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2 これから

 馬車はガタゴト、軽快に道を往く。のどかな田園風景の中、重苦しい雰囲気を載せて。

 荷台の上。黄雲は呆れかえった眼差しで目前の青年を凝視していた。いまこの、どこか見覚えのある、けれど見知らぬ若い男はなんと名乗ったか。皇太子、などと嘯かなかったか。

 それよりも聞き捨てならないのは。

 

 異母兄(あに)、の一言。

 

「ばっ……」


 馬鹿馬鹿しい、と言いかけた黄雲の声を遮って。

 

(てん)


 青年の声が放たれる。

 その瞬間、蛇に睨まれた蛙のように。黄雲は動けなくなる。何も言えなくなる。

 (いみな)だ。今までずっと隠してきた、黄雲の本当の名。

 心臓を──魂を鷲掴みにされる感覚。纏なんて名前を知る者は、師である清流道人しかいないはず。

 

戊戌(ぼじゅつ)、九月十九日の生まれ。出生地は垙京(こうけい)


 朗々と青年は続ける。黄雲自身でさえ知らなかった、出生地まで付け加えて。

 黄雲の驚愕を余裕の笑みで眺めつつ、青年は満足げに言う。


「……その様子だと、お前の養母殿はきちんと約束を果たしてくれたようだな。賢明な女性だ」

「なっ……」


 そして追い打ちをかけるように、青年は右の袖をめくった。

 露わになる青黒い痣。細長く、うねった形のそれ。

 まるで、龍がのたくったような。

 

「見覚えがあるだろう。お前の背の、腰のあたりにあるものと同じだ」


 青年の言う通りだった。黄雲自身が今まで、忌まわしく、疎ましく思っていた形とうり二つ。確かに黄雲の背中には、同様の痣がある。

 どうして自分の背中にそんな痣があると知っていたかなんて、聞くまでもない。いま黄雲が着せられているものは平民の服。さらに服の中の感触から察するに、背中の傷には手当がされているらしい。おそらくは介抱の最中に見られたのだろう。

 しかし、目の前の青年が示す右腕の痣。偶然とは思えないほど、自身の背にあるものとそっくりだ。

 もちろんそれが何らかの顔料で描いたものでないことくらい、吝嗇(りんしょく)をこじらせて真贋にうるさい黄雲には一目瞭然だった。彼の右腕にのたくる青痣は、確かに皮膚そのものの色。触って確かめなくても分かる。打撲痕でも刺青でもない、生まれついての色だ。

 

──秘匿していたはずの、出生に関わる事柄を言い当てられた。

──同じ形の痣を見せつけられた。

 

 青年が示したのは、つまり血縁であるということの証左。

 

──異母兄(あに)


 須臾(しゅゆ)の沈黙。そして。

 

「……なにが目的ですか」


 黄雲の発した言葉は刺々(とげとげ)しかった。目の前の自称皇太子を、兄と認めたくない気持ちでいっぱいだった。

『纏』と呼ばれたくはない。『黄雲』であることを、否定されてしまう気がする。

 それに、いまは。

 

「なんの目的があって、皇太子だの異母兄だのと。悪いが、僕にはあなたの戯言に付き合っている暇はない」


 そう、いまはこんな妄言にかかずりあっている場合ではない。

 清流は、巽は。雪蓮は。一体どうなったのか。

 自身の出生のことなんて、さておくべきだ。事態がどうなったかを確かめなければならない。

 黄雲の胸に、じりじりと焦燥が燃え始める。揺れる馬車のなか立ち上がり、後ずさる。青年はいまだ余裕の笑みだ。

 

「──失礼っ!」


 身を翻し、黄雲は馬車から飛び降りようとするが。

 

