3 惨劇の街歩き
「いいですかお嬢さん」
堂の門前で、黄雲が高説を垂れている。題目はもちろん、街歩きの注意点について。
「護符の力で確かに弱い物の怪は寄っては来ませんが。それでもこの間の大猪のような大妖が現れれば心許ない。少しでも僕が異変を感じたらすぐに帰ります。いいですね?」
「はいっ!」
元気に手を挙げる雪蓮。大きな瞳にはきらきらと、これから向かう街への期待が光となって輝いている。
「次に! あなたお買い物を希望されているようですが、師匠より預かった金額以上には買いませんからね!」
黄雲は清流から賄賂以外に、雪蓮のお小遣いも預けられていた。子どもの買い物にしては、まあ少し贅沢かというくらいの金額だ。
「いいですか。せいぜい無駄遣いしないよう、心しておくよーに」
「はいっ!」
雪蓮、再び元気に挙手。
「好! ならばしゅっぱーつ!」
「おー!」
繁華街へ向け、黄雲と雪蓮は前後に列を組みいざ出発。
「哥哥、せっちゃーん」
「いってらっしゃーい」
逍、遥、遊の三人が門から顔を出し、二人の背を見送る。
この時、雪蓮へ具体的な金額を明示しなかったのは、黄雲の失策であった。
意気揚々とたどりついた街中で、少年は地獄を見ることとなる。
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「わぁ……!」
人でごった返している亮州城中心部。あの日、屋敷から脱走した雪蓮がたどり着いたあたりだ。
この日も人で溢れ、あちこちに屋台が軒を連ねている。
頰を紅潮させている少女へ、黄雲は普段通りのしかめ面でまた指図する。
「いいですか、ほしいものがあったらまず僕に……」
「わああ! 何これ何これおいしそう!」
僕に言ってください、という指図の後半は見事に無視された。というより雪蓮、もとより聞いていない。
「何ですかこれ!」
「焼き魚だよ」
「うーん、おいしい!」
「こら! 代金を払う前に食べ……」
「ごちそうさま! こっちは何かしら!」
「羊肉串だよ」
「ちょっと人の話を」
「おいしいー! 脂身がたまんなーい!」
屋台に並ぶ、見たことのない珍味の数々。雪蓮は夢心地であれやこれやと手に取った。買い物などしたことない彼女、とにかく屋台の主人たちに誘われるまま食べまくる。
通月湖で獲れた魚の串焼きに、ピリ辛の異国情緒漂う肉料理。野菜を包んでほっくり蒸しあげた包子に舌鼓を打ち、山ほどの杏や棗を味わった。
それぞれを二、三口で平らげ、驚くべき早さで次から次へと屋台をハシゴする彼女。
後をついていく黄雲は地獄である。
歩けば歩くほどに銭が減っていく。既に清流から預かった小遣いは底をつき、雪蓮の浪費分は黄雲の私財へと侵食を始めていた。
「おや、清流さんとこのお弟子さん」
「今日は金払いがいいな! なんだいあの子、コレかい?」
「…………いえ」
がはは、と笑いつつ小指を立てる顔なじみの店主へやんわり否定しながら、黄雲は財布から銭を取り出す。顔色は死人のように真っ白だった。
「黄雲くん! 見て見て、あれもすっごく美味しそう!」
「あああ……」
地獄は夕刻になるまで続いた。
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どうやって清流堂まで帰り着いたのか、黄雲は覚えていない。
気付いた時には食卓の椅子に腰掛けて、空になった財布をじっと見つめていた。
窓から入り込む夕焼けの日差しと、カラスの鳴き声。いずれも傷心に深く深く染み入った。
「はー、楽しかったー!」
満足気に食卓のある部屋へ入ってきたのは、雪蓮だ。満面の笑みを浮かべながら、少女は黄雲の対面へ座る。
「今日はありがとう、黄雲くん!」
「…………」
「黄雲くん?」
「どうした?」
呼びかけても反応のない黄雲を訝しんでいると、清流、そして巽が現れた。
「あ、あの……黄雲くん、なんだか元気ないみたいで……」
「ないっつーか死んでんじゃね?」
