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14 再会

 哀しい歌声が響く中。


「いや皇子サマさ。大事なこと忘れてねえ?」

「へ?」


 跪く王晠(おうせい)へ、巽はとぼけた口調で口を開いた。


「俺さぁ、鴻鈞道人(こうきんどうじん)の手下なんだけど……」

「あっ」


 王晠、不覚にも巽の立場を忘れていた。普段はこの忍び、飄々ふらふらと城内を神出鬼没にうろつき回るし、普段の会話もやたら猥談が多いし。邪仙の手先という印象が薄かったのだ。

 下げていた頭を上げて王晠は考え直す。言われてみれば、彼へ助けを求めたのはお門違いもいいところで。むしろ鴻鈞道人に突き出されてもおかしくはない。

 そんな状況の中、この忍び。


「ねえ分かってる? あんた好きな女を拉致監禁した奴に助け求めてんだぜ? 頭だいじょうぶ?」

「う、うぅ……」

「いや分かるよ? 必死だもんなあんた。あの子助けたくてさ。分かるよ」


 巽の追求は容赦がない。いつものひょうきんな口調で突っ込むつっこむ。

 しかし。


「そうだよな……助けたいだけなんだよな……」


 巽のくちぶりは突然変わった。うつむき、しみじみと自分へ語りかけるようなものへ。


「そうだった。俺もそうだった……」


──そうだったはずなのにな。


 最後の方は、聞こえるか否かほどの小さなつぶやき。

 そして巽は顔を上げた。


「いいぜ。乗った」

「巽殿……!」


 すっかり断られるものだと思っていた王晠は、驚いて彼を仰ぎ見た。そんな王晠の目線に合わせるように、巽はしゃがみ込んで安心させるように告げる。


「ほんとならさ、俺みたいな怪しいやつ簡単に信用すんじゃねえって説教するところだが……しょうがねえ。こうなったら全面的に信用しやがれ!」

「あ、ああ! もちろん!」

「つっても簡単に信用しすぎじゃね?」


 少々呆れながらも、巽はポンと王晠の肩に手を置いた。


「いいか皇子サマ。助けるっつっても、今すぐは無理だ。準備がいるし、俺の側にもちょっと説得しときたい奴がいる」


 王晠にはそれがしのぶのことだと分かる。互いに似たような装束を着ているし、しのぶが巽のことを兄と呼んでいた場面も見たことがある。きっと兄妹なのだろう。似てはいないが。

 それから巽は、少し言いづらそうに言葉を続けた。


「それから……もう一人、この話に乗せてやりたいやつがいる」

「どなたですか、それは」

「黄雲」


 突然飛び出した人名に、第二太子、目が点である。


「こっ、黄雲というと……雪蓮殿の想い人の……!」

「そう」

「生きていたのか! いったい今どこに……」

「太子殿」

「兄上の所か!」


 王晠、驚愕が止まらない。恋敵は意外と身近にいた。


「それにしても、何故太子殿に」

「さてな……どういうわけだろうな」


 巽は月を振り仰ぎつつしらばっくれる。そしてしばし王晠へ思考の間を与え、問うた。


「どうだい、嫌か?」

「それは……」


 嫌か嫌でないかと言えば、嫌だ。話に聞く黄雲とやらは、がめつく生意気で罰当たりな守銭奴で。雪蓮にはどう考えても似つかわしくない生臭道士。

 けれども。


「…………彼女はきっと、会いたがっている。できることなら会わせてやりたい」

「そうか……お前さん、(おとこ)だな」


 自分の気持ちを押し殺し、決断した王晠へ。巽はばっすんとその背を叩いた。力が強すぎたのか、王晠がげほげほと咳き込むけれど。


「さて、詳しい話は追い追いしようや。そんで決行の日、あんたには宮中の見張りを掻い潜れるよう、手引きを頼みたい」

「…………!」


 巽の真剣な口調に、王晠はゆっくりと首肯する。


「それから」


 忍びは立ち上がりつつ続ける。


「事が全て終わったら、あんたはもう霊薬(エリキサ)やあの子に関わるな。身を滅ぼすだけだぜ」


 言い終えると、巽は月夜の暗がりへ飛び上がり、溶け込むように姿を消した。最後の言葉は、ともすれば脅しのように思えるほど厳しい語調だった。


「…………」


 なんとも言えない気持ちで、王晠はその場にうずくまったまま。


(関わるな、か……)


