表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/147

7 お兄ちゃんは心配性?

「はぁ……」


 黄昏の知府邸門前で、黄雲と雪蓮は同時にため息を吐いた。

 今日一日であまりにも色々と起こりすぎたのだ。心身に疲労を感じながら、少年少女は帰路へ一歩を踏み出す。

 ちなみに清流道人は、まだ知府夫妻と話し合いを続けている。遅くなるから先に帰れとのお達しだ。

 

「おい! 待て、ちょっと待て!」


 南方向目指して歩き始めていた二人を、呼び止める声。

 振り返った先、屋敷の方から走り寄ってくる人影は。

 

「お兄さま!」

「はぁっ、はぁっ……」


 屋敷から大して離れていないのに息を荒げるその人物は、崔家長男・(さい)子堅(しけん)だ。

 子堅、ぜえはあと大げさに呼吸をして、雪蓮の肩をがっしり掴む。

 

「き、聞いたぞ雪蓮……お前、とんでもない化け物に狙われたそうだな……!」

「え、ええ。そのようです……」

「そのようですとは何だ! 緊張感が足りんぞ我が妹よ!」

「ええと……」


 突然現れ突然呼び止め、突然のこの剣幕。

 崔家の長男は何かひとり勝手に盛り上がっていて、雪蓮は肩を掴まれぐらんぐらんと揺さぶられている。それを早く帰りたげな黄雲の視線がじとりと見ていた。

 

「おい、そこの!」

「僕のことです?」

「おい、雪蓮は助かるんだろうな!?」


 子堅は黄雲に対してもつっけんどんである。

 黄雲も黄雲で、いつも雪蓮へ向けるが如くの冷たい目線。


「知りませんよ。僕だってその火眼なんたらとかいう化け物、今日初めて知ったんですから」

「し、知らんだと……!?」


 黄雲の返答に、子堅の顔色は黄昏の中でも分かるほど、血の気をみなぎらせる。

 子堅、激昂。

 

「ばっ、馬鹿者! お前は我が父に雇われたのではないのか! それを無責任に分からんなどとはっ!」

「この間『こんな奴らに任せるとは崔家の名折れ』と仰られたのはどこのどなたでしたかねぇ」


 口角泡を飛ばす子堅に、黄雲も不遜な表情と物言いで応じている。成り行きに、雪蓮は当然慌てふためくしかない。

 

「お、お兄さまに黄雲くん! こんなところでケンカは……」

「黙ってなさい雪蓮! 前から私はこいつが気に入らなかったんだ!」

「へーへー、それはそれは光栄ですな。お気に召していただかなくて大変結構」

「ほらこういう物言いだ! いいか雪蓮、こんなやつと一緒にいると性根が曲がってしまう。帰るならあの仙女の如き女性(にょしょう)と一緒に帰りなさい!」

「せ、清流先生は……その……」


 子堅は悪気など無かったに違いない。ただ気になる女性をそれとなく話題に上らせただけのこと。

 しかし雪蓮が思い起こしたのは、江天山と一戦交えた後の清流だった。雪蓮を寄せ付けぬ、あの(いばら)のような言葉と空気。

 少女の顔に暗澹とした影が差したその時。「はいはい」と呆れた調子の黄雲が、兄妹の間へ割って入った。

 

「子堅殿が妹君を心配なされていることは、よーっく分かりました!」

「そうだ! 我が妹を心配して何が悪い!」

「それから我が師に懸想されてることも」

「あばばば……! な、なにを仰るクソ道士!?」


 黄雲の指摘に、子堅、途端にしどろもどろ。その挙措はなんとも初心(うぶ)というか……端的に言って童貞くさい。

 巽とは別方向に面倒臭いやつ、と心中で腐しながら、黄雲は良家の跡取り息子へしっしっと追い払う仕草。

 

「はいはい、そろそろ僕ら帰りますんで。師匠ならしばらくお屋敷にいるそうなんで、まあ頑張ってください」

「き、貴様……!」


 生意気道士の適当にも程がある激励を受けて、子堅はさらに怒気を顔へ上らせている。と思われたが。

 

