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19 無用の用

「……終わったんだな」

「そうだな」


 巽のつぶやきに、隣の黄雲はそっけない相槌。


「長かったぜ……」

「そうだな」

「おい黄雲。どうして土に潜る」

「おお、せいぜい流されないよう踏ん張っとけ」


 黄雲は適当に巽の相手をしながら、土中にもぐり、ためらいなく土壁の術を解いた。当然、下方からぼろりと崩れる八角の土壁。堰を切ったように大量の水が溢れる。

 

「え」


 避難した黄雲はともかくも。巽はなすすべなく、土壁から押し寄せる水勢に足をすくわれ、濁った水流に押し流されるのだった。

 

「てめえー! 黄雲このクソガキャー……」


 巽の声が遠くなる中で。


「火眼!」


 清流道人は川の流れを地上へ戻し、すぐさま水と化して火眼のもとへ走った。あふれる水流をさかのぼって。

 崩れかけた土壁に引っかかるようにして、火眼は気を失っている。感じる火氣は、すでに風前のともしびだ。

 清流は人の姿に戻るや、火眼を抱え上げた。

 先ほどの術の影響か、額には封印の紋様が浮かんでいる。しかしその炎の眼は閉じられて、顔色は蒼白だ。

 

「……っ!」


 清流は周囲の水氣を抑えて、流れる水を亮水の本流へ押しやった。あっという間に水は引き、濡れた地面が顔を出す。

 

「師匠!」


 黄雲も顔を出した。泥中から土にまみれて這い上がると、清流と火眼の元へ駆け寄る。

 

「……生きてます?」

「かろうじてな」


 弟子へ答えつつ、清流は手のひらの上に氣を集めた。陽の氣だ。

 

「黄雲、支えてやってくれ」

「えっ、ええ……」


 黄雲はおっかなびっくり、火眼の両脇を背中から支え上げた。先ほど焼かれた右手に至っては、火眼の脇の下の服をちょっとつまんでいるだけだ。

 その火眼のみぞおちめがけ、清流は練り上げた氣を掌底とともに放つ。

 

「はぁッ!」


 ごぼり、と白髪の少年は水を吐く。続いて、安らかな呼吸が蘇った。

 

「おおい、清流! 黄雲!」


 そこへ駆け寄ってくるのは、玄智真人だ。崩れた土壁を器用に降り、二人のもとへやってくる。

 

「ふむ、うまくいったようだの」

「玄智師匠。こやつは……」

「うむ。今は力封じの術をかけただけだ。あと二つ、術をかけねばならん」


 白猿は黄雲に火眼を地面へ下ろすよう指示しつつ、術の準備を始める。

 

「金氣への対応の術と、それから欲の制御の術式もかけねば……」

「金氣? 欲?」


 黄雲の疑問の声。玄智は「うむ」とうなずき、孫弟子へ答える。

 

「いずれもこやつの凶暴性を抑えるための術よ。件の娘が放つという金氣を知覚不能とする術に、霊薬(エリキサ)を取り込みたいという欲を抑える術」


 白猿は詳しく続ける。

 

「金氣の遮断に関しては、もはやその通りだ。金の氣に関して知覚をもたらす心身の分野を、あえて機能不全にする」

「なるほど、金氣を知覚できなければ、金氣の塊であるお嬢さんへ敵意を向けることもないと」

「うむ。それと……欲の制御に関しては、こやつの中に眠る欲求を昂ぶらせ、霊薬への欲よりも強くし、うやむやにするということだ」

「……つまり?」

「例えば……こやつが元々食欲の強い性質(たち)だったとする。その場合、食欲が霊薬へ向かう欲求よりも大きくなり、結果、霊薬への欲が抑制されるということだ」

「うへぇ……万が一それが性欲なら、あいつが二人に増えるってことか」

「はぇっきし!」


 黄雲の言う『あいつ』が、くしゃみとともに戻ってきた。頭に小狐を乗せ、どこで見つけてきたのか、(あかざ)の杖と朱塗りの棍を肩に担いで。

 

