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4 天山、語る

「師匠?」

「清流先生?」


 突然現れた清流。いまだ折り重なって倒れたままの黄雲と雪蓮は、前方の二人のやりとりをきょとんと見つめている。

 

「雪蓮! 天山(てんざん)さま!」


 そして勾欄(こうらん)の方からこちらへ早足でやってくるのは、知府夫人と取り巻きの侍女たちだ。

 慌てて駆けつけた夫人が見たものは、上下に重なって地に伏せている、愛娘といけ好かない生意気道士の姿だった。

 

「せっ、雪蓮! あなた何を……!?」

「あっ、お母さま!」


 母に気付いた雪蓮が次に自覚したのは、自らの体勢だ。「あらやだ」と気付いた時にはもう遅い。

 

「ああっ」

「お、奥方さまっ!」


 品の良い仕草で夫人、卒倒する。侍女たちはとっさに彼女の身体を支え、雪蓮はあたふたと慌てるあまり、黄雲の足を踏みながら立ち上がった。

 

「や、やだ私ったらどうしましょう!」

「ちょ、ちょっと痛いんですけど!?」


 やっと背中から重みが無くなり、黄雲も踏まれた部分をさすりながら立ち上がる。

 そんな弟子へ、師は前方を見据えたまま語りかけた。

 

「黄雲。雪蓮を連れて下がっていなさい。ご夫人方にも危害が及ばぬよう、お守りして差し上げよ」

「はいはい」


 正直師匠が間に入ってくれて、助かったと思う黄雲だ。指示に従って雪蓮を連れ、夫人や侍女達がいる辺りまで下がる。

 夫人はよほど衝撃の度合いがひどかったのか、そのまま気を失っていた。雪蓮は母の有様を見るなり「お母さま!」と慌てふためき、侍女たちも主人の介抱で手一杯。

 誰も黄雲を咎める余裕が無いので、彼としては大変有り難い成り行きだ。このままずっと気絶していてくれと思う黄雲である。

 

「なんだなんだ?」

「路上で演劇か?」


 そして、先ほどから派手に役者や道士が立ち回っているせいか、周囲には野次馬が(たか)りつつあった。

 

「…………」


 そんな中、江天山(こうてんざん)は穏やかな微笑みを浮かべたまま、先ほどから黙している。対峙する清流、落ち着いた笑みで口を開いた。

 

「質問に答える気はない、ということで間違いないようだな」

「ええ。好きな花や鳥の種類くらいならばお答えいたしますが」

「ほざけ」


 清流は笑みのまま、強い口調。

 

「貴様はこれを知っているはずだ」


 衣から取り出したのは、白い呪符。崔家邸宅で見つかった、あの呪符だ。

 それを目にしてもなお、江天山の微笑みは揺るぎない。

 軽く、はぐらかすような口調で、短い言葉が清流へ返る。

 

「さあて」


 是とも非ともつかぬ返答に、清流は後ろの弟子を呼ぶ。


「黄雲」

「えっ、僕?」

「ご夫人の気付けを」

「ええ……?」


 師匠の命令に、弟子は不満げに眉尻を下げた。せっかく咎め立てる者のいない、短いながらも安息のひと時を得たというのに。寝た鬼を起こす真似をしろなどとは。

 

「はーい、ちょっと下がって下がって」


 明らかにやる気の欠けた声で侍女をかき分け、黄雲は夫人の近くにしゃがみこむ。そばで母を支えている雪蓮へ一言。

 

「お嬢さん、ちょっとそのまま支えといてください」

「え? ええ」


 黄雲は夫人の腹部、ぎりぎり猥褻にならない場所に手のひらを当てて、「むっ」と氣を放つ。途端に夫人はぱちりと目を覚ました。

 黄雲が慌てて手を引っ込めると。

 

「あ、あら私……」


 やっと意識のはっきりしてきた夫人が起き上がる。

 やれやれ、と黄雲は立ち上がり、師匠の方を見た。指示は果たしましたよ、と視線を飛ばすと。

 

「黄雲、これを夫人へ」


 師はこちらを見ずに、後ろ手に何かをこちらへ放って寄こす。投げられたのは先ほどの呪符だが、それは紙を飛ばしたとは思えぬ真っ直ぐな軌道を電光石火の速度で辿り、パシンと黄雲の手の中に収まった。

