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2 酒仙の秘め事

「なあ黄雲。本当にあの部屋に入れるのか?」

「当然ですよ。使ってない部屋なんてあそこしかないですし」


 清流堂、東棟。普段あまり使っていない二階建ての家屋。

 二階へ続く階段を、黄雲と清流道人はゆっくり登っていた。

 正確には、その場にいるのは三人。黄雲の背には、安らかに眠っている火眼金睛が背負われている。

 

「てか、師匠がおぶってくださいよ! こいつ僕より身長高いし重いし……って聞けクソアマ!」

「あー、酒がうまいっ」


 弟子に昨日の敵を背負わせて、清流はぐびりと瓢箪(ひょうたん)の酒を煽った。その顔は酔いに火照り、普段通りのへべれけな笑みを浮かべている。

 

「ったく、僕こいつに昨日腕焼かれたし。あんまさわりたくないっつーのに……」

「ははは、頑張れ若人。苦労は買ってでもするものさ。はい苦労料百銭をば徴収」

「んなもん誰が払うかっ!」


 急勾配の階段を、黄雲は後に続く師匠へぶつくさ文句を述べつつ上っていく。

 先ほど雪蓮と一悶着あった後。遅めの昼食を摂った後に駆り出された重労働。

 昨日ここへ連れ帰ってからずっと眠ったままの火眼金睛を、物置へ移動させるのだ。他の部屋に置いておくのは邪魔くさいという理由で。

 

「それにしても、知府はよく納得してくれましたね。あなたのことや火眼のこと」

「ああ……」


 ふと話題を変えた弟子へ、清流は後ろから火眼の尻を支えてやりながら目を細める。

 黄雲が眠っている間に、知府とその夫人への説明は全て終わっていたらしい。清流や玄智真人、燕陽翁を加えた大人の話し合いで、今後の方針もあらかた決まったとのことだ。

 昼飯時にそれらの経緯の説明を受けた黄雲だが。一番驚いたのは、ふと清流が明かしたあることだった。

 

「それにしても驚きましたよ。師匠、亮州を()つ前に知府ご夫妻へ、己が正体を明かしてたんですね」

「…………」


 火眼金睛を迎撃するため、街を出発する前夜。

 その日は堂へ帰って来なかった清流だったが、どうやら知府邸に残り、自身が火眼金睛と同様の『霊薬(エリキサ)の贋作』だと知府たちへ告白していたらしい。

 

「……あのときは死ぬつもりだったからなぁ」


 数日前のことなのに、清流は懐かしむ口調だ。

 彼女は知府夫妻へ、己の身の内に雪蓮を喰らおうとする欲があること等の一切を真正直に伝え、そして自らの命を以て火眼と刃を交えて、ともに消え去る覚悟を彼らへ告げた。

 崔知府は彼女の告白にさすがに仰天したらしい。しかし雪蓮を守る一心で死の覚悟までした清流に、全てを託して送り出す決心をしたとのことだ。

 さらには今生の別れとばかりに、別れの盃まで交わしてきたらしい。

 

「それがおめおめと生き延びて、こうしてこやつのケツを支えてやってるとはな」


 まさか敵味方そろって、こうして亮州へ帰ってくることになろうとは。人生万事、どっかのじじいの馬の如しである。

 

「で、結局こいつはうちで引き取る。んでもって、お嬢さんもそのままうちで預かるんでしょう? そんなのよく知府がお許しになりましたよ」


 黄雲のぼやきももっともだ。昨日まで娘を殺そうと狙っていた大妖怪を、その娘と一つ屋根の下で住まわせるのだ。

 火眼だけではない。大妖怪は黄雲の背後にももう一人。

 

「……まあ、不安はないでもないだろうが」


 同じく昨日まで金氣に翻弄されていた清流が言葉を継ぐ。

 

「我らのことを信じてくださったのだ。そのことを深く受け止めて、私たちは雪蓮を守らねばならん」


 昨晩。清流堂で清流道人らと面会し、今後の方針を話し合っていた知府は、苦悩の末にこう言った。

 

——清流殿。あなたは娘のために、命を捨てる覚悟をしてくださった。そんな方にどうして不信など抱けましょう。火眼のことは百も承知。されば今後も雪蓮のことは、あなた方へお任せしたい。


 並みの人物ならば他の道士へ娘を任せ、下手をすると清流たちは、火眼もろともどこぞの僻地へ放逐されたかもしれない。

 さすがにこの亮州を差配する崔伯世、大度量ではあるが。

 己を律し、火眼を監督する清流の責任は、より重く双肩へのしかかるのだった。

 

「まったく、崔知府が侠気に通じた方で本当に良かったですよ」


 階段を上り切り、黄雲がため息とともにそう告げる。

 崔、という姓に少し昔を思い出した口調で、清流はにやりと笑った。

 

「まあ、そういうお家柄のお方だからな」




 火眼を部屋の戸口の前へ下ろし、黄雲は扉を開いた。

 ほこりがぶわっと舞い上がり、吸い込んだ少年の喉に不快な刺激をもたらす。

 

「げほっ、げほっ!」


 咳き込みながら部屋へ入り、黄雲は窓際へ歩み寄った。厚い木の窓を開くと。

 昼下がりの日差しが暗い部屋にさし込んだ。光は舞うほこりに反射しつつ、部屋の奥まで照らし出す。

 さらには庭で遊ぶ子どもたちの声も、きゃいきゃいと楽しげに部屋へ響いた。

 そんな中、清流道人はなぜか渋い表情だ。

 

