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2 燕陽の酒仙

 崔家玄関の大扉周辺には、下男や知府邸詰めの兵たちが多数押し寄せていた。「清流殿をお迎えしよう」とその場へ向かった知府、黄雲、雪蓮の三人は、玄関の有り様に面食らう。

 

「こら、何を騒いでいる」


 知府が男たちの輪に割って入り、黄雲、雪蓮もそれに続く。

 輪の中心には、(くだん)の客人。

 その姿に雪蓮は息を呑み、黄雲はうんざりと視線を逸らした。

 

「やはりここにいたか、黄雲」


 こちらを見つめる双眸は漆黒。少し垂れ気味の目元には、馥郁(ふくいく)と香り立つような色気が宿っている。右目の下の泣きぼくろが(つや)っぽさに拍車をかけていた。

 ふっくらとした薔薇色の唇。白い頰にはしっとり火照ったような朱が差している。頭に被っている白い布からは、濡れているかのように美しい光沢を流す黒髪が(こぼ)れていた。

 そして黒い長衣(ながぎぬ)の胸元は大胆にはだけられ、二つの大きな膨らみとその間の深い谷間を、衆目に晒している。

 そう、それはそれは(あで)やかな女性(にょしょう)であった。

 不思議な麗人である。見る角度によってはひと笑いで国を滅ぼすような悪女にも、はたまた慈悲深い慈母のようにも見える。少し口角を上げて見せる笑みは、日差しのように暖かでもあり、憂いに翳っているようでもあり。その美貌は玉虫色に輝いていた。

 これで花の香りでも纏っていれば完璧だっただろう。あたりに漂う匂いに、雪蓮が思わず鼻を押さえる。

 周囲に芬芬(ふんぷん)と漂っているのは、酒の匂い。

 

「ひっく」


 放たれたしゃっくり一発により、彼女の蠱惑(こわく)的な雰囲気は、粉微塵に粉砕されて死んだ。もはやただの泥酔した痴女である。

 黄雲らに向けて手を振りながら、痴女・清流道人(せいりゅうどうじん)は歩み寄る。足元は若干覚束ない。

 まずは知府へ一礼。

 

「やあやあ伯世(はくせい)殿。お久しゅうございます」

「あ、ああ清流殿。息災そうで……何よりです」


 一瞬清流の胸元にでれっと視線を落としながら、知府が答えた。へべれけな彼女は気にすることなく、酒臭い息を吐いて続ける。

 

「此度は不肖の弟子がお世話になりましたそうで……。おい黄雲、ご迷惑はお掛けしていないだろうね?」


 つーん。

 師匠たる清流の問いかけに、黄雲はそっぽを向いている。

 

「あいやぁ、申し訳ない。こ奴め反抗期でして……」

「いやいや構わない、彼には大変世話になった!」


 喜色を全面に押し出して、知府は側にいた黄雲の肩を叩く。

 

「昨晩は弟子殿がいなければ、皆化け物に食い殺されるところであった」

「左様で。まあ大体の経緯は彼らから聞いております」


 清流がくいっと後ろを指差した先に、鼻の下を伸ばした男たちの群れ。知府、途端に眉根を寄せ咳払い。

 

「こら、お前たち何をしている! 持ち場へ戻らんか!」

「は、ははーっ!」


 男衆は蜘蛛の子を散らすように去っていく。「ちぇー」だの「ケチ」だの一言二言文句を残しつつ。

 

「失礼を致しました。それより清流殿、ちょうどいいところにいらっしゃった!」


 こんなところでは何ですから、と知府は清流を先導し、応接間へ通じる通路を歩き始めた。

 

「ねえねえ、あの人、だれ?」


 大人たちの後をついて行きながら、雪蓮は後ろを歩く黄雲を振り返った。

 黄雲はぶすっとむくれたような表情で答える。

 

「僕の師匠ですよ」

「わあ! あんなお綺麗な方がお師匠さまなのね……!」


 お酒くさいけど、と雪蓮が続ける。あの人いっつも酒飲んでて超くっさいんですよ、と黄雲は呆れ切った口調。

 

「まあでも、あなたにとっては良かったかもしれませんね。師匠が来て」

「え?」


 不機嫌な眉間のしわを少し緩めて、黄雲はつぶやくように言う。

 

「師匠に分かればいいんですけど。あなたに取り憑いたものが、何なのか」


---------------------------


 応接間にて、各々着座したところで。


「清流殿、ご存知ならお教え願いたいのだが……」


 知府が切り出したのはやはり、昨晩雪蓮を襲った、書物よりの怪異についてだった。

 

「ほう……」


 出された飲み物をすすりつつ、清流は興味深げに話に聞き入っている。もちろん彼女が所望したのは酒なわけで。


「うはー! うまいなぁ、さすが伯世殿のお宅の酒だ!」

「こら濁流話を聞け!」


 酒臭い息を吐いては、弟子に叱られる始末。雪蓮はそんなやりとりを、ポカンとした表情で眺めていた。

 まず知府が、昨日我が娘の身に起きた怪異を。そしてそこに続ける形で黄雲が、現れた大猪と、その雪蓮に対する異常な執着についてを語った。

 雪蓮の部屋にあったあの白紙ばかりの書物も卓上に置かれ、清流道人はそのまっさらな頁をパラパラめくった。

 

「なるほどねぃ」


 知府の話が終わり、杯も空になったところで清流は深く頷く。

 

「伯世殿。大体のご事情、あい分かった」

「どうだ清流殿、何かこのような物の怪のことをご存知か?」

「そうさなぁ……」


 つぶやきながら、清流の瞳が雪蓮を捉える。思わず雪蓮は居住まいを正した。

 

「娘御、失礼を」


 清流は立ち上がり、雪蓮の前へ歩み寄ると、その手を取った。そして手のひらを上にしてじっと手相を確かめたり、脈を取ったり。さらには口を開けさせて中を覗き込んだり、下まぶたをめくったりと、様々に彼女を観察した。

 

「黄雲」

「何でしょう?」


 おもむろに弟子を呼ぶ。

 

「昨晩、娘御の氣の滞留が起きていたのはどこだね?」

心兪(しんゆ)の辺りです」


 黄雲は雪蓮の背中の、鳩尾の後ろを指差した。昨晩、昏睡した雪蓮を回復させるため、木剣の柄で突いた場所だ。

 

「なるほど、書物から飛び出した怪異が無理矢理娘御の氣を捻じ曲げたがために、滞留が起きたというわけか」


 その部分に指を置きつつ、清流はふむふむと納得している様子。ちょうどこそばゆさのツボがそこにある雪蓮は、肩を震わせて耐える。

 

「師匠は感じませんか?」


 腕を組みつつ、黄雲が尋ねる。

 

「彼女、怪異が起きる前と後で、氣質がまるっきり変わってるんです。今の氣は、その、何というか……」

「確かに、金氣が強い。強すぎるかな……」


 背中に当てていた指を離し、清流は再び雪蓮の正面に回る。

 しばらく顎に指を当て、思考を巡らせた後、

 

「知府殿」


 親しげな「伯世殿」という呼び方ではなく、彼女は役職でこの街の長官を呼んだ。

 

「雪蓮殿は、我が清流堂で預からせていただきたい」

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