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2 第二太子・王晠

 あの夜から。

 第二太子・王晠(おうせい)は自室に閉じ込められていた。


 崔雪蓮を牢から脱出させようとしていたこと。

 そのため、八洲(やしま)の忍びを通じ、太子殿に潜伏していた道士・黄雲を手引きし、後宮内へ潜入させたこと。


──全ては、鴻鈞道人(こうきんどうじん)(たなごころ)の上で弄ばれていて。


 信じていたはずの忍びには裏切られ、事は母に露見し、結果としてあれからずっと少年は監禁されている。

 けれども、なんのお咎めがなくとも王晠は自ら蟄居(ちっきょ)していただろう。

 己の至らなさ故、まんまと鴻鈞道人らの企みの傀儡となり、黄雲は凶刃に倒れ、またその様を目の当たりにした雪蓮に、取り返しの付かない心の傷を与えてしまった。

 憤怨と、後悔と、そしてなにより無力感、罪悪感。打ちひしがれる日々が、幾日か過ぎ、そして。

 ある朝だった。扉の前で、うめき声が二人分聞こえたかと思うと。


「おっはよーございまーす!」


 元気な朝の挨拶とともに、分厚い扉を蹴破るようにして部屋へ踏み入ってきたのは、目もくらまんばかりの美少女だった。

 肩にネズミを乗せたその美少女は、持っていたネギ山の膳をやや乱暴に卓へ置くと、椅子に腰掛け堂々足を組み。

 実に傲岸不遜な態度で口を開いた。


「さ、朝餉の膳を持って来たぜ。第二太子・王晠(おうせい)さんよ」

「あっ、あなたは……!?」

「少し、訊きたいことがあるんだ」


 美少女は頬杖をつくと、秀麗な眉目に真剣さを宿らせて続けた。


「朝餉でも食いつつ、ちょっと話ししようぜ?」




 美少女は己を、托塔李天王(たくとうりてんのう)第三太子、中壇元帥(ちゅうだんげんすい)那吒(なた)であると名乗った。


「んでこっちが顕聖二郎真君けんせいじろうしんくん

「ちう」

「ネズミじゃないか……」


 にわかには信じられない話である。王晠は那吒も二郎真君も知っている。二柱とも、この太華で古くから信仰されている神格で。

 何より、雪蓮が語ってくれた亮州の出来事にも登場した神将たちだ。

 雪蓮の話した内容を疑うわけではないが、それでも目の前の一人と一匹をその二柱だとすんなり信じ切れるわけもなく。


「ほ、本当に李第三太子と二郎真君なのか……?」


 疑いの眼差しを向けてしまう。ネズミはともかく、那吒を名乗る彼女は確かに人間離れした美貌の持ち主。だからこそ信じられないのだ。


「ど、どっから見ても女の子……」

「あァ!?」

「……ごめんなさい」


 美少女、チンピラじみた表情筋の使い方で凄んでみせるが、やっぱりどこからどう見ても女の子。とてもじゃないが『太子』……そう、男には見えない。

 そんな王晠の疑念を晴らすには、方法は一つしか無い。那吒、内心「またかよクソ!」と毒づきながらゆらりと立ち上がる。


「よしよし、オレの性別を疑うたァいい度胸だ! さあとっくとご覧じろ!」

「えっ」


 そして裾をめくり下帯を外し、見せつけるは(おのこ)の男たる証拠。どこからともなくぺかーっと差す後光。

 十分過ぎるほどの確認時間の後、那吒はそっと帯や裾を直し、静かに問うた。


「……どうだ太子さん。信じてくれたか?」


 王晠、怯えた顔でコクコクコク。美少女に自身より立派な龍がついていたので少年、涙目である。


「ならばよろしい! そう、このオレこそ稀代の神将・羅車太子(らしゃたいし)那吒である! 信じたか? 信じたよなっ!」

「は、はいっ!」

「なればよしっ!」


 と、ふんぞり返りつつ一国の太子を圧倒しながら。那吒は内心で舌打ちをひとつ。


(ちっ! 鴻鈞のやつの結界で仙氣や宝具さえ封じられてなけりゃ……!)