 黄雲は受け取ったそれに禍々しいものを感じ、なんだこりゃと顔をしかめつつも、それを夫人へ差し出して見せる。

 

「あの……お目覚めのところ失礼しますが、うちの師匠がこれをと」

「これは……」


 黄雲からそれを受け取って、夫人は呪符をまじまじと見つめる。

 そして彼女の顔に浮かんだのは、懐かしいものに再会した、喜びの笑顔。

 

「あらぁ、懐かしい。雪蓮が生まれた折り、天山さまに頂いた健康祈願のお札だわ」


 その節はどうも、と夫人、少々お気楽な声を天山に向けて放った。

 その言葉に、清流の眉間が険しく狭まる。

 

「……聞いたか? いまの呪符を崔家へもたらしたのは、やはりお前だな」

「ふっ……」

 

 江天山は笑みを崩さず、悪びれもせずに鼻を鳴らして見せた。

 

「いやはや、見た目にそぐわず真面目なお方だ。きちんと順を追って私を追い詰めようなどとは」

「なに?」

「順序などかなぐり捨てて、さっさと私を糾弾すればよいのです。私は議論に時間をかけるのは嫌いでして」


 天山が言うことはつまり、言いたいことがあるなら早く言え、ということだ。言葉だけ捉えれば結論を急いでいるように見える。が、彼の表情は静かで、口調も穏やか。花鳥風月を語るような優美さで、彼は清流へ続ける。

 

「要は、私がそこな雪蓮殿を、太源が血肉の容れ物にした、ということでしょう」

「貴様……」


 あまりにもあっけなくそう述べる天山に、清流の拳がぎり、と強く握りしめられる。指の色が、いっそう白くなるほどに。

 天山はさらに言葉を紡ぐ。

 

「認めましょう。十三年前、件の呪符を夫人へ渡したのはこの私。生まれたばかりの崔家の娘を、供物とするために」

「お待ちくださいまし!」


 美形の役者の独白に、待ったをかけたのは知府夫人。片手に呪符を握ったまま、わなわなと肩を震わせている。

 

「容れ物とは、供物とはなんのことです! あなたは十三年前、これをくださったとき……幼子の健康祈願の護符であると……!」

「ご夫人、良いことを教えて差し上げましょう」


 天山は余裕を崩さずに、柔らかい仕草で語りかけた。

 

「人を簡単に信じてはなりません。私は見事な巧言令色でしたでしょう?」


 あなたが世間知らずの都育ちで助かりましたと、ここで初めて彼は声を放って笑い始めた。夫人はその笑声の中、肩を落とす。

 彼女には何も分からない。ただ天山に裏切られたことと、生まれたばかりだった娘を、途轍もないことに巻き込んでしまったということ以外。。

 美形の役者は笑い声をおさめ、再び言葉を続ける。

 

「さあ、あなた達へお話できるのはここまでです。清流道人、私は私の話したいことだけ話し、あなたの質問は受け付けない。なんとも傲慢ですが、ご容赦を」

「容赦などできるかっ!」


 怒声とともに、裂帛の氣が清流より放たれる。

 

「師匠……」


 黄雲ですら聞いたことのない、強い怒りに満ちた声。清流の頭を覆う白い布と黒髪がはためき、波濤のような激しい氣が辺りに満ちる。

 

「貴様が何者か! 何の目的で何故(なにゆえ)無垢な娘に斯様(かよう)な仕打ちを為したか! 全て苦悶とともに吐き出させて見せよう!」


 そう言って振りかざした瓢箪(ひょうたん)から、酒の雫がほとばしる。が、瓢箪の口から地へこぼれるかと思われた液体は、瞬く間に刀身の形を成し、一振りの水の(つるぎ)となった。

 道人は瓢箪の柄から伸びる酒水の剣を、天山めがけて振るう。

 

「ふむ」


 天山、一歩だけ後ろへ退がりそれを避けるが。清流は間髪入れず刀身を返し、二の太刀を繰り出す。しかし。

 

「くっ!」

「ふふっ……」


 剣先は彼の髪にすらかからず。

 その後も清流の剣は鋭く天山を追うのだが。

 天山は、繰り出される剣撃を、全て寸前で難なくかわす。

 決して清流の太刀筋は鈍くない。そこらの武芸者ならば泣いて逃げるくらいには腕がある。しかし、この謎の美形の身のこなしは、それを軽々と上回った。

 

