7 白虎来来
南路街、目的の家の前。
「…………」
黄雲と雪蓮は、目の前の光景に言葉を失っていた。
やっぱり。
そんな呆れた視線が向かう先には。
「ぐへへ……ええのうええのう、めんこい姉妹よのう」
民家の屋根からぶら下がり、窓から屋内を見つめる怪しすぎる知り合いの姿。黒ずくめに覆面なんて、この街には一人しかいない。
「ほら、やっぱりあいつじゃないですか」
「うわぁ……」
物陰から声を潜めて、黄雲と雪蓮は様子を伺っていた。
大方の予想を裏切らず、巽は巽らしく覗き行為に勤しんでいる。
「どうするんです?」
黄雲の問いかけに、武闘着姿の雪蓮は。
「もちろん、叩きのめします!」
少女の双眸に灯る正義の光。お知り合いだからと言って情け容赦無用、手加減は一切致しません! と語気も荒く奮い立っている。
「まったく……さっきまで、ちゃんと確証が得られるまで信じましょうなんて言ってたくせに」
まるでクソ真面目な警吏ですね、なんてつぶやく黄雲へ、「当然だわ!」と雪蓮は誇らしげに胸を張る。
「私は亮州知府・崔伯世の娘! 半端な仕事は致しません!」
「ふぅん……」
その言い分に、少し納得する黄雲である。
知府の仕事の中には、犯罪を起こした者に裁判を行い、断罪するという職務もある。
他の街では適当に裁定を下す長もいる中で、崔知府は公明正大、ひとたび犯罪が起これば裏付けを慎重に行い、罪の確定した者へ厳罰を下すことで知られている。領民からの支持も当然厚い。
意外なところで親子の血を感じるものだ。さて、もしその崔知府へこの用心棒稼業が明るみになれば、一体どんな裁定が下るのやら。
「よしっ、それじゃあさっそく」
少々浮き足立った様子で、雪蓮は白い小物を取り出した。
「がおー」とでも鳴きそうな、可愛らしい白虎の顔を模したそれ。白虎鏡の出番である。
「それ、練習とかしてみたんです?」
問う割には興味のなさそうな黄雲。そんな彼へ少女はかぶりを振る。
「んーん。一発本番で使わせてもらおうと思って!」
「ふーん」
どうでも良さげに、黄雲は視線を巽へ戻す。ホシはこちらに気付いていない様子。じっと食い入るように窓の中を見つめている。
そんな中、雪蓮はわくわくと鏡を開いた。
そして高らかに唱えられる、あの呪文。
「陰陽五行、はじけてまざれ!」
天へ掲げた白虎鏡から、白い光が放たれる。
「ちょっ、声が大きいまぶしいバレるバレる!」
「可憐に華麗にアルパチカブト〜☆」
うろたえる黄雲を差し置いて。白い光は雪蓮を包み込み、きゅるんきゅるんと謎の音声を発し、やがて収束した。
この奇怪な現象が鎮まると、その場に現れたのは正義の用心棒。
「むっ、なにやつ!?」
騒がしい音と光に、さすがの巽もこちらへ気付く。その三白眼が捉えたのは、凛然と立ちはだかる白い影。
「平和な街を騒がせる、変態無比の乙女の敵よ!」
白い武闘着がゆらりと揺れて、その手に持つ得物を見せつける。長い木製の柄に、先端には二股に広がる金具が取り付けられているそれ。いわゆる扠だ。
「この私が来たからには、その悪事もこれまでよ! さあさあ大人しくお縄につきなさいっ!」
びしりっ。
正義の執行者は変態ニンジャへ人差し指を突きつける。
手に持つ扠、身につけた白い武闘着。
そして顔を覆う、可愛らしい白虎の仮面。
「いざ! 替天行道(天に替わっておしおきよ)!」
一晩考えた決め口上が夜天を貫く。
そしてどこからか響く、「がおー」と気の抜けた鳴き声。
「…………」
ひとしきり見得を切った少女は、ふと冷静に己の姿を見た。仮面と扠がついただけで、後は普段通りの崔雪蓮である。
「どうしたんです?」
「もっと大々的に変身するかと思っていたのに……」
先ほどまでの勢いはどこへやら。しょぼくれる雪蓮である。
彼女が手に持つ得物を黄雲は知っている。あの扠は、菜園の手入れ用に使っているただの農具だ。
「ああっ! お前、黄雲!」
一方の巽は、やっと黄雲へ気付いた模様。しかしその前に立ちはだかっている白き用心棒へは。
「ところで、誰?」
「分かんないのかよ!」
覆面頭を傾けて問う巽。どうやら本気で用心棒の正体が分からないらしい。
「何だかよく分かんねえけど、どうやら邪魔者というわけだな!」
「えっ! あっ、はい。そうです!」
挑むような巽の声に、雪蓮はやっと我を取り戻す。
巽、舐めるような視線で仮面の用心棒の身体をなぞった。
「むむむ、どうやら女の子と見たぞ。ならばやることは一つ!」
