2 外出許可
夕食後、雪蓮の姿は清流道人の部屋の中にあった。
体内に宿る謎の存在を視るため、毎晩彼女はここへ足を運ぶように言いつけられている。
「ふむ、今日も特段変化ないな」
燭台の灯す橙色の明かりの中。雪蓮にかざしていた手をおさめ、清流は側に置いていた盃を手繰り寄せた。
最初の晩のように、体内の奥深くに腕を突っ込むようなことはされていない。ただ座っている雪蓮に手をかざし、氣を感じるのみだ。
清流はぐいっと盃をあおる。いつものように「下がっていいぞ」の言葉を待っていた雪蓮へ、道人は盃を置き、口を開いた。
「ところで。街へ出たいそうだな」
「え……」
思いがけない言葉が飛び出したので、雪蓮は面食らう。しかし街へ出たいのは事実。少女は清流の切り出した話題に食いついた。
「はいっ! ぜひ、お買い物をしたり、色んな景色を見てみたいのです!」
「ははは、そうだな。キミはずっとお屋敷で閉じこもって生きてきたわけだし、外界へ興味を持つのは至極当然だ」
「でも……」
雪蓮は眉尻を下げて、頰に手を当てる。彼女が語り出したのは、昼間の黄雲とのやりとりだ。雪蓮は切々と顛末を語るが、清流は物陰で一部始終をすでに聞いている。しかし道人は素知らぬ顔で「ふむふむ」と、彼女の言い分を聞き終えるのだった。
「ふぅむ。黄雲のやつがなぁ」
「そうなんです。物の怪がいて危ないし、お父さまから頼まれてないって……」
「あいつも大概ケチくさいからな」
言いながら清流は立ち上がり、酒壺で散らかった部屋を横切って戸棚を覗き込む。そこから取り出したのは、一枚の護符。
「ほれ、これをやろう」
「これは……?」
「退魔の護符だ」
黄色地に物々しい呪文が書きつけられたそれを、清流は雪蓮へ手渡す。まだ不思議そうな顔をしている少女へ、道人は説明を付す。
「しっかり氣をこめた、特製の護符だ。それをしかと持ち歩けば、生半可な物の怪は寄ってこれないぞ」
「それって……!」
期待の眼差しを向ける雪蓮へ、清流はにっと口角を上げる。
「黄雲には私から言っておいてやろう。ま、さすがに一人歩きはまずい。もし街へ出るなら、我が弟子を伴っていきなさい」
「清流先生……!」
ありがとうございます、と雪蓮は頭を下げる。
清流は「うむ」と一言返して、酒を注いだ盃を唇へ傾けた。
翌朝。
「外出を許可したですって!?」
すっとんきょうな黄雲の声が、朝の空気を震わせる。
厨で粥を煮ながら、少年は師匠をじとりと見据えていた。
「街へ行くったって、そりゃ護符があれば物の怪は寄ってこないかもしれませんけど……でも良家のご令嬢をひとりで外出させるわけにもいかない。となればお守り役が必要なはずですが」
「そこをなんとか頼む、我が弟子よ」
「やっぱ僕なんですね……」
黄雲は師に背を向けて、包丁を手に取った。トントン、と小気味よく野菜を切る音。
「というか、ご自分が許可されたんなら、ご自分でお守りしてあげればいかがです? 僕、正直めんどくさいんで」
「おいおい、面倒臭いで師の頼みを断る弟子がどこにいる」
「ここに」
「ははは、口の減らんやつよ」
はっはっは。微笑ましい師弟のやりとりだが、お互い目が笑っていない。
そんな様子を物陰からこっそり伺う影がひとつ。寝起きの雪蓮だ。
自身の自由がかかっている。彼女は手に汗握って顛末を見守っていた。
「仕方がない」
清流はため息ひとつ。観念したように懐から何かを取り出し、菜っ葉を炒めていた黄雲へそれを差し出した。
きらりと光る、それは。
「引き受けてくれるなら……な?」
「……仕方ありませんねぇ」
雪蓮の位置からはよく見えなかったが、黄雲の反応で大体分かる。金だ。
うまいこと弟子の首を縦に振らせた清流、「二度寝二度寝」と厨から自室へ戻る。
こっそり佇んでいた雪蓮の脇を通る際。
「ちょろいぜ」
なんておどけて見せた。
「……賄賂?」
二日酔いのようにふらつく道人の後ろ姿を、雪蓮は少々呆れの混じった眼差しで見送るのだった。




