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13 宝剣龍吟

「あちあちあち!!」


 煮あがった川から巽が飛び上がる。亮水へ逃げたはよいものの、超火力の火氣によって川は一時沸騰、水深の浅い所は蒸発していた。

 ばたばたと首元を煽って冷えた空気を衣服へ取り込みながら、巽は雪蓮の隣へ。

 

「やっべえやっべえ! マジ死ぬかと思ったわ!」

「…………」

「……せっちゃん?」


 声を掛けられても雪蓮、ぽかんと口を開けて赤い顔で、目の前の光景を見つめている。

 彼女の視線の先には、黄雲。吹きすさぶ風に、後ろでひとつにまとめた長い茶髪が揺れていた。

 

「……なんだ?」


 いまいち状況の飲み込めないニンジャ、小首を傾げた。

 そんな彼を置き去りに、黄雲と火眼のにらみ合いは続いている。

 川の上流から冷たい水が、再び流れ始めた頃。


「おい巽」


 黄雲はふと、後ろでぼんやりしているニンジャを呼ばわった。「んあ?」と巽は間の抜けた反応。

 

「お嬢さんを連れて、すぐにでも街へ逃げてくれ」

「は? お前は?」

「僕はここでこいつを食い止める」

「お前……正気かよ!」


 あんなのに勝てっこないだろと、巽は食って掛かるが。

 

「いいから早く! 師匠が来るまで持たせるから!」


 黄雲は巽の肩をどついて、雪蓮の方へ押しやった。振り返った表情は、真剣そのもの。

 

「……黄雲くん」


 ふらっと雪蓮が立ち上がる。先ほどまで赤くなっていた顔は、今のやりとりですっかり青ざめてしまった。

 彼女のすがるような視線を振り払うようにして、黄雲は前方、火眼金睛を見据える。

 

「お嬢さん、お早く」

「でも、黄雲くん……!」

「早くしてください!」


 喉から振り絞るような怒号。

 先ほどまでの甘い驚きが、嘘のようだ。土中で優しく氣を吹き込んでくれた彼の唇が、今は死を覚悟したかのような声音を発している。

 雪蓮の目じりに、涙がこみ上げた。


「行こうぜ、せっちゃん」


 巽の呼びかけに力なく頷いて、雪蓮は亮州方面へ足を踏み出した。

 その彼女の背へ。

 

「お嬢さん」


 一言呼びかけて、雪蓮が振り向いたところで黄雲。

 

「紙銭、よろしく頼みましたよ」


 少しはにかんで見せる。

 

「……黄雲くんのばかっ!」


 言葉の真意をくみ取って、雪蓮は目を潤ませながら叫んだ。そのまま巽とともに、東へ。

 

「逃がすか」

「待て!」


 追いすがろうとした火眼の目前に立ちはだかって、黄雲は氣を練り上げる。

 

「ここは死守すると言っただろう!」

「どけ」

「どかん!」


 声高に叫んで、黄雲はにやりと不敵な笑み。

 

「お嬢さんは守り切る。亮州にも手出しはさせん。師匠が来るまでは僕の仕事だ」


 そして。

 

「仕事を果たせば高額報酬だ!」


 いつも通りの守銭奴っぷり生意気っぷりで、黄雲は氣を放った。


 そして再び死闘が始まる。

 黄雲の放出した氣は地面へ染み込み、土の(かいな)を成して火眼を掴まんと襲い掛かった。


「!」


 後ろへ飛び退く火眼だが。その退路、彼の着地点へ巨大な穴が開く。

 

「くっ!」

「落ちろ!」


 深さ何千丈にも及ぶ大穴に落とされ、火眼は暗闇へ真っ逆さま。すかさず黄雲、穴を閉じる。

 しかし。生き埋めになったはずの火眼の氣は、土中を東へと突き進む。

 

