2 縁談
玉皇大帝の住まい、紫微宮。
二郎真君が下界、亮州通月湖に秘匿されていた遺跡についての報告を述べると、予想通り天仙達の議論は紛糾した。
遺跡、龍吟、月。
そして霊薬。
鴻鈞道人の名を挙げる者もいた。
侃々諤々の喧騒も、結局はなんら解決策を導き出せない。
ひとまず二郎真君が第三眼に写して持ち帰ってきた情報については、文昌帝君が詳細な分析を行うこととなった。
会議は終わり、玉帝を寿いで一同は散会する。
「二郎真君」
白玉の間を去ろうとする美丈夫へ、背後から声がかかる。真君が振り向いた先には、玉帝の側近である、捲簾大将。
「貴殿には少し、残って頂きたい」
青黒い顔に生真面目な表情を浮かべ、捲簾大将はそっと御簾の方を指し示す。
「陛下が、貴殿とお話をなさりたいと」
そして白玉の間には、二郎真君ひとりきりとなった。
捲簾大将もその場を辞し、一見部屋の中には誰もいない。
いや。
「……二郎よ」
御簾の奥から響く声。広大な部屋を真横に遮る長大な御簾の向こうには、玉皇大帝が座している。
はっ、と短く応え、真君は恭しくひれ伏そうとた。それを「よい」と押しとどめて、玉帝は一拍置くと。
「例の、女道士とはいったい何を話していた……?」
重々しい声で問われる内容に、真君は三つの目を御簾の方へ向けた。特に焦った様子もなく、普段通りの真面目な面持ち。むしろ微笑さえ浮かんでいる。
「……叔父上には、かないませんな」
どこか観念したような、おどけたような口調。真君はじっと御簾の奥へ眼差しを向けたまま。
女道士とは、清流道人のことだろう。例の遺跡の認識阻害の術を利用して密談をしていたことは、叔父である玉帝には看破されていたようだ。
さて、密談の内容でも尋問されるかなと二郎神が待ち構えていると。
「よい。お前のそういう性情を鑑みて、私はお前を下界へ送ったのだから」
ふふ、と笑声まじりに降り注ぐ声。そして一拍置き。
「二郎真君よ」
──お前のその気質を見込んで、頼みたいことがある。
「くれぐれも、内密に……」
玉皇大帝の声は、密やかに美丈夫へ伝えられる。
真君、拱手し。心からの敬意をもって、御簾の前へひれ伏した。
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「なんだ……?」
市場へ出た黄雲と雪蓮は、なにやら街が普段よりもざわついていることに気づいた。
何があったのやら、今日はその辺で立ち話に興じる人の割合が高い。
「なにがあったのかしら……」
「さあ……」
盗み聞きしようにも、あちこちでガヤガヤと立ち話。聞こえる話は断片的で、うまく情報を拾えない。仕方なし、黄雲はその辺にいた馴染みの屋台のおやじへ事情を尋ねた。
「なあおっさん! なんかあったのかこれ!?」
「ああ、お前さん達見てなかったのか!」
あけすけな口調で問う黄雲へ、おっさんも陽気に答えてくれる。
「なんだかよぅ、やったら豪華な馬車がこの辺りを通ってさ! ありゃきっと、王侯貴族の乗る馬車だぜ。北の方へ走ってたから、知府さまのところへ向かうんじゃねえのかな」
「豪華な馬車……」
なんでも。護衛の騎馬やら兵士やらに守られて、物々しい警護の中、煌びやかな装飾を施された馬車が一輌、この通りを走っていったらしい。
珍しい話だった。ここ亮州は、栄国の王城である垙京からほど遠い。王城から州への視察が入ることはたまにあるが、今回のように豪華な馬車を立ててくることは滅多にないことだった。
どうやら一部始終を見ていたらしいおっさん。彼の語る通りであるならば、まさしく王侯貴族来訪のような豪華さだ。
「へぇ、なにかしら。私も見たかったなぁ……」
「まさか見に行きたい、なんて言いませんよね?」
北の方角へキラキラした眼差しを向ける雪蓮へ、黄雲は面倒くさそうな声を投げかける。
おそらく馬車は役所の方へ向かっていったのだろうが、人の足で役所まで歩くのは少々骨が折れる。なにより、黄雲は雪蓮と長い時間二人でいることに耐えられなかった。
