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4 眠れるあいつの目を覚ませ!

「さてと」


 師爺と燕陽翁を適当にあしらって、黄雲は本堂から外へ歩み出た。

 ちょうど前方。門のあたりでは雪蓮と子どもたちが毬つきに興じている。

 

「みっつ、よっつ……うんうん、上手だね!」


 遥の鞠つきを褒める、雪蓮の声。しかしふと、鞠は遥の手を離れ、ひときわ大きく跳ねて。

 

「あっ……」


 あらぬ方向へ飛んでいく。コロコロ転がるそれを追う雪蓮の視線が、本堂前で佇む黄雲にかすった。

 

「……ふんだ!」


 途端に令嬢の顔には不機嫌が舞い戻る。拾いに行った逍から鞠を受け取って、雪蓮はくるりと後ろを向いた。

 

「……けっ!」


 黄雲も不機嫌満面に視線をそらした。そして彼の顔が向いた先。

 少年の視界の中。石段に横たわっているのは、赤い装束。

 

「ぐー……」


 火眼金睛はまだ眠っていた。昨日の破壊三昧が嘘のように、やすらかな寝顔だ。

 

「…………」


 白銀の髪に、改めて眺めてみれば整った顔立ち。ゆるんだ口元から垂れるよだれ。

 

「すかー……」


 安穏たる寝姿。

 しかし昨日腕を消し炭にされた黄雲。あまりのくつろぎっぷりに少々腹が立ってくる。

 

(おのれ……昨日は散々暴れまくったくせに、何事もなかったかのように安眠を満喫しやがるとは……)


 彼の命を救う提案をしたのは黄雲自身だが、こうも堂々と惰眠をむさぼられてはむかっ腹も立つというもの。助命を提案した際には『無用の用』という言葉を引き合いに出したりもしたが、こう寝られてばかりいたのでは無用中の無用である。

 ちなみに黄雲。先ほどやわらか枕を火眼にくれてやったことは既に忘れている。火眼を睡眠へ導いたのは、他ならぬ黄雲自身のはずなのだが。

 

「やい! 火眼! 起きろ!」


 黄雲は刺々(とげとげ)しく声を張った。

 仰臥する火眼のそばで、黄雲仁王立ち。しかし火眼に反応はない。

 ともかくこれではせっかく助けてやったのに、有用性も生産性もクソもない。

 

「くそー……こうなったら何としてでも、何かしら有益に働いてもらうぞ!」


 せめて火打ち石程度の仕事でもさせなければ、溜飲が下がらぬ生意気道士。

 黄雲は火眼をひと睨みして、くるりと踵を返した。

 向かう先は東棟。あの物置部屋だ。

 

「まずはゴミ処理だ!」


 とっとこすっとこ。黄雲は駆け足で例の部屋まで駆け上がり、瞬く間に本堂前へ戻ってきた。腕や頭の上に、大量の桶や柄杓を乗せて。

 言うまでもなく、清流道人の密造酒にまつわる品々だ。

 

「よーし」


 ガラガラと地面へそれらの道具類をぶちまけて、黄雲は火眼へ向き直った。

 もちろん火眼にやらせるのは、このいわく付きの物品の焼却処理である。そのためにはまず。

 

「おーい! 起きろー! 起きろやー!」


 火眼を起こさねばならない。黄雲は火眼の耳元に大声を叩き込む。が。

 

「ぐー」


 効果はない。

 

「起きろっつーの! うらっ!」


 続いて繰り出すデコピン。

 

「くかー」


 やはり効果はない。

 

「おーきーろー!」


 ざっぱん。桶から銀髪に被せられる井戸水。

 ところがどっこい、水分はしゅうしゅうと音を立て、火眼の髪や体や衣服から、あっという間に蒸発した。彼が頭の下に敷いた白い枕に至っては、よりふわふわに乾燥している。

 

「くーそーがー!」


 今度は脛へげしげしと蹴りを入れる。やはり眠りが覚める気配は微塵もなく。

 

「すぴー……」


 穏やかな午睡は続くのであった。

 

「こ、こんにゃろが……!」


 手は尽くした。万策弄してやけくそになった黄雲は、腰帯から木剣を引き抜き、

 