 巽のこの忠告に、以前は反発したが。今なら分かる。あれは王晠の身を慮ってのことだ。

 霊薬(エリキサ)。不死の妙薬。彼女の体内に巣くうというそれは、きっと彼の考えも及ばぬような(おぞ)ましい企みによって生み出されたもの。


(私は……)


 雪蓮の歌声は、今晩は止みそうにない。




 翌日。他に誰も居ない隙を見計らって、巽は暴室へ向かった。

 牢からは今日も凄まじい悲鳴が上がっている。遠くにいる時点で、叫びは忍びの耳に届いていた。

 できることなら耳を塞ぎたいくらいだけれど。


「しのぶ」


 巽がここを訪れたのは彼女と話をしたいからだ。どこか静かに話せる場所へ連れ出そうと、そう思っていたが。


「あ、兄上……」

「お……お前!」


 いつもは無表情で佇んでいるきょうだい分が、壁に寄っかかり息を荒げていた。

 顔色は普段よりもいっそう死人のようである。片手で押さえているのは、首元。

 彼女の首を覆う黒い布ごしに、なにかが光っている。いつか見た、あの幾何学模様の形だ。


「どうした! なんだそりゃあ!」

「なんでも……ありません……」

「どう見てもなんかあるだろそりゃ!」


 慌てて駆け寄るが、巽、できることは何も無い。「おい、おい!」とおろおろする兄に、しのぶは薄く笑って。


「大丈夫です……じきに治まります……」


 苦しそうにそう宥めた。

 果たして、しばらくして光は収まり、しのぶはやっと安らかな息を吐く。

 そして普段通りの無機質さに戻り。


「ご迷惑をおかけ致しました、兄上」

「な、なんなんだよ……」


 何事も無かったかのように立ち上がる。しかし巽は安堵できない。聞き捨てならないのは、さきほどのしのぶの「じきに治まります」という言葉。先のような事態に慣れているかのような口ぶりに。


「……こういうことは、今までに何度もあったのか?」


 疑念を込めて問えば、しのぶは冷静に答える。


「ええ。でもすぐに治ります。ご心配には及びません」

「どうして俺に言わない」

「兄上のお心を煩わせたくありませんでしたので」


 少女は淡々と答えるけれども。


「……鴻鈞道人(あいつ)の仕業か」

「…………」


 その問いに対しては、沈黙で返すのみ。しかし肯定も同然だ。

 巽は大きくため息を吐き、そして真剣な口調で切り出した。


「しのぶ……話がある」




 役目から離れることを渋るしのぶを、無理矢理連れ出して。

 巽は後宮内の、使われていない廃屋で彼女と向き合っていた。


「いまのは何だ」


 開口一番。巽が尋ねるのは、先刻の件について。


鴻鈞道人(あいつ)にはお前の治療を任せていた」

「…………」

「あいつに手を貸すのは、それが条件だったよな」

「…………」

「でも、さっきのありゃどう見ても治療って雰囲気じゃなかった」

「…………」

「あいつはお前に何をしている。……何を企んでいる」

「……………………」


 しのぶはだんまりだ。ただ、憂い顔で長いまつげを伏せるのみ。


「言いたくねえんだな」


 その言葉に、しのぶはこくりと小さく頷いた。このきょうだい分は幼い頃から巽のことをよく慕い、何事も包み隠さず明かしてきた。それなのに。

 兄の面目は丸つぶれだ。再び盛大にため息を吐き、巽は口を開いた。


「なぁ……しのぶ。もう逃げちまおうぜ、こんなとこからはさ」


 そして語られる、昨晩の王晠との一件。

 しのぶは黙って聞いている。兄が望むことはつまり、鴻鈞道人(こうきんどうじん)からの離反。


「お前の病のことは、また腕利きの医者を探そう。そもそも、あんなうさんくせえクソ仙人に頼るこたなかったんだよな」

「……」

「なあしのぶ。せっちゃんと黄雲の野郎を連れて、また清流堂へ戻ろう。なに、あの二人連れて帰って土下座でもすりゃ、連中きっと許してくれる。とんでもねぇお人好しだかんな。許してくれなかったら、俺が切腹でもなんでもするさ」

