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6 入城

「さすがは鴻鈞道人(こうきんどうじん)、最古の天仙といったところか」


 青と紺の入り混じる、高い高い天から地上──垙京(こうけい)を見下ろしながら。

 二郎真君は納得の顔で頷いている。

 ところがどっこい。


「よもや垙京付近に神仙の氣を封じる大規模な結界を張っているとは」

「どうすんだよ兄いーー!!」


 二郎神と那吒(なた)の二柱、ただいま真っ逆さまに落下中。雲を突き抜け、風の音は轟々と。しかし地上へ近づくごとに仙氣の封印は濃くなり、もはや落ちる以外になすすべはなく。


「安心しろ那吒。頑丈な我々だ、死ぬことはない。おそらくものすごい勢いで地面に突き刺さるだけだ」

「いやだーー! そんな無様な姿さらしたくないーー!」


 漫才している間に、那吒の自慢の宝具──乾坤圏(けんこんけん)風火輪(ふうかりん)は、ぽんぽこ煙となって消えていく。当然、二郎真君も浮遊の術はすでに封じられている。もはやただものすごく頑丈なだけの美丈夫と美少女となった二人は、地上へ向けてさかしま落下一直線。

 しかし、光明がひとつだけ。


「おお、聞いてくれ那吒。変化の術ならまだ使えるようだ」

「ほんとかよ! 頼むぜ兄い、龍でも(おおとり)でもなんでもいい! ちょうどいいやつに化けてくれ!」

「うむ」


 二郎真君、真面目顔で最後の氣を籠めれば。


「ちう」

「なんでネズミなんだよーー!!」


 どろんと化けたのはちっちゃなネズミ。那吒、ほぞを噛むも地上は近し。


「兄いのバカーー!!」

「ちう」


 全力の叫びとともに、垙京付近の山にドーン。

 その後の神仙たちの行方は杳として知れず。

 黄雲がこの付近を通りがかったのは、数日後のことだった。


-----------------------------------------


(こう)』という字は、市中の道のことを指す。

 古来よりこの街は交易の要衝として栄えてきた。太華のほぼ中央に位置し、四つの運河に接しているため南北の物資のやりとりに便が良く、自然、人々がほうぼうから集って一大都市を成した。

 街を走る道筋は時代を経るごとに複雑さを増し、さながら土中の根の如く、くまなくこの街を覆っている。どこの街路も賑やかで、活気に溢れていて。いつしか誰が呼び出したか、街の名前は『垙』。

 栄の代に国の都と定められ、名も『垙京(こうけい)』と改められた。

 人に溢れ物に溢れ、垙京はまさにいま爛熟の極致。垙京へ向かう街道には荷馬車が数多行き交い、わき目に見える運河にもまた、船が何隻も浮かんで混雑の様相を呈している。

 そんな往来に混ざりながら。


「はぁ……」


 黄雲は呆れたような、感心したようなため息を吐いた。馬車の荷台から首を伸ばし、少年は彼方に霞む城の影を眺めている。

 黄雲、もはや縛られてはいなかった。術符は没収され、生まれ育った亮州から引き離されて土地神の加護も失ったいま、道術も使えない。使える術といえば自身の体調を整える養生の術くらい。そんなわけで黄雲、いま現在は人よりちょっと健康なただのクソガキである。

 ひとまずこのクソガキは潘天師に逃亡の恐れなしと判断され、彼と王暻(おうけい)の監視下に置かれている。夜を明かす際も、王暻と潘天師とで交代の不寝番がつけられた。

 逃げるにしても、現在黄雲は無一文だ。亮州へ帰るまでに路銀は欠かせない。

 王暻らの持っている金品をかっぱらって逃げてしまえばよさそうなものだが、そんな盗賊のような真似をするふんぎりもつかない。なにより、そんな行いで汚れた銭を得たくはなかった。

 馬車の運転手をさせられている農夫のおじさんは、鼻薬がきいていてあてにならないし。

 黄雲は逃亡の隙をうかがってはいたものの、どうしたものか手をこまねいているうちにとうとうここまで来てしまったのだった。


(てん)、あれが垙京だ」


 後ろから王暻が顔を出しながら教えてくれる。声音が少し誇らしげだ。

 無理もない。彼方にうっすらと見える城壁は、亮州など遠く及ばないほど長大かつ堅牢。山と見まごう巨大さ。さすがに天下に冠たる栄の国都、その威容に黄雲は目を見張るばかりだ。