潘天師(はんてんし)!」

「御意!」


 だしぬけに声を発する青年、応じる中年の男の声。

 手摺を飛び越える寸前で、黄雲の身体はぴきりと固まる。そのまま無様に床へどさり。


「ぐっ!」


 倒れ込み歯を食いしばりながらも、黄雲はいま、己が身に何が起きたのかを必死で考えていた。

 四肢に力が入らない。経絡中の氣が阻害されている。こんなことができるのは。


「道術……!」

「やれやれ。手当の際に念のため、服の中に術符を仕込んでおいて正解でしたね」


 中年男の声は、御者台から響いている。声の主は「よっこらせ」と間延びした調子で馬を停め、御者台からひょっこりこちらを覗き込んだ。

 見覚えのある顔だった。黄色い道服に蓬髪。高い頬骨に、八字ヒゲ。いかにも胡散臭げな風体。


「お、お前は! 昨日の観相士!」

「ご名答。お見知りおきいただき光栄至極」


 もったいぶった口調で、荷台に身を乗り出してきたのは誰あろう。昨日亮州城内で、黄雲の人相を勝手に占った観相士だ。

 先般は将来出世間違いなしだの傑物だのと、やたらめったら持ち上げるような結果を並べ立てていたわけだが。

 

「お前っ、これはどういう……!」


 いまここにいるということは。占いなどとは口実で、黄雲に接触することが目的だったのだろうか。あの青年と、結託して。


「そう噛みつくな。ただ弟を迎えに来ただけだ」


 うつぶせの黄雲を覗き込みながら、答えたのは青年だ。


「纏。お前を垙京(こうけい)の皇城へ連れ帰る」

「クソッ、放せっ!」


 背中の傷が痛むのも構わずもがいてみるが、術は解けない。先刻の観相士の言葉通りだとすれば、黄雲に着せられた衣服の中に仕込まれた術符による束縛だが。息を吸い、氣を練って術を破ろうにもうまく行かない。四肢は石のように硬直したまま。

 しかし、抜け出さねばならない。いや、抜け出したい。この場から、一刻も早く。

 

「垙京なんか知るか! 僕は早く、あの人が無事か確かめないと……!」

「崔雪蓮のことか?」

「!」


 青年の放った一言に、黄雲は目を見開いた。驚く彼へ見せつけるように、青年は懐から何かを取り出し、その目先へちゃらりとそれをぶら下げて見せる。

 それは女物の、白玉の帯飾り。

 

「手当てをしているときに、お前の服から出てきたものだ。おそらくだが崔雪蓮のものだろう?」


 青年の言う通りだ。あの日……霊薬(エリキサ)をめぐる狂騒の、そもそもの発端の日。雪蓮と初めて会ったときに、彼女から案内料代わりにせしめた高価な品。州城の長官でなければ、購えないような。


「か、返せ!」

「まったく奇遇なこともあるものだな。生き別れの弟がまさか、霊薬(エリキサ)騒動に巻き込まれているなどと。なあ潘天師」

「いえまったく」

「ま、待てよあんたら……!」


 帯飾りをかざしながら品よく笑う青年だが、口走った言葉は聞き捨てならない。

 雪蓮のことを知っているばかりか、霊薬(エリキサ)などと口にした。

 

「一体何者だ……! なにを、どこまで知っている!」


 身動きできない身体で、必死に顔を上げながら。

 噛みつくように黄雲は問う。


「……先刻から名乗っているのに、愚かな奴」


 そして青年。見下ろす瞳には明らかに、侮蔑の色が混じっている。


「私は皇太子王暻(おうけい)。お前の兄」


 どこか見覚えのある顔立ちが、冷たい口調で告げる。

 

「纏よ。亮州のことは忘れろ。これからはその血に相応しい生き方をしてもらう」


 そのとき、その顔を見て。黄雲は唐突に気付いた。

 ふしぎな既視感に満ちた、青年の顔。その正体がわかったのだ。

 誰かに似ていると思っていた。時折見かける、誰かに。

 鏡だ。鏡の中に映った自分。黄雲自身。

 

「…………」


 もはや言葉は無かった。兄、弟。その関係にもはや、疑いは抱けない。

 雷に打たれたように、心臓が跳ねている。どくどくと、全身を駆け巡る血。なのに冷えていく胸の内。

 

(師匠……お嬢さん……)


 黄雲は、何をどうしていいか分からなかった。こんなに事態が逼迫し、不透明で。攫われた彼女がどうなったのか、戦っていた師がどうなったのか、一刻も早く駆け付けたいのに。