「なになになにー? なにやってんの、雁首そろえて」


 場に似合わぬお気楽な口調で、巽は小狐と杖を老猿へ押し付ける。「流されてたぜ」と言い添えて。

 巽の疑問へ答えたのは、清流だ。

 

「今から火眼へ術をかけるところだよ」

「術? ああ、こいつを無力化させるとかいう……」


 でも、と巽の視線は戸惑ったように黄雲へ向く。

 

「黄雲、いいのかよ本当に。だってお前、右腕を……」

「右腕?」


 ただならぬ巽の口調と台詞の中身に、清流の視線も疑問の色を帯びて、弟子を捉えた。

 

「腕に何かされたのか、黄雲」

「ああ、えーと、その……」

「何かされたなんてもんじゃないですよ先生! こいつ右腕なくなってやんの!」

「は、はぁ?」


 突拍子もないニンジャの一言に、清流はもう一度弟子を見る。いつも着ている浅葱色の服の右袖こそ、焦げ跡を残して無くなっている。しかし右腕は健在だ。

 

「いや今は復活したんですけどね! 仕方がない、この八洲一(やしまいち)の伊達男、木ノ枝巽がご説明を」


 そして巽は一部始終を語り尽くす。若干自身の活躍を盛りつつ。

 火眼に焼かれ、炭と化して燃え尽きた黄雲の右腕。そして雪蓮の変化。焼かれた右腕の復活。

 話を聞くにつれ、清流と玄智真人の表情は厳しいものへ変わっていく。聞き終わる頃には、清流の瞳は戸惑いつつも、その手のひらには殺気のこもった水氣が集中していた。

 

「黄雲」


 師匠の声は、若干ふてくされた様子で話を聞いていた弟子へ向かう。黄雲はちらりと清流へ視線を返した。

 

「本当にいいのか。お前はこやつに、右腕を……」

「……まあ、正直すっげえ痛かったし、許しがたいですけど」


 師匠の問いに、黄雲は右手を開いたり握ったりしながら返す。

 

「無用の用、ですよ」


 答える彼の顔には、笑み。

 

「無用の、用……」


 清流は弟子の言葉を小さく繰り返した。とても懐かしい響きの言葉だ。

 

「まあ結果論ですけど、右腕もなんだかんだで元に戻りましたし。憎しみや恨みになんの利益がありましょう」


 黄雲が語る後ろで、すっかり地形の変わった戦場へ風が吹く。火眼は相変わらずこんこんと眠っている。

 

「世の中に役に立たないものはないのでしょう? ならばこいつにも生きてもらって、なにかの役に立ってもらいましょうよ」

「…………」

「火眼だって、元は南慧の実験体。好きでこうなったわけじゃない。その……師匠と同じ境遇のやつを、どうして殺せましょうや」

「黄雲、お前……」


 黄雲はわずかに頰へのぼった照れを押し殺しつつ、締めくくる。


「ま、結局のところ、こいつは誰も殺したわけじゃないですし。別に生きてていいんじゃありません?」

「殺しとるよ」

「えっ」

 

 師弟の会話に割り込んだのは、玄智真人だ。清流も真人の言葉の意味を汲み、黄雲へ事情を告げる。

 

「……実は、こいつは以前に人を殺している。三百年ほど前だったかな。紅火山へ南慧の実験体を救出に向かった折、我が同門や兄弟子の皆々を、この火眼金睛に焼き殺された」

「そう、わしの兄弟弟子や門下が多数犠牲になった」

「マジっすか……そんなことが……」


 黄雲、気まずそうにこりこりと頭をかく。こほんと咳払いし、少年は続けた。

 

「じ、事情を知らず、それは失礼を。まあ僕は僕の意見を述べたまで。火眼めの処遇は、お二方へお任せしたい」


 黄雲はそれ以上口を開かず、清流と玄智の二人に全てを委ねている。巽も珍しく空気を読み、黙ってことの成り行きを見守っている。

 不意に、清流の手から水氣がかき消えた。そして漆黒の瞳は揺るぎなく、弟子を見返す。

 

