6 一行の秘密
「そんな……無いはずは……!」
もぬけの殻の最上階。あったはずの宝剣はどこにも見当たらず、黄雲は困惑の面持ちで周囲を見渡した。
昨晩、雪蓮の到来に呼応して、怪奇な現象の数々を見せつけた宝剣・龍吟の姿は、いまやどこにもない。
「まさか、勝手に動いてどこかに行ってしまったんじゃ……!」
非生物に対する憶測としては何とも現実味がないが、黄雲がそう思ったのも致し方ない。昨日あの宝剣は、刀身を溶かし、まるで雪蓮へ手を伸ばすかのように形を変えたではないか。
「焦るな、少年」
焦燥に駆られるまま辺りをキョロキョロ見回す黄雲の肩を、二郎真君がポンと叩く。
「どうやら、この場所に龍吟が無いのは確かなようだ。いま、部屋や遺跡全体、それから島全域の氣を探っているが、それらしき物品は見当たらない」
第三眼を絶え間なく動かしつつ、二郎真君は静かに告げる。
口調こそ穏やかだが、その表情はいつになく険しい。彼の後ろに立っている清流道人も、整った眉をしかめて難しい顔だ。
黄雲は納得できない。昨晩、確かにここであの奇妙な剣と現象に見えたはずだ。それが、無いなどと。
「一体、どういう……」
「黄雲。以前、火眼金睛と戦った折、かの宝剣は地中から現れたと言っていたな?」
突然の清流からの問い。振り返りつつ、黄雲は「ええ」と力なく頷く。師の言う通り、過日龍吟は地中より、砂鉄、水銀状の流体、そして宝剣の形状と、その形態を変えながら雪蓮のもとへ現れた。
弟子の応答を得て、清流は黒い瞳を神将へ向ける。
「二郎殿。お聞きの通り、龍吟はかつて、その様態を変化させながら顕現した。今回も同様に、何かしらの形状変化を伴いつつこの場から姿を消した、ということは考えられないだろうか」
「ふむ……可能性としては考えられなくもない」
言いながら、二郎真君はしゃがみ込み、床へ触れる。
石造りの床は、堅く、頑丈だ。真君は第三眼からの眼差しを床へ刺しながら口を開く。
「全ての物質は氣で造られている。氣は物質の最小単位。つまりすべての物質は氣の集合体」
そしておそらく、龍吟は。
「少年の目撃した様態変化から見て、龍吟には自己の氣の状態を制御する機能が付いているのだろう。意のままに相転移を行えるということだ」
「そ、そうてんい?」
「気体、液体、個体と、物質の状態が変化することを指す言葉だ、少年」
黄雲へ解説を加えてやり、「おそらく」と神将は続ける。
「考えるに、貴殿らが火眼金睛と一戦交えた折。何らかの方法で雪蓮殿の位置を把握した龍吟は、この床をすりぬけられるほど極小の粒子と化して遺跡地下にまで至り、砂鉄の形態を取りつつ湖の下から地表へと移動、流体と化して再集合し、雪蓮殿のもとで宝剣の形へと再構成されたものと思われる」
「………………」
「今回も同様の事象を起こして、この場から抜け出た可能性も……」
「じゃ、じゃあ……!」
二郎真君の説明半ばで、黄雲は慌てふためいて口を挟む。
「いま、まずいんじゃないですか!? お嬢さんを置いてきてしまって……!」
少年の心配は、地中に潜ったかもしれないという龍吟が、再び雪蓮のもとへ姿を現さないか、ということだ。
その懸念に「もっともな危惧だ」と頷きつつ、二郎真君は床から手を離し、立ち上がる。
「まあ、今は那吒も傍にいることだ。彼女の警護は彼に任せていい」
「……大丈夫なんですか、那吒殿? 失礼ですけど、あんまり頼りには……」
「あれで神将のはしくれだ。人の子よりも異変には敏い」
黄雲の不遜な物言いをしれっとかわして、二郎真君は続けた。
「龍吟が──己の意志かどうかは定かではないが……。様態を変化させることでここを抜け出した可能性と並行して、もう一つ考慮しておきたいことがある」
──盗みの可能性だ。
二郎真君の一言に、黄雲と清流はきょとんと顔を見合わせた。形状変化だのと超常的な可能性を云々した後での、この世俗的な憶測。論の上下動が激しい。
「盗み、ですか」
「うむ。昨晩まで、この遺跡は外界から隔絶されていたが、雪蓮殿の到来により封印は解かれている。さらにこの部屋の窓も、おそらくは昨日初めて開かれたものだ。ここから何者かが侵入し、龍吟を持ち出したことは十分可能性として考えていいように思う」
はあ、と少し話についていけなくなる黄雲。そんな弟子をよそに、今度は清流道人が問いを発する。
「ひとつ聞きたい、二郎殿。あなたは昨晩、この通月湖方面から宝剣のものと思しき氣は、感ぜられたか?」
彼女の質問へ、二郎真君は頭を振り。
「……いや。私には感じ取れなかった。確かに未知の霊力を秘めた宝剣、大きな氣を発していても不思議は無いのだがな……」
「ふむ……」
ともかくとして。
ここに宝剣が無い理由として、考えられる可能性は二つ。
宝剣自身が人智を超えた力で、この場を抜け出したか。
何者かが持ち出したか。
「盗み……」
二つ目の可能性を漠然と考えつつ、黄雲はふと思い出した。
今朝。地下で着替えて、地上の自室で髪を結んだ後。師の呼び声に応じて、慌てて部屋を後にした時のことを。
黄雲にとって、盗みは最も恐ろしいものの一つだった。逍、遥、遊がたまに部屋に入ってヘソクリを探すことは知っていたので、わざと目につきやすい場所へ少額の小銭を隠したり、意味深に庭へ囮の壺やら箱やらを埋めて、物盗りを翻弄するような仕掛けを作っていたりはするものの。
