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7 以夷制夷

 茅頭王(ぼうとうおう)李盈山(りえいざん)

 西の果て、昭国(しょうこく)の先王。二十年前に栄朝(えいちょう)と領土を巡って争乱が勃発した際、自ら先陣に立ち刃を振るい、太華の数多の将兵を討ち取った豪勇の王。

 勇猛果敢なその王は、戦場でも兜をつけなかったと伝わっている。

 太華の兵は最初、その装いを目にして「(かや)のようだ」と嘲った。昭の王は兜をつけぬ代わりに、長い髪を振り乱して馬を駆り、戦場を疾駆していた。風にはためくその髪が、遠目から見て茅のように目に映ったらしい。

 まるで冬を迎えた茅のような、明るい茶の髪。

 茅頭王という名には最初、侮蔑の意味がこめられていた。それがいつしか戦況が進むごとに、畏怖の色を帯び始める。彼の武勇で戦局が変わった。その活躍に鼓舞された昭国の士卒も奮い立ち、太華の兵は大勢死んだ。

 結局戦は和睦に終わったが、茅頭王という名は恐怖の象徴としていまも太華に残っている。




 暗い部屋に、血の匂いと沈黙が立ち込めている。

 いましがた皇太子の放った言葉。黄雲は自分の耳を信じられずにいる。


──お前には昭の王となってもらう。


「ば、ばかなことを……!」


 やっと紡いだ言葉は、震えていた。


「ただの一介の道士の僕に、そのような……!」

「二十年前、昭国との戦は和睦という結末を迎えた。そのとき和平の証として互いの王族の娘を嫁がせることとなった。昭国李氏より我が皇室へ贈られたのが、お前の母・李賢妃(りけんひ)だ」


 黄雲の抗弁をあえて無視して皇太子は続ける。


「李賢妃の父・茅頭王。その二つ名の由来は、かの王の髪が枯れた茅のような色合いだったからだ。そう、まさしくお前のその髪の色と同じく……」


 髪を指さされて、黄雲は俯いた。視界の端に入る髪は、見慣れた明るい茶色。太華では珍しい色だ。枯れた茅、などと例えられたことは今までなかったが、言われてみればそんな色味のようにも思えてくる。


「昭の国でもその色は珍しいらしい。家族に遺伝することも稀らしく、現に李賢妃は黒い御髪(おぐし)をお持ちだ。李氏には遥か西方の異人の血が混じっているのかもしれないな」


 返り血まみれの皇太子がふっと笑う。しかし、すぐにその表情を引き締めて。


「いま、昭国の王室では後継者争いが起きている。現国王は茅頭王の従甥(じゅうせい)にあたる男。茅頭王には男児がいなかったのだ」


 そして昭国の事情が語られる。嫡子をもうけることができなかった茅頭王は、終戦から三年後に死んだ。流行り病のためだった。

 その後に立った現国王は、茅頭王の従兄弟(いとこ)の子。即位から十数年ほど経つが、王の立場はいまだ不安定だ。昭国の臣民には偉大なる茅頭王を慕う者が多く、その王の嫡流が絶えてしまったことを深く惜しんでいる。宮中には傍流の王を認められない臣下が多くいた。

 さらに現国王は身体が弱い。病がちながら即位以降様々なしがらみに耐えてきたが、限界が近づいてきていた。昨今、王が病の床にあるとの噂が立ち始めた。


「以前、私は昭の国近くにある楼安関(ろうあんかん)へ赴いたことがある」


 皇太子は目を細めながら言う。

 その話は黄雲も知っている。楼安関に嫁いだ雪蓮の姉・秀蓮がちょうどその場に居合わせて、帰郷の折りに皆へ語ってくれたからだ。

 楼安関守将の郭親子への査問のための訪問だったというが、同時に昭国の情報も収集していたのだろう。


「楼安関には交易のため昭より来訪する商人が多い。市場は噂話の宝庫だった。昭王は病に臥し、王宮の官吏たちは方々から王家に縁のある者を集め候補を打ち立て、後継者争いに躍起になっていると」