「やはり火氣で土を溶かしてやがるな!」


 地中を行く火眼の軌道と思しき跡は、地上を陥没させて雪蓮の氣を追っていた。黄雲は神行符へ氣を込めて、最大出力で先に回る。

 やがて火眼が地上へ近くなったのか。地面のあちこちから溶岩と化した土を噴出させながら、炎が上がった。

 

「おいおい黄雲、全然留めきれてねえじゃねえか!」


 亮州へ急ぎながら、後ろを振り返り巽が叫ぶ。土中から噴き出す火炎は視界の中まだ小さいが、段々とこちらへ近づいてきていた。

 

「ここか!」


 走りながら火氣の中心を突き止めて、黄雲は炎の前に立ちはだかった。間髪入れず、地面から炎熱を散らして火眼金睛が飛び出した。

 火眼へ向かい、黄雲は北斗の形に七歩踏む。

 

「障壁よ!」


 振りかざした木剣の先に、透明な壁の如き結界が出現し、まき散らされる火炎を弾き返す。

 障壁は火眼が回り込めぬよう、地面と垂直に広い面積・距離を塞ぐが。

 

「こざかしいまねを!」


 火眼は黄雲の目の前に陣取り、朱塗りの棍で正面から結界を叩きつけた。

 ビリ、と振動が木剣を通じて黄雲へ伝わる。結界越しの熱気に、茶髪の下を汗が流れた。

 

(なんて力だ! このままでは……!)


 少しでも足止めをしようと、結界の維持に氣を張るものの。

 火眼が棍を打ち付ける度に、宙に白い線が浮き出るようにして、結界へヒビが入る。十数回打ち付けられて、ついに限界を迎えた。

 玻璃(はり)が割れるように、北斗の障壁は砕け散る。

 

「くそぉ!」

「邪魔だ!」

「なんの!」


 間断なく氣を練り、黄雲は迫る火眼との間に土の壁を作り上げた。火眼はその土壁を燃やそうと手のひらをこちらへ向ける。その隙に、黄雲は後退りつつさらに幾層もの土壁を練り上げた。

 しかしこの土壁も、障害物としてはほとんど役に立たない。せっかく作り上げた何重もの土壁が、火炎放射によって一瞬で貫通する。

 だが、火炎の行き先に黄雲の姿は無く。

 

「喰らええ!」

「!?」


 土中から穴を掘って現れた彼は、火眼の足を掴み、己の身と入れ替えるようにして物の怪を地中へ叩き込んだ。

 その穴の奥からごうごうと迫る音。

 

「水……!」


 火眼が壁を壊している間に、亮水の流れを引き入れるために作った穴だ。黄雲は穴の入口を閉じ、火眼の退路を断つ。

 

「はぁっ、はぁっ……!」


 息を荒げながら、黄雲は氣を操り続けていた。脇に見える亮水へ氣を遣りつつ、火眼が抗えぬよう、土氣の締め付けもきつくした。地面は湿っているのに、土は岩のように硬く火の物の怪を抑え込んでいる。

 しかし。道士として若輩者の黄雲が、五百年物の大妖怪に敵うはずもなく。

 

「くそぉっ……!」


 硬くした地面をバキバキと棍で破りながら、泥水にまみれて火眼は姿を現した。

 土氣と水氣を同時に操作していた黄雲は、疲労のあまり隙だらけ。火眼は飛び上がりざま、棍を振るう。

 

「ぐぅっ!?」


 朱塗りの棍は容赦なく黄雲の腹を薙ぎ払った。

 幸い、水氣に当てられて熱は孕んでおらず。それはただ単純な打撃だった。

 しかしその一撃の威力は凄まじく。

 黄雲は弾き飛ばされるように、数丈先の地面へ無様に転がった。

 

「あ、あぐ……」


 腹部に激痛がわだかまり、たまらず少年は胃液を吐く。

 そんな彼を尻目に、火眼は速度を上げて東進した。炎の化身は神速で、真っ直ぐ雪蓮の氣を追う。

 