 突然己が出自に関わる者に拘束され、連れ去られようとしている。

 馬車は再び進み始める。亮州が、遠のいていく。

 なにも、できないまま。

 

------------------------------------------


「……はっ」


 那吒(なた)は目を覚ました。

 昨晩の戦いは、あまりにも激しかった。体力氣力の消耗甚だしく、少年神はいまのいままで眠っていたのだ。

 気が付けば真昼の往来である。壊された城壁近く。路上で寝ていた彼の周囲には、那吒の性別を勘違いした街の男たちが山盛りてんこもり、卑猥な視線で無遠慮に彼をデレデレ見つめている。那吒が目を覚ましたって、ばつの悪さなぞ微塵もなく。

 

「おはよー那吒ちゃん!」

「おっはよー!」

「今日も綺麗なおみ足だね!」

 

 などと元気いっぱいにご挨拶。

 もちろん少年神、こんな扱いは不本意千万である。見た目は美少女でも、彼はあくまで少年神。数千年間わんぱく盛り継続中の少年神なのである。なるべくならば男らしい軍神として、崇め奉られたい拝まれたい。

 そんなわけで、ちゃん付けは断固拒否。那吒は柳眉を逆立て、甲高く怒声を放つ。


「てっ、てめーら! ちゃん付けはやめろってんだ、オレはおとこ……」

「那吒殿! お気づきになられましたか!」


 ところが。言いかけて背後から呼び声。

 振り向いてみれば、見知った顔である。雪蓮の父、崔伯世。

 崔知府は供を連れ、憔悴しきった顔でこちらへ駆けてくる。

 

「雪蓮のおやっさん……」

「良かった、ひどくお疲れのようでしたから心配して……」


 知府、疲れた顔に安堵の色を浮かべて那吒を見つめるが。那吒から返ってくる視線は、じとりと恨めしげで。


「おいおい、路上に寝かせっぱなしってのは随分な扱いじゃねーか。オレ昨日この街救ったんだぜ?」


 脳髄いっとく? と那吒、乾坤圏を指でくるくるもてあそびつつ不機嫌絶好調。とはいえ、彼が路上に転がされていたのにはやむを得ないわけがあり。


「いやでも那吒殿、寝相が……」

「あんだって!?」


 破壊力抜群の寝相により誰一人近づけず致し方なしの放置だが、この話はこれにていったん終えるとして。

 

「んでおやっさん、雪蓮達は?」

「いえ、各方面に配下をやって捜索してはいますが、いまのところ……」

「そっか……」


 やつれ顔の崔知府。いつもは上品に整えられている髯も、萎びた野菜のようにくたびれている。

 さっきまでぷりぷり怒っていた那吒も、しゅんと表情を曇らせた。

 那吒、昨晩知府へ事の成り行きを伝えたことは覚えている。謎の少女に雪蓮が攫われたこと、黄雲、そして火眼が救出に向かったこと。饕餮(とうてつ)との戦いの際に感じた氣の配置から、清流や巽も場にいたと考えられることも、それらの氣が掻き消えたことも、余さず。

 そのあとは記憶がない。おそらくは疲労が限界を迎えたのだ。以降那吒は昏々と眠り続け、手に握ったままの乾坤圏でそこらへんの地面をガンガン叩いてえぐって誰も寄せ付けなかったことなど、彼は覚えちゃいない。

 一方の崔知府は方々へ配下を遣わして、愛娘や清流堂の面々を捜索させていた。が、一晩経ってもなんら収穫もなく。

 いつの間にか、皇太子の使いは屋敷から消えていた。屋敷の使用人によると、騒動がひと段落したあとにそそくさと出立したらしい。

 何の挨拶もなく姿を消すのは至極無礼ではあるが、知府、そんなこと気にもならなかった。那吒とは裏腹に知府は一睡もできず、ただただ城内の混乱を鎮めるための陣頭指揮を執ることで平静を保っていた。

 そんなこんなで二人、しょんぼりと揃って頭を垂れているときだった。

 

