1 帰ってきたあいつ
「なんだこれ……」
とある穏やかな昼下がり。清流堂の庭、その一角にある菜園にて。
黄雲と弟妹分の三人の子どもたちは、怪訝な表情でそれを見つめている。
「大根……?」
それは大根である。繁る緑の葉、白い主根。どこからどう見ても大根だ。
しかし不思議なことに、黄雲たちは菜園に大根を植えた覚えはない。だが一番の問題はそこではなかった。
「お色気大根だ!」
「お色気大根!」
弟分の逍と遥が囃し立てる。
その大根、先は二股に分かれ、上に行くほどに腰、くびれ、そして二つのふくらみと、非常に艶かしい形をしていた。
そう、まるで女人のような姿形。子どもに見せるにゃ刺激が強い、それは立派なお色気大根。
しかも一つではない。
「哥哥! こっちからも!」
「また出てきた!」
「うわぁ……」
菜園のあちこちからお色気大根は出土した。巨乳貧乳、普通の乳に垂れ乳と、種類も豊富。
「ふふふ……見つけてしまったな」
「その声は……!」
菜園の上に降ってきたのは、聞き覚えのあるうざい声。声の主に心当たりのある黄雲、太い眉がピクリと震える。
声の主は近くの樹からしゅたっと着地。現れましたるは誰あろう、覆面黒ずくめのあの男。
「やあやあお久しゅうござる! 三日ぶりだな少年よ!」
「えーと……キノなんとか!」
「キノエ! 木ノ枝巽!」
三日前に処刑されたはずの巽である。
「なんだお前。死んだんじゃないの?」
「ところがどっこい生きている」
女人に触れられさえしなければ、生命力は折り紙つきの彼。投石など恐るるに足りぬと息巻く巽に、黄雲もげんなりと青息吐息。
「で。お前はうちの庭で妙なものを栽培して、何のつもりだ?」
大方、得意の木氣でもって、この卑猥な形状の大根を育てたのだろう。
ふふんと鼻を鳴らし、巽は答える。
「すけべなものが見たい一心だ!」
「あっそ」
おおむね憶測通りの回答だった。まったく馬鹿らしい。
黄雲、興味無さげに巽から視線を外す。
「ねー、哥哥ー」
「こいつだれー?」
子どもたちはというと、初対面の覆面に興味を刺激されている様子。黄雲はそんな彼らに「変質者だから近付かない」と一言注意喚起だ。
男児はともかく、女児の遊は「きっしょ」と辛辣に言い捨て、走って母屋へ逃げていった。
残された男たち。巽は覆面ごしに寂しげな色を浮かべて、母屋の方をじっと見つめている。
「さてクソ覆面。ん」
「なんだ?」
黄雲はおもむろに巽へ向かって手を差し出した。意味が分かっていない様子の覆面へ、続けて言う。
「場所代。人んちで勝手に妙なもの栽培しやがって……」
「えっ、ちょっと待って。俺金持ってない」
「はぁっ!?」
爆弾発言だった。金を持っていない。持っていないにも関わらず、他人の敷地を間借りしたというのか。
黄雲、途端に憤ること烈火の如し。
「金が無い!? 無一文!? だのに人様の敷地に勝手仕出かすとは風上にも置けんヤツ! ええいそこに直れ今すぐ金目の物を出せ!」
「いやさー、そんな怒ることないじゃん? 大したことないってー」
「大事だよ馬鹿野郎!」
「あっ」
一際大きな声で黄雲が怒鳴り立てる。巽の足元に、突然ぽっかり穴が空いた。地面には黄雲の流した土氣が立ち込めている。
当然足場のなくなった巽は、なすすべなく落下するしかない。
「おおおい、いきなり道術はひきょぉぉ……」
穴からは巽の抗議の残響。
卑怯がなんだ知るか。怒りの黄雲は「けっ」と吐き捨てて踵を返す。
振り返った先、なんとなく逍と遥のふたりが目に入る。
「うらー、おっぱい攻撃ー」
「だめだ貧乳では勝てない」
ふたりはお色気大根を戦わせて遊んでいる。巨乳の方が優勢らしい。いやそれよりも。
「…………」
黄雲は思った。
——これ売れるんじゃね?