 例えば目の前で風火輪に乗るだけで信じて貰えようものを。神将としての力を封じられては、ちんちん出さざるを得なかった。非常に屈辱である。

 密かに鴻鈞道人への復讐を誓う那吒をよそに、二郎真君といえば。


『殿下。先刻那吒より紹介に与りました、二郎真君にございます』

「ネ、ネズミが喋っ……!」

『驚愕ごもっとも。しかし実際に喋っているわけではなく、殿下と那吒にしか聞こえぬ氣の発声にて会話致しております』

「へ、へぇ……」

『諸事情ございまして、いまはネズミの姿形を借りている次第。神通力も大半が封じられ、神将本来の姿に戻ることもできませぬゆえ、信じられぬのも道理。しかしながら我が言の葉を信じるお気持ちがひと欠片でもございますれば、さあさ太子殿下、我が額を、御目をこらしてよく御覧に……』


 王晠、ネズミの言うとおり、その小さな額をじっと見つめる。すると額の上に縦に皺が一筋現れ、不意に左右に分かれてパチリと第三の目が開く。


「う、うわぁっ!」


 異形と化したネズミに、王晠、仰天して尻餅をつく。


『驚かせて申し訳ない。しかしながら、我々が人ならざる者であるという、判断の材料にして頂けるなら』

「…………!」


 三眼のネズミに驚き、腰を抜かしたかと思えば。


「……信じますよ」


 王晠はすぐに落ち着きを取り戻した様子でつぶやいた。


「信じます。あなた方が、本邦に伝わる神格……那吒太子と二郎真君の二柱であるということは。たしかに、雪蓮殿がお話しされたとおりのお人柄だ」

「お、おい……お前さん、雪蓮(あのこ)と話したってのか……!?」

「でも」


 息せき切って尋ねる那吒を制し、王晠は神将達を見据えながらはっきりと、しかしどこか痛みをこらえるような口調で言う。


「あなたがたを神将と信じた上で……信用するかどうかは、また別の話だ」


 そして床に座り込んだまま、王晠は膝を抱え込み「出て行ってください」と一言。


「……もう誰も信じたくないし、何も考えたくないんだ」


 膝に顔を埋めて、王晠は全てを拒絶する。先般はただ、雪蓮を救いたくて行動を起こした。その結果どうなったか。何もかもをめちゃくちゃにしただけだった。何もしない方がよかった、そんな後悔のただ中に王晠はいる。

 ところがどっこい。

 那吒はずかずかと歩み寄ると、そんな彼の胸ぐらを掴み、持ち上げた。


「ぐぅっ、なにを……?」


 一見華奢な腕で、足が付かなくなるほどの高さまで王晠を持ち上げ、那吒。


「飯を食え!」


 トン、と王晠の足を地面につかせるや否や、開口一番そう命じた。


「え、あの……」

「いいから飯を食え! そのやつれっぷりじゃあんた、ここんとこまともに飯食ってねえな?」


 言いつつ那吒は椅子を引き、無理矢理王晠を座らせる。

 勢いに負けた王晠は、致し方なく匙を取った。目前にはこんもり、ネギの山。




 そんなわけで王晠はもそもそとネギ粥を食べている。というか粥よりもネギの方が多い。青々しい辛みを黙々と噛みしめながら、王晠はしみじみ思った。こんなまずい粥、生まれて初めてだと。


『那吒、私も一口……』

「ネズミがネギを食うんじゃねえよ」


 けれども、食べている内に段々と気持ちが落ち着いてきたように思う。少し冷めかけた粥が、胃を優しく満たしていく。


「少しは落ち着いたか?」


 那吒がどこか得意げに問いかければ。


「ええ……味はともかく、まあ……」

「味はってなんだ! 味はって!」


 少年神、食ってかかる。「ひぃ!」と王晠が怯えた声を出し、『どうどう』とネズミが美少女を宥めて場は落ち着き。


「でだ、第二太子殿下」


 改めて那吒は口火を切る。


「オレ達がここに来たのは言うまでもない。あんたに聞きたいことと……協力してほしいことがあるからだ」

「…………」


 那吒の申し出に、王晠は憂鬱な顔で俯いた。気乗りしていないことは明白、だけれども。


(那吒よ)


 二郎真君、今度は那吒にだけ聞こえるように語りかける。


(殴ってはだめだぞ)

(わぁってるっつの!)


 真君は知っていた。先程太子の胸ぐらを掴んだ那吒が、限界ギリギリであったこと。殴り飛ばす寸前であったこと。なんとか自身を制してネギ粥を食わせたこと。

 うじうじと悩むさまは、決して那吒が好ましいと思えるものではなく。しかしながら一方の真君は、この太子に無理強いして情報や協力を引き出すこともよしとしなかった。


(……で、どうするんだ兄い? この意気地なし殿下が立ち直るまで待ってやんのか?)

(うぅむ、そうして差し上げたいのはやまやまだが)


 那吒の問いかけに、真君は鼻をヒクヒク。何やら悩んでいる様子の青少年に、言葉と時間を尽くして力になってやりたい気持ちはあるけれど、現実問題無理である。


(親身になってお力添えしたいが、大礼まで時間がない。かくなる上は)

(かくなる上は?)

