7 忍びと白刃
「病欠?」
太廟での待機時間。皇太子・王暻は、いかにも不可解と言いたげな声音で側近に問い返した。
天子は現在、祖霊を祀る廟所で儀式を行っている。当然太廟の長である潘天師もそちらへ同行しており、いまここにはいない。
情報を持ってきた側近から視線を離し、王暻は眉をひそめてつぶやく。
「解せんな……晠」
今晩深更にも、大礼の儀式が執り行われる。国あげての行事だ、当然天子の子である太子達も参加しなければならない。
この一大事に、欠席などという判断を下す弟も、はたまたその生母である蔡皇后も、王暻には不可解だった。皇帝の覚えは当然、芳しくはないだろう。そもそも大事な行事に参加できぬほどの病などとは聞いていない。
──一体なにを考えている。
思案に耽る、皇太子の背後には。
「……ちう」
こそこそと物影に潜む、ネズミの姿。
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同時刻、朱雀堂。
緊迫した空気の中、口を開くは八洲の忍び──木ノ枝巽。
──三人まとめて、霊薬の餌にしてやる。
いま、この忍びはそう口にした。その言葉に、子堅の懐の瓢箪は。
『やはり……!』
得心の気配を示し、後方の玄智は眉間に険しさを宿らせる。
「巽、てめえ……!」
那吒が怒気を漲らせて、一歩踏み出したときだった。
頭上から轟音。建物が揺れ、天井が崩れ。
崩れた建材の合間から、めきめきと音を立てて桜の大樹が殺到する。
「なっ……!」
「さがれもやし!」
朱雀堂をなぎ倒さんばかりの勢いで襲来する桜花の群れの中、火眼は子堅の首根っこを掴み、後ろへ下がらせた。
樹々は建物の外から攻撃をしかけているらしい。一刻も早く退避すべきだが、唯一の退路には巽が立ちはだかっている。
子堅とともに火眼の後ろに隠れている子ども達が、火眼の外套をぎゅっと握った。布越しに伝わる、不安。
「大人しく従えば、ガキ共は逃がしてやる」
その不安を見透かしたように、忍びは冷淡に慈悲を見せた。手に持った刃は、変わらずぎらぎらと鋭い光を返している。
痛いところだった。この状況、子ども達を連れていることはいささか──いや、多大な足枷だ。
しかし。
「えいっ!」
足元に落ちていた瓦礫を拾って、目前の覆面へ投げつけたのは遥だった。
屋根瓦だった瓦礫は、巽の額へこつんと当たって落ちた。避けようと思えば避けられただろうに、巽は微動だにしない。
「ばーか! 誰が逃げるもんかクソニンジャ!」
不安を押し込めた声で、子ども達が口々に叫ぶ。
「お前の言う通りになんかなってたまるか!」
「ばーかばーか!」
震える罵声。子ども達だけではない。子堅や那吒、そして王晠からは敵意の眼差しが突き刺さる。
「そうだな、ガキ共と同意見だ」
怒りを抑えた声で子堅が言う。冷静を装いながら、青年は腸が煮える心地だった。目の前にいるのは、妹をかどわかした張本人で。妹に霊薬を宿らせた、鴻鈞道人と共謀していたわけで。
「お前こそ多勢に無勢じゃないのか。大人しく従った方がいいのはどっちだろうな?」
「さあな」
子堅の精一杯の虚勢と怒りをさらりと受け流し、巽は肩を竦めて見せる。三白眼には、なんの感情も宿らない。
忍びはゆらりと体勢を変える。緩慢な動作で、刀を持ち直し。
「おいさる」
その様を炎の瞳で凝視しつつ、火眼は後ろの玄智真人へ呼びかける。
「もやしとガキどもをたのむ」
「うむ……!」
玄智が頷き、子ども達を即座にさがらせる。と同時に。
「!」
薄暗い堂内に、火花が散った。
忍びは瞬時に間合いを詰め、白刃を閃かせ。
火眼は背中に隠し持っていた真紅の棍を刹那のうちに構え、巽の刃を受け止める。
ギリギリと、火眼の目前で嫌な音を立てる八洲刀。その刃の放つ銀の光と気配に、火眼は覚えがある。はたと見開かれる赤と金の瞳。
「きさま、これは……!」
『龍吟!』
子堅の懐から瓢箪が叫ぶ。
龍吟。正体不明の宝剣。かつて己を斬り裂いた刃の気配に、火眼は狼狽する。