「お、おい黄雲……別に隣の部屋でも」

「馬鹿言わないでください。隣室は書庫ですよ、焼けたらどうするクソアマ」


 先ほどから清流、この部屋を使うのに難色を示している様子。しかし弟子に聞き入れる気はない。

 これはさすがに掃除しないと、と黄雲が部屋の惨状をきょろきょろ見回していたときだった。

 

「……これなんです?」


 彼の生意気眉毛がひくりと反応する。

 部屋の片隅に寄せられた、不要な家具の数々。古びた箪笥や長持(ながもち)、壊れた祭壇などが打ち捨てられていた。

 その中に、少々違和感のある道具が見え隠れしている。

 奇妙なまでににほこりひとつないそれらは。

 

「この(かめ)は……」

「…………」


 家具で隠すように置かれた、不自然な甕。黄雲の背丈ほどもある大甕が、何個か雑に隠されている。黄雲はそのうちひとつの蓋を開けてみた。

 ふわりと鼻腔をくすぐる酒の香り。

 さらに甕のそばからは、穀物や麹の入った袋が見つかった。

 

「師匠」

「…………」


 弟子の呼びかけに、師匠は顔を逸らして酒を飲んでいる。

 黄雲はつかつかと清流へ歩み寄り、ひくひくと眉を震わせた。

 

「なんです、これは」

「……はて」

「とぼけないでくださいよ! 明らかに密造酒じゃないですか!」


 弟子の憤慨の声。清流はなおも視線を逸らして酒を飲む飲む。

 この栄王朝の治世下。個人での酒の醸造、すなわち密造は禁止されている。

 なるほど、先ほどからこの部屋を使いたがらなかった理由はこれだ。この清流道人、以前からこっそりとこの部屋で、酒を醸していたのだ。

 

「ったく、一体どこの誰ですか! さっき知府の信頼に応えねば云々などとのたまっていた阿呆は! おい答えろ犯罪者!」

「あー酒がうまい」

「やいこら! クソ濁流!」


 弟子ははぐらかす師匠のすねを蹴った。げしげしと。

 正直、酒の密造が見つかったところで罪は軽い。大々的に流通させていなければだが。

 見つかった酒はそこそこの量だったが、おそらく清流のこと、自分で飲むために作ったのだろう。正直売り出せばそこそこの儲けになりそうだが、さすがに黄雲も法を侵してまで暴利を貪る気は起きないようだ。

 呆れた様子でため息を吐き、黄雲は続ける。

 

「まったく。もしお嬢さんに見つかったら、どうするんです? 知府へこのことが知れたら、せっかく得た信頼とやらも水の泡ですよ」

「雪蓮には分からんさ、酒造りの道具なんて」

「まああの世間知らずはそうでしょうが」


 黄雲の口調に、少々不機嫌なものが混じる。先ほどの一悶着のいらいらが、少し蘇ったようだ。

 

「ともかくこんな法的に危ないもの、うちに置いておけません! 処分してください処分!」

「処分だと!? まだぜんぶ飲んでいないのに!?」

「口ごたえは結構! さあさあ処分! さっさと処分しないとしばきますよ!」

「ええ……」


 清流は情けなく声を上げ、ちらりと甕を見た。黄雲が蓋を開けた甕から、馥郁(ふくいく)と美味そうな香りが漂っている。

 

「ええい!」

「あっ、この濁流!」


 不意に清流は甕に飛びついた。甕の口に身を沈めるようにして、ごくりごくりと喉を鳴らして酒を飲む。

 

「こ、この酒毒患者め……! まさか飲み干す気か!」


 驚く弟子へ、ごくりごくりと酒を飲む音が応えた。

 しかし。

 突然清流は甕ごと、ゴロンと床に倒れた。

 酒がこぼれないところを見ると、飲み干したようだが。

 甕に顔を突っ込んだまま、清流は苦しそうにひとこと。

 

「おぅえぇ……」

「吐くなァ!」


 げしっ。

 黄雲は再び師匠のすねを蹴る。甕の中で何が起こっているのか、見たくもない。

 まったく。昨日は彼女が死んでしまうのではないかと散々心配したが。こうなれば逆に死んでほしいと思う弟子である。

 

「くそー、とにかく処分しないとだ……」


 そのまま甕の中で泥酔している師匠は、もちろん役に立たない。密造酒の関わる遺物の処理は、黄雲に任されたと言っていい。


「まったく、なんで僕が……」


 桶や柄杓など軽いものから片付けていたときだった。

 

「きゃあああ!」

「!?」


 窓の外から悲鳴。雪蓮の声だ。

 

「お嬢さん!?」


 慌てて黄雲は桶を放り出し、窓から身を乗り出した。

 おそらく子どもたちと鞠をついて遊んでいたのだろう。雪蓮は子どもたちをかばうように両手を広げながら、何者かと対峙している。

 

「あれは……火眼!?」


 雪蓮へ歩み寄る、白髪に赤い装束の少年は間違いない。火眼金睛だ。

 

「あ、あれっ?」


 黄雲は慌てて部屋の戸口へ戻る。当然そこに火眼の姿はない。どうやら密造酒だのなんだのと師弟ではしゃいでいるところ、ふらっと目を覚まして立ち去ったのだろう。

 

「い、いけない! さっそく問題発生じゃないか!」


 黄雲は片付けも師匠も放置して、慌てて階下へ向かった。

 

「うえぇ……」


 後に残された清流は、甕の中でひたすら呻くのだった。

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