15 かくて少年は死に至る
「っ……!」
短刀を引き抜かれ。
黄雲は格子に寄っかかるようにして倒れ込んだ。
その拍子にカツンと、高い音を立てて懐から何かが地面へ落ちる。けれども雪蓮はそれどころではなくて。
「黄雲くん!」
少女は思わず駆け寄った。被っていた白い布が翻り、床へずり落ちる。
「黄雲くん……黄雲くん!」
檻に血の跡を付けながらずるずると頽れる黄雲へ、手を差し伸べたところで。はっと雪蓮は咄嗟に腕を引っ込めた。月光に、腕を覆う銀鱗がきらめいてしまったから。
その様を虚ろな目で見つめながら、ほとんど息だけの声で黄雲は言った。
「お嬢さん……その姿は……」
「…………!」
一番見られたくない人に、見られてしまった。
消えてしまいたい。そう思う少女へ。
「僕のせいだ……」
黄雲は告げる。後悔の滲んだ声で。
「僕が……手をこまねいていたから……」
もっと早く、霊薬をあなたから追い出せていれば。
声からどんどん力が抜けていく。足元には血溜まりが広がっていく。苦痛をこらえながら、少年は吐露した。
「あなたを、取り返しのつかない目に遭わせてしまった……」
何もかも諦めたかのような顔だった。
そのまま黄雲は目を閉じる。息遣いは、浅いまま。
「違う! あなたのせいじゃない!」
精一杯雪蓮は叫ぶけれど、その声は黄雲に届いているのだろうか。
いまさら触れてみても、黄雲は目を開いてくれなくて。雪蓮はただ名前を呼ぶことしか出来ない。
「どういうことだしのぶ!」
背後では巽がきょうだい分に詰め寄っていた。
しのぶは血の滴る短刀を握ったまま、佇んでいる。兄を見上げる瞳には、いつもとは違いはっきりとした意志が宿っていた。
「答えろしのぶ! これはいったい……」
「そうだな、四郎の言うとおりだ」
巽の詰問に、突如割り込む台詞。
部屋の影からふっと現れたのは鴻鈞道人。男の姿で忽然と場に進み出ると、道人は黄雲のもとへと歩み寄り、しゃがみこんだ。
「私の命は生け捕りだったはず……とはいえ、致命傷は外しているか」
「鴻鈞道人……!」
「ま、ともかくお手柄だ。八洲の忍び達よ」
「は……!?」
詰め寄る巽へ、鴻鈞道人はどういうわけか賛辞を贈る。
そして背後、呆然としている王晠へ、鴻鈞道人は碧い視線を投げかけた。
「お聞きください殿下。この者は皇太子殿下に取り入り、第二殿下を差し置いて、自身が陛下の本当の第二子であると標榜していた奸物にございます。つまりはあなたの帝位への道を阻む不逞の輩……しかしご安心を。御覧の通り、我が手の者により半死半生です」
「な、何を……!」
巽は食ってかかろうとするが。
その先の言葉が出てこない。手も足もピクリとも動かない。おそらく何らかの道術をかけられていることは明白だが、解呪のしようがない。巽が静止している間にも優男は続ける。
「賊を捕らえるためとはいえ、殿下を危険な目に遭わせてしまったこと、申し開きのしようもございません。平にご容赦を」
一切気に病むことのない口調で詫びる金髪碧眼。事の成り行きに、王晠は道人と忍びへ、交互に疑念の眼差しを向けた。
「巽殿……これは……どういう……」
突然のしのぶの凶行。示し合わせたように現れた鴻鈞道人。
どうにも黄雲を陥れるための策謀に巻き込まれたような気がして、王晠は巽へ問う。否定してほしかったけれど。
巽は何も言わない。言えないことを王晠は知らない。黒ずくめの覆面は王晠に背を向けたまま俯き、沈黙している。
代わりに答えたのはしのぶだ。
「……殿下。だまし討ちのような卑怯な手で、殿下にご助力賜りました。殿下のお気持ちを謀ったこと、申し訳ございません。兄共々、どうかお許しを」
普段と変わらぬ淡々とした口調。
「嘘だ!」
その返答に王晠は激昂した。しのぶに対してではない。さっきから黙りこくっている、八洲の青年にだ。
「あなたは言ったではないか! 全面的に信用しろと!」
だから信用したのに。だからここまで彼らを手引きしたのに。
彼女を、救うために。
「嘘だと言ってくれ! 巽殿!」
「…………」
返ってくるのは沈黙ばかり。