「さあ、さっさと適当なもん食って満足してください。帰りますよ」
「むぅーっ! 黄雲くんのせっかち!」
いつもの通りの軽口で、平静を装いつつ。黄雲はふと踵を返す。しかし。
「おぉーっと、そこな少年!」
すぐ背後から突然に、大仰に抑揚をつけた声が降り注いだ。声量は大きめ、面食らった黄雲がガバリと後ろを振り返ると。
「そうだ、きみだよ少年!」
目線の先には、八卦の紋を黒糸で縫い取った黄色い道服。視線を上げれば、黄雲よりも頭二つ分高い位置から彼を見下ろす、胡散臭い顔の男と目が合った。
「いや少年! 聞いてくれたまえ!」
男、黒い蓬髪、鼻の下に八字ヒゲ、あごのしたにもヒゲをちょろりと生やし、高い頬骨とつり気味の目がどうにもこうにも胡散臭い。
「は? え?」
「いやいやいや、我輩は観相学を学んでいる者でね! きみ、なかなか面白い相をしているからちょっと見せてくれないか!」
戸惑う黄雲にかまうことなく、男は勝手に独壇場。「どうしたの黄雲くん」と羊肉串を五、六本手に持って、雪蓮も興味津々だ。
観相とはつまり、人の顔の相を観て、その人の吉凶を判断する占いの一種だ。
しかし黄雲、にべもなく。
「いや結構です。他を当たってください」
素っ気なく追い返す。男は「なんとっ!」とやっぱり大仰に驚いて見せ、雪蓮も「せっかくだからいいじゃない」と羊肉串をかじりながら横槍を入れる。
しかし男はあきらめない。
「なぜっ! ちょっと相を拝見するくらい!」
「いやですって、そう言って金取るんでしょーが、あんたみたいな手合いは! ぼか一銭も払わないからな!」
「なんとっ、金を取ると思われてたとは心外な! 無料で観てしんぜようというに!」
「は……無料!?」
舌戦、早くも終息の気配。黄雲、無料という言葉には滅法弱い。
「む、無料……」
「左様。我輩いま懐うるおいまくりのウッハウハでな。気分がいいので、得意の観相をその辺の人々へ振る舞っている次第」
「ふぅん、無料なら……」
黄雲は先ほどまでの狂犬のような態度を軟化させ、さっそく無料という言葉に飼いならされている。しかし、そんな彼の様子にふと気付きを発したのは、雪蓮で。
「ね、ね、黄雲くん!」
「な、なんですか!」
雪蓮は少年の袖を引き、ひそひそ話の陣形へ移動させる。そして令嬢、声を潜めて。
「黄雲くんは確か……占いはしないんじゃなかったの?」
「は……?」
箱入り娘の問いに、黄雲は思い当たらないことがないでもない。以前、あの怪しい老占術師に占いを持ち掛けられた時のことを、彼女は言っているのだろう。
「ありゃ、僕の生年月日を教えたくなかったからですよ。今回は別に、顔を見せるだけですみますし」
「そういえばそうだったわね……あ、でも!」
雪蓮、もう一つ思い出す。確かあの時、この守銭奴は。
「黄雲くん言ってなかった? 自分の運は自分で切り開くって!」
「あーあー、言いましたねえ、そんなこと」
黄雲も己の大言壮語を思い出し、さらに悪びれぬ口調でこう続けた。
「確かに自分の運は自分で切り開きますが、占いの結果が佳いものであるならば、それを己が糧として! さらに調子に乗るのが僕の信条!」
「物は言いようね、黄雲くん!」
雪蓮、呆れる。さてそんな彼女の冷たい視線を受けつつ、黄雲は観相の男へ向き直った。
男、待ちかねていた様子で。
「さあ我が観相を受けてくれる気になったかい少年! さあ! さあさあ!」
「うわ顔が近い暑苦しい!」
そんな調子で観相は始まる。
上向いて、下向いて、左向いて右向いて、口開けて舌出して。
男の指示に従い、黄雲あっちやこっちを向かされた挙句、舌やら口腔、下の瞼の内までをも丹念に観察され、やっと解放された。
しばらくふむふむと唸っていた胡散臭い男。
やがて。突如カッと見開かれるつり目。
「ふむ少年! きみはなかなかの傑物になると見た! 将来出世間違いなしだ、おめでとう!」
「わあ、黄雲くん!」
色好い結果に、雪蓮も我がことのように喜色を見せる。が、黄雲、物足りない様子。