 ふと、皇太子の口角が自嘲気味に歪む。


「……まあ、当朝も他人事ではないが。それはともかく」


 昭王は病床にあり、臣下は統制を失っている。さらには茅頭王と同じく、いまの昭王にも嫡子がいない。遥か西の砂と草原の国は、砂上の楼閣のように危うい状況にあった。


「そこでお前だ」


 再び皇太子の指が黄雲を指す。


「現在、最も茅頭王の血に近い者がお前だ。昭国の宮中が乱れている今こそ、絶好の機会」


 そんなときに、黄雲が生きていたこと。垙京(こうけい)へ連れ戻すことができたこと。


「この千載一遇の好機に幸運だった。案ずるな、いますぐ王になれとは言わん、相応の教育は受けさせてやる」

「……うして」


 有無を言わさぬ語り口の皇太子へ、黄雲は口を開く。声の震えはいまだに治まらない──いや、いっそうひどくなった。


「どうして……僕を王になど……」


 少年の面持ちは愕然としている。今のいままで、亮州でのんびりとがめつい道士として生きてきたのに。突然突き付けられた己が血筋と行く末を、彼の心はそう易々と受け入れられなかった。こんな運命は、まったくの想定外だ。


「無茶を言っているのは承知の上だ。しかし纏、お前にやってもらわねば皆が……太華全土の臣民が危難を(こうむ)ることになる」


──北方の『(じょう)』という国を知っているか。


……と皇太子が問う。

 黄雲はこくりと頷いた。騎馬民族の国だ。精強な兵を持ち、太華北の平原地帯を支配下に置いている。


「ではさらに聞くが、我が国が遶に多額の歳費を払っていることは知っているか」


 黄雲、今度はうつむいて無言だ。そんな彼を責めるではなく、皇太子は話を続けた。

 その顔に、幾ばくかの悔しさを滲ませながら。


「遶は軍事の面において我が国をはるかに上回っている。兵も精鋭ばかりだ。対して我が方は高祖(こうそ)(王朝の初代天子)のお考えもあり、軍閥の発生、及び反乱を防ぐため更戍制(こうぼせい)を敷いている。内乱は起きにくいが、外圧には弱い」


 黄雲には皇太子の言っていることがさっぱりだ。軍制なんて、いままで興味を持ったことすらない。

 しかし、精強な軍を持つ遶と、外圧に弱い栄朝。その両国の均衡の危うさはわかる。


「本来ならこの国はいつ遶に攻められてもおかしくないのだ。今までそうなっていないのは、毎年莫大な歳費を遶に払っているからだ」


 しかし、この歳費の負担がかなり大きい。さらには近年、毎年増額することを遶に要求されている。

 さらに。


「我が父……今上陛下は(まつりごと)にあまり熱心ではなく、書画や骨董の収集に夢中でな。いままた城内に新たな庭園を造ろうとして、多額の国費を費やそうとしている。お諫めしても聞く持たん」


──このままでは国庫が持たぬ。


 持たなければどうなるか。歳費を払えなければ、遶に攻め滅ぼされるまで。


「そこで昭国だ」


 青年の双眸は闇の中、鋭くなる。


「遶は我が国の北方、昭国は西にある。前から考えていたのだ、昭と協力すれば、遶を打ち倒すことも夢ではないと。しかし現状、昭には当方に加勢する義理も道理も利益もない」


 ここでやっと黄雲は合点がいった。だからだ。だからこの皇太子は、自分を。


「だが昭王が我が皇室の血を引く者ならば、義理ができるであろう? なに、あちらの宮中で反論の声が上がったとして、他に誰が茅頭王の血を引くというのだ。無理矢理にでもお前を王の座に据えてやる」

「そんな……僕は……!」

「お前の意見は聞いていない」


 黄雲の反論は、冷たい声に遮られる。


「いいか纏よ。お前のその身体には栄朝王氏の血が流れている。天下に王たる者の血だ。王とは本来特権階級ではない、王とは天下の(にえ)となる者だ」


 古来より、この太華では王朝交代劇が延々と繰り返されてきた。天命に選ばれた者が王朝を打ち立て、天命に見放されればあえなく滅びる。数千年間その連続。天命を伸ばすためには、王は天下に身をささげるしかない。

