6 依頼
亮州の街並みを暁光が照らして、朝が来た。
清流堂の本堂前には、昨晩清流が言った通りの立て札が掲げられている。
雪蓮は朝食を取るなり足早に、看板が見える位置へ赴いて依頼者を待ち構えるのだった。
参拝者はひとり、ふたりと現れるが、いずれもご年配。看板に目を留めることもなく本堂へ直行し、さっさと拝んで立ち去っていく。
そんな中、待つこと数刻。
そろそろ昼ごはんですよ、と黄雲が呼びに来た時だった。
「みて、黄雲くん!」
「?」
声を潜めつつも期待をにじませながら、雪蓮は黄雲を呼び止めた。
彼女がそっと指で示した方向。その先に、立て看板をじっと見つめる、うら若き乙女と幼い少女の姿。よく似た顔立ちをしているので、もしかすると姉妹なのかもしれない。
「みてみて、きっと依頼をしに来たんだわ!」
「ただ読んでるだけじゃないんです?」
ふたりが様子を伺う前で、娘二人はきょろきょろと辺りを見回している。誰か、人影を探すように。
「はいっ! ただいま参ります!」
「あっ、お嬢さん」
依頼の気配に喜び勇んで雪蓮は、姉妹の前へ飛び出した。
そんな彼女を、娘ふたりが見つめる。
「あ、あの……この看板の用心棒というのは……」
「うふふ、それはわたっ」
姉と思しき娘の問いに、雪蓮は胸を張って答えようとするが。開きかけたその口を、突然パシリと閉ざす箝口符。
「ん! んむっ!」
「失礼、娘さん方。この看板についてお尋ねでしょうか」
「え、ええ……」
突然口元に札を貼られてむーむー唸っている雪蓮へ、姉妹の怪訝な視線が刺さる。しかしそれよりも、看板の内容の方が気になるのだろう。彼女らの注目はすぐに説明役の黄雲へと移り変わる。
「ここに書いてあります通り、お困りごとを解決する強力無比な用心棒への依頼を、当方が仲介しております。依頼料は応相談にて」
「そうなのですね……」
黄雲の説明に頷きつつ、姉妹は憂い顔だ。
まあそりゃ困っているだろう。でなければこんな胡散臭い看板を、じっと見つめるはずはない。
「んー、んーっ」
口を塞がれている雪蓮が、黄雲の袖を引っ張った。眉が不満気に歪んでいるところをみると、どうやら先ほど依頼人へ話しかけたのを遮られたことが、不服らしい。
「なんですか、逆恨みなら後にしてください」
「んー……」
ヒソヒソ声で黄雲は少女をたしなめる。
この愚行が知府へ知られぬために、用心棒の正体が雪蓮であることは秘匿しなければならないのだ。
それを忘れないでくださいと少年がヒソヒソ諭せば、雪蓮も「むー」とやっと納得した様子。
分ったならよろしいと、雪蓮の唇から札がひらり剥がれ落ちた。
そんな二人へ、意を決したような表情と声音で、年上の娘が口を開く。
「あ、あの……依頼を、よろしいでしょうか?」
姉妹の顔には、未だに憂いの色がこびりついている。よほど深刻な問題を抱えているのかもしれない。
娘達の表情が、雪蓮の内なる正義の心に火をつけた。
「もちろん、お引き受け致します!」
「えっ、ちょっとお嬢さん!」
「あ……ありがとうございます!」
「よかった、お姉ちゃん」
雪蓮の快諾に、娘二人は初めて笑顔を見せながら、感謝の意を示した。
黄雲は「報酬の相談もせぬうちから云々」と小うるさかったが、かくして雪蓮の用心棒稼業、初任務の成立と相成った。
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清流堂の庭に卓と椅子を用意して、茶を勧めつつ雪蓮達は、依頼人姉妹へ向き合っている。
姉妹を憂いの海に沈ませているもの、それは。
「最近、夜中に覗きが出るのです……」
「覗き」
困り事の内容を聞いていた黄雲と雪蓮は、自然とある人物を思い浮かべる。もちろん容疑者として。
「その覗きとやら、黒ずくめに覆面だったりしません?」