「……まったく、弟子にそうまで言われちゃ敵わんな。師匠の顔が立たないじゃないか」


 消えた殺気に、黄雲はにやりと笑って見せる。


「いいんですか、僕の口車に乗って? 後悔するような結果になったって、僕は責任取りませんからね」

「ああ、望むところだな」

「え、なに? 結局そいつ生かすって結論?」

 

 正気を疑うわーと巽、覆面から垣間見える顔にドン引きの様相。

 

「玄智師匠。よろしいか? 同門の皆の仇ではありますが……」


 清流の問いに、玄智真人はしっかりとうなずいて見せる。満足げな笑みとともに。

 

「わしもそれで良いと思う。理性を失したまま死ぬるより、こやつが生きて己が罪を認めるようになれば……その方が、死んだ北徳の皆への弔いになるだろう」


 されば、と真人は清流と火眼、それぞれへ順に視線を送る。

 

「火眼はともかくとして……清流よ、心の準備は良いか。良ければさっそく術を使うぞ」

「はい、師匠」

「ん? なんでうちの師匠?」


 黄雲は眉をひそめて疑問を呈した。術を受けるのは火眼のはず、なんだ師匠は準備でも手伝うのかと、彼の心中で色々と予想が働くが。

 

「清流も雪蓮とやらの金氣が目覚めてから、己が欲求とうまく付き合えておらんようだ。ならば彼女にも我が術を受けてもらう」

「は、はぁ……」

 

 玄智の返答に、黄雲は納得するやらしないやら。そんな彼へ老猿は言葉を紡いだ。

 

「清流へは四百年前、彼女の目覚めとともに今回と同様の術をかけておる。だが、現れた真正の霊薬の氣たるや、四百年前の我が術を凌駕しておるようだ。ならばの二度掛け」

「そんな雑巾がけみたいな……」


 確かに雑巾がけも、一度拭くより二度の方がきれいにはなるが。

 

「いいかい、我が孫弟子よ」


 白猿は急に好好爺の口調になる。しかし告げる内容はとんでもない。

 

「清流は元々酒への欲求が強い性質(たち)。此度の術ではその欲求を昂らせるゆえ、よりぶっ飛んだ飲兵衛(のんべえ)に成り果てるぞ」

「げっ!」

「さらに言うとだな、金氣への感覚も遮断する。ゆえにおぬしの師は件の娘の氣が感知できぬ。これ以降は、お前の補佐が肝要だ」

「つまり僕にしわ寄せがくるってことじゃないですか!」


 つまるところ。雪蓮のお世話係は黄雲で確定ということ。巽は他人の氣の探知は苦手なため、そこは黄雲が身近にいてやらねばならない。

 さらに、これまで以上に酒深くなる師匠への対応。今でこそ度の過ぎた飲兵衛のくせに、これ以上はどうなることやら。

 黄雲の未来はまったくもって暗澹としている。やるかたない憤懣の矛先は、お猿の師爺へ。

 

「やい猿! ふざけんななんとかしろ!」

「ではさっそく」


 喚く孫弟子を放置して、玄智真人は氣を練った。

 清流を座らせ、巽に頼んで火眼を仰向けに地面へ寝かせると、本格的に術式を発動させる。

 深く深く、肺と魂で呼吸を行い、印を結んで術を編み。

 氣はその両手指へ、静かにたぎる。手指からは紫がかった光を放つ、煙のようなくすぶりが上がった。

 

「さあ、その身魂より心火を生じ金肺(きんぱい)を剋し、我欲を解き放て」


 真人は両手にみなぎる氣を、清流と火眼、それぞれの額、胸、腹へ順に叩きつけた。胸あたりで巽が「おお!」と歓声を上げるが、黄雲は聞かなかったことにする。

 真人の指が触れた三点より、術は深々と二人の心身へ染み入り、消えていった。

 

「……気分はどうだ?」

「…………」


 白猿の言葉に、清流はしばらくうつむき。

 