「ええい、傑物だの出世だのはどうでもいい! 一番重要なのは、銭を儲けられるかどうかです!」
「筋金入りね黄雲くん!」
「ハッハー! きみはなかなか爽やかな守銭奴だな少年!」
「お褒めにあずかり光栄ですよ、あっはっは!」
なんともほのぼのな空気。そんな中、男は財運についてを黄雲へ告げる。
「さて肝心の財についてだが……こちらも素晴らしい運を持っているぞ、少年! きみはいまに、垙京の官僚も真っ青になるほどの財産を手に入れるだろう!」
「あ、なんだかそこまで言われると胡散臭いや。話半分に見積もっときます」
「うむ、気難しいな少年よ!」
さて、そんなこんなで観相男も満足したようで。
「なかなかいい相だった。少年、礼を言うぞ!」
「あの、次は私も……」
「では私はいまから用事があるので、これにてさらばだ!」
順番を待っていた雪蓮を派手に無視して、男はくるりと踵を返す。
「それではまた会う日までっ! 再見!」
胡散臭くも暑苦しい男。すたたたと駆け足で遠ざかり、人混みの中に消えていく。
「わ、私も……観相……」
「諦めてください。さ、羊肉串を食べたなら、さっさと帰りますよ!」
がっくり肩を落とす雪蓮へ、黄雲は冷たく一声。
あの妙な男のお陰だろうか、なんとなくいつも通りの雰囲気が、ちょっとだけ心地いい。
「まだ! まだ食べたりないわっ! 次はあっちのお店の水餃をば!」
「だーっ、もうどんだけ食うんですか!」
やいのやいの。久々にかしましく騒ぎながら、少年少女は日常を謳歌する。
そんな彼らの姿を、少し離れた路地の角から。
「…………」
静かに窺うは、先ほどの観相の男。
するとその後ろから。
「あれがそうか」
問いかけながら現れる、笠をかぶった青年。青年は黄雲と雪蓮の方を見ようとしてか、右腕を掲げ、笠の端を支えようとする。するとその袖が下にずり落ち、腕が露わになりかけると。
「おっと」
観相男はすんでのところで、袖を掴んで引き上げる。そんな様子に、青年は鬱陶しげな表情を浮かべた。
「……別に見られてもいいだろうに。下々は、どうせ知らん」
「下々はともかく、あなたの『それ』の意味を知る者に見られたら厄介です。が、失礼を致しました」
「ふん……」
青年、取り立てて怒ったわけでもなさそうに鼻を鳴らし。
「今頃は呉定も知府邸か。使者役をこなしてもらわねばな」
「はぁ……彼も気の毒な……」
北の方角へ視線をやり、二人は空を見上げた。北にある燕山の巍巍たる峰が、天へまっすぐに伸びている。
「さあ、せっかくの水郷亮州だ。ゆるりと参ろう」
「はいはい、お供致します」
笠の青年はさくさくと、街の中へと歩みを向ける。そのあとを観相の男も、やれやれといった歩みで追うのだった。
さて、黄雲と雪蓮は市場で買い食い三昧。
「見てみて黄雲くん! これ美味しそう! あれもこれもどれもこれも!」
「だから! 食べすぎ! ちょっと僕の財布をあてにしないでくださいよ! ねえってば!」
久々に意中の相手とあーだこーだ、軽口叩き合える楽しさに、雪蓮は正直浮かれていた。
今日はこのまま、二人で日が暮れるまで遊べたらいいのに。
できることなら、明日も、明後日も。
しかし少女の思いは、突如として打ち切られる。
「おおーい! お前たちー! こんなところにいたーっ!」
遥か彼方から響く、聞き覚えのある声。
ぜえぜえと息を荒げながらこちらへ駆けてくるのは、雪蓮の兄・子堅だ。
「どうしました、子堅殿。珍しく全力疾走とは……」
「お兄様大丈夫? 関節外れてない?」
「一回外れたけど自力で戻したわ! ……じゃなくてだな!」
子堅、荒い息、汗まみれのまま、血相を変えて言い放つ。
「雪蓮! お前に……お前に縁談がきた!!」
「え……」
縁談。
縁談。
縁談。
なぜだか黄雲と雪蓮の鼓膜の内で、その二文字が延々と反響する。
そしてやっとのことで。
「えーーーー!?」
異口同音、息を合わせてまったく同じ発音で。
雪蓮も黄雲も、素っ頓狂に叫ぶのであった。




