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6 糾問

「う……」


 遠のきかける意識を必死に手繰り寄せ。黄雲がまぶたを開き振り仰げば、黒衣、そして師の毅然とした表情が目に入る。

 弟子を片手で抱えながら、清流道人はすっと一息、周辺へ氣を巡らせた。水の氣は地中深くまで染み通り、地下、土中深くの水脈へ到達し。

 どう、と轟音を上げ。水脈の壁が地中より噴き上がる。

 水の壁は、師弟と、そして忍び達を囲うように四方を塞いだ。

 水壁から高く打ち上げられた水滴が霧雨と化して降り注ぎ、一同の衣に微細な斑を描く。

 

「くっ!」


 樹上。黒装束の少女──しのぶは後方を振り返った。

 凄まじい勢いで噴出する水流。すぐ背後に迸る水の壁は高く、勢い猛々しく、とてもではないがすんなり抜けられそうもない。

 

「その水壁を越えようなどとは思わないことだ。触れた瞬間に身が千切れるぞ」


 清流はよく通る声で簡単に忠告を言い放つ。そして腕を通じ、黄雲の身体にも別種の氣を巡らせた。

 少年の体内。血流中の毒素は集積され、冷たいものが黄雲の喉へ込み上げて。

 

「げほっ、がふっ!」


 少年の口から水の塊が溢れ出た。毒を含んだ水が、ばたばたと地面へこぼれ落ちる。

 弟子に雑な解毒を施し。清流は樹上の忍びを見遣りつつ、黄雲を抱えている方とは逆の手より、何かを前方へ放り投げた。

 白い、薄汚れた道服だ。

 同時に放られたのだろう、長い白髪のかつらも横に転がっている。

 

「それに見覚えがあるだろう、八洲(やしま)の忍びよ」


 問いかける道人の言葉。応じて鋭く細まる、忍びの三白眼。


「あれは……!」


 師が投げて示したものに、黄雲も見覚えがあった。なおも咳き込みつつ、少年の目は驚きに見開かれる。

 いつぞやの、占術師の老人が着ていたものだ。

 

「お前が夏の乱痴気騒動で根城としていた、城外の廃寺で見つけたものだ」


 黄雲を一人で立たせながら、清流は巽へ向けて続ける。

 

「腰は曲がっているが、身の丈五尺六寸か七寸か。それにぎょろりとした目。私が弟子より聞き及んでいた、胡乱者(うろんもの)の老人の特徴だ。どことなくお前に似ているとは思わないか?」

「…………」


 清流の問いかけに、巽は無言。三白眼はただただ、地上の酒仙を鋭く睨み付けるばかり。ざんざんと、水壁の音だけが絶え間無く響いている。

 黄雲は師の言葉に、はっと息を呑む思いだ。驚愕が半分、しかし得心も半分。

 確かに件の老人も巽も、身の丈は五尺六寸ほど。老人のぎょろりとした(まなこ)は、白く濁ってはいたが、ぎょろぎょろ動くさまは巽のそれと酷似している。

 

「昔聞いた話だが」


 清流はさらに語りかける。面持ちは、険しい。

 

「変装の得意な間諜は、魚の鱗を目の中に入れて、眼病者を装うらしい。当然、片足が不自由な者の演技なぞ造作もないだろう」

「…………」


 清流の言わんとすることは、つまり。

 

「あのおじいさんの正体が、巽さん……?」


 しのぶに捕らえられたままの雪蓮が、(かれ)を振り返りながら呟いた通り。

 占術師の老人に身をやつし、黄雲の秘密を探り、雪蓮を(くだん)の遺跡へ導いた者こそ。

 

「巽…………!」


 目前、樹上。沈黙している八洲(やしま)の忍び。

 

「…………」


 黄雲の視界の中。巽の立ち姿と、いつぞやの占術師の老人の姿とが重なって見えるようだ。

 おそらくは顔へ精巧にしわを描き、挙動も老人のそれを装っていたのだろう。

 変装自体の仕上がりが完璧であることは、言うに及ばず。立ち居振る舞いが完全に別人だったので、黄雲や雪蓮にはかの老人が巽の変装であると、まったく見抜けなかったのだ。目の前にしていながら。言葉を交わしていながら。

 