「…………」

「そうだ。お前の病気と鴻鈞道人の怪しげな術のことは、清流先生や神将のあんちゃんに相談してみようぜ。なんとかしてくれるかもしれねぇ」

「…………」

「よく考えりゃ、最初からこうすりゃ良かったのかもな……」


 何も喋らないしのぶの前で、独白のように語る巽。

 兄が覆面の下で不器用に笑っているのが、しのぶには分かる。

 そんな彼へ、しのぶは本心からの気持ちでこう告げた。


「私は、いつも、いつだって……兄上の味方です」




 それから巽は機会を待った。

 時折偵察のふりをして、太子殿に忍び込み黄雲の様子をうかがった。

 屋根の上から巽が見ているなどつゆほどもしらず、黄雲は日々憔悴していく。「罪人を処断しろ」と迫られていた日は特に気の毒だった。


「う……ん?」


 青天の下を堂々忍びながら、巽は目をこすった。最近時々、自分が自分でなくなるような……妙な感覚に陥ることがある。


(疲れてんのかな)


 ここのところ、色々あった。しのぶ、雪蓮、鴻鈞道人。霊薬(エリキサ)。ついでに黄雲。ただのスケベニンジャでいられたなら幸せだっただろうに、巽には案じなければならないことが山積みだ。


 そんな日々が過ぎていき、そして。


--------------------------------------


「禁城北、皇后宮の暴室」


──崔雪蓮はそこにいる。


 その言葉に従い、黄雲は皇后の住まいである一際豪奢な造りの建物へ姿を現した。

 皇后宮の所在はすぐに分かった。いままでは絶えて感じられなかった金の氣が、夜風に乗って芬々とたゆたってきたからだ。

 後宮の中でも特に大事な場所だろうに、見張りはいない。宮殿はしんと静まりかえっている。

 ただ一人、覆面黒ずくめの知り合いが壁にもたれて待ち受けていた。


「……よう。来たな」

「…………」


 黄雲は巽へ、生気のない目を向けた。

 かつて雪蓮を攫ったはずの彼に、不思議と恨みや怒りは湧かない。それどころか何も感じなかった。

 虚無感に満たされた黄雲の眼差しに、巽は少しだけ眉をひそめてみせる。


「……随分やつれちまったみてえだな」

「かもな……」

「黄雲。ここに来たってことは、覚悟はあるんだな」


 巽からの問いに、黄雲は自嘲気味にせせら嗤う。


「覚悟。覚悟なんてないさ」

「お前……」

「僕は義務を果たしにきただけだ」


 黄雲には、もう他に何も無かった。亮州で気ままに生きていた頃の自分は死んだ。皇族として、昭の王として生きていく覚悟もない。実の母もあんな風に傷つけてしまった。もう何を寄る辺にして生きていけばいいか、分からない。