そして懐へ手を突っ込み、ぞろりと取り出す棒手裏剣。
「さあそのお面も衣服も、きれいさっぱり脱がせて見せようホトトギス!」
「!」
一瞬、一閃。投擲された暗器を扠の一振りで叩き落とし、雪蓮は標的目掛けて歩を詰める。
「甘い!」
しかし巽は既に屋根の上。振り返る白虎の面へ、さらに棒手裏剣が降り注ぐ。
「ふっ!」
路面に刺さる棒手裏剣、雪蓮は難なく避け切り、扠の長い柄を地に突き立て屋根まで高飛び。うまく扠をさばき、巽へ肉迫する。
「くっ、意外と手練れだな!」
「はいっ! やあっ!」
長い柄が空を切り、ニンジャがひらり宙を舞い、扠と棒手裏剣が夜天に閃く。激しい捕り物に、民家の瓦屋根もカチャカチャ激しく音を立てている。
「あーあー、頼むから他所のお宅を壊さないでくださいよ!」
黄雲は雪蓮ではなく、もしもの時の賠償金を心配しながら戦いを見守っていた。そこへ。
「ああっ、あなたは清流堂の……!」
「お姉ちゃん、あそこ!」
民家から黄雲を見つけ、駆け出してきたのは昼間の姉妹だ。寝間着姿の彼女らの視線は屋根の上へ。
「あ! あの黒い覆面はもしや……」
「あれが下手人ですよ」
駆け寄ってきた姉妹へ、至極簡単な説明。彼女たちの眼差しはやがて、黒ずくめに立ち向かう白き姿へ注がれる。
「あの、あの白いお方は……まさか!」
「もしかして例の用心棒なの!?」
「えー、あー、はい」
歯切れ悪く黄雲は答える。姉妹の瞳はきらっきらに輝いた。
「まあ! なんて凛々しい戦いぶりかしら!」
「がんばってー! おねがい、そのにっくき覗き魔を退治してなのー!」
彼女らの声援は、屋根の上まで届く。
雪蓮、こんな感覚は初めてだ。応援されると、こんなにも力がみなぎる、心が奮い立つ。
「さあ! そろそろ終わりにしましょうか!」
「なにをー!?」
巧みに長物を振りかざしながら、白虎の面が猛る。一進一退だった戦況は、徐々に雪蓮の優勢へと傾いていた。
しかし巽もまだまだ粘る。屋根の縁へ追い詰められながらも、諦めずに懐へ手を突っ込んだ。
「ま、まだまだー!」
「!?」
投げつけた棒手裏剣は、空を切りながらメリメリと成長を始める。雪蓮の間合いへ入る頃には。
「うわわっ!」
いっぱしの桜の枝へ成長し、月下に花弁を散らしながら少女の体へ絡みつく。あっという間に枝は雪蓮へまとわりつき、その身動きを奪った。
「ふはははは! どうだ見たかこの技の冴え! さあて、どうスケベに料理してくれようかな〜」
「う、抜けない……!」
一転、危機へ陥った用心棒。
「あーもう、世話の焼ける!」
黄雲は木剣を腰帯から抜いて民家の軒先へと走る。
しかしそんな彼を阻むように、行く手へ突き刺さるお箸の数々。
「おおっと、させねえぞクソガキめ! そう何度も煮え湯を飲まされてたまるかバカタレ!」
「馬鹿野郎! いやその人だけはやめてくれよ、僕の首が落ちる!」
「はーい知らなーい」
喚く黄雲から雪蓮へ。三白眼は視線を戻し、にやつきながら懐よりさらなる暗器を取り出した。
「ふっふっふ。このままその桜に、わさわさいやらしいことをさせても構わないのだがな……まずは裸!」
「くぅ……!」
「いやぁ! やめてええ!」
「やめろなの、この鬼畜! 変態! 社会不適合者!」
用心棒の窮地に、姉妹が叫ぶ。
さすがに夜更けに騒ぎ過ぎて、ご近所の方々も眠い目こすりつつ「なんだなんだ」と様子を伺いにいらっしゃる。
現場にはあっという間に人が満ちた。
この状況はまずい。こんなに人目がある中で、白虎面の正体はおろか、知府令嬢の裸体が衆目に晒されるのは非常にまずい。
黄雲、慌てて軒先に取り付いた。必死に屋根へよじ登ろうとする彼だが、巽の棒手裏剣は容赦なく彼の手元を狙う。
「こ、こらっ! やめろ、やめないか!」
「るっせー! やめたらお前邪魔しにくるだろーが!」
「…………」
巽と黄雲の応酬の間、雪蓮は黙りこくったまま。
彼女の心中にあるのは、依頼人の姉妹のことだった。
今しも見下ろせば、心配のあまり泣きそうな彼女らの顔が見える。
負けちゃだめ。頼ってくれる人のためにも、決して——
「はぁっ!」
どうしてそういうことができたのか、雪蓮はよく分からなかった。なんとなく気合いを込めればいい気がして、ただそうしただけだった。
「な、なんと!」
驚く巽の視線の先。雪蓮に絡みついた桜の枝は、無残に切り刻まれ、あたりに残骸がばらばらと散らばった。
まるで、見えない刃に切りつけられたかのように。
