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3 役者

 亮州の街の東側に広がる繁華街。

 茶楼や飯店、居酒屋や妓楼が軒を連ねるこの界隈に、最近できたばかりの勾欄(こうらん)がある。

 元々流れの劇団だった一座が、この亮州に腰を据え、一年ほど前から興行をしている。

 この一座、特に女性に非常な人気を博している。それというのも。

 

天山(てんざん)さまー!」

(こう)さまがこちらを見たわー!」

「きゃあああ!」


 看板役者・江天山(こうてんざん)の、麗しい容貌と名演技の賜物である。

 欄干に囲まれた舞台の上で終幕の挨拶を行う彼へ、黄色い声援が降り注いでいる。

 

「素敵……」


 今しもこのお気楽娘・崔雪蓮も、最後列の席からうっとりと、熱視線を彼へ送っていた。隣では歓声に午睡を妨害された黄雲が、目をこすりつつ眠りから覚めるところ。

 

「ふぁあ……。あれ、終わったんですか」


 すげーつまんなかった、と率直に(くさ)す黄雲だが、雪蓮にその声は届かない。大興奮の彼女、周りの観客と一緒になって「(ハオ)! (ハオ)!」の大合唱に加わっている。

 本日の演目は、月の女神と弓の名手である青年との、古色蒼然たる恋物語。黄雲も原型となった故事は知っている。

 が、今しも演じられた一幕は、元の筋書きへ改変に改変を加え、挙句に砂糖をぶちこんだような作りになっていた。

 正直くそつまらん。よくこんなものに金が出せるものだと、呆れる少年の視線は会場の中央へ向かう。

 舞台の上で手を振っている青年は、確かに白皙(はくせき)の美丈夫だ。何より、太華人とは思えぬその容姿。

 黄金色の絹糸のような頭髪は緩く編み上げられ、勾欄を照らす灯の光を浴びて美しく輝いている。会場のあちこちを見渡している双眸は、翡翠のような(あお)さ。まるで西方の異人のようだ。きらびやかな錦の衣装も相まって、まるで天人と見紛(みまご)うような美麗さである。

 そんな彼が演じる恋物語。

 女性客はうっとりと酔い痴れ。

 黄雲のような付き添いの男性客は、金を払って昼寝する。

 ここはそんな劇場だった。

 ちなみに本日、黄雲の観劇料は雪蓮持ちである。

 

「さあさ、そろそろ帰りますよ」


 黄雲は容赦なく席を立つ。しかし雪蓮、まだまだ美丈夫を見つめていたい。

 

「ええっ!? もうちょっといいでしょう?」

「僕もう帰りたいんですけど」


 黄雲はげんなり告げるが、雪蓮、すぐさま視線を麗しの江天山へ傾ける。


「きゃーっ! 江天山さまーっ!」

「あいやぁ……」


 思わず師匠譲りの感嘆詞を吐き出す少年である。

 さて、ひとしきり役者へ声援を送っていた雪蓮だが、ふとその唇が閉ざされる。

 江天山の舞台のすぐそばに、見知った顔が見えたからだ。

 

「お母さま……?」


 天山と親しげに言葉を交わしているのは、確かに雪蓮の母だ。

 そういえば、前から度々お芝居へ出かけていたっけ。雪蓮は心中で納得するが。

 美貌の役者と何ごとか話している母の横顔は、うっとりと酔ったような色を浮かべている。

 

「帰ろ、黄雲くん」

「おや」


 何か、見てはいけないものを見てしまった気がして。

「しめた」と拳をぐっと握りしめる黄雲を引き連れ、雪蓮は勾欄を後にした。




 その後、二人は市場で夕飯の買い出しをしつつ帰路へ。

 ……着くはずだった。

 

「雪蓮!」


 勾欄から出てすぐ、二人は聞き覚えのある声に呼び止められた。振り返ってみて、黄雲はげんなり、雪蓮はびっくり。

 

「お母さま!」

「雪蓮、こんなところで何をしているの!」


 柳眉を吊り上げ侍女を引き連れ、こちらへ歩み寄るのは、まさしく雪蓮の母君である。

 その表情と投げかける言葉が示す通り、夫人、ご立腹である。その理由はすなわち。

 

「街へ出てはいけないと、ずっと昔から言っているでしょう! 危険な目に遭ったらどうするのです!」

「う……」


 久々の母娘の会話にしては、いささか険悪な雰囲気だ。

 あらら、と他人事のように眺めている黄雲だったが、矛先は当然彼にも向かう。

 

「あなたも! 雪蓮をこんなところへ連れ出して、どういうつもりです!」

「…………」


 どういうつもりと言われても。黄雲も雪蓮も二人並んで叱られて、どうしたものかと思案顔である。

 

「申し訳ございません、ご夫人!」


 いち早く頭を下げたのは黄雲だ。

 

「ご息女がどうしても芝居へ行きたいと仰られましたので! 仕方なく、あいや仕方なく!」

「黄雲くん!?」


 裏切りである。黄雲は全ての責任の所在を雪蓮へそれとなく押し付ける謝り方で、夫人へ媚びへつらった。

 