薄暗闇の中、巽の拳が震えていることに第二太子は気付かず。
「裏切り者!」
ついに罵声を発した。
「お前は……私ばかりでなく、かつての仲間を……彼女を! 二度も裏切った!」
無言の忍びはただ、痛罵に晒されるのみ。その様を鴻鈞道人は涼やかに眺めている。
「何も言うことは無いのか! 答えろ!」
「まあ殿下。かように取り乱して……おいたわしや」
怒号を飛ばす王晠の後ろから、不意に白い腕が現れた。
背後から彼を抱きしめるようにして姿を現したのは、皇后──蔡碧玉。王晠の母だ。
「は、母上……!?」
「鴻鈞殿より子細お聞きして駆けつけてみれば、このような不浄の場にいらっしゃるなんて。もう大丈夫ですわ、母がここにいますから」
皇后は彼の髪を撫でつつ、耳元で囁きかける。
安心させるような実母の声に、王晠は安堵するどころかゾッと総毛立った。
崔雪蓮が霊薬の禍に巻き込まれたのは、元はといえば皇后が発端で。雪蓮をここに閉じ込めているのは、誰あろう彼の母で。
「母上! あなたは!」
王晠は初めて彼女に反抗の意を見せる。母の腕を振りほどき、その双眸を見上げて問うた。
「あなたは一体ここで、彼女に何をしようとしている! 霊薬とは何なんだ! 母上!」
「まあまあ」
皇后は子の反抗を本気にした様子もなく、優雅に微笑んで見せた。
「晠、いい? あなたは何も知らなくていいの」
──私の言うとおりにしていればいいの。
愛の籠もった猫なで声。けれどもどこか、寒々しく響く言葉。
「でも!」と王晠はなおも問いただそうとするが。
「誰ぞ、殿下をお部屋にお連れして」
母は冷たい声音で、自身の背後……通路の方を振り返り、誰にともなく命じた。
すぐに数名の侍女が足早に駆けつけてくる。そして王晠の手や肩を掴むと、
「さあ殿下、参りましょう」
「皇后陛下の命ですから……」
と口々に言い聞かせながら、彼を引っ張っていく。
「や、やめろ……私はっ……!」
王晠はいささか抵抗したが、十三歳のひ弱な少年だ。女数人がかりで腕を引かれて、結局その身は暴室から遠ざけられていく。
「せ……雪蓮殿……!」
彼女の姿が見えなくなる直前で呼んでみたが、少女はうずくまったまま弱々しく嗚咽するばかり。
信じていたはずの巽としのぶは、結局鴻鈞道人の共犯で。
救いたかった少女の目の前で、最も起きてはならないことが起きてしまった。
そんな無念と失意と怒りのままに、第二太子が場を離れる。
すると。
「……我が子の気持ちを弄ぶことなど、到底許しがたいことですけれど」
皇后は母の顔から一転、冷え切った眼差しを忍び達へ向けた。
蔡碧玉は全て承知していた。我が子が雪蓮の元へ通っていたことも、そんな彼の気持ちを、鴻鈞道人らが利用していたことも。
けれども。
「しかしながら、その者を捕らえたことは賞賛に値します。ずぅっと気がかりだったもの」
歩み寄りながら、皇后は血塗れの少年を見下ろした。黄雲は息も浅く、事切れる寸前だ。皇后、満足そうな笑みでひとしきりそれを眺め。
「本当に気がかりだったわ。十四年前、西戎の妃の死産を訝しんでから、ずっと。鴻鈞殿が真相を突き止めてくださってからは、もっと気がかりだった。ただでさえ憎き王暻に我が子の地位が脅かされているにも関わらず、さらにそれが覆るかもしれないだなんて。耐え難い不安だったわ」
そうしてほっと安堵の息を吐く。
そんな様子に、鴻鈞道人も柔らかな笑みを見せた。
「陛下のお可愛い殿下のため、お力になれたのなら重畳です。本当に陛下は、殿下を愛しておられる」
美男の空々しい台詞を、本気にしているのかどうか。皇后は愁眉を開いて本音を吐いた。
「ええ。可愛い可愛い我が子ですわ。私に逆らわず、すぐにでも帝位に就いてくれたならもっと可愛いのに」
そう言って美しく目元を綻ばせると、
「……鴻鈞殿。後ほど、その者にある皇統の証をお見せください。その後で王纏をどうするかは、あなたにお任せします。殺すのなら、できるだけ惨たらしくね」
蔡皇后は踵を返して行ってしまった。
「さてと」
皇后が去ったのを見届けて、鴻鈞道人は巽へ一瞥をくれた。途端に巽の舌と身体を縛っていた戒めが解ける。