黄雲はさっそく容疑者の人相を尋ねるが。
「それが、いつも夜中に現れて、気付いたらいなくなってしまうので……。詳しい容姿までは何とも……」
「ふぅむ」
「いつも声が聞こえるの。『ええケツしとんの』とか『おっぱい!』とか」
「…………」
話によればその覗き。いつも夜更けに現れて、姉妹が着替えたり湯浴みをするところを実況解説を交え、盗み見ているらしい。
「もう、毎日毎日気持ち悪くて……昨日の夜更けにも現れるし、もうほんとに限界なんです……」
「私もお姉ちゃんも、迷惑千万なの」
「うーん……」
姉妹の訴えに、黄雲は渋い表情。
下手人はきっとあいつに違いない。
「どう思います、お嬢さん」
再びヒソヒソと、黄雲は雪蓮へ耳打ちする。
ところが雪蓮、それが聞こえたのか聞こえないのか、椅子を後ろに蹴倒して立ち上がった。
「許せないわ! 乙女の敵ね!」
「あのー」
少女の中で燃え上がる正義の炎。
「お二方! 必ずやわたっ……、正義の用心棒が捕まえるから、ご安心なさって!」
「うぅ……よろしくお願い致します……!」
「お願いなの!」
危うく『私』と言いかけながらも、雪蓮は無い胸を張る。
姉妹は燃え上がる彼女へ、深々と頭を下げた。
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報酬の相談も終わり、門から姉妹を見送ったところで。
「さて、お嬢さん」
「なにかしら?」
二人の後ろ姿へ精一杯手を振って、雪蓮は振り返る。
黄雲は続ける。
「此度の一件、下手人はもう分かりますよね?」
「…………」
少年の問いに、雪蓮はしばらく黙して。
「誰かしら?」
とぼけた調子に、黄雲はかっくり肩を落とした。
「もう、普通に考えたら分かるでしょーに! 巽ですよ巽、あの変態クソニンジャ!」
「あのね、黄雲くん」
噛み付く調子の黄雲へ、雪蓮はたしなめる口調だ。
「それは、私も最初は巽さんだと思ったけれども。でも、ちゃんと証拠も無いうちから決めつけはよくないわ!」
「いーや! もう証拠なんて関係ない、こんな破廉恥でスケベな事件は全部あいつのせいです!」
「でも黄雲くん」
雪蓮は落ち着いた声音で続ける。
「あのお姉さん、『昨日の夜更けに現れた』と言っていたでしょう? 確か昨日の夜更け。私たち、清流先生のお部屋に巽さんがいるところを見たわ」
「そ、そういえばそうでしたけど……」
思い返せば確かにそうだ。巽は昨晩、清流の部屋の梁の上で寝入っていたはずだ。加えて、黄雲は木氣も確かに感じていた。あの発情期の猫のようなやかましい氣は、巽のもので間違いない。
と、そこへ。
「おーい、せっちゃんに黄雲。こんなとこで何してるんだ?」
「た、巽!」
突然ふたりへ割って入った黒ずくめ。誰あろう、容疑者の巽だ。
「なになに? なんか話してた?」
「あー、えーと……」
こう唐突に張本人に出て来られると、とっさに何を言っていいか分からないものだ。黄雲は巽に向かい、こほんと咳払い。
「なあクソニンジャよ」
「クソはつけないで、どうぞ」
「実はだな。最近覗き魔がこの近辺に出るそうなんだがクソニンジャ」
「へ、へぇ……」
巽、声が上ずっている。覆面から覗く三白眼の視線は、あからさまに動揺して泳いでいた。繰り返された「クソニンジャ」という呼びにも触れない。
「やっぱお前、なんか知ってるな?」
「巽さん!」
「あ、ああ、いやっ、何にも!」
問い詰めるふたりから、巽はじりじり後ろへ距離を取る。
明らかに怪しい。というかもうクロでいいだろう。
黄雲は氣を以て土へ呼びかける。
黒ずくめの背後から土の腕が地より現れ、有無を言わさず巽を掴んだ。
「あ、ああっ! だからお前いきなりは卑怯!」
「破廉恥覗き魔が何を言う!」
さあさあ後は自白だ自白、と黄雲が巽の肩を掴んだところ。