「父上!」


 彼方から呼びかける声。振り返ってみれば、瓦礫撤去の人夫をかき分けて近づいてくる、ひと群れの集団。女子供、そして馬から成るその一団の、先頭にいるのは。

 

「こちらにいらっしゃいましたか、父上!」

「子堅! 秀蓮も!」


 崔知府の長男と長女。ついでに馬。パカポコと歩を刻む馬脚の傍を歩くのは、三人の子どもたち。それから。

 

「火眼! お前生きてたのか!」

「神将そのに……そっちは崔雪蓮の父親か」


 白髪に赤と金の目の少年。火眼金睛だ。

 火眼は那吒と知府の姿を認めると、やにわに口を開いた。

 

「そのにはどうでもいい。おい、崔雪蓮の父親」

「おい! どうでもいいっててめコラ!」

「な、那吒殿落ち着いて……」

「はなしがある」


 騒ぐ那吒をほったらかして。火眼はずかずか知府へ歩み寄り。

 

「ん」


 手に持ったものを素っ気なく差し出した。

 崔知府、火眼金睛と面と向かって話すのはこれが初めてだが、かつては娘の雪蓮を喰らおうとした物の怪が相手となればさすがに面食らうというもの。「なんだ?」とおっかなびっくり、火眼の手元へ視線を落とせば。

 

「瓢箪……?」


 彼の手の中には、朱房のついた瓢箪がひとつ。


「瓢箪がどうかしたのかよ?」


 那吒も横から覗き込む。そして少年神、はたと驚愕の面持ち。

 一瞥して、神将は気付いたのだ。その瓢箪の奥に潜む、尋常ならざる密度の……覚えのあるにおいの氣に。

 

「お、おい! お前これ……!」


 ぎょっと目をむく那吒の眼下で。


『おや、さすがに那吒殿はお分かりになられるか』


 瓢箪が口を利いた。それも聞き覚えのある声だ。少し低めの、女の声。


「な! 瓢箪がしゃ、しゃべっ……!」

『私だ、伯世殿』


 驚く知府をなだめるような口調で、瓢箪は続ける。

 

『かような姿では信じて頂けぬかもしれぬが……伯世殿』

「その声……まさか、清流殿!?」


 うなずけない瓢箪に代わり、火眼が首肯。一拍遅れて、彼の後ろの崔姉弟や子ども達も同様にこくり。

 つまり、この瓢箪の内にいるのは清流道人。なにをどうやってあの巨乳を瓢箪に押し込められたのか、どうやらこの中に封じ込められているようだ。

 一連のやり取りと顛末に、知府は唖然である。

 

「こ、これは面妖な! 一体なにが……雪蓮は! 雪蓮は一体どこに!?」

「父上、落ち着いてください」


 取り乱しかける崔知府を制したのは、子堅だ。ぐっとこらえたような顔で、父の肩を抑えつつ青年は言う。

 

「事態が錯綜していて、話すと長くなります。ひとまず、どこか落ち着けるところへ」


--------------------------------------------------------


 城壁修繕の指揮を執るため、破壊された場所の近くには天幕が張られていた。そのなかに置かれた床几(しょうぎ)に腰かけ、崔知府は神妙な面持ち。

 天幕には崔姉弟に火眼金睛、清流堂の子ども達になぜか馬までもが通されていた。いや、馬は秀蓮が無理矢理同席させたのだった。

 それはともかくとして。

 火眼に抱えられた瓢箪──清流道人が語りだす。

 

『伯世殿。まことに面目ない。ご息女は奪われてしまった』


 あっさりとした報告だが、声は震えている。知府は俯き、くぐもったうめき声を上げた。

 しばし無言。

 知府、手で顔を覆いながらさらに問う。

 

「……誰に連れ去られた?」

鴻鈞道人(こうきんどうじん)……そして』


 重々しく、清流は告げる。

 

『我が道廟に住み着いた八洲(やしま)の忍び、木ノ枝(きのえ)(たつみ)……』

「なんだと!」


 崔伯世、怒声とともに立ち上がる。勢いで蹴り飛ばされた床几が、天幕の端まで転がっていった。

 知府の怒りも当然だ。娘を預けていた道廟に敵方の人間が忍び込んでいて、それを誰もかれも怪しまなかったからだ。

 そう、怪しまなかったのだ。

 