一瞬焦りを見せた火眼に、巽は容赦しなかった。間髪入れず刀に込めた力を抜き、棍から刃を浮かせて俊敏に火眼の胴へ狙いを変える。
「馬鹿っ、火眼!」
横合いから割って入ったのは那吒だ。いつの間にか手に持っていた槍で、巽の刀を叩き落そうとするけれど。
「ちっ!」
忍びは素早く飛び退る。一連の立ち回りで、巽の立ち位置が出入り口から少々遠ざかった。槍を構えた那吒が素早く退路を確保し、子堅ら一同へ鋭く目配せを送る。
『いまだ、師匠!』
「うむ!」
清流の声を合図に、玄智が子堅と子ども達を連れて開け放たれた扉へ走る。
「王晠! お前もだ!」
「は、はい!」
今まで成り行きを見守るしかなかった王晠も、那吒の声に応じて駆けだした。
火眼と那吒以外の全員が屋外へ逃げおおせる、が。
「火眼、分かってるな!?」
「ああ、みなをたのむ!」
火眼はじりじりと出口に背を向け、那吒の退路を作る。那吒は踵を返し、建物の外へと走って行く。
二人の意図に気付いた巽が、わずかに三白眼をすがめてみせた。
「ったく、相変わらず生ぬるいもんだお前達は……一人が俺の足止めをして、一人が外の桜を止める役って魂胆だな」
「…………!」
火眼の頬を汗が伝う。意図を見破られたことに焦っているのではない。焦燥の要因は、もっと別のこと。
「本当に生ぬるい。なにせ、お前達は……」
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一際凄まじい轟音が鳴り響き、朱雀堂が崩壊した。
「火眼にいちゃん!」
「振り返るな、走れ!」
外へ逃げだしたものの、一行には振り返る猶予などなかった。
朱雀堂の外周、石畳を突き破るようにして伸びた桜の樹々が、建物を押しつぶすようにうねっている。さながら、とぐろを巻く蛇の如く。
それだけではない。地響きをあげ、足元の石材を吹き飛ばしながら新たに桜の樹が芽吹く。やはり蛇のようにうねりながら、子堅たち一団を捕らえようと四方から迫ってくる。
「ちっ、キリがねえな!」
子ども達を紅箭の上に乗せ、背に王晠と子堅をかばいながら。那吒は槍を振りかざし、襲来する樹々を薙ぐ。が、以前のような怪力乱神っぷりは無い。わずかに枝の軌道を変えるだけ。亮州で饕餮と対峙した神将だとは、とても思えない有様である。
その様子に、後ろの子堅はわなわなと言葉をかける。
「那吒殿……も、もしや……あなたも……!」
そのとき。朱雀堂があった方角から、鞭のようにしなる黒い枝を避けつつ、赤い影が滑り込んできた。火眼である。
「おい神将そのに。そのざまだとおまえもか」
子堅と同じことを尋ねる火眼に、那吒は不敵に、しかし冷や汗を流しつつ答える。
「ああ、そうだ。お前らとおんなじだ」
おんなじ。そう、垙京には現在、結界が張られている。
鴻鈞道人による結界。その内では、如何なる道士も贋作も、神仙も。
術を使うことができない──。
「最ッッッ悪じゃないか!」
子堅が叫ぶが、事態はなにも変わらない。そもそも火眼と清流に関しては、この街へ来た時から知っていたことだった。
けれども神将たる那吒まで、神通力を封じられるだなんて。それはさすがに書生、予想だにしていなかった。
火眼は炎を操る術を使えないし、ちょっと腕っぷしがいいだけのただの美少年。そして那吒は那吒で、仙界の宝具・火尖槍をその手に呼び出すことはできても、宝具本来の能力は引き出せない。つまりはただちょっと腕っぷしがいいだけの美少女。そして清流はただの太り気味の瓢箪である。猿もただのしゃべる猿。
対して。
朱雀堂の残骸から、黒い影が躍り出る。逃げる皆々の頭上を難なく跳躍し、音もなく着地して行く手を遮り。
「さっきは多勢に無勢だと言ったな」
大量の樹々と桜花を従えつつ、巽は改めて刃を構える。子堅は前言を思い返し、苦い顔をした。多勢に無勢、こうなってみれば立場は逆である。相手は自由自在に道術を操り、常人離れした身のこなしで立ち回る八洲の忍び。
巽は皮肉った語調で口を開く。
「見せてくれよ、多勢の力ってやつをさ……!」