身体の自由が戻ったことを悟るや否や。巽はわなわなと肩を震わせながら道人へ向き直った。
「鴻鈞……てめえどういうつもりだ!」
どうしてしのぶが黄雲を襲ったのか。
先ほどは呆然とするばかりだったが、今は分かる。鴻鈞道人の差し金だ。
「しのぶ……お前も……!」
鴻鈞道人へ向かうのはただただ怒りばかりだが、しのぶは違う。どうしてきょうだい分が道人に与したのか、巽には分からなかった。しのぶが兄の意図を無下にするなど、到底考えられないことで。
兄の戸惑いを受け止めつつ、しのぶは口を開く。
「私は、いつも、いつだって兄上の味方です」
いつか聞いた台詞だ。そして少女は続ける。淀みなく。
「だからあなたに憎まれても構わない。厭われても構わない」
覆面の奥で、しのぶははっきりと口にする。
「……あなたを守るためならば」
「何を言ってんだお前は……!」
意を決した彼女の言葉の意味が、巽にはさっぱり分からない。この一連の行いが、どうして巽の身を守ることになるのか、まったくもって不可解だ。
「いやいやどうして、兄想いだな。四郎、お前は幸せ者だよまったく」
やりとりを見ていた鴻鈞道人が、しのぶの隣に立ち、その黒髪を撫ぜ始めた。巽の敵意の視線に構わず、金髪碧眼は優雅に続ける。
「さて四郎。お前は黄雲少年と崔雪蓮とを亮州に連れ帰るつもりだったのだろう。この通り、お前の企みは元の木阿弥だ」
「…………!」
「かの少年はもはや死に体。この娘も霊薬に冒されもはや手遅れ。おまけに第二太子殿下からは裏切り者と誹られる有様だ。やれやれ、耐え忍ぶが忍びの本分だと聞くが……忍べているか、四郎?」
「黙れ!」
傷心を茶化されて、巽は怒号を上げた。優男、動じることなく優雅な笑みをひとつ。
「さてさて。企みの潰えた今、お前に残された道はひとつだけ」
そして告げる言葉。
「これまでもこれからも、私の配下として……裏切り者の汚名を被ったまま生きることだ」
殿下も都合良くお前を誤解したままだし、と鴻鈞道人はにこりと笑う。
「ふ……ふざけるな!」
当然巽は反論する。
「大体……俺たちがお前に従っていたのは、こいつの! しのぶの病気を治してもらうためだ!」
「それなら約束は果たしているだろう」
「馬鹿言うんじゃねえ! てめえ……しのぶの身体に妙な細工してやがるな! 言え! こいつに何をしやがった!」
「言ってどうなる。もししのぶの身体にとって毒になるようなことであれば、お前はどうする気だ?」
問いに対し、天仙は不遜に問い返した。碧眼の目元は笑みを湛えていて、余裕に溢れている。
反問を受け。巽は静かに、背に負っていた刀を抜き放った。
「そうなりゃ約定違いだ。言え。毒か否か。毒だってんなら、こいつら連れて堂々お里に帰らせてもらうぜ」
言いつつ、巽は三白眼を辺りへ巡らせた。雪蓮はうずくまったまま面を上げず泣いている。黄雲は虫の息だが、まだかろうじて生きている。
しのぶは無理矢理にでもここから連れ出す。三人とも連れ出す。
やけくその思考回路で、巽はそう考えた。これらを最古の天仙相手にこなさねばならない。やけくそでなければ考えようもないことだ。
そんな巽へ、鴻鈞道人は悪びれもせずに答えた。
「そうだな……この子の身体を意のままに操る術、といったら……お前にとっては毒になるのかな?」
「てめえ!」
巽にとっては十分な毒だった。憤りのまま踏み出し、一気に間合いを詰めて金髪ごと頭を叩き落とそうとする。けれど。
目的を為す直前で、巽の刃は止まった。
「!」
「軽率だな。意のままに操るということは、すなわちこういうことなのに」
冷笑する鴻鈞道人。その隣で。
しのぶが自らの喉元に、短刀の切っ先を宛がっていた。
いつも以上に虚ろな瞳で兄を見つめて、少女は微動だにしない。首に巻いた布越しに、またあの幾何学模様が輝いていた。
「くっ……!」
「さあ四郎。試しに私を斬ってみるといい。同時にこの子も自刃することになる」
さあ、と後押しする天仙。巽はゆっくりと刀を下ろさざるを得ない。
