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17 葛藤

 熱線で身体を灼かれるのは、これで何度目だろう。

 あの憎しみのこもった視線で射抜かれるのは、これで何度目だろう。

 同じ眼を彼に向けたのは、これで……。

 

「死ね! 死んでしまえ!」


 荒い息で火眼金睛は、なおも炎を放射する。

 清流道人の体表は沸騰する水のように、ボコボコと泡立った。鉄をも溶かす高温の中で、道人はかろうじて人の姿を保っている。

 

「…………!」


 再び灼かれた喉は、何の音も発さない。切れかけた腱を氣で無理矢理つなぎとめ、清流は火眼へと距離を詰める。

 彼女は頭に巻いていた白い布をしゅるりとほどいた。布の内側に記された呪符の紋様が、赤く光る。

 

「火眼!」


 やっと復活した声帯が掠れた声を上げ、振り抜かれた布の先端が彼の右前腕を絡め取った。

 

「!」


 そしてたっぷりと送り込まれる水の氣。周囲の炎は勢いを落とし、火眼の右腕は黒い氣に侵されていく。

 

「ぐぅう……!」


 獣のような声で唸りながら、火眼は左手に持っていた棍を振り上げた。狙う先は、自身の右腕の肘。

 鋭い一撃は彼の右肘から先をもぎ取り、白い布はその前腕を掴んだまま地へ垂れ下がる。

 火眼が大きく息を吸い込むと、右肘から下へ炎が巡り、腕は再び蘇った。

 

「…………」


 この応酬を、何度重ねてきただろう。互いに、憎しみのこもった視線で。

 しかし。

 炎の眼に凝縮された憎しみは、一片の衰えも見せないが。

 清流の漆黒の双眸は。いまは迷いに揺れていた。

 

「……どうした」


 火眼が問う。先ほど彼女が弟子と言葉を交わしてから、水の勢いはわずかに減じているようだった。

 

「黄泉路の供をするとかいう世迷言は、どうした」


 その体たらくで、と火眼は氣を練り始める。

 

「…………」


 今はまだ形勢を互角に保っているが、いずれそうでなくなることは、戦っている本人達が一番良く理解している。

 清流の繰り出す一手一手に、迷いが見え始めたのだ。

 どんなに氣を放っても、送っても。相手の命を食いつぶすかのような、当初の勢いは既にない。


 彼女は分からなくなっていた。


 当初は火眼の命に己が命をぶつけて、共に消えて無くなってしまえばいいと思っていた。

 己も火眼も、天の理に反する存在。完全ではないにしても、不老不死の片鱗を持ち、霊薬として不完全な自己存在へ、常に補完を求めている。

 

(喰らいたい)


 東から感じる、あの金氣。霊力に満ち馥郁(ふくいく)と匂い立つ、あの憎くてたまらない金の氣。我が身を天地(あめつち)の道の外へ追いやった、その元凶たる霊薬(エリキサ)

 そう、憎くてたまらないのだ。これが贋作が内に抱える激情。

 真正たる霊薬(エリキサ)が雪蓮の身中に顕現するまで、その憎しみはヒトへ向いていた。霊薬(エリキサ)の素はヒトにある、ゆえにヒトの中にある霊薬(エリキサ)の種を、彼女も彼も憎んでいる。

 清流は四百年前、南の大河に沈められていたところを初代の玄智真人に引き上げられた。そのとき憎しみに任せ、のべられた腕を食いちぎったことを清流は覚えている。同時に、己が人外と成り果ててしまった悲しみも。

 

「おれは霊薬(あれ)が憎くてたまらない」


 目の前の火眼は、炎の眼を東へ向けながら言う。

 

「あれのせいで、人間としての生も、記憶も、ほとんどなくなった」

「…………」


 人の身を捨てた影響か。水火の二人には、人間だった頃の記憶がおぼろげにしか残っていない。その記憶は濁水の中を覗くように不鮮明で、揺らめく炎の形のようにつかみどころがない。思い出そうとすればするほど、ひらりと胡蝶のように記憶は手から逃れていく。