「あれでも臣民が住むにはまだ狭くてな。城内をあぶれた者たちが、さらに城外へ街を作っている」

「はへぇ……!」


 黄雲、もう感嘆の声しか出ない。

 そんなおのぼりの少年の視界に、これまた突然妙なものが飛び込んだ。

 見晴らしの良い街道の脇の平原。遠目に、小山のような身体を揺らしながら歩く大きな生き物が数頭見える。

 灰色の身体。長い鼻。


「あ、あれはなんですか!?」


 黄雲はぎょっと目をむきながら後ろを振り返った。さすがに大きさは先般亮州に出現した饕餮(とうてつ)に及ばないものの、それでも初めて目にする生き物だ。少年、驚愕しきり。


「あれは象という生き物だ。本来は南方に生息している」


 王暻はこれまた誇らしげな表情で答える。


「今年は大礼(たいれい)の年だから、ああやって城外で訓練しているのだ。よく見ろ、首に人が乗っているだろう」

「ほんとだ……」


 遠目で分かりづらいが、象の首の上には確かに人が乗っかっている。


「当日、あの象たちは禁城の南門から発して外城への道を一往復する。壮麗な車や楽隊を引き連れて、それはそれは華やかなものだ」

「へぇ……」


 大礼というのは、三年に一度、天子によって行われる大規模な祭祀のことだ。冬至の日に天子が居城南方の丘陵に()でて、天を祀る。垙京の住民はそれを賑やかに祝うのだという。

 いまは十月の初めだ。冬至の日までには、まだひと月ほどある。


「…………」


 何を考えているのか、自称皇太子はそれきり無言だ。黄雲は構わず遠い景色に目をやった。

 街道には人と荷馬車が満ち、わきを流れる運河を行き交う船の雑多なこと。

 こんな経緯で来たのでなければ、商売だ大儲けだと無邪気に大はしゃぎできただろうに。

 黄雲、まったく心が浮き立たなかった。横に座っている潘天師はほっとした表情を浮かべているし、だんまりの王暻は何を考えているか分からない。

 荷馬車は軽快に道を行く。城が近くなるごとに、自然人の往来は多くなる。

 わきを流れていた運河はふと流れを変え、大きく蛇行して目の前の道を横切っていた。

 その流れの上に掛けられた、虹のような形の大きな橋梁。商売人が多数たむろしているその木橋を越え、荷馬車は垙京へ近づいていく。




 方形の都は、厚い城壁と深く水を湛えた(ほり)に囲まれている。城へ近づくごとに家々の密度は過密さを増し、あちこちからは人々の声がやんややんやとかしましい。城壁の上部からは、寺観や鐘楼といった高い建物の屋根がこちらを見下ろしていた。

