4 有料道案内
「ほう、道が分からないと」
頭を抱えてうずくまる雪蓮へ、少年の声が降ってくる。彼の目線は品定めでもするかのように、じろりと少女を見回した。
「どうしましょう……お母さまに怒られてしまう……」
「何なら道案内しましょうか、僕が」
焦りに満ちていた雪蓮だったが、地獄に仏渡りに船、少年の申し出に顔色は薔薇色にほころんだ。
「ええっ、いいの!?」
「ええ、ええ。よござんしょ」
快諾する少年。雪蓮は「やったー!」と喜色満面、その場でぴょんぴょんと飛び跳ねる。しかしうまい話には必ず裏があるもので。
「じゃ、案内料」
「案内料?」
彼の差し出した手のひらと言葉の意味が分からなくて、雪蓮は首をかしげた。
少年はさらにずいっと手のひらを突きつける。
「案内料ですよ、決まってるじゃないですか。まさかタダで案内するとでも?」
「え、え、あの……」
少女にとっては思わぬ事態だった。世間知らずなこの身、まさか道案内に料金が必要などとはつゆ知らず。そうなのね、街ってそうなのね。何にでもお金がかかるものなのね。
しかし残念なことに。
「わ、私……今、お金持ってなくて……」
「へぇ? それは妙ですね。そんな高そうな服を着て、やんごとなさそうな身なりのくせに」
じろり。少年は再び品定めの視線をこちらへ向けた。雪蓮の着ているものは、なるほど、しっかりとした生地に上品な刺繍の、いかにも典雅な仕立ての逸品である。きらびやかな帯には、チャラチャラと帯飾りが揺れている。
「いやはや、そんなご立派な身なりで、文無しとは片腹痛い」
相も変わらずこちらを見つめる視線は無遠慮で、居心地悪い。雪蓮は謝る必要もないのに、「ごめんなさい」となぜかつぶやいてしまった。
「あ、あの。私これで……」
とにもかくにも、少女は文無し、少年にも利益は無く。ふたりの会話もこれまでと、雪蓮が踵を返した時だった。
「ま、別にお金が無くてもいいですよ」
「えっ!?」
再びの渡りに船。嬉しげに振り返る雪蓮へ、少年は人差し指を突きつける。
指の先が向けられているのは、雪蓮の腰のあたり。チャラチャラ揺れている、白玉の帯飾りだ。
「その帯飾りで手を打ちましょう」
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黄昏時の街中を、「こちらです」と先を行く少年に続き、雪蓮は左手側に日の入りを感じつつ早足に歩いていた。前を歩く少年の長い後ろ髪は、うなじのあたりで一つにまとめられていて、夕焼けの中をゆらゆら揺れている。
帯飾りを惜しいと思う気持ちは、ほとんど無かった。
同じような帯飾りを、雪蓮はいくつも持っている。両親が買い集めてくれたものだ。彼女は知らなかったが、それらは西方産の貴重な玉であった。
少年がその価値を知っていたのかどうか。彼は先ほどから戦利品を握りしめて、どことなくホクホクと機嫌良さそうである。
それにしても。
雪蓮は周囲を見渡した。先ほど歩いていた市場のあたりとは打って変わり、人数少なく物寂しい界隈である。少年によると、こちらの道の方が早く目的地へ着くそうだ。
市場があった場所は広く開けていたが、ここはやたらと建物でひしめいている。その建物も平屋が多い。それぞれの家屋の間には水路が引かれ、その上をいくつも橋が通っていた。
入り組んだ道筋を、少年は慣れた足取りでスタスタと歩いて行く。
「……ちょっと聞いてもいいです?」
歩きながら声だけが雪蓮へ問いかけた。
「さっきの話、本当なんです?」
「えっと……」
「あなたが知府の娘だという話」
今度は胡乱げな目がこちらを向く。明らかに疑っている様子である。
「ほんとうです!」
言い張る雪蓮。少年はなおも疑惑の視線だ。
「その割には供も連れず」
「うっ!」
「金も持たず」
「うぅっ!」
「挙げ句の果てに迷子ときた」
「うううっ!」
ずけずけと痛いところを突いてくる。そしてひとしきり疑念をぶつけてきたわりに。
「まあ、何だっていいですけどね」
手に持った帯飾りをチャラリとかざして、今度はあっさり満足顔。「先を急ぎますよ」と何事も無かったかのように、歩を進める。何とも自分勝手な少年である。
「あ、あの。私も聞いてもいいかしら?」
隣に並びつつ問いかける雪蓮に、「なんです?」と少年は前を見たまま先を促す。
「あなた、お名前なんとおっしゃるの?」
自分勝手ながら、なんのかんのと案内をしてくれる少年に、雪蓮はいっそう興味がわいていた。道服を着て、しっかり世間を知っている彼に、なんとなく頼もしさを覚えたのかもしれない。
「あ、そろそろ知府邸ですよ」
しかし質問ははぐらかされた。少年が名乗りたくなかったのか、それとも単なる間の悪さか。知府邸は確かに、前方の建物と建物の隙間に見えている。
しかし。
「うわ、すごい警備」
「ほんとうだ……」
少年が物陰に隠れながら、思わず声を上げた。
往時にはいなかった、おびただしい数の兵。戦でもすんのかい、とつぶやく少年の隣で、少女はその理由が分かってしまった。
「さ、探してるんだ……」
「探してるって……まさか」
「私を!」
たらり。冷や汗をかくふたりの目の前、屋敷の前には雪蓮も見覚えのある人物が門から現れた。
「良いか皆の者!」
声を張り上げるその人は、亮州知府・崔伯世その人だ。
「我が娘・雪蓮が突如として我が屋敷から姿を消した! 十三年間、屋敷から出たことのない我が娘がだ!」
すぅ、と一呼吸おき、知府はさらに声を張り上げる。
「さあ、我が娘をかどわかした不届き者を引っ捕らえよ! 雪蓮をいち早く保護し、下手人を八つ裂きにするのだ!」
「おおー!」
鬨の声が上がる。
一部始終を眺め、少年は少女を振り返った。
「えーと。なんでしたっけ。あなた知府の娘さんとかおっしゃいましたよね?」
「そ、そうですが!」
「思うに、僕このままあなたを連れてあそこに行ったら、八つ裂きにされてしまう気がするんです」
ぽつりと少年はつぶやく。そんな彼に雪蓮は。
「そ、そんなことしないよ! 優しいお父さまだもの!」
「ふぅーん……」
雪蓮は力説するが。
「あー、あんなところに空飛ぶ饅頭が」
「えーっ!? どこどこ!」
少年のつく見え透いた嘘に、見事引っかかる雪蓮。そしてしばし夕焼け空に饅頭を探し……
「どこにもないじゃない」
振り返った先に、少年はいない。
彼は忽然と消えていた。少し湿った地面には、足跡すらない。
一切の痕跡を残さず消えた少年。名も告げなかった彼を呼ぶこともできず。
「いたぞー!」
「雪蓮お嬢様だー!」
わっ! と押し寄せる、崔家の手勢。「お怪我は!?」「ご無事で!」と手荒い歓迎の中で、雪蓮は呆然と、通ってきた路地裏の薄暗闇をみつめるのであった。