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8 仕置きと秘密と焼餅と

「さて、巽よ」

 

 翌日。抜けるような青空の下、此度の巽は清流堂の庭へ引き出されていた。

 今なお縛られ、ひざまずかされている彼の目の前に立つのは、清流道人。

 

「少々おいたが過ぎたようだな」

 

 いつものしたり顔ながら、道人は厳しい言葉を語りかける。

 

「昨日の娘たちもさることながら、近隣の住民より多数苦情の声が届いている。この私も酒に逃げるしかないほどにな……」

「いやそりゃいつものことでしょうよ」


 後ろに控える黄雲が茶々を入れる。さらにその後ろには、雪蓮に三人の子どもたちの姿もあった。

 

「でだ、巽よ。正直私と黄雲では面倒見切れん。というわけで、お前の面倒は天網(てんもう)に任せることとした」

「天網?」


 清流の言葉をよく飲み込めない巽だが、目の前の師弟は淡々と事を進める。

 

「黄雲」

「はい」


 清流が手を差し出すと、黄雲はその手に持っていた木剣を握らせる。道人、木剣を蒼天に振りかざし。

 

雷公(らいこう)よ、この咎人に戒めを!」


 その一声は、木剣の切っ先が指す青い空へ、吸い込まれるように消えていった。

 

「さあ、縄を解いていいぞ」

「えっ、今ので終わりっすか?」


 拍子抜けした調子で巽が言った。黄雲はなおも淡々とした様子で、無言のまま巽の縄を解く。

 

「今のなんなんすか? 全然なんともないけど……」

「そうだなぁ。女人に狼藉を働けば分かるさ」

「ほう」


 清流の返答に、三白眼がきらりと光る。

 

「それじゃあお言葉に甘えて……清流せんせーー!!」


 ぴょんこら清流に飛びつこうとする巽だが。

 そこへ轟く、青天の霹靂。

 閃く白い稲光。霹靂は九天より地上へくだり、今にも破廉恥をしでかしそうな巽へ、雷鳴と電撃を叩きつけた。

 

「あっふん!!」

「ふふふ、良いか巽。これから女性に迷惑をかけることあらば、雷公の鞭に打ち据えられると知るがいい」

「そんな……」


 ぷすぷすと焦げて煙を上げる黒ずくめ。

 清流から木剣を返してもらいつつ、黄雲はにやにやとニンジャの醜態を嗤うのだった。

 

「ははは、いいざまだな」

「あ、あの……大丈夫ですか、巽さん」


 そんな黄雲とは対照的に、雪蓮は巽を気遣うが。

 

「だがしかし俺は負けない!」

「きゃっ」


 彼はめげなかった。雷公電撃何するものぞ、ただちょっと痛くて焦げるだけ。

 不屈のスケベは少女目掛け、棒手裏剣を瞬時に繰り出す。

 

「おっとっと」

 

 しかし暗器は手刀で叩き折られ、天からどんがらと二発目の雷鳴。

 

「あいええええ!!」

「いやお前、もうやめとけよさすがに……」

「ばっきゃろう! 俺からスケベを取ったら何が残るんだ、俺は相手が雷公だろうが戦い続けるぞ!」


 喉から血もほとばしらんばかりの言いっぷりだが、語る内容はただの破廉恥宣言。

 天の神たる雷公の監視も、どうやらこの変態ニンジャには大した抑止力にならないのかもしれない。神に立ち向かうと言えば聞こえはいいが、原動力はスケベの力、残念ながら賞賛には値しない。

 雷神相手に息巻く巽に、呆れ果てる黄雲と雪蓮だった。

 

「黄雲」


 雷鳴轟く愉快な一幕へ、清流道人は少し低い声を投げかける。

 

「少しいいか」


 師匠の眼差しは、いつになく真剣味を帯びている。漆黒の瞳は微動だにせず、弟子の姿を捉えていた。

 黄雲は軽く頷き、踵を返す彼女の後ろへ続いた。

 

----------------------------

 

「やはり、金氣が強まってきている」


 自室にて、清流が口にしたのはやはり、雪蓮の氣の変化についてだ。彼女の氣は昨晩以降、高まったままだ。

 もちろん黄雲は、昨晩雪蓮が金氣を解放し、戒めを断ち切った件も師匠へ報告している。

 

「身中の怪異のせいでしょうか」

「さあな……」


 真剣な雰囲気の中でも、清流は酒を飲んでいる。飲まなくてはならない、とでも言うように。

 黄雲は師匠の声に、若干の違和感を覚える。どんな時でもしたり顔、常々どこか知ったげな、いけ好かない雰囲気を醸す彼女が、今のやりとり、いやに気弱だ。

 

(てん)よ」


 呼びかけに黄雲、ビクリと肩を震わせる。

 道人は今、弟子を「黄雲」と道号ではなく、(いみな)で呼んだ。

 いつもは生意気な黄雲の表情が、冷気に当てられたように引き締まる。

 