 蛇行の後、再び流れを垙京へ向けていた運河は、数多の船を乗せたまま城壁の水門へ吸い込まれていく。

 一行を乗せた荷馬車は、幅の広いお(ほり)の上を通り。

 そして黄雲たちの行く手には、南東の城門が見えてくる。

 城壁とは本来、外敵から内部を守るために設けられるもの。よって城門は外敵を阻むよう造られているもので。


甕城(おうじょう)……」


 目の前にそびえるのは、こちら側へ湾曲するように張り出した壁。門はその壁面の左右に設けられている。

 門を通り抜ければさらに、奥には大きな朱塗りの門がもう一基。手前の門と奥の門との間は、直進で通り抜けできないように造られていた。

 この二重の城門は甕城と呼ばれる構造で、万が一、敵勢力に手前の門を突破されたとしても直進を許さず、勢いを削ぐ仕掛けになっている。

 さて、やたらとかしこまった兵による検閲を済ませ、馬車はがたごと垙京の道を行く。

 垙京の都は、華やかというよりも賑やかで。

 あちこちを天秤棒担いだ物売りが行き交い、歌うような売り文句が響き渡り。

 街路の左右には店が途切れることがない。

 反物、薬屋、書肆、酒楼に茶肆に食べ物屋に。

 辻ごとに馬貸しの姿もあった。通りがかった寺院の境内では、大規模な定期市が開かれている。茣蓙(ござ)の上に整然と並べられたたくさんの骨董品に、それを吟味する人々。

 先刻の運河は水門を通って城内に入り、あちこちの岸では物資の荷揚げが行われている。河の両岸には楊柳が植えられていて、風雅な雰囲気をかもしていた。

 さて。一同を乗せた荷馬車は潘天師の指示のもと、入り組んだ道を右へ左へ複雑怪奇に曲がりつつ、都の中心部を目指して進んでいく。


「……ボロの馬車を借りてきて、正解でしたな殿下」


 近道らしき裏路地で、潘天師がぼそりと王暻へつぶやいた。


「いまのところ『あちら側』の気配はありません。ま、皇太子殿下がこんなボロ馬車に乗って帰ってくるとは思わんでしょ」

「……そうだな」


 黄雲は二人の会話に口を挟む気も失せていた。都の賑わいに圧倒されたのもあるが、一番気を重くしているのはこの後のこと。二人はこの馬車を、一体どこへ向かわせているのだろう。

 さて、垙京という都城は三層の城壁を持っている。

 先刻一同が通ってきた城壁が一層目の外城。

 いままさに通り抜けようとしているのが二層目、内城である。


「はぁ……」


 外城に勝るとも劣らない堅固な城壁に、やはり黄雲、ため息しか出ない。

 亮州育ちの彼は呆気に取られるばかりだった。亮州も地方の要衝とはいえ、城壁は外側一層だけ。さすがに皇帝の鎮座する都ともなると手厚いものである。

 内城に入れば、道はより美々しく舗装され、建物はさらに高く華々しくなる。歩く人々もどこか品が良い。正直ボロの荷馬車はものすごく浮く。


「この内城には、様々な政庁や寺観、官僚の住まいなどが集まっていてな」


 きょろきょろ見渡している黄雲に、王暻がまた教えてくれる。つまるところ、今いる区域は官庁街のようなものなのだろう。


「この道を抜ければ陛下の御成り道だ……が、当然我々が使うわけにはいかない。わき道を行く」

「あ、あの……」


 何か聞こうとして、黄雲は言葉を飲み込んだ。どこへ行くのかなんて、聞くだけ野暮だ。

 潘天師が詳細な指示を運転手のおじさんに伝え、おじさんも朗らかな笑みで指示通りに道を行く。

 やがて道が開けて大通りに出た。

 大通り、とは最初認識できなかった。あまりにも道幅が巨大すぎて、黄雲は最初広場か何かかと思った。

 よくよく見れば、街の彼方まで続く道である。しかし、道の中央部を通行する者は誰もいない。皆、街路樹で区切られた左右の端を歩いている。その端の部分ですら、荷馬車が余裕を持って走れるほど広々としてはいるのだが。

