはっは!」

「黄雲! この罰当たりめが!」

「おっと、そうこうしてるうちに!」


 不敬極まりないクソ道士は、本堂の前へ視線を巡らせた。にわかに門のあたりが騒がしくなる。

 清流堂の門口へ集まっているのは、うら若い娘ばかりが十数人。

 

「ねえねえ、そんなに綺麗なお顔をしているの、その方?」

「ええ、ええ! 絶対にひと目お会いすべきよっ!」

「超絶美少年なの! なんでか寝てるけど!」


 先ほどの依頼人姉妹を囲みながら、娘たちは半信半疑の面持ちだ。

 おそらく姉妹が知り合いを集めて連れてきたのだろう、火眼金睛見物に。若い娘は何かと群れたがる。

 

「やあやあ、ようこそ皆さまがた! 我が堂の新たなご神体をご参拝にお越しになられたとお見受けします!」


 黄雲は師匠ゆずりのしたり顔で進み出て、恭しい態度で慇懃に述べて、さっと本堂を指し示す。

 

「さあっ、貴女たちのお目当てはあちらに!」

「わあ!」

「どんな殿方かしら?」


 行きましょう、と一歩踏み出しかけた乙女たち。しかし黄雲は彼女らに手のひらを向け、制止させる。

 

「た・だ・し! 当方の施設維持のため! 不本意ながらも、そう不本意ながらも! 拝観料を頂戴いたしますっ!」

「拝観料……?」


 ぱちくり。目を瞬かせる娘たち。

 黄雲はあらかじめ用意しておいた銭入れ箱を差し出した。箱に貼り付けられた紙には一筆、『一人五銭』。

 そう。黄雲の企みは端正な外見の火眼をダシに、純朴な亮州女子から金を巻き上げること。

 別に火氣の使い手だからといって、無理に物を燃やそうとしなくても良かったわけだ。彼の使い道は、まさに客寄せ熊猫(パンダ)

 そんな強欲道士が示す拝観料。

 安くもないが高くもない。娘たち、顔を見合わせて仕方なく、それぞれ懐から銭を取り出した。

 

「はい、どうぞ」

 

 ちゃりーん。

 小気味よく響く銭の音。黄雲にとっては、鳥のさえずりよりも胡弓の音よりも、心震わす愛すべき音。

 

「さあさあ押さないで押さないで! ご神体は逃げませんよ!」

「きゃああああっ!」


 払うべきを払った乙女たちは、大挙して本堂へ押し寄せる。黄雲は銭の箱抱えてほくほくで、北方の遊牧民の如く乙女の群れを御すのである。

 そして。

 十数人分の視線が、本堂中央、祭壇の上に座らされた白髪の少年を捉えた。

 

「ああっ、話に聞いた通りの端正なお顔立ち!」

「ありがたいわ、ありがたいわ!」

「なんて尊い寝姿なのかしら……!」


 娘たちは一様に顔を紅潮させて口々に言う。

 彼女たちは知らない。この美少年が先刻、女児にふぐりを踏みつけられていたことを。

 

「ぐー……」


 そして当の火眼は眠ったままで。

 

「な、なんじゃ一体……?」

「さあ……」


 老爺と老猿は物陰に身をひそめ、ひたすらに困っている。

 黄雲はというと。

 

「ひぃ、ふぅ、みぃ、よ……へっへっへ」


 本堂の祭壇脇にて、垂涎の面持ちで銭を数えている。

 清流堂創始以来、こんなに女人ばかり集まるのはおそらく初めてだ。堂内にはきゃらきゃらと、かしましい声が満ちている。

 そんな騒がしさの中。異変は起こった。

 

「……おい」

「なんだよ、いま稼いでるところ……」


 黄雲、突然横合いから呼びかけられるも、銭に夢中。

 そんな彼へ、もう一度。

 

「おい」

「だからなんだよ?」


 やっと呼びかけに応じて、黄雲はそちらを振り向いた。

 声の主は誰あろう、火眼金睛。ばっちり炎の眼を開いて、すっかり目を覚ました様子。

 赤い虹彩に金の瞳孔。異様な瞳に、見物の乙女たちが怖がるかと思えば。

 

「珍しい色の(まなこ)だわっ!」

「やばいわ! このお方神仙の類だわっ!」

「されば納得の美少年ぶり!」


 いっそう興奮している。

 それはさておき、火眼の瞳は少々不機嫌の色を帯びている。

 突然目を覚ました彼に戸惑う黄雲だが、火眼の口からは続けて起床の理由が語られる。

 

「うるさいんだが」

「……は?」

「声がうるさい」

「えぇ……?」


 声がうるさい。

 黄雲、到底納得できない。先ほどこいつを起こそうとして、散々耳元で声を張ったのに。水をかぶせても股間を踏んでも起きなかったくせに。

 まあ確かに、周囲に満ちる女子の声はかしましいが。

 