本命の隠し場所──地下室には、誰も近づいてほしくなかった。だからいつも『鍵』をかけて、自分以外の者の侵入を阻んでいたのだが。
「しまった……! 忘れてた!」
忙しかった今朝のこと。黄雲は毎朝のひと手間をすっかり忘れてしまっていた。
にわかに目を白黒させはじめた弟子に、師匠の清流は怪訝な顔。
「なんだ黄雲、急に……」
「あ、あの……師匠!」
呆れた様子の師へ、黄雲は密やかに告げる。二郎真君の目を気にしつつ、小声で。
「今朝、『鍵』をかけ忘れてしまったようで……!」
「なに?」
『鍵』と言えば師弟の間で通じる。
地下室の蓋にしている長持ちにかけている、不動の呪いのことだ。長持ちを床にピタリと貼り付ける術をかけることで、地下室への他者の侵入を阻んでいたわけだが。
「…………」
清流の瞳は、呆れの様相から咎めるような色へ変わり、黄雲を見つめている。少年の諱を呼ぶときの、あの目だ。黄雲が居心地悪さを感じる中。
「二郎殿」
清流は黄雲から視線を外し、二郎真君を呼ばわった。
「すまぬが、弟子を先に帰してもいいだろうか」
「構わない。ここにはもはや、宝剣は無い。後は私たちだけで調べよう」
真君の返答はあっさりしたものだ。
「少年、協力感謝する」
「いえ……」
では、と黄雲は踵を返す。そして昨日と同様、窓から外へ。
脛に貼り付けた神行符に氣をこめて、彼は岩山を駆け下った。
岩山から下りて地面に足が着くや否や、黄雲は地行術で土へ潜る。
昨日は雪蓮を連れていたのと、氣力不足で使えなかったこの術。土の氣に馴染んだ黄雲にとっては、一番速い移動手段だ。
(……何事も、ありませんように……!)
地中深くを泳ぎつつ、黄雲は焦燥の中で祈る。
残念ながら、願い虚しく──。
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パカリ。二重底の文箱は暴かれた。
黄雲の部屋の地下。巽の灯した灯りの中で、文箱から上側の底板が取り外される。
「これは……」
現れたのは、紙切れが一枚と……。
「ああ! これ……!」
もう一つ入っていたものを、雪蓮は目を丸くしながら手に取った。
ちゃらりと軽やかな音を立て、彼女の手の中にあるそれは。
白玉の、帯飾り。
「これ、私の帯飾り……!」
「へ、せっちゃんのなの?」
「そう! 黄雲くんと初めて会った日にね、あげたの!」
そうこの帯飾り。黄雲と雪蓮が初めて会った時、案内料と称し、彼が箱入り娘からせしめたものだ。
その時のことを思い出し、雪蓮はなんだか懐かしい気持ちになる。てっきりすでに質へ入れられているものと思っていたが。
「まだ、持ってたんだ……!」
それも、こんなに厳重に保管して。雪蓮はほんのり、胸の内があたたかくなる。
彼は、なにを思ってこんなに大切に、この帯飾りをしまっていたのだろう。
「金目のものだからな! 時価が上がるまで待ってんじゃねーの?」
「むぅう!」
巽の読みは、夢がない。普段のあの守銭奴ぶりから言って、その線もなくも無い……というか、そっちの方が濃厚だが。
「でさ、こっちの紙は一体なんだ?」
巽が文箱からつまみ上げたのは、古びた紙切れだ。丁寧に折りたたまれている。
雪蓮も首を傾げる中、巽は一切の躊躇なく紙をはらりと広げた。
紙面には、たった一行の文字列。女性のものなのか、筆跡は美しく、たおやかだ。
書きつけてある文章は。
『戊戌、九月十九日 纏』
「これって……」
巽の持った紙を後ろから覗き込みながら、雪蓮は指折り数える。
戊戌、というのは、十干十二支、すなわち干支を用いた年の数え方で。
「えーと、えーと……」
栄国で最も一般的な元号を用いてくれれば、何年を指しているのかいま少し分かりやすかったものを。干支での紀年は、少々雪蓮には難しい。
「いまが壬子だから、十四年前だな」
それを巽はあっさり計算してみせた。三白眼はただじっと、目の前の紙を見据えている。
「十四年前……じゃあ、これって黄雲くんの誕生日かしら?」
「おそらくそうだろう」
十四年前の九月十九日。紙に書いてあるのは、黄雲の生年月日か。ならば、最後の『纏』とは。
「諱……」
巽が小さくつぶやいた時だった。
「ちょっと! ここで何をしてるんですか!」
唐突に後ろから響く怒声。
忽然と背後に湧いた気配と声に、巽と雪蓮はぎょっと後ろを振り向いた。
二人分の視線を受け。黄雲は怒り心頭の様子で仁王立ちだ。
「ひえっ! 黄雲くん!」
突然の守銭奴到来に、雪蓮はあわわ! と慌てふためき。
「やっべ! バレちまったぜ!」
巽は全く悪びれず。
そんなクソニンジャの手元をふと見遣り、黄雲は血相を変えて巽へ詰め寄った。
「ちょ、ちょっとお前、それは……!」
「おっと、なんだなんだ?」
巽が突っ込んでくる黄雲をひらりとかわすと、勢い余った黄雲、どしゃりと無様に地面へつんのめってこけた。
「へぶっ!」
「だ、大丈夫、黄雲くん!」
「ええい、人の部屋を荒らしたくせに、心配無用!」
こけても黄雲の焦燥と怒りは収まらない。
「それは……その紙だけは! 絶対に見られたくなかったのに……!」