「……師匠、分かっておいででしょう」

「ふふ」


 漏らした清流の一言に、玄智真人は懐に隠し持っていたものを、彼女へ投げて寄越す。

 パシッ、と小気味良い音を立て、投げられた瓢箪(ひょうたん)は清流の手に収まった。間髪入れず、瓢箪の栓を抜き、清流はぐいっとそれを煽った。

 瓢箪の酒はごくりごくりと、いい音を立てながら清流の肺腑へ染み渡っていく。

 

「はーーっ! 今日の酒は格別に美味いなっ!」


 最高の笑顔で吐き出される、酒臭い息。

 火眼退治のため、秘められた氣を開放するため。玄智真人のもと、三日に及ぶ断酒を敢行した清流である。

 彼女の傍では、火眼がいまだ安らかな寝顔で眠っていた。

 巽は巽で、戦いの緊張をすっかり失い、その視線をひたすら清流の胸元へ注いでいる。

 

「…………」

 

 ガン見である。

 

「はぁ……これからどうなることやら……」


 黄雲は深く深く、ため息を吐いた。

 いつもの空気が戻ってきたのはいい。少々心地よくもあるが、やはりこの面々の世話をするのは非常にめんどくさい。

 まさか火眼まで加わるまいなと、少年は師爺が彼を連れ帰ってくれることに、期待を寄せるのだった。

 

---------------------

 

「火眼? わしゃ連れて帰らんぞ」

「なんですと……!?」


 そろそろ帰るかという頃。黄雲の期待は見事に裏切られた。

 

「いま天究山は鴻鈞道人とやらのせいで、水氣なく枯れ果てておる。火氣厳禁だ」

「じゃ、じゃあこいつは……!」

「我らが引き取りましょう」

「師匠!?」


 軽く引き受ける清流に、弟子の口もあんぐり開く。

 

「弟子の助言を承け、こやつを生かすと決めたのは私です。なれば私が預かるのが道理」

「ふっ、そう言うと思うておったぞ清流」

「ちょちょちょ、ちょい待ちクソ師匠ども!」


 黄雲は割って入った。何を勝手にとんでもない決定をと、黄雲、ハンパなく焦る。

 なにせ取り沙汰されているのは、先ほどまで命のやり取りをし続けた大量破壊兵器。しかも黄雲は一度右腕を奪われている。

 

「バ、バカじゃないですか! そんな犬でも飼うように簡単な! 大体あんた、僕以外に孤児三人も引き取っておいて、結局世話は僕じゃないですか!」

「わ、分かってるよ黄雲……世話はちゃんとするから……」

「そう言って結局僕が全部やるはめになるんですよ! 最初っから分かりきってるんですからね!」


 師弟の会話は完全に、「犬飼いたい!」「だめよ、どうせ世話はお母さんなんだから」と犬問答に興じる親子そのものである。

 しかし。火眼の受け入れ先が無いのは事実。天究山へ連れ帰ってもらっても、偉大な霊山に山火事を起こしては忍びない。

 最終的には黄雲も、「仕方ありませんね」と肩を落とし、承諾するのだった。大体彼を生かす方策を提示したのは黄雲自身。正直この着地点を、予想していなかったわけでもない。袖がなくなり少々肌寒い右腕を、黄雲はやれやれとさするのだった。

 

「ところで清流先生」


 また唐突に口を開く巽である。今まで清流の胸元へ向けていた視線を上にあげ、殊勝な面持ちで彼女へ告げる。

 

「俺はこの戦いに勝利した暁に、あなたへお願いしたいことがある」

「ほう、何かな?」


 尋ねる清流へ、巽はキリリと三白眼を細める。

 

「好き放題させてほしいのです……貴女を!」

「ほう」

「清流先生好き放題の権利。黄雲より許可は得ております」

「……黄雲?」


 呼ばれて黄雲は顔を逸らした。逸らしつつ身振り手振りで、「仕方ないじゃないですか、こいつエサが無ければ火眼退治になんて参加しません」と長々伝える。

 

「……はぁ、この師匠にしてこの弟子ありだな」


 お互いがお互い勝手である。互いに気を遣い合うよりは、大分心地が良いが。

 