「…………」


 ふと頭の冷えた知府、立ち上がったまま静止して、あれこれ逡巡の様子。思い出すのは往時のクソニンジャ・木ノ枝巽の所業の数々。怪しさ満点の覆面黒装束に身を包み、街を跳梁跋扈してはスケベ三昧。

 

「い、いや。気持ちはわかる清流殿……」


 途端に知府は冷静になって同調の意を示した。疑っていなかったのは、彼自身だってそうだ。

 

「私も疑っていなかった……怪しすぎて逆に怪しんでいなかった……」

「だもんなー。クソニンジャだもんなー」


 苦渋の表情で述べる知府に、子ども達もウンウンわかるよと同意の頷き。

 とはいえ、巽の裏の意図に気付けなかった清流の油断が、無かったことになるわけではなく。

 

『伯世殿。この不始末、すべて我が不徳の致すところ。かの忍びの企みにもっと早く気付いていれば、雪蓮殿は……』


 瓢箪なので当然、表情や顔色は伺い知れない。しかし清流の声色は自責の念に満ちていて、聞いているだけで彼女の無念が胸の内に広がっていくかのよう。

 

「…………」


 いつぞやは巽と組んでスケベ忍軍騒動を起こした子堅も、いまは神妙な表情で拳を握りしめている。ともに青春を歩んだ仲間が、妹の拉致に加担したのだ。

 到底、許せない。

 そこへ。

 

「許せない……許しておけるものかっ!」


 突然、天幕の出入り口から怒号が飛び込んできた。見れば、いつのまにか幕下から消えていた秀蓮だ。その手にしっかと握られているのは、白刃眩しい青龍偃月刀。

 秀蓮、歯を食いしばり、瞳の中には怒りの炎が燃えたぎっている。その視線がキッと貫いているものは、火眼の手の中のしゃべる瓢箪。

 

(とつ)! このいんちき道士め!」

 

 そして秀蓮は大刀を振りかぶり、切っ先を瓢箪へ突きつけた。

 

「なっ……!」

 

 さっと場の空気が冷える。対して秀蓮の白熱ぶり、怒髪天を衝かんばかりの勢いで。

 

「おのれこの役立たずども! 無為無策に敵を腹中に招き、あろうことか我が妹を奪われるなど笑止千万!」

「ちょ、ちょっと姉上……」

「ええい黙っておれ子堅!」


 弟が止めに入っても火に油。

 汗血馬(かんけつば)大娘(たいじょう)、まなじりを決し眉を逆立て声は大音声、かくも苛烈な怒涛の憤激。

 

「貴様らは我が父から多額の報酬を受け、妹を……雪蓮を霊薬(エリキサ)なる怪異から救い出すと誓っておきながら! この体たらく! 口先だけの愚物どもめ、万死に値する!」

『…………』


 清流は秀蓮の怒罵を黙って聴いている。突きつけられた青龍刀の切っ先が、震えている。

 

「なんとか言ったらどうだ! この……!」

「秀蓮、やめなさ──」


 知府が止めに入るのと、同時に。

 カランと高い音を鳴らして、青龍偃月刀が床に転がった。遅れて秀蓮が崩れ落ちるように膝をつく。

 

「くっ……」


 口元を押さえて、秀蓮は青い顔。悪阻だ。

 子堅が慌てて「姉上!」と肩を支えるも、秀蓮、その手をパシリと弾き。

 

「不甲斐ない……!」


 弱々しくつぶやいた。

 それは清流に言ったようでもあり。

……自分に言ったようでもあり。


「姉上……」

「秀蓮……」

 

 父と弟も悲痛な面持ちで、彼女を見つめている。妹の危機にいの一番に駆けつけたかっただろう彼女の無念は、家族にはよく分かる。子を身ごもっていなければ、悪阻に苛まれていなければ。確実に雪蓮を奪還すべく刃を振るっていたに違いない。