「いやぁ、お止めしたんですよ僕は。行かなくてもいいでしょうって」

「ちょっと黄雲くん!」


 普段は温和で巽相手にもほとんど怒らない雪蓮も、さすがに語気を荒げた。

 

「ねえ、あなたどっちの味方なの!」

「金と権力の味方です」

「もうっ!」


 相も変わらず銭ゲバのクソ野郎である。少女がいつもの如く、頰を膨らませて機嫌を損ねていたときだった。

 

「おや、どうされましたかな?」


 朗々と響く、聞き心地の良い声音。

 後ろから発せられたその声に、夫人と雪蓮はぱぁっと頰を朱に染めた。

 聞いても聞いても聞き飽きぬ、その声の主は。

 

「奥方さま、お困りごとですかな?」

「はぁあっ……!」


 往来の女性一同から、漏れるため息。

 金髪碧眼は太陽の下で輝いていて、舞台とはまた違った趣の美を映している。

 現れたのは、江天山その人だ。

 

「おや、そちらのお嬢さんは?」

「わ、私っ!?」


 天山の視線が雪蓮へ。美男に見つめられてときめかぬ乙女はいない。慌てて髪を手櫛で整える雪蓮。

 しかし天山の問いに答えたのは。

 

「ああ、天山さま。こちらは私の娘にございます」


 頰を紅潮させた、雪蓮の母だ。

 母が父以外の男に頰を染めているところを見るのは、あまり気分の良いものではない。良いものではないが、母の気持ちは充分わかる。

 とりあえず雪蓮、この場は母同様、眼福に預かることとする。

 

「ほう、ご息女にあらせられるか」


 天山はやんわりと笑みを浮かべ、続ける。

 

「母君に似て、美しいお顔立ちをなされている。将来あなたを娶る者は、幸せ者だな」

「あ、あう……」


 歯の浮くような台詞を、さらりと自然に笑顔で言う。

 周囲の女性は再びため息。黄雲、雰囲気に取り残されてひとりげんなり。

 

「そして……」


 天山はゆっくりと雪蓮へ歩み寄り、彼女の顔を覗き込んで囁く。

 

「面白い、氣をしている」


 ひくり。黄雲の眉がわずかに動いた。

 

「もしよろしければ、皆さん勾欄の楽屋へいらっしゃいませんか。ぜひご歓談を」


 気の良いそぶりで提案する天山に、母と娘、侍女たちが「わあ!」と声を上げるが。

 

「すみませんが、僕らそろそろ帰らねばならないので」

「えっ」


 天山と雪蓮の間に割って入りながら、黄雲は申し出を断った。

 

「い、いいでしょ黄雲くん! 別にこの後用事なんか……」


 反論する雪蓮へ、いつものアレ。パシリとお馴染み箝口符。

 

「ん、んむっ……」

「ほう」


 無理矢理雪蓮を閉口させた黄雲へ、天山が感心したように声を上げた。

 

「きみは道士か。なるほど、興味深い」

「そりゃどうも。それじゃ、僕らはこれで」


 雪蓮の手を引っ張って、黄雲はその場を離れようとした。しかし雪蓮も執念深く足を踏ん張るので、若干手間取る。

 

「ほらっ、行きますよ!」

「んー!」

「これこれ」

 

 拒む雪蓮の腕を無理に引いていた黄雲の指を、そっと天山の指が抑える。

 

「女の子に乱暴をしてはいけないよ」


 それはやわらかい口調だったが。

 

「ぐぅっ!!」


 触れた指先から黄雲へ、電撃のような氣が走る。肘から先に焼かれるような痛み。そして、雪蓮の袖から離れる黄雲の腕。

 氣を遮断され、雪蓮の口から箝口符が剥がれ落ちた。

 

「少年、女性は優しく扱わねば」

「黄雲くん?」


 雪蓮は黄雲の様子にただならぬものを感じるが、その彼女の肩を抱き寄せて、天山は勾欄へ歩み始める。

 

「大丈夫さ。無粋者は放っておいて、皆で楽しく茶でも飲もう」

「で、でもっ!」


 黄雲の声は、明らかに痛みを訴えていた。雪蓮は天山の腕を振りほどこうとするが。

 

「は、放して!」

「どうして? 母君や屋敷の皆も一緒だぞ?」

「放してってば!」


 雪蓮は翡翠の瞳を見上げて、絶句した。

 顔立ちや表情は先ほどと変わらず柔和だが、目の奥に宿る感情が一切読めない。何か深い深淵を覗き込んでいるような、そら恐ろしい感覚。

 ところが。

 

「だああっ!」


 突然、二人の足元の地面が盛り上がる。かと思えば、天山の腕目掛けて地より突き上がる木剣の切っ先。二の腕をしたたか突き上げれば、「くっ」と役者の指も雪蓮からはなれる。

 少年は地面から飛び上がりざまに、雪蓮の腕を取った。

 

「おっとっと」


 二、三歩後ろよろけながら体勢を立て直し、黄雲はしっかり雪蓮の手を握りなおした。

 