「分かったよ、巽。なんでも好きにするがいいさ」

「よっしゃーー!! いやっほーーーーい!!」


 ぴょんこら。喜びの跳躍。

 狂喜乱舞もそこそこに、巽は再びピシリと背を伸ばし清流の前に立ち、格好つけて最低の内容をのたまった。

 

「ならば、そのお胸を揉ませてほしい!」

「おいおい、お前死ぬんじゃねえの?」


 このニンジャ、女人に触れると死んでしまう、厄介な体質の持ち主だ。黄雲が呆れた口調で指摘するが、そんなことは本人が重々承知。

 

「ふふふ、そう思っていたのだがな! 今まで俺、死にかけても結構すぐ復活するじゃん? せっちゃんに掌底を食らったときも瀕死で済んで、雷にだって日常的に打たれてるけど、結局死んでいない! 我ながらなんというど根性、なんという生命力!」


 巽は希望の目で巨乳を見る。

 

「だから! きっとあのおっきいおっぱいを揉んだくらいじゃ、割と死なない気がするんだ!」

「ふーん」


 ニンジャの希望的観測。黄雲は興味なさそうに、服についた泥を氣で払い落としている。

 

「ならばよろしいか、清流先生!」

「ははは。いいぞ、乳を揉むくらい」

「いやっふーー! ならばさっそく!」


 酒を飲んだせいか、それとも元々気にしないたちなのか。清流は朗らかに笑って、巽へ乳を向けてやる。

 

「うひょうっ、あざまーっす!」

 

 巽は感触を確かめるため、いつも手に着けている、手甲と一体になった濃紺の手袋を外した。

 そして素手になった両手で、黒衣からあふれんばかりの双丘を下から支えるように……。

 

 ぴとり。

 

 巽はその後、三日三晩生死をさまよった。

 

「ったく、誰が連れて帰ると思ってんだめんどくさい!」


 全身の穴という穴から血を噴いて痙攣している巽を蔑みの視線で見下ろして、黄雲は悪態をついている。

 

「……仕方ない、彼らはわしが亮州城まで連れ帰ろう」


 行動不能の火眼と巽を見かねて、玄智真人が申し出る。

 どうやって帰るのかと思えば。

 

「ほいっと」


 (あかざ)の杖で天高くにある雲を指し示せば、その意に応じたように雲がちぎれ地上まで降下し、真人の前でふわりと止まる。

 

「というわけでわしは雲に乗り、こやつらをぬしらの住まいへ送って行こう」

「うわぁ、ガチの仙人じゃないですか」


 猿だけど、と黄雲はいらぬ一言を付け加える。

 しかし、雲。仙人の乗り物として古来から伝えられるわりには、本当に乗っている者など希少な雲。

 自然少年の瞳には、期待の光が宿る。

 

「で、その雲には僕らも乗っけてくれるのでしょう!」

「悪いな孫弟子よ。この雲は三人乗りでな」


 師爺はにべもなく孫弟子へ告げる。そして子狐とともにさっさと巽と火眼を回収し、「またあとでの」と好好爺の口調で告げて、さっさと雲を飛ばして行ってしまった。

 

「あのクソ師爺め……三人乗りとか言っときながらしっかり狐は乗っけやがって……」


 黄雲は恨みがましい視線でそれを見送るが。ふと。

 

「あ、あれ?」


 その足元が、突如おぼつかない。ふらっと尻餅をつく黄雲は、思い当たる。

 活身丹の飲み過ぎだ。

 三粒でも効力が切れれば昏倒するものを、二倍量服用している。気を失わないだけまだマシなもの。徐々に黄雲をとてつもない疲労感が満たしていく。

 

「まったく、しょうがない弟子だな」


 先刻までの生意気が嘘のように消沈する弟子に、清流はにやりと笑いかけた。活身丹の副作用など、彼女にはお見通し。

 少々体力に余裕のある彼女は、黄雲の前にしゃがみこんで、背中を差し出した。

 

「乗りなさい」

「い、いやですよ! この年で……」

「じゃあここに置いていくが?」


 師匠がしたり顔で弟子を振り返れば。


「……クソ濁流」


 弟子は渋々、その背中に身を預けるのだった。

 