 善政を敷き、天地を祀り、子を成す。奢侈(しゃし)に耽り祭祀を怠り圧政を敷く者は天意により滅びる。子を成さねば皇統が絶たれ、天下に混乱を生む。

 王とは、皇帝とは。太華の最高位に君臨しながら、その実態は。


「すべての思想は天下のため、一挙手、一投足は国のため。我が血肉と魂はこの(あした)を永らえさせるためにある。お前も私と同じ血を引く者ならば、太華のためにすべてを捧げろ」

「…………!」


 できることなら反駁(はんばく)したかった。でも何も言えなくて、黄雲は唇を噛みしめる。

 なにをどう抗えばいいのか、分からない。


「お前には昭王となり、かの地の兵を鍛え、遶攻略に参加してもらう。()(もっ)て夷を制する、というやつだ」


──以夷制夷(いいせいい)

 他国の力を利用して自国の益を得ること。太華では古来より上策とされてきた戦略だ。

 この若き皇太子はその戦略に則り、黄雲を……ひいては昭国の兵や民を、遶との戦争に利用する気なのだろう。青年の瞳の中に、躊躇の色はない。


「かの茅頭王の孫が新王となれば、昭の将兵もさぞ奮い立つだろう。もちろん昭国には遶討伐の報酬を約束する。お前の昭王としての面目も立つはずだ」


 つまり、太華の安寧を守るために。異国の兵を率いて戦をしろと、そういうことだった。


「む、無理です!」


 とてもじゃないができない相談だった。あまりにも荷が重い。


「僕は……僕はただの道士です! 軍略も知らない、ましてや、王になる素質など!」

「さっきから言っているだろう」


 後じさりかけた黄雲を、皇太子のまなざしが射抜く。その声に含まれる苛立ち。


「お前がどう思おうと、関係ない」


 威圧。語調こそ静かだったが、声は重々しく響く。


「軍略を知らないと言うならこれから教えてやる。王の素質ならば、お前に流れる血で十分だ」


 天子の血を継ぐ者ならば、異邦の王となってでも太華の天地に尽くせ。


「来たるべき未来、遶へは栄が南から、そして昭が西から攻める。挟撃だ。恙無く北狄(ほくてき)を討伐できたなら、以後お前は昭王としてかの地の礎となれ」


 穏やかで、粛として。しかし有無を言わさぬ鬼気がこもっていた。

 黄雲はもはや声も出ない。あまりのことに、心がついていけないし現実味がない。いっそ、これが夢であれば。


「……やれやれ、部屋に血の匂いが染みてしまうな。そろそろ窓を開けよう」


 不意に表情を緩めて、皇太子は黄雲の背後……潘天師へ目配せした。今まで存在感の無かったこの中年道士、「はいはいただいま」と若干の面倒くささを言葉尻に漂わせつつ、致し方ないといった仕草で窓を開ける。

 陽光が室内を照らし出す。陽の下、屍の死に顔は明瞭に。皇太子の衣の血染みも、握られたままの匕首も。


「湯を使ってくる。下の者に言って、お前たちの湯や衣の替えも用意させよう」


 そうして何事もなかったかのように、颯爽と皇太子は踵を返す。

 が、ふと。


「そうだ、纏」


 扉の手前で、皇太子は黄雲を振り返った。

 先刻までの冷酷さはなりを潜め、まるでいたずら好きの気の好い兄のような顔で。


「これを返しておこう」

「えっ……あ!」


 不意に皇太子は懐からなにかを取り出し、黄雲へ放り投げる。危うく取り落としそうになりながら、黄雲が手に取ったそれへ視線を落としてみると。


「これは……!」

「大事なものなんだろう」


 滑らかな肌触り、玲瓏たる白い輝き。

 白玉の帯飾りだ。


「ひとついいことを教えてやる。崔雪蓮との縁談だが、陛下には報告していない。いまのところ私の独断専行だ」

「!」

「つまり、私の胸三寸で崔家との縁談は破談にできるというわけだ」


 突然雪蓮の話が出てきたものだから、黄雲はただひたすらきょとんとしている。そんな弟に、兄は。


「昭の王としてふさわしい学識と覚悟がお前に備わったなら、褒美にかの娘をくれてやる」


 ただし霊薬(エリキサ)騒動が無事に解決すればだがなと言い添えて、皇太子は呵々(かか)と笑いながら去っていく。

 残された黄雲はぽかんとするばかりだ。


「人を、物のように……」


 ようやくつぶやいた言葉には、力がこもっていなかった。

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