 おそらく中央部分は、天子の道なのだ。だから誰も通らない。通れば処断の対象となる。道の脇には点々と、監視の警吏が立っている。

 そんな壮麗で、しかしどこか物々しい雰囲気の通りを抜け。

 黄雲はげんなりと、たどり着いたその場所を見上げていた。


「……まじかよ……」


 垙京を成す三層の城壁、その最後の壁。

 禁城。


「門を開けよ」


 停止した荷馬車から颯爽と飛び降りて、王暻はよく通る声で命じる。その目前には。

 どこまでも続く、贅を凝らした高い壁。白い壁面には五爪の龍や鳳凰が彫刻され、いまにも飛び出さんばかりの躍動感をみなぎらせている。

 そんな豪奢な城壁に設けられた楼門も、これまた華麗である。鮮やかな朱塗りの門には金の鋲が打たれ、高い屋根には瑠璃瓦が輝く。

 そんな大宮殿の門前で横柄に声を放った王暻であるが……。


「ひぃっ、皇太子殿下!」


 果たして、駆け寄ってきた門番は王暻の顔を一瞥するなり目ん玉をひん剥いた。間髪入れず、地面に額を叩きつけんばかりの拝礼。


「無事の御戻り、まことに祝着! あ、あの……申し訳ございません……お迎えの準備が整っておらず、その……」

「いい。知らせは出してない」


 額づく門番に言葉だけかけて、王暻──いや、皇太子は荷馬車を振り返った。どこまでも自信に満ち満ちた笑み。

 ことの成り行きに運転手のおじさんはしどろもどろだし、黄雲はといえば。


「本当の話だったのかよ……」


 呆然とするほかない。与太話ではなかったのだ。


「さあさあ、お前さんも降りた降りた。殿下についていかねばだ」

「ちょ、ちょっと!」


 潘天師はてきぱきと黄雲の首根っこを掴み、さっさと荷台を降りていく。引きずられるようにして黄雲も地面へ足をつけた。


「ま、待ってくださいよ! あの方、皇太子って……!」

「道中何度も説明したではないか。信じてなかったのかな?」

「だ、だって……!」


 潘天師に歩みを促されながら、黄雲はやっぱり話についていけない。

 あの青年が自身の異母兄だとして。

 彼が本当の本当に、皇太子だとすると。黄雲の父親は、やはり──。


「別に信じようが信じてなかろうが、どうでもいいさ」


 皇太子が悠然と二人へ歩み寄ってくる。その顔に浮かんでいるのは、どこか冷たい表情。


「お前がどう思おうと、関係ない」




 さて、黄雲は禁城の敷地を歩かされている。

 ここまで皇太子一行の運転手役を務めた農夫のおじさんは、すでに帰路についている。乗ってきた荷馬車はそのままおじさんに与えられ、荷台には褒美として金銀財宝が山と積みこまれた。さらには皇太子の配慮により手練れの兵による護衛付き。おじさんは無事郷里へ帰り、一躍大地主に成りあがるのだがこの話はこれまでとする。

 さすがに皇帝の居城である。立ち並ぶ建物はいずれも長大、華麗。見上げれば瑠璃瓦、それらを支える棟木は鮮やかに彩色され、破風下には神仙や瑞獣を象った緻密な彫刻が施されている。

 天上の仙院の如き宮殿が、見渡す限りに何棟も。


「うわぁ……」


 黄雲のポカン顔、ここに極まる。


「さて」


 悠然と紫庭(してい)を闊歩していた皇太子は、とある殿舎の前で止まった。やはり壮麗な造りではあるが、他の宮殿に比べてやや落ち着いた色調の建物である。


「ここが我が住まいだ」


 皇太子の言う通り、屋根の下に掛かっている額には『太子殿』とある。黄雲があっけに取られながらそれを見上げていると。


「殿下!」

「殿下、いつ御戻りで!」


 殿舎からわらわらと、おそらく皇太子の世話係なのだろうか、宮仕えの格好をした男が何人も現れた。先刻の門番と同じく、みな仰天の表情である。一同が伏して迎えようとするも、皇太子はそれを制して。


御託(ごたく)はいい。すぐに湯を用意してくれ。客人の分もだ」


 などと、腰につけた佩剣を軽快に鳴らしつつ、さっさと太子殿へ引っ込んでいく。

 それを幾人かが追いかけ、残る幾人かは立ちっぱなしの黄雲と潘天師へ意識を向けてくれた。


「さあ、お客人もお早く」

「潘殿も、さあさあ」

「え、あの……」


 しかし黄雲の戸惑いは流されて。


「やれやれ、早くゆっくり休みたいものだ。なあ?」

「ちょっと……!」


 はっはっは、と上機嫌の潘天師とともに、黄雲は太子殿へ足を踏み入れるのだった。




 ところが、その直後のことだった。

 太子の執務室らしき部屋に通された黄雲がまず目にしたのは、佩剣を外し、机に置く皇太子の姿。そしてそれを見守る使用人たち。


「ふたりとも、楽にしてくれ」


 黄雲と潘天師へ座を勧めつつ、自身も椅子に座りながら皇太子がそう促したときだった。

 使用人の一人が──壮年の男が、その無防備な体勢へ素早く近付いて。


「……!」


 言葉はなく、息遣いだけ。男が切迫した雰囲気を一瞬放ったかと思うと、その手の内に鋭い光が閃いた。


「なっ!」


 刃物だ。

 気付いた瞬間、黄雲の心臓が嫌な動悸を打つ。後ろの潘天師が駆けだそうとする気配。

 咄嗟に見た皇太子の顔は、異常なほど冷静な気色を湛えていて。


 刹那。


 間近にいた黄雲の頬に、返り血が飛んだ。足元には血だまりが広がっていく。


「身中の虫、か」


 つぶやきながら、皇太子は先ほどと毛ほども変わらぬ表情で手に握った匕首(あいくち)を見つめていた。おそらく、懐に忍ばせていたそれで瞬時に反撃したのだろう。衣は真っ赤に染まっている。