「占術師の特徴を聞いて、もしや……いや、まさかとは思っていた。だが、お前にゆかりの深い場所より、斯様(かよう)な品を見つけてしまったからには見過ごせぬ」


 清流の語調は、段々と厳しさを増す。

 

「答えよ巽……いや、忍び。我が弟子の密事を探り、知府令嬢をかの遺跡へ(いざな)ったは何故(なにゆえ)か」

「…………」

「そして雪蓮を(かどわ)かし、黄雲の命を狙った理由。答えてもらおうか、八洲の忍びよ」


 静かに、だがはっきりと響く問い。

 そしてしばしの静寂(しじま)


「……今まで世話になったな、清流道人」


 答えの代わりに、巽は告げる。

 

「忍びは詭道(きどう)に生きる者。悪いが、恩は仇で返させてもらう」


 件の老人が己であるか、巽は答えない。しかし返答としては十分だった。酷薄な声音、そして静かに刀を眼前に構える所作。殺気。その(すべ)てが、清流の憶測が(まこと)であると告げている。三白眼に宿る光は、冷たい。

 

「黄雲、逃げなさい」


 清流道人は弟子を背後へ押しやった。毒が抜けたとはいえ、傷の痛みはまだ酷く、黄雲はふらついている。そんな弟子へ、師匠。

 

「幸い傷は浅い。それから氣を読むに、火眼がこちらへ向かっている。彼と合流し、おぶって街へ連れ帰ってもらえ」

「師匠……でも……」


 黄雲は言い淀みながら上を見上げる。忍びの娘に捕らえられた雪蓮と視線が合った。胸の内がちくりと痛む。

 しかし弟子の愁傷など意にも介さず、清流は容赦ない。


「早く行け。手負いは足手まといだ」

「…………っ」


 師の指示に、黄雲は一瞬、歯を食いしばる。しかし踵を返さざるを得ない。いまの彼は清流の言う通り、足手まとい以外の何ものでもない。

 そして清流後方の水壁が、黄雲を導くように人ひとり分だけ割れた。


「逃すか!」


 それを目敏く見咎めて。巽は懐より暗器を多数取り出し、獲物へ瞬時に投げつける。しかし。


「ぬるい!」


 酒仙一喝。

 放たれた鉄製の暗器が、瞬時にして(ことごと)く地に落ちた。いずれも真二つに切断されている。

 太刀筋は不可視、斬撃は瞬刻の間に。

 清流は静かにただ、瓢箪を目前に構えている。飲み口から伸びるは、透き通った酒水の刀身。

 彼女の背後を、黄雲がふらつきながら立ち去って行く。少年を通すと、水壁の狭間は閉じられた。


「ちっ……!」


 舌打ちしながら、巽は木の枝から身を翻して跳躍。宙へ躍動しつつ、忍びは同胞(しのぶ)へ目配せ。その意を悟ったしのぶも、雪蓮を抱えたまま巽に続き空中へ身を躍らせた。すると。

 

「!」

 

 間髪入れず、先刻まで彼らが居座っていた樹木が縦に裂けた。地下からの水脈だ。天高く噴き上がる水流が、いっそう激しく地上へ水滴を滴らせる。


「しのぶ! お前はその娘を離すな!」


 命を下しつつ着地して、巽は清流まで距離を詰める。瞬く間に黒い長衣へ迫る忍びの刀。


「ふっ!」


 清流は冷然と、酒水の剣で迫る刃を斬り上げる。

 キン、と硬質な音を立て、巽の刀の切っ先があっけなく断ち切られた。

 凄烈な切れ味、さすがに瞠目(どうもく)の三白眼。

 八洲の刀は鋼材を選りすぐり、独自の製法によって打ち鍛えられる。ゆえに刀身は相当な硬度を持つのだが、それを容易く切断するなどと。


「慄いている場合か、巽!」


 寸毫の隙も無く襲い来る、清流の二の太刀。鋼を斬り裂いた刃を、道人は忍びへも振り下ろさんとする。


「くっ!」


 あわやのところでそれを避け。巽も残った刀身で応戦を試みる。振るった刃の先で、清流の黒髪が幾筋か宙を舞う。

 かくて斬り合いが始まった。


「清流先生! 巽さん!」


 しのぶに抱えられたまま、雪蓮はほとんど悲鳴に近い声で叫ぶ。

 