 しかし残酷にも、ヒトだった頃のわずかな感覚が、現在の彼らを否定するのだ。死なず、老いずはヒトではないと。


「同類ならわかるはずだ。おのが内からひびく声が。おれは元々ヒトだったが、いまはただの化け物。天地に存在を許されぬ、あわれな物の怪だと」

「…………」


 そうして化け物としての彼らの存在は、忽然と始まった。

 ただ、彼らを天地の営みからつまはじきにした元凶が霊薬(エリキサ)であるという事実は、不思議にもしっかりと心に刻まれていた。そして。


「霊薬はおれたちからすべてを奪い、すべてを持っている」


 火眼の言葉の意味は、清流も承知している。

 感じるのだ。ヒトの内からわずかに感じる霊薬(エリキサ)の種から、雪蓮の放つ途方も無い金の氣から。

 彼らが失った、『記憶』のにおいを。

 だから憎い、喰らい、取り込みたい。そしてヒトへ回帰したい。

 

「おれは、おれがいったい誰だったのかを知りたい。思い出したい」


 自身の本来の名前すら思い出せない、白髪の少年は棍を清流へ突きつける。いまや彼の呼び名は、異形の眼に由来した『火眼金睛(かがんきんせい)』。

 

「……そして許されたい」


 おのれがこの天地に身を置くことを。

 寄る辺ない二人に共通していたのは、罪悪感。例え自身の意思ではないにしろ、外法にてヒトの身と記憶を捨ててしまった。自然の道理に従わぬものは、自然にとって不要な存在だ。

 真正の霊薬(エリキサ)を取り込めば、何もかも許される確信があった。万物の、天地の祖たる太源の血肉を取り込めば、きっと。

 

「…………」


 清流はなおも分からない。

 自分がどうしたいのか。どうしたかったのか。

 火眼と己を殺すことが、二人のためにも、自然のためにも、人の世のためにも良いはずだった。少なくとも、無垢な少女を喰い殺さずに済む。後始末を師や弟子へ押し付けてしまう形にはなるが。

 その弟子の放った言葉が、彼女の胸中にこだましている。

 

——己が価値を諦めて死ぬことだけは、あなたの弟子であるこの僕が許しません。


 玄智真人に救われて以降の四百年。『戒め』として酒を呑み己が内の激情をごまかして、ぶらぶらと生きていた四百年。己に価値など感じたこともなかった。

 そんな彼女が気まぐれに引き受けた孤児が、弟子として長じ、彼女に価値があるようなこと言う。

 あれで黄雲は賢い方だ。幾分か狡猾の方面に傾いた賢さだが。それも彼女が教育したのではなく、勝手に育ったようなものだ。


(私は見誤っていたな……)


 利に聡い黄雲だからこそ、あの『起爆符』を託した。どういう札か見破られることも折り込み済みだった。彼女の氣を爆散させるその札を、あの局面、あの好機で、そこそこの煩悶の末使ってくれるものと。

 結果。札を破り捨てた上での、あの不敵な笑み。

 

(……いや、見誤ってはいないか)

 

 どうしてわざわざ自爆の起符を弟子に託したのかと言えば、火眼を仕損じたときに備えてと、なんとなくだった。しかしいまは、そのなんとなくの内訳が分かる。

 彼女は心のどこかで、認めてほしかったのかもしれない。

 価値がないと思い続けてきた自分自身を。利に聡い弟子が、利を捨てて認めてくれるのを。

 

(弟子にはむごいことを強いてしまったな……)


 自責の念とともに、ふつふつと別のものがこみあげる。

 

——生きていたい。


 無価値の自分に、価値を見出してくれるものがいるのなら。

 例え己を天地が認めなかろうと、生きる理由にしていいのかもしれない。

 しかし。

 

「死出の旅支度はもういいか」


 状況はそれを許してくれないようだ。

 火眼は再び炎を周囲にたぎらせて、棍を構えている。その氣はこれまで以上に密度を増し、天高くたかぶっている。

 

「黄泉路はひとりで歩むがいい。おれはすべての障害を潰し、殺し、壊し、霊薬を喰らう」


 膨れ上がる氣は、一瞬で清流を蒸発させんばかりに凝縮されている。

 火眼の炎の眼に、変化が起きた。

 瞳孔の内にあった金光が瞳全体を覆い、それに追い出されるように、虹彩をいろどっていた赤が白眼の部分を染め上げる。

 火眼金睛の本領たる姿。渾身の力を開放させんと、周囲をひしめく氣が赤色を帯びる。

 

「終わりだ」


 ごく簡単にそう言って、火眼は氣を爆発させた。

 

-----------------

 

 一方。時間は少し前にさかのぼる。

 