 襲撃を仕掛けた壮年の男は、覚悟の表情のまま血の海に沈んでいる。一、二度あえぐ仕草をして、やがてぴくりとも動かなくなった。


「あ……うあ……」


 目の前で人が死んだ。殺された。罪人が見せしめに広場で処刑されるなんて、この国ではありふれたこと、だったけれど。

 黄雲はへなへなとへたり込んでしまう。目前で人が殺されても平気でいるほど、十四歳の心は強くない。


「おいおい、これしきで腰を抜かさないでくれよ。先が思いやられる」


 黄雲とよく似た顔で皇太子が笑う。せせら笑うでもなく、誇らしげにするでもなく、あくまで日常の延長のような顔で。


「殿下、お怪我は」


 歩み寄り尋ねる潘天師へ、「ない」と皇太子は一言。


「……やれやれ。敵が多くて困るものだ」


 心のこもらない嘆息。皇太子はひとしきりそんな素振りをした後に、残る使用人に「外してくれ」と声をかけた。

 使用人たちはいささかどよめきつつも退出し、かくして部屋には三人。皇太子、黄雲、潘天師。それから屍。

 窓も扉も閉め切られた部屋の内で、兄は弟を見下ろした。

 告げる言葉は、冷々と。


「纏よ、お前を連れてきたのはほかでもない。お前を真の第二子として、陛下に認知していただくためだ。陛下はお前の存在をご存じない」

「…………」


 空虚に響く言葉。血の中で、己を取り戻そうと黄雲の心はもがく。

 自分の名前は黄雲で。亮州で育った、ケチで生意気な道士で──。


「それは……あなたに利がないのでは?」


 やっとのことで口を開けば、皇太子は「ほう」と興味深げな顔。


「僕が第二の太子として認められたならば、現第二太子殿下同様、あなたの政敵になり得てしまう。……素人考えですけれど、あなたにとっては敵が増えるだけでは?」

「ふむ、思ったよりも利口だな」

「誰でも思いつくことですよ」


 不遜な口調でそう言えば、血濡れの青年は満足そうに薄く笑った。

 そんな彼に、黄雲は続ける。


「あなたが僕をここに連れてきたのは、霊薬(エリキサ)絡みの事情ではないのです?」


 崔雪蓮を娶ろうとしたこと。なにより、霊薬(エリキサ)を知っていたこと。亮州を訪れたのはまず、霊薬(エリキサ)が目的ではなかったのか。

 問いたいことを遠慮なく問えば、いつもの調子が少し取り戻せるような気がする。心臓はまだ早鐘のようで、話す言葉もまだ少し、震えていたけれど。兄を見つめるまなざしは、まっすぐに。

 彼の問いに皇太子が答える。


「もちろんそのことも探ってはいた。だが、私はなにも霊薬(エリキサ)の用件だけでかの地を訪れたわけではない。二兎追ってきた」


 二兎。つまり、霊薬(エリキサ)と──黄雲。


「まさかお前が霊薬(エリキサ)騒動に関わっていたとは、さすがに予想していなかったがな。崔雪蓮に縁談を申し入れたのも、彼女が霊薬(エリキサ)の宿主と知ってのことだ。身柄を確保したかった」

「……!」


 黄雲のまなざしが揺れる。明らかに動揺した彼を、皇太子は顔色変えずに眺めている。


「しかし、霊薬(エリキサ)とお前とはまったくの別件だ。霊薬(エリキサ)に関してお前がなにか有益な情報を持っているというのならぜひとも提供してほしいところだが……お前自身はもう、この件に金輪際関わるな」

「か、関わるなって……!」

「纏よ」


 言い返そうとした黄雲をさえぎって。

 皇太子は淡々とした口調で告げる。


「よく聞け。お前は我が弟にして今上陛下の第二子。生母は遥か西方の昭国より当朝に入内せし李賢妃(りけんひ)、そしてその父……つまりお前の祖父に当たる男が、昭の先王・茅頭王(ぼうとうおう)──李盈山(りえいざん)


 茅頭王。

 その名を黄雲も聞いたことがある。二十年前、栄と戦争を起こし、本邦の民草の心胆を寒からしめた、西戎(せいじゅう)の猛々しき王。


「そう、お前には昭王の血が流れている。我らが栄・王氏の血脈とともにな。私にはお前に流れる血こそが必要だ」


 薄暗い部屋の中で、皇太子の双眸は怜悧な光を宿す。


「纏。お前には昭の王となってもらう」

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