かくして清流堂の門前に珍妙な出し物が催される。
「さあさ皆様寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 世にも奇妙なお色気大根だ!」
道端に大根を並べ、さっそく売り出してみたならば。
「こ、これは……!」
「巨乳ください!」
「巨乳!」
「巨乳!」
「垂れ乳!」
あっという間に、一部の好事家に大好評売り切れ御免。お色気大根は高値で売れていったのだった。貧乳以外。
「売れるなこれ」
「だろ?」
商売の手応えを噛みしめる黄雲、そして背後には、いつの間にか穴から這い出した巽。
「なあ変態ニンジャ。これまた作れるか?」
「もちろん。場所代の一件もこれで解決だな!」
「ああ。これからもよろしく頼む、朋友よ!」
「おうっ!」
がっしり。熱い握手が交わされる。
売れ残りの貧乳大根のひしめく中、金で作り上げられたちょろい友情が生まれるのだった。
この後、儲けの取り分をめぐる諍いで友情はもろくも瓦解するのだが、割愛。
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巽はいつの間にやら清流堂に居着いてしまった。
元々来るもの拒まずの清流。居候が一人増えたところで特段気にする様子もなく、相変わらずしたり顔で酒ばかり飲んでいる。
巽、昼は屋根の上で日がな一日ひなたぼっこを楽しんだり、留守にしているかと思えば近所から女性の悲鳴が上がったり。夜には姿が見えなくなるが、どうやら清流の部屋の梁の上で、眼下に巨乳を眺めつつ寝泊まりしているらしい。
基本的に本能の赴くまま、巽は勝手気ままに過ごしていた。
そんな彼へ、羨望の眼差しを傾ける者がここに一人。
「……いいなぁ」
外出禁止令を下されている、雪蓮お嬢様である。
今日も今日とて塀を飛び越え街から帰ってきた巽を、羨ましそうな視線で出迎えるのだった。
「ただいまー、阿雪」
せっちゃん。巽は雪蓮のことをそう呼び始めた。
雪蓮は同年代の友人がおらず、あだ名をつけられたのはこれが人生初めて。なんとなくこそばゆいような、嬉しいような。
「お帰りなさい。何しに行ってたの?」
「ナンパだよナンパ。でもさ、女の子たち、俺の顔見たら速攻逃げちまうんだぜ〜」
色男は辛いよな〜、なんて嘯く巽だが、逃げて行った女性達の気持ちは雪蓮にも分かる。数日前にあんな通り魔事件を起こした覆面の男に、どうしてなびくというのだろうか。
雪蓮はごまかすように「あはは」と笑って流した。
「いいね、あなたは毎日楽しそう」
「なんだい、せっちゃんは楽しくないのかい?」
「うーん……」
最初は楽しくてたまらなかった清流堂の生活だが、この頃はそれほど心踊らなくなってきた。要は飽きたのだ。
こうなってくると、幽閉場所が屋敷から清流堂へ移っただけで、軟禁生活がただ引き伸ばされているように感じてしまう。
「私も、街へ行ってみたい」
ぽつりとこぼす。
何回か街へ出る機会はあった。屋敷から清流堂へ移動した時と、数日前に巽を役所へ連行した時だ。
いずれも大して寄り道せずに目的を達してしまったため、せっかくの街を探検できずにいたのだ。さらに財布のヒモが金剛石の如く堅い黄雲が、余計な買い物を許さない。心残りもひとしおである。
「ふーん。街ねえ……」
連れて行ってあげたいのも山々なんだけどなぁ、と巽。
言いながらちらりと見た先に。
「なりませんよ、お嬢さん」
「うっ、黄雲くん……」
商売帰りの黄雲が、しかめっ面に腕組みでやって来るところ。
「前にも言いましたよね。あなたは今や物の怪のエサ状態、ほら見なさいあの塀の先を!」
黄雲が指差したのは、堂を囲む塀のさらに向こう。道に植えられた柳が塀から覗いている。その葉の中に。
「うまそう」
「うまそう」
「でも道士がいるから食べられない」
タヌキのような、ムササビのような。摩訶不思議なその物の怪の名前は類。柳の枝に五、六匹がずらりと腰を下ろし、こちらを見つめている。
異形の存在に、雪蓮は。
「かわいい」
「かわいいじゃありません! あなたを食べようとしてるんですよ!」
黄雲は塀によじ登り、木剣で柳の枝をつつきながら雪蓮をたしなめる。類たちは桃の木剣に蹴散らされ、「うわー」「貴様の喉笛必ずやいつか食いちぎらーん」などと、滑空してどこかへ行ってしまった。
「いいじゃねえか。お前が守ってあげながら、街歩きに付き合ってあげりゃいいじゃん」
見兼ねた巽が助け舟を出す。「そうよそうよ!」と雪蓮、助け舟に乗る。ところが黄雲。
「そういう業務は知府殿から請け負っておりませんので」
にべもない。
雪蓮の頰がむっと膨れる。例の如く、餌を頰にためこむリスのように。
「けちー! 黄雲くんのけちけちけちー!」
「はっはっは、褒め言葉をありがとうございます!」
「俺また女の子のすそめくってこよー」
清流堂の庭先で、喚く雪蓮、受け流す黄雲。
そして巽は面倒臭くなり、再び塀を飛び越えどこへやら。
「……ふむ」
物陰から一部始終を見ていた清流道人は、何か得心したように頷くのだった。