「い、行かせるか……!」


 口中で辛酸を味わいながら、黄雲は再び土中へ身を沈めた。尽きかけた氣を振り絞って、向かう先は。

 

「お、おおい黄雲!」


 一方。亮州指して全力疾走の巽と雪蓮は、後ろへ追いついてきた熱気に気を焦らせている。

 

「どうして! 黄雲くん! 黄雲くんは!」


 炎の化け物がここまで追いついたということは。嫌な予感に、雪蓮は走りつつ少年の名を叫ぶ。

 

「や、やっべえな……もうすぐ後ろかよ!」


 一気に距離を詰めてきた火眼金睛に、巽も木氣を込める。

 

「おらおらこけろこけろ!」


 地面にぽこりと、植物の根。ちょうど後方の火眼の足元へ伸びたそれ。うまくいけば転ばせられる。

 ところが。火眼は見事足を引っかけたものの、一瞬で根を灰にしてしまった。障害物など無かったかのように、火眼は走り続ける。

 

「ちぇっ! あーマジかよー!」


 盛大に嘆息して、巽は雪蓮へ告げる。

 

「せっちゃん、わりい! 先行っててくれ!」

「巽さん!?」


 巽は立ち止まり、今度は大きく氣を練った。

 

「その辺の草木よ! 俺に力を!」


 その辺の草木は彼に応じるかのように、瞬時に成長を遂げ、再び周辺一帯を緑に包む。

 再び現れた森。そこへ突っ込んできた火眼の胴を、四方に生えていた太い蔦が絡め捕ろうと迫る。

 

「止まれええええ!!」


 蔦だけではなく、森中の植物を総動員して、巽は火眼の足を止めようとするが。

 

「邪魔」


 水氣を払い、再び火の氣を充満させた棍の一振り。

 迫る植物は一瞬で焼き払われ。

 

「んなっ!」


 火眼の正面で構えていた巽へ、振りかぶった棍が迫る。

 

「ちっ!」


 すんでのところで避けた巽だが、火眼は彼の脇をすり抜け、東へ一直線。

 火眼は脇目も振らずに雪蓮へ。

 

「ちくしょう! せっちゃん!」


 巽も必死に追いすがるが、火眼は今にも雪蓮の背へ追いつきそうだ。

 

「はぁっ、はぁっ……!」


 駆け足の令嬢は、自身のすぐ背後に迫る熱気に唇を噛みしめた。

 逃げるだけで、守ってもらうだけで。己の無力さがこんなにも恨めしく呪わしいとは。

 武術の腕を磨いたとて、この火の大妖になすすべもない。

 

「ここまでだ」


 声を張らずとも聞こえる距離に、火眼金睛は迫っている。

 雪蓮は走るのをやめない。自分のために、死力を尽くしてくれている二人のためにも。

 

「あきらめが悪いな」


 少女を追いつつ、火眼は無表情で棍を振りかざした。殴打を加えて止める気だ。

 火眼は何の感慨も無さそうな顔色で、棍を雪蓮めがけて振り下ろした。

 

「!!」

「やめろ!」


 棍が風を切る音に、思わず少女は目をつむった。つむった瞬間に響く、よく聞き知った声。

 地面の下から現れた、その声の主は。

 

「黄雲くん……!」

「く、くそ……!」


 開いた目、視界前方に立ちはだかり、右手で火眼の棍を掴んで止めているのは。

 誰あろう、まごうことなき黄雲少年だ。何とか地中を進み、雪蓮の元へ馳せ参じることができたのだ。

 しかし、棍を掴んだ彼の手からは煙が上がっている。焼かれているのだ。棍を覆う、火眼の氣に。

 

「や、やめて! 離して黄雲くん!」

「は、離せるもんですか……!」


 火氣のみなぎる高温の鉄棒を掴み、黄雲は苦悶の表情を浮かべている。

 再びの妨害に、火眼は目を細めて口を開いた。

 

