4 就職活動は前途多難
働きますとは言ったものの。
「何をどうすればいいのかしら……?」
この世間知らずの箱入り娘、何も考えていなかった。
黄雲と盛大な口喧嘩を演じたのは昨日のこと。本堂の石段に腰掛けて、雪蓮はうーんと唸っていた。
「よおせっちゃん」
「巽さん」
本堂の屋根の上から、ひょっこり顔を出したのは巽だ。相変わらずの覆面黒ずくめは、ひょいと宙を舞い雪蓮の目の前へ着地した。
「悩んでるねぇ。昨日のことだろ?」
「そうなの。働くと言っても、一体何をすればいいのか……」
頰に手を当てため息を吐く少女。そんな彼女の隣に、「簡単だよ」と明るい調子で言いながら巽が腰掛ける。
「俺、いい働き口知ってるぜ」
「ほんとうに! どんなお仕事なのかしら?」
「いやいや超簡単だよ。未経験大歓迎、まあただ仕事は夜なんだけどさぁ」
「構わないわ!」
鼻息荒く、雪蓮は先を促す。
「その意気やよし。ま、仕事つっても、その辺のおっさんと飯食ったり酌してあげたりして仲良くなってさ、一緒の布団で寝るだけだよ!」
「まあ簡単!」
わあっ! と雪蓮は声を上げた。おじさんと仲良くなって、一緒にぐーすか寝るだけなんて。
崔雪蓮、世間を知らず。ゆえに江湖にゲスい商売が横行していることを知る由もなく。
巽の三白眼が好色にニヤついているのにも、彼女は気付かない。
「色街で常時募集中なんだけどさアベシっ!」
続きをしゃべろうとした巽を、突如木剣が襲う。
本堂の中を掃除していた黄雲だ。
「ばっかやろう! お前はどんな職場を紹介してるんだ!」
「い、いたのかよ……」
後頭部をさすりながら、巽の三白眼はがっかりとしょぼくれる。そんな彼を気にかけながら、雪蓮は黄雲へ向かい口を開く。
「わ、私ぜひそのお仕事やってみたい!」
「お嬢さん……」
未だにどんな仕事か理解できていない少女に、黄雲も心底呆れ返った。
「あなた、どんなお仕事か分かってるんです?」
「知らないおじさんと、ご飯食べたりして仲良くなって、一緒に眠るお仕事です!」
「それって売春ですからね」
売春。こともなげに答える黄雲の言葉に、雪蓮ははたと固まる。
「え、え……?」
「あちゃー、純朴なせっちゃんには通じなかったかぁ」
何事も無かったように復活した巽が話に混ざる。
「俺、『寝る』っつったじゃん? あれ隠語なわけよ。いや、なんかこんなん改めて説明すんのも恥ずかしいんだけどさ」
「隠語?」
「雲雨の交わりのことですよ」
照れ臭いのか、黄雲は難しい言葉で答えた。読書家の雪蓮へ、それは難なく通じる。すなわち男女の性交のことだ。
「わっ、わたっ、わたしっ……!」
あっという間に赤面する世間知らず。わなわなと震えながら、二、三歩後退。そしてがばりと踵を返し、駆け出した。
「私そんなの無理いいい!!」
あっという間に、彼女の姿は母屋へ消えていく。
「あーあ」
「あーあじゃねえよお前は」
後に残された二人。巽は残念そうに嘆息し、黄雲はそんなニンジャに軽蔑の視線を落としている。
「まったく、僕が気付いたから良かったものの……あのままお嬢さんを色街に連れて行ってみろ、僕ら全員打ち首だぞ!」
「冗談のつもりだって〜。いやぁ、うぶな女の子っていいね!」
「……ふん」
不機嫌に鼻を鳴らし、黄雲は本堂の掃除に戻るのだった。
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思わぬ破廉恥な展開に翻弄されながらも、雪蓮は求職活動を諦めなかった。
今度は母屋でうんうん唸っているところへ、現れたのは三人の子どもたち。
「せっちゃーん」
「お金ほしいんだって?」
「あたしたち、いい方法知ってるよ!」
「ほんとうに!?」
逍、遥、遊の無邪気な声に、雪蓮は愁眉を開いて喜んだ。
「わあ、どんな方法かしら!」
「えーとねー、こっちこっちー」
子どもたちに誘われるまま、たどり着いたのは黄雲の部屋。
道術の書物や道具が整然と並べられた部屋の中へ、子どもたちは無遠慮に入り込む。
「ねえ、ここって……」
「哥哥の部屋だよ」
「遥、そっち持って」
子どもたちは長持ちや箱を移動させて足場を作り、その上で三連肩車。
「……なにしてるの?」
「哥哥のヘソクリ! ここにあるから持ってけばいいよ!」
梁の上から小銭が大量に入った麻袋を引き下ろしながら、遊が無邪気に言った。
「な、なりませんっ!」
雪蓮、小さな窃盗魔に声を張り上げる。
「人の物を勝手に盗るのは、いけないことですっ!」
「大丈夫だって。バレても哥哥に叱られるだけだもん」
「そうそう。大人になったら返せって怒られるけど、ふみたおせばいいんだよ!」
「トイチで貸したことにするって言われても、無視すればいいんだし!」
「ねー」と子どもたちは仲良く同意。雪蓮、無垢な子どもたちの乱れた道徳心に、涙ちょちょ切れそうだ。
「うっ……」
雪蓮は袖口で目元を覆いながら部屋から走り去る。
そしてしばらくして。
「ああっ! お前たち!」
「げっ、哥哥!」
「逃げろ!」
「ケチ門神だ!」
悪事がバレてしまった子どもたちは、ケチ門神から散り散りになって逃げるのだった。
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「はぁ……」
雪蓮はすっかり疲れてしまった。就職活動も楽ではない。
あなや、こんなに精神をすり減らされるものなのねと、諦めかけるが。
(いいえ。諦めてはだめよ雪蓮! 他の人に迷惑をかけず、楽しく美味しく亮州の街を味わい尽くすのよ。ここで諦めてもいいの!?)