「こんの野郎! ざっけんな!」


 その切っ先を躊躇なく火眼の鼻の穴へ突っ込んだ。


「ふがっ」

 

 整った鼻筋が滑稽に歪み、豚のような息づかいが漏れる。

 黄雲は「こんにゃろこんにゃろ!」と右腕の恨みやら何やらの憤懣をこめて、木剣をぐいぐい火眼の鼻へ押し付ける。

 すると。

 

「ふ、ふぁっ……」

「ん?」


 不意に火眼が口を大きく開いた。その変化を何の気なしに見ていた黄雲だが、ふと尋常ではない氣の動きに気付く。

 火眼の肺へ、集まる火氣。

 

「あぶなっ!」

「ぶぇっくし!」


 間一髪。避けた黄雲の脇をかすめて、火眼のくしゃみより炎が放たれ飛んでいく。

 くしゃみをすると、唾と鼻水が飛ぶように。口と鼻から放たれた炎は、黄雲が置き捨てていた桶と柄杓に飛び込んだ。

 そしてぶわりと燃え上がる。

 

「ひええ……」


 力を封じられているとはいえ、その火力はいまだ凄まじい。あっという間に木製の道具類は真っ赤な炎に包まれて、やがてぼろぼろの消し炭へと燃え尽きた。

 炎が消え去った後も。

 

「ぐー……ぐー……」


 何事もなかったかのように、火眼は眠っている。

 

「…………」


 黄雲はというと、偶発的とはいえ目的を達してしまった。燃やしたかった桶と柄杓は既に消し炭を通り越し、黒い粉と化している。

 密造酒の証拠隠滅はこれにて終了。黄雲の憂さ晴らしもこれにて落着。

……するわけなかった。


(この火力……こいつ、うまいこと使えば大儲けできる!)


 この強欲、さっそくにやりと黒い笑み。これは銭が得られるといったん思えば、とことんまで利益を追求するのがこのクソ野郎の悪い癖である。

 火眼の商用へ向け、黄雲は謀略を巡らせた。

 いつでもどこでも高火力。粗大ゴミの処分に良し、焼畑に良し、雨の日かまどの着火に良し。きっとご近所にも好評を博すことだろう。

 しかし、問題は。

 

「さっきみたいにくしゃみで着火させるにしても、危ないな……」


 先ほどはうまいこと燃やしたい物へ着火できたが、一つ間違えたら大火事大火傷だ。

 やはりきちんと制御するには、このねぼすけを起こさねばならない。

 

「おーい、火眼ー」


 そして再びぺちぺちと。黄雲は木剣で火眼の頰を叩き、その眠りを覚まそうと躍起になるのだった。

 

「くかー」

「だから起きろってばー!」

「なにしてんの、哥哥(がーが)?」


 黄雲の背後から、幼い高い声。

 先ほどから挙動不審の兄貴分に怪訝な目を向けているのは、お団子頭の女の子・遊だ。

 鞠つきに飽きたのか、ひとりで黄雲のもとへ歩み寄り、彼と火眼を見比べている。

 

「どうした遊。みんなと遊んでるんじゃないのか?」

「哥哥が怪しげな動きをしてるから見にきたの」


 素直にそう告げて、続けて遊は問う。「なにしてんの?」と。

 

「こいつを起こしたいんだよ」


 黄雲は苛立った口調で、木剣を火眼の額につきつける。コツコツと切っ先は強めに額を叩くが、やはり起きない。

 

「さっきから色々やってるんだけどさ……もうぜんっぜん起きないんだよこいつ」

「ふぅん……」


 黄雲の言葉に気の抜けた声で相槌を打つ遊。ふと、彼女はにっこりと笑みを浮かべてみせた。

 

「哥哥、かんたんよ。遊が起こしてあげる!」


 無邪気に言うと、遊はぴょんとその場で跳ねた。

 その着地点が、大問題だった。

 

「えいっ」

「うぐっ!」


 遊が勢いつけて降り立った先。火眼の股間。

 

「お、おまっ!」


 さすがに黄雲も瞠目する。彼の目前で、清流堂最年少・毒舌女児の遊は容赦がない。

 