「絶対に鉄剣は持たせるな」


 低く、静かな声。

 どうして剣を、と黄雲は聞けなかった。酒をすする師には、静かな気迫がある。漆黒の瞳は部屋の床へ向いているが、見えているものはおそらく別の何か。

 諱まで使って、と少年はしたたか唇を噛んだ。

 纏。あまり聞きたくない響きである。

 

「よいな、纏」


 師の言葉を、黄雲は伏して拝した。

 

-----------------------------------

 

「わあ! みてみて、黄雲くん!」


 人がたくさんいるよと、雪蓮は大通りの真ん中ではしゃいでいる。黄雲はその後ろ姿を見失わないように追いながら、「まったく少しは落ち着いてください!」といつもの調子でげんなりしていた。

 ここは亮州城下、人で賑わう表通り。

 依頼人姉妹が、依頼料を弾んでくれたのだ。

 雪蓮はさっそく自分で得た稼ぎを手に、黄雲引き連れ再び街へ繰り出していた。

 

「はあ、やっと追いついた」


 武術家かつ体力おばけの雪蓮について行くのも、一苦労である。少し疲労の色を見せる黄雲へ、雪蓮は申し訳なさそうに眉尻を下げた。

 

「えへへ、ごめんね……浮かれちゃって」

「まったく……」

「ねえ、黄雲くん」


 雪蓮は財布をまさぐると、手のひらに金銭を乗せて黄雲へ差し出す。

 

「これ……この間、私が勝手に食べてしまった小吃(シャオチー)の分」

「…………」


 少女の手のひらに乗せられたそれを、黄雲は少し驚いた眼差しで見ている。

 

「ごめんなさいっ」


 雪蓮は往来のど真ん中で、黄雲へ頭を下げる。それを迷惑そうに避けて歩く人々のただ中で、彼女は続けた。

 

「私、自分が楽しむことばっかりで、あなたのこと、全然気遣ってなくて……。本当、ごめんなさい」

「…………」


 心血注いで得たものが無くなる虚しさは、「断腸」なんて言葉を使わずとも雪蓮には分かる。今はそう思うものの、あの時浮かれっぱなしだった雪蓮は、黄雲の気持ちを汲み取ることができなかった。

 周りが見えなくなってしまった自分。それを恥じ、彼に謝意を伝えたくて。彼女はもう一度頭を下げる。

 

「……全然足りませんね」

「ええっ!?」


 謝罪に対する返答とは思えぬ言葉。下げていた雪蓮の(こうべ)も思わずひょいと持ち上がる。


「用心棒稼業にタダ働き同行させられてもいますし。もっと銭を弾んで欲しいところですね」

「え、えっと、あの……」


 やはり強欲は相変わらず。にべもない言葉を投げつけた黄雲だが。

 

「ま、よしとしましょう」


 最後には雪蓮の手から、それを受け取った。

 結局、許してくれたのかしらと雪蓮が見ている前で、黄雲、一件の屋台へ立ち寄り店主へ二言三言。

 そして、先ほど受け取ったばかりの銭で買ったものは。

 

「ん」

「これは……」

焼餅(シャオピン)ですよ」


 小麦粉を練って薄く何層も重ねて焼いた生地に、干した果物を挟んだそれ。二つ買ったうちの一つを雪蓮に持たせて、黄雲は先を歩き始める。

 

「ね、ねえ! これって!」

「おごりですよ、おごり」

「ええっ!?」


 少年の口から、とんでもない言葉が飛び出した。

 驚きのあまり、雪蓮は焼餅を手に持ったまま歩みを止める。そして思う。

 

 ああ、これは天変地異の、世界の終わりの前触れね。驚天動地、乾坤終焉。天が割れ地は裂け万象滅し、開闢(かいびゃく)の真逆の有り様に女媧娘娘(じょかにゃんにゃん)も呆れ果て、天下にはびこる魑魅魍魎(ちみもうりょう)(しま)いにゃ伏魔殿より銅羅の音高らかじゃんじゃかと、一百八魔王がよっこいしょー!

 

 あまりのことに、少女の妄想は加速をつけて飛躍した。

 雪蓮の荒唐無稽な心象風景いざ知らず、黄雲は少女を振り返った。

 目元に照れくさそうな色を浮かべながら、一言。

 

「僕も、その……言い過ぎました」

「え……」


 すぐに黄雲は前方へと視線を戻す。

 行きますよと、焼餅をかじりながらなのか、もごもごした調子で雪蓮を促した。

 茶色の髪から垣間見える耳朶(じだ)に、ほんのり赤みがさしているように見えなくもない。

 

「う、うん!」


 雪蓮も早足で、彼の隣へ追いつく。

 焼餅をぱくり。

 サクサクの生地の内側に、甘い果物の味。

 この街で食べた物の中で、一番美味しい。

 雪蓮はそう思うのだった。

 

 その後。

 あの姉妹のご近所に住む人々が騒ぎ立てたこともあって、用心棒稼業も軌道に乗り始めた。

 亮州の街の夜には、時折白虎が舞う。

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