「んあっ?」
掴んだ肩の手応えが、やたらと軽い。というか、人の体を掴んでいるとは思えないほどスカスカの密度だ。
よくよく見れば、覆面黒ずくめの内側は、いつの間にやら等身大の藁人形。
「なっ、なんだこりゃ!」
「はっはっはー! 見たか、これぞ空蝉の術!」
巽本体は既に本堂の門の上、瓦屋根を踏みしめ得意げに笑っている。
「おっとぅ、キミ達にも分かりやすく説明してあげよう。つまるところの身代わりの術だ以上!」
「わあっ、すごい!」
何をどうやったのか。一瞬で自身を藁人形と入れ替えて、窮地を脱したということだ。
黄雲、ほぞを噛む。雪蓮はお気楽に感嘆の声を上げている。
「へへーんだ! そう何度もお前の土術に捕まってたまるかってんだ!」
「こ、こらー! 降りてこーい!」
「やなこった!」
門上から黄雲を嫌味ったらしく見下ろして、巽はご近所の屋根に飛び移る。
「うはははは! 悪いなクソガキ、お前に構ってる暇は無いんだ! さあ待っていてくれ姑娘たちよ!」
巽は高らかに笑いながら、屋根から屋根を伝い、繁華街指して走り去って行った。
「…………」
残された黄雲、先ほどの身代わりの人形へ視線を回す。
雪蓮が物珍しげにしげしげ眺めているそれ。
手持ちの藁に木氣を注いで作ったものなのだろう。人形には巽の浮ついた氣の残滓がこびりついていた。
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思い立った黄雲は、清流の部屋を訪れていた。後ろには雪蓮もくっついてきている。
失礼しますも何も言わず、扉を開いて入り、黄雲の視線が向かう先は梁の上。床で酒壺を頭にかぶって寝ている師匠を、意に介した様子もない。
「あ、あれって……!」
「やっぱり、まだある」
梁の上のそれ。雪蓮も目を留める。
梁上には昨晩と同じ体勢で寝ている巽の姿、いや。
「えいやっ」
持ってきていた長い棒で、黄雲が巽を梁から突き落とす。棒に伝わる、軽すぎる手応え。落ちてきた黒ずくめは、果たして。
「やはり藁人形……」
先ほど、巽が『空蝉の術』とやらで見せた藁人形と、まったく同じものだ。昨晩よりも木氣は弱まっている。ということは。
「つまり、昨晩あいつはこれを身代わりにして、どこかへ出かけていたということか」
「そ、そんな……」
雪蓮が口元に袖を当て、むむっと眉根を寄せる。
「もう、犯人あいつでいいんじゃないですか?」
さすがに呆れた口調で黄雲が雪蓮へ切り出す。
依頼人との約束では、姉妹の家へ出向き、覗きの現場を押さえて犯人を捕まえる手筈となっている。
しかしここまで怪しいとなると、先んじて容疑者確保でいいんじゃないか、と黄雲は言うが。
「うーん……確かに、ものすごーく怪しいけれど……」
雪蓮、渋い表情ながらも続ける。
「疑わしきは罰せず、よね。私、用心棒をするからには、ちゃんと悪い人かどうか、見極めたいの!」
「いやもうあいつ前科ありの極悪スケベ人ですからね」
茶化す黄雲はともかく。
雪蓮はこの仕事をする以上、きちんと責任を持たなきゃと使命感に目覚め始めていた。正義の味方に冤罪があってはならないのだ。ちゃんと慎重に、見極めて。
「で、犯人が大方の予想を覆さずあのクソニンジャだったら、どうするんです?」
黄雲の投げかけた問いに、正義の用心棒は。
「もちろん、改心するまで叩きのめします!」
気合を入れるように、数回拳で空を切る。深窓の令嬢とは思えぬ鋭い正拳が唸りを上げる。
「頼もしいことで」
呆れたような黄雲のため息。
床ではなおも、酒壺をかぶった清流道人が、くぐもったいびきをかいている。
雪蓮、初めてのお仕事はこの日の夜のこと。
巽は結局、清流堂へ戻ってこなかった。
月下、黄雲と雪蓮は街へ繰り出すのであった。