(かまを掛けるまで)


 二郎真君、伊達に三つも眼が付いていない。先刻、第二太子が「雪蓮」と口にしたときの表情の動きと口調の変化を、彼は見逃していなかった。


『殿下。もしやとは思われますが、崔雪蓮殿に懸想しておられますな?』

「えっ!?」

「はァ!?」


 ネズミ、何を思ったか突然の爆弾発言。当然驚愕の王晠……ついでに那吒。


(おいおいおい兄い! かま掛けるたって発想が突飛すぎらぁ!)

(……果たしてそうか、那吒よ)


 慌てる那吒に、あくまで冷静な二郎真君。果たしてちぐはぐな二人へ、王晠。


「……どうして、それを……!」


 図星の顔である。

 もはや真君の掛けたかまを肯定するも同然だった。「おいおいマジかよ!」と那吒はぽかんと呆れ顔、三つ眼ネズミは「やはり」と首肯をひとつ。

 かまを掛ける、などとは言ったが、まったく根拠の無いことではなかった。

 さきほど厨房で那吒が耳にした噂が考拠だ。恐ろしげな噂の立つ暴室へ、なぜ第二太子は足繁く通っていたのか。そして先刻、雪蓮の名を口にしたときの、一瞬の切なげな表情はなんだったのか。

 総合して考えるに、それ即ち──。


『やはり私の推測は正しかったようだ。殿下、あなたは雪蓮殿に恋をしていらっしゃる』

「こ、こここ、恋だとぅ!?」

「あ、あの、その……」


 二郎真君のダメ押しに、王晠はもじもじ。那吒は目ん玉をひんむいている。

 ネズミの見立てが、まさか第二太子の胸中にある真実を()いていたとは。


(くそっ……黄雲(あいつ)が健在だったらめっちゃ面白かったのに!)


 少年神は、場合が場合なら爆笑必至だっただろう三角関係を少々惜しく思ったが、現状まったく笑えぬ状況である。

 そんな相方を差し置いて、二郎真君は続ける。


『殿下。おそらくあなたはふとしたことから雪蓮殿と知り合い、彼女に好意を持った』

「……はい」

『そして監禁されている彼女を救おうとして失敗』

「…………」

『一連の行動は皇后陛下の知るところとなり、かくして殿下はこの部屋に幽閉されることとなった』

「………………おっしゃる通りです」


 図星を指された王晠は、観念したのか素直に認める。


『……ふむ、概ね私の推察通りの経緯だったということか』

「おいおいおいどうした兄い! いつもの朴念仁っぷりはどこいったんだよ!?」

『黙ってなさい那吒。殿下、宜しければ詳しくお聞かせ願えますか?』

「…………はい」


 王晠、言い当てられてはもはや逃げ場がない。

 少年は訥々と語り始めた。




 長い話が終わり。

 二人と一匹はそれぞれ、三者三様の神妙な顔を浮かべている。

 八洲の忍び、雪蓮を蝕む霊薬(エリキサ)の侵食。凶刃に伏した黄雲。

 そしてやはり裏で糸を引いていた皇后に、鴻鈞道人。

 王晠が現在に至るまでを語り終えると、部屋の中にはしばし沈黙がわだかまる。

 静けさをやぶったのは、三眼のネズミであった。


『詳細な経緯をお聞かせ頂き、恐悦至極に存じます。さぞやお辛かったことでしょう』


 二郎神の労りの言葉に、王晠は沈んだ顔のまま首を横に振った。


「私なぞの心痛、大したものでは……それよりも、雪蓮殿や黄雲殿の安否が気がかりで……」


 少年の言に、『ふむ』とネズミは思案顔。そして続けて放つ問い。


『黄雲少年の行方は、殿下も御存じないのです?』

「ええ……私は、何も……」


 雪蓮殿はまだあの暴室に囚われているでしょうけれど、と王晠。


『ふぅ~む……』


 ネズミの思案顔、深まる。普段は感情の起伏の少ない彼ではあるが、このときばかりは少々深刻そうである。ネズミの眉間に一筋の濃ゆい皺。


「兄い……」


 そんな同僚に、那吒も珍しく不安げな顔。


『なるほど、仔細分かり申した』


 二郎真君は少しだけ思料の時間を取ると、こくりと頷いた。長い尻尾が頷きに同調した動きを見せる。


『……さて。我々がここに来たのには、殿下にお話を伺う以外にもう一つ理由がある。ご助力願いたいのだ、あなたに』

「…………」


 助力。その言葉に、王晠はネズミから目を逸らす。真君、構わず……しかし、王晠の様子を絶えず慮りながら告げた。


『実はこの垙京の城下に、亮州より清流堂の面々が来ている』

「清流堂……」

『彼らについては雪蓮殿からお聞き及びでしょうから、詳しい紹介は省きますが……殿下には、一行をこの禁城へ手引きしてほしいのです』


 王晠の顔が強張った。

 手引き。そんなものはできない相談だ。先般、後宮に部外者を引き入れようとして、取り返しのつかぬ事態を招いたばかり。同じ轍を踏む恐ろしさが、吐き気となって喉にこみ上げる。