「ふ、ふん! 私は屋敷へ戻るが! あくまで勉学の続きをするためで、決して貴様のお師匠殿を覗き見るつもりはないぞ! いいか、一切無いんだからな!」


 精一杯の言い訳を、紅潮した頰で。

 必死の彼を見つめる二人分の眼差しは、白けている。

 

「せ、雪蓮! 兄はお前の無事を祈っているぞ! では!」

「は、はい……」


 最後にとってつけたように妹へ一言付け加えて、子堅の姿は屋敷の門の奥へ消えていった。一部始終を見ていた門番の下男は、口を押さえて笑いをこらえている。

 

「……相変わらず愉快な兄上で」

「あの、一度ならずごめんなさい……」


 今日は色々あったはずなのに。

 なんとも滑稽味のある空気に取り残されて、疲労感倍増しの二人だった。

 歩き出す歩幅も、どこか疲れている。

 

「ところでお嬢さん」


 やっとこさ帰路を再開した黄雲は、歩きながら口を開いた。こちらを振り向く雪蓮の表情は、疲労の色に加え、憂鬱の気配。

 

「その……師匠のことですけど」

「あ……」


 先ほど子堅が清流の話題を切り出してから、彼女の表情は暗い。黄昏が暗さを増す中でもはっきり分かる。

 

「えーと……最近様子がおかしくて、あなたに対して、少々険のある態度に思えるかもしれませんけど」

「う、うん」


 黄雲を見つめる雪蓮の瞳は、真剣だ。

 黄雲も言い澱みながら、慎重に言葉を選ぶ。

 

「あれは、その……お嬢さんのためを思ってというか、自分を律しているがゆえの態度と言いますか……」


 これがなかなか難しい。

 師匠の事情をぼかしつつ、本心が伝わるように。この塩梅の調整に苦心した挙句、結局彼は説明を投げた。

 

「ともかく! 信じてくれ、だそうです」

「信じて……」


 黄雲は師匠の言葉そのままを、雪蓮へ届けるのだった。これで伝言料分の働きはしたぞと、ふんぞり返る少年の目の前で。

 

「そっか……」


 雪蓮の表情と声色は、ひとまず納得したようだ。

 

「信じて、ということなら……私が嫌われてたわけではないのかしら?」

「なんです、嫌われたとでも思ってたんですか?」


 黄雲は意地悪な顔で一笑に付して、歩みを早める。

 

「嫌われた方がまだマシかもしれませんよ」

「ちょっと、それってどういう意味?」

「さあ」


 はぐらかし、彼は雪蓮の前方に位置どりを保ったまま歩き続ける。彼女から表情を、隠すように。

 待ってよ、と追いすがる少女の声。構わず進む黄雲の眉間は、険しくしわを寄せている。

 思い起こすのは、鴻鈞道人と名乗った男の言葉と、先の清流との会話。

 

——清流道人。火眼金睛の、同類。


 それが意味するところは。

 

(師匠も実験台だ。五百年前の)


 その考えは少年の中で、確信に変わっていた。

 

(火眼金睛がお嬢さんを喰らおうと欲するということは)


 同類たる清流にも、同じ欲があるはずだ。

 霊薬の宿主・崔雪蓮を喰らおうとする欲求が——。

 

(師匠……)


 いま彼女は、必死で己の中の欲を抑え付けているのだろう。その結果があの刺々しさと、蒼白な顔面。

 

(参ったな)


 のんきに金だの銭だの言ってられない事態である。

 改めてとんでもないことに巻き込まれたものだと、黄雲は嘆息するのだった。

 

------------------

 

 清流堂へ帰った後にも、難事は待ち構えていた。

 

「えーー!? なに、俺もその変なのと戦えって!?」


 巽である。

 この男は黄雲達の波乱万丈たる一日などつゆ知らず、今日も今日とて街の女性に破廉恥を仕掛けていたらしい。黒ずくめがさらに黒々と焦げている。

 

「いやさぁ、いくら清流先生のお願いでもよ。なんかその凄そうな物の怪と戦えってのは御免だぜ」


 巽は食卓でふんぞり返って断固拒否の構えである。

 清流はまだ帰宅しておらず、黄雲と雪蓮は困り顔で卓を囲んでいた。

 雪蓮、自分の身を守るためとはいえ、四方百里を焼き尽くすような化け物と戦ってほしいなどとは、とてもじゃないが言えるわけがない。二人とも巽の気持ちはよく分かるのだ。

 