「いやっ、いやっ! はなして! お願いはなして!」

「む……!」


 懇願しつつバタバタと足を動かす雪蓮に、しのぶは走りつつ渋面だ。

 が、そんな彼女へも清流の攻め手は降りかかる。


「!」


 驚き、避けた彼女の足元すれすれに撃ちつけられる水の矢。水の壁から放たれたものだ。

 道人は巽を相手取りつつ、しのぶに対しても意識を向けていた。初弾が外れるとみるや、四方の水壁より次々と射出される水の矢。

 しのぶ、跳躍し転身し。回避を繰り返すもキリがない。何より肩に担いだ令嬢の抵抗が邪魔だ。わたわたと暴れる雪蓮の両脚のせいで、うまく均衡が保てない。


「御免!」

「…………っ!」


 黒装束の少女は、躊躇なく機械的な所作で雪蓮の首筋へ手刀を入れた。途端、囚われの少女がぐったりと気を失う。

 雪蓮をいなしていた分の余裕を取り戻すや、しのぶは懐へ手を突っ込んだ。取り出した暗器は、間断なく清流道人を狙い、放たれる。

 さて、一対二。清流は二方向へ攻撃をしかけ、また二方向より攻撃を受けている。今しもしのぶより放たれた手裏剣が、道人の肩へ突き刺さったところ。


──鳥兜(とりかぶと)の毒が塗ってあるな。


 おそらくは黄雲が受けた毒も、同様に鳥兜。即効性があり、並みの人間なら四半刻も持たずに死ぬ。

 そうは思ったが、清流は己に対し、特段解毒の術は用いない。そもそも毒如きで死ねる身体ではない。


「いったい何が目的だ、八洲の忍びよ」


 剣戟を交えつつ、清流は巽へ問う。

 覆面を掠めた酒水の剣、切っ先がさざ波立つ。


()く正体を現せ。目的を言え。人間(おまえ)贋作(わたし)とでは、分が悪かろう」

「へっ……!」

「その覆面も、もう必要ないはずだ。なあ巽……!」

「…………!」


 糾問(きゅうもん)の最中。飛燕の早業で繰り出される清流の剣を、巽はただ避けるのみ。鋼をも切り裂く水の剣だ、鍔迫り合いなどしかける気にもならないのだろう。

 回避を繰り返しつつ、巽は足元へ棒手裏剣を放った。清流と忍びとの間には瞬く間に桜の巨木が育ち、桜花舞い。しかし大木は酒仙の剣によってすぐさま千々に切り刻まれる。その一瞬。

……その一瞬で十分だった。


「!」


 背後からの一撃だった。胸を刺し貫く、冷たい感覚。

 清流が視線を下げれば、己が心の臓の位置から、血を纏って銀の刀身が伸びている。

 巽の持っていた八洲刀ではない。青白く淡い燐光を放ち、ほとほとと滴る生暖かい血を浴びているそれは。


「久方ぶりにお目にかかる、清流道人」


 彼女の背後から、柔らかい声。

 優美かつにこやかに。銀の宝剣で女道士を背後から貫く、金髪碧眼、容貌端正なるその男。


「如何かな? 龍吟(りゅうぎん)の切れ味は」

鴻鈞道人(こうきんどうじん)……!」


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 黄雲は必死に無人の林道を走っていた。

 前方からは、火眼がこちらへ向かってきている気配が感じられる。

 背中の傷がじくじくと痛む。そして何より情けなかった。自身の胸中にわだかまる、雪蓮に対する傷心も。逃げるしかない無力さも。

 いましばらく走れば、火眼とは合流できるだろう。けれど、これで本当に良いものか。

 煩悶を抱えながらの足取りだったが。


「ぐぅっ!」


 突然の衝撃。腹部を思い切り、殴られたような。

 毒と傷で体力を奪われた黄雲は、あっけなく意識を手放した。己を襲った不可視の攻撃を、疑問に思う暇もなく。

 黄雲はどっと地面に倒れ伏す。林道には、彼以外に人影はなく。

 やがて気を失った黄雲の姿も、周りの風景へ同化するかのように、ふっと掻き消えた。

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