 それが果たせぬ悔しさ。秀蓮の背中は、いつもと違って静かで、小さい。

 

「姉上、さあ……」


 子堅はそっと手を差し出した。うずくまっている姉を、どこか休める場所へ連れて行くために。

 ところがこの姉、その善意の手のひらをまたパチンと弾き。

 

「いって!」

「ふんぬ!」

 

 勢いよくがばりと立ち上がる。

 

「ええい、いんちき道士! 貴様の処遇は追って沙汰する!」

「ちょ、ちょっと姉上……」

「いまからでも遅くはないっ! 私は、雪蓮を取り戻しに行く!」

「はぁ!?」


 弱った姿を見せたのは一瞬で、たちまち復活のじゃじゃ馬。一同を唖然とさせながら、秀蓮は取り落としていた青龍刀を拾い上げ、

 

「行くぞ紅箭(こうせん)!」


 天幕に連れ込んだままの愛馬にまたがり、勇ましく大刀を振り上げた。ヒヒンと紅箭もやる気満々で、後肢で猛々しく、狭い天幕の中を立ち上がる。

 今にも出立せんと、人馬ともに鼻息荒い一人と一匹。

 が、しかし。

 

「こ、これ待ちなさい秀蓮!」


 馬面の前に立ちふさがり、知府は娘を押しとどめる。連れ戻すとはいっても。

 

「馬鹿者、雪蓮がどこへ連れ去られたか分からないんだぞ!」


 そう、雪蓮の行方が分からぬままだ。もっともな指摘を受けて秀蓮、苦い顔で閉口する。

 雪蓮の氣は昨晩、西の林道から忽然と消え、その後の行方は杳としてしれない。清流にも火眼にも、神将である那吒でさえ感知できなかった。

 

『……おそらくは鴻鈞道人(こうきんどうじん)に連れ去られたものと思いますが』


 親子漫才へ、清流が口を挟む。

 

『ひとまずは彼を追うことが糸口になるでしょう。鴻鈞道人をまず、探した方がいい』

「探した方がいい、といっても……」


 瓢箪の提案に、知府は渋い顔だ。なんせ相手は神出鬼没の、高位の神仙。

 

「そんな、どこにいるかも分からないような……」

『いや、一箇所だけ気になる場所がある。伯世殿にも以前、お伝えしたはずだ。夏に我が師……玄智真人(げんちしんじん)に、都の様子を探ってもらったときのこと』


 ちょうど、巽が街で大規模ハレンチ騒動を巻き起こしていた頃。

 垙京に棲む蜥蜴の視覚を借りて玄智真人が情報収集を行っていたときに、偶然か故意か、鴻鈞道人その人を目撃した場所がある。

 かの美男がいた場所は。

 

『皇城……』

「こ、皇城!?」


 崔姉弟、素っ頓狂な声を上げる。そんな二人とは逆に、知府は困りきった顔。

 子堅と秀蓮の驚愕も、知府の困惑も仕方ないことだった。

 なんせ皇帝の住まう城。下々がおいそれと立ち入れぬ禁域に、かの天仙はいたのだ。

 瓢箪からの清流の声は淡々と告げる。

 

『現在も鴻鈞道人が皇城にいるかは分からない。が、赴いてみる価値はあると思う』

「赴くといっても、どうやって……」


 瓢箪に封じられ、文字通り手も足も出ない清流へ懐疑の視線があちこちから刺さるが。

 

「清流殿、その瓢箪からは出られないので?」

『出られるものならとっくに出ている』

「だろうなぁ……」

『火眼』


 清流は炎の少年を呼ぶ。珍しくこの長話の間寝ていなかった火眼が、瓢箪を見下ろす視線の動きだけで呼び声に応じた。

 

『すまないが、しばらく私の手足となってくれないか』

「かまわない」

『ありがとう。……伯世殿』


 瓢箪からの声は、崔知府へ向く。

 

『この度の不始末、詫びのしようもない。だから、私に……清流堂の者に、責任を取らせてほしい』

「ま、待ってくれ清流殿!」


 謝意と覚悟の詰まった言葉だったが、知府はぎょっと目をむいた。つまり清流は、火眼とともに皇城へ潜入するつもりということで。

 しかし懸念は様々ある。

 