「日もささなくなったし」


 火眼は不満げに眉をしかめる。気付けば日の光は傾いて、陽光は本堂の中まで届かなくなっていた。

 

「……べつの場所でねる」

「ちょ、ちょっと! おい! 火眼!」


 火眼は祭壇から軽く飛び下りると、手近にあった愛用の棍とやわらか枕を引っ掴み、つかつか立ち去ろうとする。


「こ、こら待て金づるよ!」


 追いすがる黄雲の努力むなしく。

 

「ふぁ~……」


 あくびを一発。火眼は群がる女子をしっしと追い払い、悠々と東棟へ立ち去ってしまった。

 

「……なっ、なんて自分勝手なやつ!」

「お前が言えたことか!」


 わなわな火眼への不満をつぶやく黄雲へ、物陰から燕陽翁の厳しい一言。

 しかしこの一幕。納得いかないのは乙女たち。

 

「ちょっとちょっと! どういうことよ!」


 乙女の群れをかき分け現れたのは、ひときわ大柄な娘。

 まるで豚が二足で立ち上がったかのような、見ようによっては愛らしい容姿。着ている衣服もぱつんぱつん。

 

(パン)ちゃん」


 依頼人姉妹の、姉の方が彼女をそう呼んだ。(パン)というのは太っていることを指す語、であるからして、(パン)ちゃんとは「おデブちゃん」という意味に他ならない。

 一緒に連れだってここへ来たということは、彼女らは友人同士ということだろう。しかし(パン)ちゃんなる呼び名に、果たして友情はあるのか。

 ともかく(パン)ちゃん。

 

「公子さまどっかいっちゃったじゃない!」


 おかんむりである。黄雲に詰め寄り大迫力で続ける。

 

「あたし達ちょっとしか見れなかったんだけど! これって返金モノじゃない!?」

「へ、返金だって!?」


 (パン)ちゃんの言い分に、乙女たちの中の三割ほどから、「そうよそうよ!」と同意の声があがる。

 対する黄雲、冗談じゃない。

 

「んなっ! そんなバカな言い分に応じられますか! ひと目見たんだし、いただいた料金分の供給は満たしたと思いますが!」

「このチンチクリン! ひと目なんてほんのちょっとじゃない! 五銭も払ってるんだからもっとよくよく見せなさいよ! せめて日暮れまで!」

「そりゃ長すぎる! 延長料金を支払えデブ!」

「きいいいっ! だーれがデブよっ、失敬ね!」

「ちょ、ちょっと(パン)ちゃん……! 道士さんも……!」

「お、落ち着いてなのっ!」


 睨みあう二人を、依頼人姉妹が必死に仲裁しようとするが。

 

「ふんぬっ」


 (パン)ちゃんはその巨躯に見合わぬ素早さで、一瞬のうちに黄雲の背後を取った。

 

「このデブ! はやい!」

「感心してるヒマはないわよ小僧」


 太く短い腕に筋肉をたぎらせて、(パン)ちゃんは黄雲の首を羽交い絞め。からの。

 

「喰らいなさい! 腕ひしぎ十字固め!」

「ああああああっ!」


 豊満な肉体から繰り出される、容赦ない関節技。(パン)ちゃん、黄雲の右腕を(たくま)しい両の(もも)で挟んで締め上げる。

 黄雲を襲う、昨日復活したばかりの右腕を再び持っていかれそうな痛み。

 

「ぐふっ」


 やがて黄雲、泡を吹きついに失神。勝負は怪力俊敏双全の(パン)ちゃんが制した。

 

「さっ、みんな! お金持って帰るわよ!」

「はーい」


 (パン)ちゃんは拝観料の箱をじゃらじゃら鳴らしながら、乙女連合へ見せつける。

 かくして乙女の皆々さま。申し訳程度に五銭のうち一銭だけを箱に残し、「いいもん見たわー」とほくほくで帰宅の途へ就かれるのであった。

 

「あ、あの……道士さん……?」

「今度はこっちが起きないの……」


 失神したままの黄雲に依頼人姉妹が駆け寄るが、本堂の内から顔を出した老爺が告げる。

 

「娘さんがた。放っておきなさい」

「で、でも……」

「ええ、ええ。いい薬だ」


 老爺は温和そうな顔立ちに、少々の憤慨を込めて少年を見下ろしている。

 姉妹は顔を見合わせて。

 

「ご、ごめんね道士さん!」

「さよならなの!」


 ちょうど夕刻の鐘も鳴り、姉妹は申し訳なさそうな面持ちながらも、ぱたぱた門口へ駆けていく。

 そして姉妹も立ち去って。燕陽翁は気絶中の黄雲へ言葉を投げかける。

 