「そこをどけ」

「……やなこった」

「どけ。その女のはらわたに用がある」

「なおさらいやだね……!」

「……往生際の悪いやつめ」


 炎の瞳は冷めた色を浮かべて、黄雲を見据えた。火眼の腕に、さらなる火氣が充溢(じゅういつ)する。

 

「うああっ!!」

「黄雲くん!!」


 棍を掴んだ黄雲の右手が、炎に包まれる。皮膚は黒ずみ、浅黄色の袖は焼け。

 瞬く間に、右腕が炭と化した。

 

「ふん」


 火眼が軽く棍を動かしただけで。

 黄雲の右腕は黒い粉となり、あっけなく霧散する。

 右腕を失った黄雲。声にならない叫びとともに、地面へ左半身を押し付けるように倒れ込み、のた打ち回る。

 

「いやああああっ!」


 雪蓮は顔を覆い、その場へへたり込む。そのすぐ先で、黄雲は唇を噛みしめながら、黒く炭化した肩口を抑えてうずくまった。

 

「ぐああ! ううっ……!」

「終わりだな」


 火眼は棍の先を、足元の黄雲の頭へ向ける。ちりちりと火花を散らし、棍に火の氣が込められた。

 

「……いや」


 少女の声。

 雪蓮は顔を覆ったまま、肩を震わせている。

 

「こんなの、いや」


 声を発するごとに。ビリ、と周囲の空気が歪む気配。

 急に気温が冷えたような。怜悧なものが場を包んでいるような。

 

「これは……」


 異変に、火眼は炎の眼で辺りを見回す。青い空に、見る間に暗雲が立ち込めた。

 雪蓮はゆっくりと立ち上がった。

 一歩一歩、踏みしめるように前へ。黄雲の元へ。そして、彼を守るように立ちはだかる。

 

「お、お嬢さん……?」


 蒼白な顔で黄雲は少女を見上げた。

 顔立ちこそいつもの雪蓮だったが、その怒りに満ちた瞳、纏う雰囲気は。

 

「……なけ……」


 低く落とした声で、彼女がつぶやく。途端に黄雲は痛みも忘れて、ぞくりと背筋を震わせた。

 周囲に立ち込めるのは、金の氣。今まで発したものよりも、何倍も何倍も濃密な、数千本の霊剣が密集したかのような氣だ。

 

(いなな)け……」


 段々と、雪蓮の声は明瞭になっていく。それとともに。

 

「な、なんだ!?」


 周囲の地面から、まるで黒い若草が生えるように。黒くもやもやとしたものが芽吹き始める。

 

「こ、これは……!」

「砂鉄……!?」


 黒い萌芽は互いに結びつきあい、水銀のような銀色の水滴となって地面に這いつくばった。

 銀色のしずくは集い、這いずり、金氣の中心である雪蓮へと殺到する。

 そして。

 彼女の掌中に集まった銀色は鉄塊となり、一振りの美しい宝剣を形作った。

 

「嘶け!」


 宝剣を振りかざし、雪蓮は叫ぶ。

 

龍吟(りゅうぎん)!」


 フィン、と竜の嘶きのような刃の振動。高く澄んだ音を響かせて、雪蓮は頭上高く宝剣・龍吟を掲げた。

 

「お嬢さん……?」


 黄雲は這いつくばりながら、宝剣を見上げている。あまりにも清浄すぎる刀身のきらめきは、目が焼けてしまいそうだ。

 

霊薬(エリキサ)……」


 舌なめずりするように、火眼がつぶやいた。

 

「火眼金睛よ!」


 怒気に満ちた声音で、雪蓮は宝剣の切っ先を火眼へ向ける。

 放たれた声は、雪蓮の声であって、雪蓮の声ではない。

 

「聞け! いまに貴様の喉を()(さば)いてくれる!」


 別人のように寒々しい怒声が、響き渡った。

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