 あからさまに顔色が悪くなった第二太子に、那吒は「おい兄い」と呆れの視線を投げかけるが。


『状況の打開に、彼らの力が必要です』


 二郎真君は淡々と続ける。


『我々は鴻鈞道人の張った結界により、神将としての力は封じられ、ただの女官にネズミと成り果てました。本来ならば我々自身が城下へ向かえば住む話、ですが現状禁城はおろか、後宮近傍から抜け出すことも困難だ』


──それに私は機を待たねばならぬ。


 真君は小さな声で、そう呟いた。だから禁城を離れられぬ、とでも言うように。


「機……?」

『そうだ。私はここで待たねばならない。この禁城の内で』

「何故……」


 そう尋ねた王晠に、二郎真君は真摯な眼差しを返す。


『……いまは、その疑問にお答えすることはできません。わけを話せば、お若く、お優しい殿下はこの話を受けざるを得なくなる』


 三つのつぶらな瞳が湛えているのは、あくまで柔らかな、優しげな光。


『まずは殿下の御意志で、我々へお力添えなされるかどうかをお考え頂きたいのです。断られたからといって、我々は恨みには思いませぬ』

「オレぁ千年単位で根に持つぞ」

『これ那吒。無闇に神仙の時間感覚を持ち出すものではないし、根に持つなぞ言語道断だ』


 口を挟んだ那吒をぴしゃりと諭して。

 二郎真君は告げた。


『……我々はこの後宮にいます。私は時折他の宮殿に潜り込んでおりますが、那吒ならその辺におりますゆえ、お答えは是非、彼に。なるべくならば、大礼の日を迎える前に……』

「いえ…………」


 首を横に振る王晠に、「お、こいつ断んのか?」と早計な那吒が青筋を立てかけたときだった。


「……少し、時間をください。明日の朝、今日と同じ時間にまたここへ来てください。そのときまでに、答えを出します」


 窓から差し込む朝日を逆光に、王晠は苦渋の表情のまま、恐る恐る顔を上げた。


「…………必ず」


------------------------------------------


 本当は答えなんて、あのときすでに決まっていた。

 けれども、先の失敗がやはり迷いをもたらして、あの場ではすぐに踏ん切りがつかなかったのだ。

 神将二人が辞した後。王晠はその日、その晩、真剣に考えた。部屋の中で、ひとり、寝台に腰かけて。


──また鴻鈞道人の掌の上で弄ばれていたならば。

──もしまた誰かが犠牲になったなら。


 悪い考えはぐるぐると胸中に巡り、去ることはなかった。

 雪蓮に聞いていたおかげで、清流堂の面々のことはよくよく知っている。会ったことはないけれど、どこか遠くの友人のように王晠は思っていた。けれども、己が行動を起こすことで、その友人達が害されたら。取り返しのつかない心の傷を負わせてしまったら。

 うじうじと悩んでいるうちに、兄──王暻(おうけい)のことが頭をよぎった。

 皇太子(あにうえ)ならばどうしたのだろう、と王晠は考える。が、誰かを斬り殺している姿が即座に浮かんだので王晠はいっそう気分が悪くなった。

 ひとつ、皇太子に関して言えることは「果断であること」。

 兄は迷わない。国のために不惑の剣を振るい、誰かの命を絶つことを厭わない。いつも兄は自分の考えのもとに、自分の足で歩き、自分の言葉を連ね、自ら刃を振りかざす。

 対して自分はどうだろう。今まで自分の足で歩いたことがあっただろうか。自分の言葉を紡いだことがあっただろうか。いままでずっと、母の言葉にだけ従って、母の後ろしか歩いてこなかったではないか。

 けれども。

 ある、と自問自答の中で王晠は答えた。雪蓮に会ったあの日から。彼女を救おうとして、自分の口で助けを求め、自分の足で後宮内を手引きし、彼女と思い人を引き合わせたではないか。

 無惨な結果に、終わったけれど。

 新月に近い晩、痩せ細った月が窓外に見える。まんじりともしないまま、王晠の惑いはまだ続いている。


 誰かが傷ついたり、命を落とすのが怖い。

 自分が自分の意志で行動することで、実際そんな結果につながってしまった。

 ならば何もしない方がいい。


──果たしてそうだろうか?


 本当は答えなんて、あのときすでに決まっていた。二郎真君から助力を請われた、あのときに。

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