「もっとも、身体を操るだけならば特段このような呪紋を刻み込む必要はないのだ。先刻、お前を黙らせ、制止させたときのように」
敵意の眼差しを絶やさない巽へ、鴻鈞道人は余裕の面持ちで説く。
「だがこの術は特別でね。身体の動きを操るばかりでなく、筋力や瞬発力、動体視力、思考力といったもっと奥深い身体構造まで制御できるものだ。……ま、そのぶんこの子には凄まじい負担がかかるが」
肩を竦めて説明する天仙に、巽はもっとわけが分からなくなる。
どうしてそんな術をしのぶにかけたのか。
「なんだってそんなことを……!」
「決まっている。お前達を縛るためさ」
簡潔にそう答え、鴻鈞道人はしのぶへ命じる。
「しのぶ。四郎を見張れ。逃亡や離反の気配があれば、己の首を刎ねなさい」
「承知しました……」
残酷な命令を、少女は生気の無い声で承ける。
巽にとっては、自身の首を斬られることよりも酷な鎖だ。これでもう、鴻鈞道人のもとから逃れられなくなった。
「ではさっそく四郎よ、黄雲を運んでくれたまえ。皇后陛下に、証をお見せせねば」
「…………」
いつもの調子で命じる鴻鈞道人。巽は項垂れたままだ。動こうとしない彼へ、道人は優しく、諭すように囁いた。
「……身体を制御できると言ったな。つまり、私の胸三寸でしのぶの全身の筋肉を弛緩させることだってできる。あの子の心臓を止めるなんて、容易いことだよ四郎」
「……クソッ!」
吐き捨て、持っていた刀を落とし、巽は乱暴な歩みで黄雲の元へ向かう。そしてしゃがみ込んだところで、彼女と目が合った。
「巽さん……!」
雪蓮の、涙で潤んだ目が胸に痛い。何よりその手と顔を覆う銀の鱗。
巽はまともにその顔を見ることができなかった。彼女をこんな姿に変えてしまった陰謀の、片棒を担いだのは自分だ。しのぶを助けたくて、彼女を犠牲にしてしまった。
彼女だけではない。眼下で倒れ伏している、彼も。
「すまねえせっちゃん……俺は、俺は……!」
どんなに詫びても、許されないことをしてしまった。
なんとかしてやりたかったけれど、もうどうしようもない。彼らに手を差し伸べれば、しのぶが死ぬ。
覆面の奥で歯を食いしばると、巽は黄雲を抱え上げた。そして雪蓮の方を一顧だにせず、歩み始める。
「待って!」
少女の泣き叫ぶ声が追いすがる。
「お願い! 殺さないで!」
所々血の付いた白い袖が空を掻いた。けれども巽が振り返ることはなく、しのぶも虚ろな眼差しでその後に続く。
必死の雪蓮の声に応えたのは、鴻鈞道人で。
「……ご安心を。殺しませんし、死なせませんよ」
柔らかい口調で、金の髪を揺らしつつ道人は続ける。
「──今はね」
そうして暴室からは誰もいなくなった。
黄雲を担いだ巽を先頭に、しのぶ、そして鴻鈞道人も姿を消し。
雪蓮はひとりぼっち。
少女は壁に背を預け、あれからずっと泣いていた。
格子の辺りには、まだ生々しく血溜まりが残っている。
どれだけそうしていただろう。気が付けば、小窓から朝日が差し込んでいた。
「……あれは」
ふと、牢の中でなにかがきらめいているのに気付いた。
泣きはらした目を凝らしてみる。なにかひどく、見覚えのあるものだ。
這うようにして近付いてみた。もしかして、と思っていたけれど。
「これって……」
黄雲が落とした物だろうか。
拾い上げ、朝日にかざしてみたそれは。
白玉の、帯飾り。
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「確かに、晠の身体にあるものと同じ形ですこと」
着ていた物を剥ぎ取られ、黄雲は床に転がされている。
血が綺麗に拭われた背中には、生々しい傷跡……そして、青黒い龍のような痣が露わになっていた。
黄雲の身体を検分した皇后は、もう満足とばかりに鴻鈞道人へ笑顔を送る。
「私の用は済みました。では、申し上げました通り処分の仕方は貴殿にお任せいたします」
「ええ、皇后陛下」
道人は背後に二人の忍びを従えて、深々と丁重な礼を捧げた。
「仰せの通りに」
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意識を取り戻したとき、最初に感じたのは異様な身体の冷たさだった。