「もう、そろそろ終わりにしましょう」

「なっ!」


 振り下ろされた酒水の剣を二本の指だけで止めて、天山は息も切らさず余裕綽々だ。

 驚く清流の視線の先で、剣はただの酒の雫に戻り、地面へしみていった。途端に、清流が纏っていた氣が少し弱くなる。

 

「私はあなたの質問には答えない。ただ、聞かれていないことを気まぐれに、今からお伝えしましょう」

「貴様……」


 氣を練り直している清流の目の前で、天山は翡翠の眼を細めて見せる。

 

紅火山(こうかざん)火眼金睛(かがんきんせい)、といえばお分かりでしょうか」

「!」

「驚愕ごもっとも。あなたの同類でしたね」


 見開かれた清流の黒い瞳に、より強く怒りの感情が宿る。見つめる翡翠色は、どこか愉快そうだ。

 

「彼が目を覚ましました。そこの娘の氣に感じて。ま、私もお目覚めを少し手助けしましたが」

「貴様……一体……」

「さあて。まあ、せいぜいご用心を。贋作殿」


 天山はくるりと背を向け、清流の前から悠然と歩いて去っていく。

 

「ま、待て!」

「あ、そうそう」


 黄雲や雪蓮、夫人たちの脇を通りつつ、天山は微笑しつつ言った。

 

「江天山、という名はここに棄てて行きます。今後もし顔を合わせることがありましたなら、こうお呼びください」


——鴻鈞道人(こうきんどうじん)、と。

 

「はぁッ!」


 再び練り上げられた氣が酒水の刀身となり、金髪の役者を斬りつけるが。既に彼の姿はなく、後には水剣を振り下ろした体制のまま、息を荒げている清流道人の姿のみ。

 まるで風のように、美貌の役者はふわりと姿を消した。

 

「逃したか……」

 

 酒水を瓢箪へ戻し、清流はふらりと立ち上がった。その表情には、いまだに怒気がこびりついている。

 周囲の野次馬はよく分からないながらも、大立ち回りにやんやと歓声を投げつけて、徐々に周囲へ散っていった。

 知府夫人はずっと肩を落としていて、侍女たちはそんな彼女を気遣い、黄雲と雪蓮はこの顛末にぽかんとしている。

 

「一体何なんだ……?」

「さっぱり何とも……」


 その二人が見ている目の前で、清流道人がふらっとよろける。いつもの千鳥足とは違う種類のふらつきに、雪蓮は「あぶないっ」ととっさに一歩踏み出した。

 

「寄るな!」

「えっ?」


 そんな彼女を、清流は険しい声音で制す。何とか両手で膝を支えて踏みとどまりつつ、道人は雪蓮へ告げた。

 

「頼む……近寄らないでくれ。お前の氣は私に(さわ)る……」


 弱々しい声だった。が、寄せ付けぬような棘がある。

「そんな……」と清流の言葉に胸を痛める雪蓮だったが、道人の放つ近寄りがたい雰囲気に、雪蓮もそれ以上の言葉が見つからない。


「黄雲」

「はい」


 清流は弟子を呼ぶ。黄雲は初めて見る師匠の様子に、内心はさておいて、表面上は落ち着いた対応だ。

 

「今から知府邸へ向かう。先にご夫人や雪蓮と行って、待っていてくれ。私は後から行く」

「へいへい」


 指示を聞くなり、黄雲は「行きますよ」と雪蓮を急かした。夫人を取り囲んでいる侍女たちにも声をかけ、さっさと街の北へ向かい、歩き始める。

 

「…………」


 雪蓮はさっさと歩く黄雲に急かされつつ、ちらりと清流を振り返った。今にも倒れそうなほど、疲労の色濃い背中。

 本当は行って支えたいと思うのだが、先の言葉。

 雪蓮を拒絶するような、弱々しくも(いばら)のような言葉。

 

「師匠なら大丈夫ですよ」


 雪蓮の心中が通じたかのように、前を歩く黄雲が口を開いた。

 

「大丈夫です、きっと……」


 訥々(とつとつ)ととつぶやくその言葉は、自分に語りかけるようでもあった。

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