「まったく、なんで市井の勾欄の役者が氣を使えるかは存じませんが」


 木剣振りかざし、黄雲は切っ先を天山の方へ突きつける。

 

「大事なお嬢さんに、勝手をされては困るんですよ!」

「黄雲くん……!」


 割と久々にカッコいいかもしれないと、雪蓮は思ったが。

 

「さあご夫人! 見ておられましたか、我が颯爽たる救出劇! さあさあ賃上げの機は今ですよ!」


 知府夫人の方を向いて、さっそく商売用の笑顔を見せている。

 嗚呼、と雪蓮は心の中で嘆息した。やはりこの少年、行動原理は全て金。果てなき銭ゲバクソ野郎である。

 ところが、そんな彼へ知府夫人の対応は冷たい。

 

「こ、この痴れ者! 天山殿へ乱暴を働き、我が娘に手を触れるとは!」

「このクソガキー!」

「私たちの天山さまになんてことを!」


 侍女や通りすがりの女性達も加わって、壮絶な大顰蹙。

 無理もない。はたから見れば雪蓮を乱暴に扱い、道術まで使って人気役者を傷つけようとした悪たれ小僧である。

 

「お、おのれ……賃上げの好機が最大の危機に……!」

「…………」


 黄雲くんの危機は、私とは意味合いが違う気がする。

 

 げんなりそう思う雪蓮である。

 

「ふむ」


 二の腕をさすりながら、天山はさほど表情を変えていない。痛みなどほとんど無かったかのようだ。

 

「土の道術か。ほほう、きみもなかなか、興味深い」

「いちいち興味持たなくていいって」


 うっとうしい奴だな、と黄雲は雪蓮を後ろにかばいつつ、木剣を右手から左手へ持ち変える。右腕にはまだ、痺れるような痛みが残っていた。

 やっかいだ。黄雲はこの難敵をいかに撃退したものか、思案する。

 何がやっかいかと言えば、周りの女どもだ。こちらが攻撃すれば先ほどのようにぎゃいぎゃい騒いで、神経を削りにくるに違いない。

 さらに知府夫人だ。彼女も他の女と同じく、天山の信奉者。しかも知府・崔伯世の夫人という身分の手前、あまり彼女の意向に沿わぬことはできない。最悪黄雲の首が飛ぶ。

 この場を丸く収めるには、あの手しかない。

 

「お嬢さん、僕の背に」

「えっ、おぶさったらいいの?」

「もちろん。三十六計で最良と名高い、あの手を使う時です」

「三十六計?」

「逃げるに如かず!」


 うまく夫人が視線を逸らした瞬間。雪蓮は少年の背に身を預け、黄雲は脛へ氣を集中させる。脚絆に仕込んだ札は、すぐに発動した。

 神行符。最大出力で、目にも留まらぬ速さで逃げるのだ。

 一歩の間隔を広く、体は風のように。天山の脇をすり抜けて駆けていく。このまま清流堂へ、ところが。

 

「待ちたまえよ」


 すでに遥か後方にいるはずの天山の声が、耳元で聞こえた。と、前方に金糸の髪がはためく。

 天山、足払いを、ひとつ。

 黄雲は雪蓮もろともに地面へ倒れ伏した。

 

「ぐぅっ」

「きゃあっ」

 

 折り重なってうめき声を上げる二人の前方には、追い抜いたはずの江天山。見上げる二人の視線を、翡翠の瞳は面白そうに見下ろしている。

 

「ふむ。少し手荒になってしまったな。いや、すまないすまない」

「こ、こんにゃろ……」

「悪いが、そのお嬢さんを拝借したい」


 天山は白い腕を雪蓮へ伸しつつ、歩み寄る。

 

「もう少し詳しく、観察したいのだ」

「い、いやですっ! やめて!」

 

 雪蓮はもはやこの男に、敵意に近い危機感を抱いていた。

 黄雲くん! と頼りの少年道士を揺さぶるが、雪蓮は転んだ状態のまま、黄雲を下敷きに押しつぶしている。黄雲、「おりてくださいよ」と潰れたカエルのような声で訴える。

 

「そこまでだ」


 場に割って入る、低い女の声。

 いつの間にか黄雲と雪蓮の前には、見慣れた黒い長衣が立ちはだかっている。

 忽然と現れた彼女は、ぐびりと瓢箪(ひょうたん)の酒をひとくち煽り、挑戦的な目つきで天山を見据えている。

 

「お初にお目にかかる、江天山殿とやら。私はこの街の古廟に住まう、清流道人と申す者」

 

 名を告げるその酔っ払い。したり顔に流れる黒髪、豊満な肢体。

 

「これはこれは……」


 江天山は、端正な口元をにやりとさせる。顔は、笑っていながら、心うちの感情が読めない。

 

「さて、我が弟子と大事なご令嬢がお世話になったようで」


 清流道人、ふっと一瞬笑みを浮かべ。

 

「あなたに聞きたいことがある。応じてくれるか?」


 優しく問うが、天山は。

 

「否」


 その一言で、周囲の空気がにわかに冷え切った。

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