それと腹部に疼く痛み。
次に、頬に当たる土の感触。
そして視界が鮮明になると同時に、自分の身に起きていることもはっきり分かってくる。
──深い穴のなかにいる。
──そして今まさに、埋められている。
横たわる身体の上に、土をかぶせられる感覚。
黄雲は力なく、目線だけを穴の上へ向けた。穴の形の、白い空が見える。己を埋めている物たちの顔も、ぼんやりと見えた。
(巽……)
鋤を使ってこちらに土をかけているのは、かつての知己の姿だ。黄雲が見ていることに気付いたのか、苦しそうに目をそらす。
その妹分のしのぶは、淡々と土を降らせている。
そして。
(鴻鈞道人……)
金髪碧眼のその男は、物見遊山を楽しむかのような笑みでこちらを見下ろしていた。
視線を下ろせば、幾枚か呪符のようなものが目に入った。まるで副葬品のように、少年と運命をともにしようとしている。
黄雲にはもはや、土を払いのけて起き上がる気力も、這い上がる体力もない。腹はじくじくと痛み、胸にはただただ無力感が渦巻いている。
ふと、最後に見た彼女の顔を思い出した。
銀の鱗に覆われて、哀しそうな顔をした彼女を。
(お嬢さん……)
霊薬に蝕まれ、あんな姿になってしまった彼女を、痛ましいと思った。けれど。
(死ぬのか、僕は)
段々と視界は土に埋もれていく。救いたいと思う気持ちは、段々と霧散していった。
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「鴻鈞さま」
少年を埋めた後。少女は天仙を呼び止めた。
金髪碧眼が振り返る。兄は既に立ち去った後、黄雲を埋めた土の上には、二人きり。
「……約束、果たして頂けますか」
じっと見つめる黒い瞳に、優男は安心させるように微笑んで見せる。
「もちろんだとも。しのぶ、お前はよくやっている」
「では、兄上は……!」
切羽詰まった表情で縋るように見つめるしのぶへ、道人は碧い眼差しを返した。
「そうだな……四郎を霊薬の餌にするのは、やめておくよ」
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何ヶ月も経ったような気がする。かと思えば、たった一刻しか経っていないような気もする。
土中の暗闇の中で、黄雲はまだ生きていた。
黄雲は亮州から離れて久しく、土地神の加護のないこの場所では土行の道術が使えない。だから埋められて程なく、窒息して死ぬはずであった。
けれども彼の肺は確かに呼吸を繰り返している。周囲の氣を吸って、途絶えそうな生命を繋いでいた。
(……死んでしまえばいいのに)
不可解な延命の中で、黄雲は自分を呪っていた。
赤子の時分には、別の赤子の命を吸って長らえ。
そんなことも知らずのんきに育ち。
そして今。娘一人救うことすらできず、重んじてきた信用も果たせぬまま。
(なにが無用の用だ)
ついに少年は、己を支え続けてきた師の教えをも否定し始めた。
(この世に無駄なものは無い……そんなことは無かった)
誰かの命を奪い、そして何も為せぬまま死んでいく。
(僕こそ無用中の無用だ……)
銭も、師匠も、信用も、雪蓮も、そして自分自身も。
土の中で、何もかもがどうでもよくなっていった。
そしてどれくらい時間が経っただろう。
最初の違和感は顎に現れた。それから首筋が引きつるような感覚。
「ん……うぅ……!」
少しずつの異常はついに、全身の痙攣にまで発展した。
土の中で呻きつつ、黄雲の脳裏にはとある病の名がよぎる。
(破傷風……)
おそらく腹に受けた傷から罹ったのだろう。
身体が弓形に反るような感覚。けれども土の中では痙攣も発作もままならず。苦痛だけが黄雲の内にわだかまる。
激痛にさいなまれながら、少年はそれすらもどうでもいいと思っていた。
もう疲れたのだ。自分が自分でいることに。
やがて、少年の意識は朦朧とし始めた。
周囲の土と、己の身体との境目が分からなくなる。
果てには、自分が何だったのかも。
(僕は……ぼくは……)
(いったい、何者だったんだろう……)