真っ白に燃え尽きている少年を眺めながら、巽はあっけらかんと率直に言う。
彼の言う通り。黄雲、微動だにせず、財布を見つめる眼差しに生気はない。
「ふぅむ」
弟子の視線の行き先に目を留めて、清流道人は軽く息を吐いた。
「雪蓮よ」
「はい、清流先生」
「キミ、今日大分散財したようだな」
黄雲が見つめていた財布をつまみ上げて、清流は「やれやれ」と薄く笑う。財布の口を逆さに振っても、小さなホコリしか出てこない。
あっ、と雪蓮は声を上げた。やっと気付いたのだ。自身が小吃を食べるのに夢中で、後ろの黄雲を顧みなかったということに。
「わ、私……」
「なるほど。私が用意した駄賃では足りず、泣く泣く己が銭を切り崩し……というところか」
「つーか、せっちゃんそんなに食べたの?」
「わわわ……私なんてことを……!」
あんなに金銭に対する執着が強い黄雲だ。傷心いかばかりか。
己の罪に動揺する雪蓮へ、「あいつヘソクリめちゃくちゃ貯め込んでるから気にする必要ないぞ」と清流が声をかけるが、「嗚呼どうしましょう!」とこの娘、聞こえちゃいない。
「お嬢さん……」
椅子に座る死体が、不意に震える声で語り出す。
「断腸、という言葉をご存知ですか」
「は、はい……」
抑揚のない、やけに低い声で黄雲は続ける。
「子猿と引き離された母猿が、腸が裂けるほどに嘆き悲しんだ故事が由来の言葉です……」
「はい……」
そこでくわっ! と黄雲は顔を上げた。
極限まで寄せられた眉間のシワ、吊り上がる眉尻。その下で血走っている両の眼。
「僕の腸が裂けたら、お嬢さんのせいですからね……!」
「ごっ、ごめんなさーい!」
墓下から蘇った、怨念深き亡者のような迫力である。雪蓮も思わず伏して謝った。
「汗水垂らして稼いだ金銭は、僕にとって子猿と同じ……! それを! それをあなたという人は!」
「ごめんなさいごめんなさい!」
「おおげさだなー」
椅子を蹴飛ばして荒ぶる黄雲、こうなったら雪蓮は平謝りだ。巽や清流はもはや人ごとである。
「ともかく! 僕は二度とごめんですからね! もうあなたと街へ行くのは金輪際無しということで!」
「ええっ!?」
それは困る。雪蓮はまだまだ街を味わい尽くしていないのだ。対する黄雲も黄雲で、私財が枯渇していく虚しさはもう味わいたくない。
かくて互いの主張をぶつけ合うため、戦いの銅鑼は鳴らされる。
「やだやだやだー! 今度は無駄遣いしないように気をつけるからー!」
「だまらっしゃいだまらっしゃい! あなたがどう気をつけようが、もう僕はいやと言ったらいやなんです!」
「むうううっ!」
太い眉に怒りをたぎらせる黄雲に、頰を膨らませて相対する雪蓮。
「あーあ、だめだこりゃ」
「まあまあ、ふたりとも……」
なだめようとした清流と巽に、二人分の視線が、いや、矛先が向いた。
「そうだ、別に僕じゃなくても良くないですか? もともと外出を許可したのは師匠ですし!」
「そうだわそうだわ! 別に黄雲くんじゃなくてもいいんですもの!」
「あー……えーと……」
困ったように、清流は後ずさる。そして一言。
「悪いんだが、今日酒代で有り金全て使い果たしたところで……」
「俺も無一文だし……」
「…………」
社会不適合者ばかりである。
少女は情けない大人たちから視線を外し、俯いた。
雪蓮、今日ですっかり街の魅力に取り憑かれてしまっている。街並みの景色もさることながら、あんなにたくさんの美味しいあれやこれ、諦め切れるわけがない。
しかし黄雲は吝嗇をこじらせこの有様。清流や巽は文無しときた。
「なら私、働きます!」
「えっ」
出し抜けに箱入り娘が放った一言に、三人はあっけに取られる。
「は、働くって……」
「黄雲くんみたいに何かを売ったり働いたりして、自分のお小遣いを稼ぐの! それなら文句ないでしょう?」
「はぁあ……?」
お嬢さまの挑むような目つきに、黄雲の口もポカンと半開き。
少年は思う。
面倒ごとの気配がする、と。