-----------------------

 

 空の色は茜色。亮州の城壁は、歩を進める度に近づいていく。

 

「それにしても、お前はよく覚えていたな。あんなに幼い時のことを」


 清流は背中の黄雲へ言葉をかける。

 

「無用の用、か。あの日もこんな夕焼けだったな」

「…………」

 

 黄雲は気恥ずかしいのか、少々の沈黙を挟み、師へ応えた。

 

「……あなたの教えの中で唯一、僕を救った言葉ですから」

「はは、そうか……」

「お聞きしますが師匠。あなた火眼が蘇ったと聞いたときから、捨て鉢になっていたでしょう?」

「…………」


 弟子の言葉に、今度は清流が黙している。黄雲の声音には、怒ったような気配がこもっていた。

 黄雲はなんとなく感じていた。鴻鈞道人が火眼金睛の覚醒を告げて以降、刻々と深刻の度合いを増していく師の苦悩を。おそらく死を覚悟していただろうことを。

 そして戦いの最中。彼女が火眼と心中でもしかねない形相だったこと。

 当然、当人ではないから苦悩の詳細など分からない。

 しかし、感じることはできる。ふんわりと、曖昧にだが。

 

「こう付き合いが長いと、なんとなく分かるもんですよ。いまこいつヤケクソだなって」

「ヤケクソか……」

「ええ、ヤケクソもヤケクソ。あなた、自分を捨てようとしてたでしょ。あの自爆の札。そういうのはいただけません」


 親子同然の師弟を、西日が照らす。

 

「『無用の用』と、僕を救った言葉を口にした師匠が、己の命を無用と決めつけ自殺するなんざお笑い種です。ぜひ反省して、今後はもっとしっかりしてください」


 黄雲は諭すような口調で締めくくった。その言葉尻が、少々震えている。

 ぐすっと鼻を鳴らす音が、清流の耳へ届く。

 

「まったく……へらず口ばかり成長してるかと思えば。中身はあのときの泣き虫のままだな」

「う、うるさいバカ! 濁流!」


 ごまかすような罵声。清流は敢えて、それ以上は触れずに歩を進めた。

 きっと、彼女や玄智真人への一見不敬とも取れるあの態度は、彼なりの虚勢だったのだろう。内心不安でいっぱいだったに違いない。

 やがて。

 背で揺られていた黄雲は、いつのまにか寝息を立て。

 清流の衣の、彼のまぶたが触れている部分は少し湿っていた。

 

「やれやれ……」


 子どもはいつのまにか大きくなるものだな。

 

 感慨にふけりながら城門を通り、慣れ親しんだ街を歩き。

 清流の目前に、住まいの道廟が見えてくる。

 ずっと待っていたのだろうか。門前には三人の子ども達。

 そして。

 

「雪蓮……」


 泥だらけで門のあたりに立っている黒髪の少女は、まごうことなき崔雪蓮。目を真っ赤に腫らして、こちらへ手を振っている。

 

「…………」


 思わず清流の歩みが止まる。

 玄智真人にかけてもらった術の影響か、以前ほどに己の内に暗いものが渦巻く感覚はないが。

 少々の不安が、彼女から笑みを消す。

 しかし。

 

「……おっと」


 ずり落ちてきた背中の弟子。

 よいしょ、と彼女はそれを揺すり上げる。幼い頃、そうしたように。そして。

 背中の重みに背を押されたように、彼女は再び歩き出す。

 そして浮かぶ、いつも通りのしたり顔。

 

「清流先生ー!」

「おかえりなさい!」

「すごいよ、白いお猿さんがね! 空からね!」


 駆け寄ってきた三人の子ども達。続いて。

 

「清流先生! あ、あの、おかえりなさい……」


 雪蓮は少し遠慮がちに、少々離れた地点で立ち止まる。

 清流道人はすうっと息を吸い込んで、大股に歩み寄り、彼女の黒髪をしっかり撫でつつ、告げた。

 

「ただいま、雪蓮」


 にっこりと、笑顔で。

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