意外と体育会系な内なる雪蓮が、心の内から発破をかけるのだ。
「よしっ、頑張らなきゃ!」
えいえいおー! と自身を奮い立たせ、雪蓮は母屋から庭へ飛び出した。
そして今。覗き込んでいるのは、庭の片隅の菜園だ。
畑には黄雲のお墨付きを得たお色気大根が、艶かしく植わっている。
お色気大根の管理人は。
「巽さん!」
「ッ!」
雪蓮は後方から飛んできた棒手裏剣をはっしと掴みつつ、振り返った。
迫ってきていた巽の人中(鼻と上唇の間の部分、急所)を、返す手に持つ棒手裏剣で、過たずひと突き。
「やるな、せっちゃん」
覆面の顎下からぼたぼたと血を滴らせながら、巽は腕組みうんうん感心。
「あ、あのっ、ごめんなさい!」
「いや気にしないでくれ。俺もキミを脱がせようとして飛び道具を使ったわけだし」
巽が清流堂へやってきてから、幾度となく繰り返されたやりとりである。この男、気分次第ですぐ女性の衣を裂きにかかる。雪蓮も雪蓮で、反射的に彼の破廉恥行為に反撃をかましていた。脱がされたことはただの一度もない。
それはそうとして。
「で、こんなとこで何してんの?」
「あ、あのね!」
雪蓮は一面に広がる卑猥な大根を指差した。
「この大根、私にも売らせてほしいなって!」
「ほほう、お目が高い」
あられもない白い形状から目をそらしつつ依頼する雪蓮へ、巽は目を細めて見せた。
「ふふん、このお色気大根に目が留まるとは、さすが名家のお育ち。でも残念なんだけどさぁ……」
巽の台詞の間に、商談を聞きつけ駆けてくる靴音が一人分。
「ちょーーぉっと待った!」
「黄雲くん」
子どもたちから取り返した麻袋片手に、黄雲は息を切らしている。
待ったをかけた黄雲は、懐から紙切れを一枚取り出し、雪蓮へ突き付けた。
一番目立つように書いてある文字は、『売買契約書』。
「よーく御覧なさい! ここのお色気大根は、僕が専売契約を結んでいます! なあ巽!」
「というわけだ。すでに顧客がいるんで諦めてくれ」
「えー……?」
世の中はとかく厳しい。この狭い清流堂の中ですらそうなのだ。雪蓮が稼ぐ隙は寸分もないようだ。
「じゃ、じゃあ!」
しかし少女は諦められない。亮州城下、美食絶景。
「私、黄雲くんがその大根を売るの手伝うから! ね!」
「なんで自分ひとりでできる仕事に、人を雇わなきゃいけないんです?」
「じゃあ! 巽さんが大根育てるのを手伝う!」
「俺ぁ別に人手はいらないね。それより大人しく脱いで……んがっ」
巽の言葉は半端に途切れる。覆面ごしに口へ突っ込まれた、木剣の切っ先によって。
「じゃあ、私いったい、どうやってお金をかせいだら……」
「稼がなくていいんですよ」
へたり込む雪蓮へ、木剣の先を巽の服でぬぐいつつ黄雲が諭す。
「あなたは今、身中に巣食う怪異の災いを避けるため、ここにいるんでしょう? 楽しく遊んでいる場合じゃありません。大人しくご隠居してください」
「いやー! この年でご隠居はいやぁ!」
「もー、ワガママばっかり……」
呆れる黄雲、膝をつく雪蓮。巽は興味を失って、塀の上から道行く女性を物色している。
そこへ。
「こらこら、そう喧嘩ばかりするのはおよし」
見兼ねて清流が歩み寄る。
「師匠!」
「清流先生……」
「雪蓮。そんなに外の世界が見たいのかい?」
屈みながら問う清流。
こくり。少女は涙腺をしめらせて頷いた。
「雪蓮は街へ出てみたい。そのために金を稼ぎたい。黄雲は面倒ごとに関わりたくない。そうだな?」
「えーえー、おっしゃる通りですよ」
「ふふふ」
急に含み笑いを浮かべる清流に、黄雲と雪蓮、そして塀の上の巽の視線が集まった。
「任せなさい。私にいい考えがある」