「でもな、巽」


 黄雲は珍しく真面目な面持ちで諭す。

 

「このまま手をこまねいていたら、このお嬢さんは化け物に喰われる。街にも被害があるかもしれないんだぞ。お前の大好きな女どもだって、大勢死ぬかもしれない」

「そ、それは……。でも、俺だって自分の命が惜しいし! 他人がどうなろうと俺が助かればそれでいいし!」

「ちっ……」


 良心に訴えかける作戦は失敗である。そもそもこの阿呆に良心の存在を期待する方がバカだったのだ。

 巽を動かすにはあれしかない。

 

「じゃあ巽」

「んだよ。何言っても無駄だぜ」


 すっかりヘソを曲げているニンジャへ、黄雲はニヤリと口角を上げて見せる。

 

「師匠を一日好きにしていい権利」


 ガタタッ。

 巽は椅子を蹴り倒しながら、勢い良く黄雲の前に跪き、(こうべ)を垂れる。土下座である。

 

「僕から師匠に口添えして頼んでやろう。なに、あのクソアマは羞恥心なぞ一片もないただの痴女、多分普通に脱ぐ」

「黄雲さま! 何卒! 何卒お口添えを!」


 黄雲は知っている。ここ数日、巽が破廉恥に興じようとして、雷に打たれ続けていることを。結局スケベな事が何一つできていないということを。そして欲求不満に陥っていることを。

 案の定この単純スケベは二つ返事で話に乗った。「とっとと倒しに行こうぜ!」と途端に乗り気である。

 しかし、話の流れにむくれている世間知らずがここに一人。

 雪蓮は破廉恥な話の成り行きに、おかんむりである。

 

「ちょっと黄雲くん! ご本人のいないところで、そんないやらしい提案を……!」

「いいじゃないですか。大丈夫大丈夫、師匠なら笑って許してくれます」

「もうっ!」


 ぷくっと頰を膨らませて、雪蓮はそっぽを向いた。

 と、そこへ。

 

「ねえ、哥哥(がーが)……」

「お前たち」


 部屋の戸口からひょっこり顔を出したのは、逍、遥、遊の三人組だ。子供たちは寝間着姿で、眠い目こすりつつこちらを見ている。

 

「明日から哥哥と先生いなくなっちゃうって本当?」

「ぼくらのごはんはー?」

「なんだい、飯の心配かよ」


 黄雲は言いながら席を立ち、子供たちの前にしゃがみこんだ。

 

「食事なら、知府のお屋敷から来るお手伝いさんが作ってくれるそうだ。僕と師匠は、いつ帰れるか分からない」

「子供たちよ、俺もしばしここを空けるぜ。寂しいだろ」

「いや全然」

「清々するわクソ野郎ども」


 子供たちの返答に可愛げは(ごう)も無い。


「せっちゃんも行くの?」

「いいえ、私はここでお留守番」

「わあい!」

「よかったぁ!」

「その態度の違いは何なんだガキどもよ……」


 対応の違いに、黄雲と巽は少し肩を落とした。まあ確かに、普段叱ってばかりの黄雲や破廉恥三昧の巽に比べれば、よく遊んでくれる雪蓮の方が居心地がいいのだろう。

 そんな子供たちにため息を吐きつつも、黄雲は年長者として、留守中の心得を言い含めねばならない。

 

「いいか。僕らの留守中、お嬢さんはともかく、お手伝いの人やじいさんの言うことをよく聞かなきゃだめだぞ」

「はーい」

「? 黄雲くん、じいさんって?」


 雪蓮が思わず問いを挟んだ。

 突然話の中に現れた、「じいさん」なる人物に、巽も三白眼へ不思議そうな色を浮かべている。

 

「ああ、二人とも知らなかったっけ」


 そうだそうだと、今思い出した風の訳知り顔で、黄雲は頷いて見せる。

 

「まあ、明日になれば分かりますよ」


 少年はもはや説明も面倒とばかりに、伸びとあくびをしながら部屋を出て行く。後には三人の子供たちも「ねむー」「寝よ寝よ」と続く。

 

「……どういうこと?」

「さあ……」


 食卓に残された二人は、顔を見合わせるのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