「しかし……もし万が一、城内の者に見咎められたら……!」

『なるべくうまくやるつもりだが……火眼次第だな……』

「清流先生。火眼にーちゃんたぶんどこでも寝るし、すぐボヤ騒ぎ起こすよ?」

『むぅ……』


 出るわ出るわの懸案事項。瓢箪の中で清流が頭を抱える様が見えるようだが。

 

「オイオイ、オレを忘れちゃいけねえぜ。そんなもんオレがだな、ひょいっと垙京までひとっ飛びしてだな……」

「あーもーしゃらくさい!」


 忘れられていた那吒の、せっかくの台詞をさえぎって。

 汗血馬娘、すべてのしがらみ云々かんぬんを一切無視して、彼女らしくも短絡的すぎる乱暴な提案。

 

「皇城を正々堂々! 正面突破して無理矢理雪蓮の手がかりを手に入れる! これしかないわっ!」

「それが一番まずいぞ秀蓮!」


 下手をすれば謀反である。造反の罪で亮州ごと崔家が滅ぼされかねない。

 

「じゃあどうすればいいのよっ! このぼんやりくんと瓢箪を向かわせるだなんて、頼りないったらありゃしない!」

「だ、だからオレが……!」

「落ち着いてください、姉上」


 しっちゃかめっちゃかの空気にげんなりしながら、子堅が口を開いた。黙殺される那吒。

 そして書生、憂慮の面持ちながらも冷静な声音で、自身の考えを口にする。

 

「そもそも、雪蓮に霊薬(エリキサ)が宿る発端となったのは、垙京の我が伯父・劉仲孝から送られてきた書物でしょう」


 そしてその劉仲孝は、現在第二太子を推す派閥に属している。

 

「だから此度の霊薬(エリキサ)事件の黒幕が、第二太子本人か、その関係者の可能性が高いと私は思っている。加えて昨日の皇太子からの婚姻の申し入れだ」


 皇太子、第二太子。それぞれの陣営が、宿主の雪蓮もろとも、霊薬(エリキサ)に対してなんらかの関わりを持とうとしている。

 

「皇太子の方は本当に霊薬(エリキサ)に関わっているのか、まだ読めぬがな……。ともかく、皇族がこの件に関わっている以上、下手な手を打つと我が崔家の存続に関わる」

「し、子堅……お前、別人のように……!」

「父上は息子をなんだと思っているんですか!」


 父からの茶々に目くじらを立てるも、こほんと咳払いをひとつ。取り戻す沈着。

 子堅、続ける。

 

「だから清流殿。皇城で手がかりを探るにしても、そのお姿のまま、火眼金睛を手足に忍び込むのは悪手です。万が一事が露見し、我が家との関係が明るみに出れば、取り返しのつかないことになる」

『ふむ……』

「姉上とは違う意味での正々堂々を用いましょう。正規の手続きを踏んで入城するんです。それならば誰にも文句は言われない」


 それには、と子堅続ける。

 

「まず、劉仲孝を足がかりにしたい。劉は今回の件の発端だが、皇城へ入ることを許された官僚だ。だから奴を探り、可能ならば取り入り、劉を通して許可を得、入城する」

『ほう……』

「しかし、どうやって」


 火眼が子堅の案に疑問を呈す。都の高官に接触して駆け引きに興じるなど、火眼にはどだい無理である。清流もこういうのは、できそうでできない。

 

「だから礼節をわきまえ、知識があり……そのうえ劉仲孝にゆかりのある者を連れて行けばいい。そう、親類ならばなおのこといい」


 つらつらと語られる、子堅の腹案。

 皇城へ赴くために最適な人物とは──

 

「私ねっ!」

「ちがいます姉上!」


 確かに親類という点には合致するが、当然秀蓮ではない。

 

「じゃあお母さま?」

「ちがいますっ! 確かに母上は、劉の妹ですが!」


 話の腰を折られながらも、子堅は居住まいを正し、至極真剣な顔で言った。

 

「私が行きます」

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