 ただ一つ、やることがあるとすれば。亮州知府、崔伯世との契約を果たすことだけだ。信用を守ることだけだ。


雪蓮(あのひと)をここから救い出す。そして親元に帰す。霊薬(エリキサ)のことは……きっと師匠がなんとかしてくれる」


 ぽつりぽつりと語る台詞に、かつてのような欲まみれの活気はない。

 ただただ、投げやりな語調。


「巽。お前こそどうするんだ。かつては僕らを裏切ったくせに、どうしていまさら手を貸す。いったいなにがしたいんだ?」

「俺は……」


 巽は言いかけて、口をつぐんだ。なにがしたいと聞かれて、ふと気付かされたのだ。

 しのぶを救う以外に、何もしたいことがないことに。


「……さてな。ま、俺も助けたい奴がいるってことよ」

「…………」

「……さ、無駄口はここまでだ。準備はいいな」


 重々しい問答を切り上げて。巽は壁から背を離し、黄雲を連れて宮殿の出入り口を目指した。

 しかし入り口に人がいる。手燭を灯した、背の低い人物だ。


「おい、巽」

「大丈夫だって、味方味方」


 黄雲が警戒を促すが、巽はなんでもないとばかりに手を振った。手燭の人物はそっと手招きして二人を迎え入れる。

 近付いてよく見てみれば、黄雲より少し年下くらいの少年だ。顔立ちがどことなく、皇太子・王暻(おうけい)に似ている。


貴殿(あなた)は……」

「あなたが黄雲か」


 黄雲が問う前に、少年が声を放った。あまり歓迎されていない声音である。

 少年は言葉少なに「こっちだ」と奥を振り返り、二人を連れて歩き始めた。


「いま、この宮殿の宮女や宦官は、別棟の宴の手伝いという名目でほぼ出払っている。何日も前から手を回して準備したんだ」


 早足で歩きながら少年は言う。

 しかしながら若干名残っているらしく、少年はなるべく目立たない通路を通りながら暴室への道のりを辿った。

 その途上。少しばかり黄雲を振り返りながら、少年は言った。


「……その衣。むかし皇太子(あにうえ)が着ていたものだな」

「…………」


 あにうえ。その言葉に黄雲は納得した。つまり、目の前のこの少年は第二太子・王晠ということで。


(弟、か……)


 そういうことになる。でも何の感慨も湧かなかった。

 王晠は黄雲の面立ちも見ているはずだ。皇太子によく似た目鼻を。

 思うところがあるだろうに、何も言わない。王晠はついと顔を前へ戻し、歩みを続けた。


 長い通路だった。

 歩きながらも各々考え事に耽っているのか、無言。


 巽は周囲の気配に気を配りつつ、いまの状況に疑問を感じていた。


(鴻鈞道人……あの野郎、なんの手も打ってこねぇつもりか?)


 離反を決めてから、己が真意をわずかたりとも漏らした覚えはないが、それにしたって不気味だ。件の神仙は神出鬼没にして、性別だって自由自在。付き合いはそれなりに長いが、何を考えているのかまったく分からない人物である。

 このままだと、あまりにもすんなりと暴室へ辿りつけてしまう。

 それに巽は実は見ていた。黄雲が実母の部屋の前で、自身の出生に関わる真実を知ったときのことだ。

 巽は黄雲が殺生をことのほか嫌っていることを知っている。火眼金睛が雪蓮を狙って襲撃してきたときでさえ、彼の命を奪わなかった。だから顛末を哀れには思ったが。

 気になるのは、噂話をしていた宮女である。巽はこの後宮に住む全ての宮女や妃の、顔と名前と尻の形を知り尽くしている。だが、彼女らは初めて見る顔だった。新顔の宮女だとしても、十数年前の暗澹とした事件を知っているのは不可解である。

 鴻鈞道人の差し金だろうか。しのぶのこともある、疑念は尽きない。


 そんな巽を背後にしつつ、黄雲はどんよりと歩いていた。

 ただただ、消えてしまいたいと思っていた。


(あの人をここから救い出して、亮州まで送り届けたら)


 ぼんやりと、弟の後を追いながら考える。


(……消えてしまおう。師匠にも誰にも、会わずに)