「ちょ、ちょっとやめぬかお前たち! これ!」

「よいではないか、よいではないか!」

「はいはい師爺! やめてほしかったらありったけの術符と丹薬を出しなさい! ほらここに!」

「わ、わかったから……!」


 清流と火眼が水火を交わし合いながら戦っている最中。

 黄雲と巽は、白猿をかつあげしていた。

 地面の上には、玄智が持っていた術符や丹薬がずらりと並べられている。

 

「これで全部です?」

「全部だ!」

「おい、なんかキツネもいるんだけど」


 道術の道具に混じって、三尾の黄色い小狐までまじっている。「きー!」と指先に食いつかれた巽が、「るーるーるー」とぶらぶら手先ごと揺さぶり、意味不明にあやしている。

 

「それより師爺、けっこういいもん持ってんじゃないですか!」


 黄雲は並べられた術符に、にやりと口角を上げる。『縛魂符』や『毒手符』といった、巷ではそうそうお目にかかれないような強力な術符ばかりだからだ。黄雲はその中から適当に何枚か見つくろい、玄智真人へ突きつける。

 

「これとこれとこれと……いただいていきますよ」

「まあ、くれてはやるが……お前さん、それで何をする気だ?」

「決まってます」


 黄雲、続けて不敵に言ってのける。

 

「これで火眼金睛を退治します」

「……気持ちはわかるが、黄雲よ」


 応える玄智の言葉は、たしなめるような口調。

 

「いくら強力な術符といえ、火眼金睛の身体に貼り付けなければ意味がない。あの猛火荒ぶる戦場で、果たしてそれが可能かどうか」

「さっきみたいに、清流先生が火眼をとっ捕まえたときを狙えばいいんじゃねえの?」

「そう何度もホイホイ捕まえられるかばかたれ」


 割って入ってきた巽へ冷たく返して、玄智はため息を吐く。そして白猿は弟子の氣の方向へ視線を巡らした。わずかにだが、彼女の水氣が鈍っている気配がする。

 

「まーったく、師爺も師匠も陰気くさいんですから」

「なんだと?」


 弟子の身を案じていた玄智へ、孫弟子から小馬鹿にしたような一言。むっつり振り返った猿猴へ、黄雲は生意気眉毛に、自信ありげな色を浮かべて口を開いた。

 

「僕に一計があります」

「一計……?」

「して、その前に師爺に一点お伺いしたいことがある」


 黄雲は不意に、眼差しを真剣に細めた。

 

「師匠もですが……火眼金睛のやつも、その……凶暴性を封じた上で、救うことはできますか?」

「おぬし……」

「はぁ!?」


 少年の台詞に瞠目したのは、巽だ。右腕を消し炭にされた黄雲を間近で見ていた彼である。

 

「おまっ、マジかよ! だってさっき腕なくなってたじゃん、あいつのせいで!」

「まあ正直くっそ腹たつけど」

「だろ!?」

「う、腕とは……?」

「ああ、話が長くなるので後で」


 ともかく、と黄雲はコホンと咳払い。

 

「僕としては非常に癪ですが、聞けば彼奴めは好きでああなったわけではないとの(よし)。五百年前のアレな実験の被害者でしょう? うちのクソ同様」

「あ、ああ、まあ……」


 少年の言う「クソ」とは、清流のことだろうか。味わったことのない会話のノリに、真人は戸惑っている。

 

「ならば」


 師爺が困っている様子など意に介した風もなく、黄雲はにやりと笑って言う。

 

「別に死なせることもないんじゃないですか。生きてれば何かの役に立つでしょうし」

「…………」


 少年の笑みに、真人は少し驚いた表情を浮かべている。

 しばし沈黙に浴していたかと思うと、不意に白猿はふっと笑った。

 

「なるほど。お前さんの言いたいことは分かった」

「そいつは重畳」

「結論から言うと、救う(すべ)はある。金氣への欲を封じて凶暴性を封じる術式だ」

「ほう」

「しかし、今の火眼の氣はまだ強大だ。なんとか氣を削ぎ、動きを封じねばならん」

「それは好都合。僕の計は必ずや彼奴めの氣を減じ、身体の自由を奪うことでしょう」


 自信満々に言ってのける黄雲に、真人は真剣な表情。巽は再び小狐に噛まれつつ、「大それたこと言ってんな」と少々他人事である。

 

「ならば作戦をお伝えします」


 黄雲の声は、奇想天外な妙計を語り出す。

 猿とニンジャは身を乗り出して、それに聞き入るのだった。

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