「聞こえとらんだろうが、おぬし三日間道術使用禁止な」


 ピシャリ。

 老爺は冷たく本堂の扉を閉めた。

 

「やっぱこうなると思ってたよ、哥哥(がーが)

「こうはなりたくないね!」

「ぼくらは清廉に生きていこう!」


 一部始終を見ていた子どもたちも、きゃっきゃとはしゃぎながら去って行った。 

 後に残るは、気を失ったクソ野郎のみ。

 

「か、金……」


 うわごとの、虚しさたるや。

 

-------------------------------------

 

 暖色の混じった日差しが、東棟を西から照らしている。

 窓から差し込んだ日暮れの光に、清流はふと目を覚ました。

 

「……もう夕刻か」


 甕の中から起き上がり、ふぁぁとあくびをひとつ。

 

「……さすがに飲みすぎたな」


 つぶやく彼女の目の前には、空になった甕が五、六個。密造酒を全て飲み尽くした清流である。


「まあでも、飲まずに処分ももったいないし……」


 清流がぶつくさ言っていると。

 無人のはずのこの棟の階段を、ぎしぎしと上がってくる足音がする。

 やがて彼女のいる物置に姿を現したのは、白髪の少年だ。

 

「火眼」

「おまえは……」


 昨日以来、贋作同士が顔を合わせるのはこれが初めてだ。

 一触即発の雰囲気は、もはや無い。

 火眼の顔に浮かんだのは、戸惑ったような色だった。

 

「……きいてもいいか」

「なんだ?」


 火眼は清流の隣にどかりと座ると、やはり戸惑った口調で尋ねる。

 

「……おれは、その……いいんだろうか」

「?」

「ここにいて……」


 今まで散々気楽な寝顔で眠っておいて、この質問。

 しかし清流は笑わない。瓢箪(ひょうたん)に残っていた酒を、案じ顔で煽る。

 火眼のいう『ここ』とは、単に清流堂を指しているのではない。

 この天地。外法で生み出された存在たる彼らの居場所は、本来どこにも。

 

「さあな……」


 火眼の問いは、清流も抱えている問題だ。

 しかし。

 

「私は思うんだ、火眼」


 清流の声は、真剣だった。しかし続く言葉は朗らかに。

 

「別に生きてていいんじゃないか、ってな」


 気負いなく告げられた言葉に、火眼はじとりと赤い眼を動かした。

 

「いいかげんだな」

「いいんだよ、いい加減で。無用の用さ。昨日、弟子の言葉で思い出したよ」


 この世に不要なものなど、ひとつも。

 自身や火眼がそうであることを、清流は切に願っている。

 

「なあ、火眼」


 清流道人は同類の少年へ問う。

 

「どうだった。一日、陽だまりの中で眠ってみて」

「……幸せだった。炎の海で眠るよりも」


 素直に答えた火眼は、そのまま続ける。

 

「なにかおもいだせそうなんだ。日の光のなかで眠っていると」

「そうか……」


 笑みはないが満足そうな表情で、火眼は言う。いつの間にかそのまぶたを、再び眠気が覆っているようだ。

 とろんととろけた目元。そんな少年の髪を不器用に撫でて、清流は腰を上げ、彼の寝場所を譲ってやる。

 日当たりの良い場所に寝転がって、火眼は再び寝息を立てはじめた。


「……好きなだけ眠るといい、火眼金睛」


 転がった甕に腰掛けて、清流は昨日の敵の寝顔を見つめる。

 気楽な微笑で。

 

「……思い出せるといいな。昔のこと」




 火眼は夢を見ていた。

 懐かしい陽だまりの中。父が笑う声に、母が応える声。兄弟が廊下を駆ける音。朝餉の匂い。

 目が覚めたら消えてしまう、儚い夢を。

 起きてしまえば残り香だけの、切ない夢を。

 

---------------------------------


「ねえ、黄雲くん! 黄雲くんってば!」


 すっかり日の暮れたころ。本堂前でいまだに泡を吹いている黄雲のそばで、雪蓮はさっきからずっと呼びかけている。

 実は顛末を母屋の窓から見ていた雪蓮。羽交い絞めにされて意識を落とされた彼を見かねて、致し方なく介抱に出向いたのだった。

 

「もう、黄雲くんってば! もー!」


 雪蓮の声に混ざる若干の苛立ち。

 この金ばかり気にする、傲岸不遜の拝金主義者を助ける義理もないのだが。

 雪蓮、どうしてか放っておけないのだ。このクソ野郎が。

 どんなに喧嘩をしても、幻滅しても。なぜだか気になってしまう。

 

「黄雲くんってばー!」

「銭、銭が……」


 雪蓮の呼びかけは黄昏空に掻き消え。

 黄雲のうわごとはやはりむなしく響くのだった。

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