「ここだ」


 王晠がとある一室を指し示す。

 宵闇に沈む廊下の中でも、一際暗い一角である。

 いつの間にか床や壁を彩る美しい細工は途切れ、まるで地下牢の如き殺風景が三人を囲んでいた。

 王晠の示す先の空間は、重々しく静まりかえっている。

 黄雲がその先へ足を踏み入れようとしたときだった。


「待ってくれ」


 王晠がその進行を遮った。腕をきつく掴み、無理矢理黄雲の顔を自身の方へ向け。


「約束してくれ。ここから彼女を救い出して、幸せにすると」


 命令とも、懇願とも取れない口調で言う。奥にいるだろう『彼女』に聞こえぬよう、抑えた声で。


「…………」


 黄雲は何も返すことができなかった。

 何も言わない彼に、王晠は潤んだ眼差しをしばし突きつけ、そして手を離す。


「行こうぜ」


 巽が促した。


雪蓮(あのこ)が待ってる」




 暴室へ足を踏み入れる前に、黄雲は巽から忠告された。


「いいか黄雲。あの子がどんな姿でも……どんな振る舞いをしようとも。怯えないでやってほしい」

「どういうことだ?」

「じきに分かるさ」


 石造りの冷たい通路に、僅かに反響する忍びの暗い声音。

 やがて牢の手前に、一人の少女が姿を現した。


「兄上……」

「待たせたなしのぶ。牢の鍵は?」

「ここに」


 黒ずくめの少女は、懐から鉄製の鍵を取り出して見せる。

 黄雲は兄妹のやりとりの……その奥を見つめていた。

 彼らの奥にある格子。その内に満ちる、よくよく覚えのある氣。最後に彼女に会ったときよりも、ずっと強く周囲の空気を圧している。

 王晠は後ろで、じっと成り行きを見守っている様子。


「さあ黄雲」


 巽の呼びかけに、黄雲は前へ進み出た。

 歩みを進めるごとに、牢の様子が明らかになっていく。

 格子戸。その奥、壁をびっしりと覆い尽くす呪符。一つだけの窓。


 そして──白い布をすっぽりかぶって、震えている彼女。


 こんなところに閉じ込められていたのかと思うと、胸が張り裂けそうだったけれど。


「お嬢さん」


 努めて冷静に黄雲は呼びかけた。白い布が、ゆっくりと、恐る恐るこちらを向く。


「黄、雲……くん……?」 


 幸い、今日は『崔雪蓮』としての意識を保っていたけれど。


「ええ、僕です……お嬢さ……」

「いやっ!」


 拒絶。

 雪蓮は布を引き寄せて顔を塞ぐと、こちらに背を向けた。その言動に、黄雲の胸にずきりと痛みが走る。


「お願い……それ以上近寄らないで……」

「お嬢さん……!」


 肩と声を震わせる彼女に、なんともやるせなくなる。同時に心中で「そうだよな」と嘆息した。彼女が連れ去られる直前、あんなに手酷く好意を無下にしたのだ。嫌われて当然だ。

 後ろの巽は「あのな」と何か言いたげに口を開きかけたが。


「いいから……! ここを出ますよ!」


 黄雲は声を荒げつつ格子に取り付いた。嫌われても何にも問題ないじゃないかと、心の内で自分を叱咤しながら。

 何度も自分に言い聞かせてきたように、彼女とは結ばれるはずがないのだから。嫌われたって、憎まれたって構わない。

 ともかく彼女を帰さねばならない。亮州へ。


「さあ! 早くこちらへ!」

「い、いやっ……見ないで……」

「我儘を言っている場合ですか!」


 一方の雪蓮は、変わり果てた自分の姿を見られたくなくて(かたく)なだ。

 黄雲が助けに来てくれたのに、嬉しくないどころか悲しくてたまらない。布の内で、銀の鱗に覆われた頬を涙が流れていく。

 せっかくの再会を果たしたはずなのに、二人はどうしようもなくかみ合わない。王晠はハラハラと雪蓮を案じていて、巽は困惑の視線をしのぶへ投げかけた。

 しのぶは少しだけ、兄に肩を竦めて見せる。そして鍵を片手に、そっと黄雲の方へ近付いていき。


「さあ、帰りましょうお嬢さん。亮州でお父上とお母上がお待ちです」

「……いまはいや……! 誰にも会いたくない……!」

「お嬢さ……っ」


 呼びかけの途中で、黄雲の声が不自然に途切れた。

 黄雲にとっては、背後からの突然の痛みだった。背から腹へ、胴を貫通する鋭い痛み。

 視線を下ろせば、己の腹から血を纏った刃が突き抜けているのが見える。


「なっ……」

「しのぶ……!?」


 凶刃の閃きは、一瞬のこと。

 一切の躊躇なく背後から少年を刺し貫いたのは──しのぶだった。

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