「えいっ! えいっ!」

「んぐっ、ぐぅっ」


 ぴょんぴょん楽しげに飛び跳ねる。

 さすがの火眼にも効いたのか。形の良い眉は歪み、苦しげな声が漏れた。

 

「や、やめなさい! こら、遊!」


 慌てて黄雲、止めに入る。若干内股気味で。

 

「やめないかっ! さすがにそれはむごすぎる!」

「えー?」


 やっとのことで、黄雲は遊の両脇を掴んで火眼の上から下ろした。途端に火眼、寝返りを打って膝を抱え、縮こまる。

 どうやら震えているらしい彼を眼下に、黄雲はなおも遊をたしなめた。

 

「まったく、女の子のすることじゃないぞ!」

「でも、あのクソニンジャは常々『女の子にふぐりを踏まれたい』って言ってるよ?」

変態(アイツ)と他の男を同列に語るんじゃない! あと女の子がふぐりとか言うんじゃありません!」

「ちぇー」

「なになにー」

「ふぐりがどうしたの、哥哥」


 遊を叱っているところに、来なくてもいいのに野次馬が寄ってくる。男の子の逍と遥ならまだマシなものを。

 

「遊ちゃん、どうしたの?」

「げっ……」


 この(シモ)方面に騒がしい顛末に、雪蓮までもが首を突っ込んだ。しかもこの世間知らずの見ている前で、逍と遥が興味津々に尋ねるのだ。

 

「ねーねー哥哥! ふぐりがどうしたの!?」

「ふぐりがどうかなったの哥哥!?」

「ふぐり……?」


 ケラケラ笑いながら問う子ども二人に、雪蓮は小首を傾げる。どうやら知らないらしい。その言葉が指す意味を。

 

「ふぐりとはなにかしら」

「えーっ、せっちゃん知らないのー!?」


 小馬鹿にしたように、遥が囃し立てる。しかし雪蓮、のんきにうーんと頭をひねって、ぽんと手を叩き得意げに推測を答えた。

 

「わかった! 新種の栗ね!」

「すっげー! ぜんぜんちがう!」

「えっ、ちがうの!?」


 ほのぼのとしたかけあい。が、雪蓮が来てからむっつりと不機嫌な面持ちを浮かべていた黄雲、一切の躊躇なく残酷に答えを告げる。

 

「睾丸のことですよ」

「えっ……」


 雪蓮の顔が、色を失った。雷に打たれたかのように身を強張らせていたかと思えば、徐々にその顔が真っ赤に染まる。

 

「きゃーっ! は、破廉恥よ破廉恥! 淫猥だわっ!」

「だってそういう意味の言葉ですし」

「も、もっと言いようがあったはずよ! もっと別の言葉が!」

「金玉や陰嚢と答えればよろしかったです?」

「いやーっ! いやーっ! 黄雲くんのバカーっ!」


 雪蓮は耳を塞いでうずくまる。知府令嬢として生まれ、蝶よ花よと育てられた彼女に、その言葉はあまりにも残酷だった。

 一方の黄雲。答える口調に照れはない。ただ彼女を困らせることができて、なんとなく溜飲は下がるのだった。

 この場に巽がいたなら、恥じらう雪蓮にそこはかとなく興奮しただろうが。残念ながら彼は現在、三途の川をさすらう最中(さなか)

 ともかくも。黄雲は再び火眼へ視線を落とした。

 先ほど痛恨の一撃に震えていた彼は。

 

「ぐー……ぐー……」


 またやすらかに眠っている。何事もなかったかのように。

 

「マジかよ……こいつすげえな……!」


 もはや感嘆モノである。黄雲は呆れを通り越し、その強靭な睡眠欲を讃えるのであった。

 さて。雪蓮は羞恥にうずくまり、子ども達は「ふぐりふぐり」と騒ぎ立て、呆然とする黄雲の足元で火眼が眠る中。

 

「あら、みなさん」


 道廟の門から呼びかけられる声。

 振り向いた黄雲の目に飛び込んで来たのは。

 

「ああ、あなた方は……」

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