「今のは……!」
屋根に登れず四苦八苦していた黄雲は、あたりに漂う氣に眉間のしわを深くする。
霊力に満ちた、冷たい氣。神聖な劔のようなこれは……
「さあっ! あなたの術は破ったわ!」
周囲の驚嘆を意に介さず、雪蓮ははつらつと扠を振りかざした。
「えっ、ちょっと……あの……」
驚いていた巽、やたらとでかい隙ができている。
そこを見逃さず。二股に分かれた扠の先端が、間髪入れず黒ずくめへ迫った。
「御首頂戴!」
「あっ」
不穏な決め台詞とともに、巽の首元を捉える扠。覗き魔はあえなく地へ落ち、雪蓮もその後を追う。
「ぐはっ!」
仰向けに地面へへばりついた巽の首元をめがけ、扠の先端が突き刺さる。
二股の両の先端は、覆面の首元、左右の地面へ深く深くえぐり込む。扠で見事巽を拘束した雪蓮は、高らかに叫んだ。
「成敗っ!」
大捕り物、ここに終焉。
周囲の野次馬からやんややんやの歓声が上がった。
「用心棒さんっ!」
群衆から、例の姉妹が飛び出し、戦い終えた雪蓮の手を取った。
「あのっ、ありがとうございます! 私たちのために、こんなに必死になって戦っていただいて……」
「ありがとうなの! 恩に着るの!」
「そ、そんな……」
白虎面の奥で照れながら、雪蓮はこりこり頭をかく。
感謝されるなんて、初めてじゃないかしら。ふわっと暖かい気持ちが、胸に広がった。
「さーて、仕事も終わったんで帰りますよー」
雪蓮が話している間にも、着々と巽を縛り上げていた黄雲である。巽は観念したのか、大人しくされるがままになっている。どうやら空蝉の術を使う気力もないらしい。
「それじゃあ、私はこれにて……」
「あ、あのっ、もし!」
去りかけた雪蓮を、姉妹が呼び止める。
「よろしければ、お名前を……」
その問いに。
「え、えーと……」
崔雪蓮です! と答えたい気持ちを押し殺し、雪蓮は思いつきで告げる。
「びゃ、白虎娘娘!」
「白虎娘娘さま……!」
「おーい、あの子白虎娘娘っていうらしいぞ」
「白虎娘娘だ」
「白虎娘娘」
名乗ればあっという間に周囲の群衆へ広がって行く。もっと真面目な名前にすれば良かったと、急に恥ずかしくなる雪蓮である。
「あ、あのっ! じゃあ私はこれにて!」
羞恥から逃げるように、白虎娘娘は駆け出した。
「ありがとう、白虎娘娘!」
嬉しそうな姉妹の声は、雪蓮たちが見えなくなるまで街に響くのだった。
--------------------------------
帰路。
雪蓮の仮面と得物は、役目を終えると光となり、白虎鏡へと吸い込まれていった。度肝を抜かれた巽が喚いていたが、まあそれはともかく。
「お嬢さん」
巽を拳骨で黙らせて、黄雲が口を開いた。いつになく、真面目な口調だ。
「あなた先ほど、この馬鹿の放った大枝を切り裂いたでしょう」
「ああ、そういえば」
「あれ、どうやったか覚えてます?」
雪蓮は彼の言葉に、うーんと眉尻を下げる。
「なんていうか、なんか気合いでなんとかなる気がして……」
「それで気合いをこめたと」
「うん、それだけ」
「ふぅむ……」
巽を縛った縄の先端を手に持ちながら、黄雲は腕を組む。
どうにもあのとき、彼女の周囲に立ち込めた金氣が気にかかる。
並みの道士では出せないような、異常な密度の氣……。
あれから雪蓮が発する、霊剣のような金氣が強まっているように感じなくもない。彼女の内にいるものと、関係はあるのだろうか。
「そういえば巽」
「なんだよ」
黄雲の疑問の矛先は、巽へ向かう。黒ずくめは捕縛されたばかりで不機嫌だ。
「前から聞こうと思ってたんだけどな。お前、一体どこで誰に道術を習ったんだ?」
謎を振りまくのは、何も雪蓮だけではない。このお気楽変態クソニンジャも、なかなか謎に満ちている。
「さあねー。誰に習ったんだっけ俺?」
「まったく、とぼけやがって」
答える気のないニンジャ。しかし彼がどこで誰に道術指南を受けたか分かったところで、この男の迷惑行為を防げるわけでもなく。
「まあいいや。疲れたし、早く帰って横になりたい……」
ふああ、と夜空に向かい、黄雲大あくび。
一方雪蓮は。
「うふふ!」
機嫌良く笑顔を振りまいている。
「なんですか、一人で笑って気色悪い」
「えへへ、だって……」
雪蓮は満面の笑みで続ける。
「人の役に立つって、気持ちいいね!」
今晩の一件で、心満たされた少女。隣を歩く黄雲は、呆れた顔で「理解できませんね」と一言。
夜は深々とふけていった。