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2 月亮島

「わあ……!」


 湖上の涼しい風を浴びながら。

 舟の上で雪蓮は、周りの景色に目を輝かせていた。

 昼過ぎの空は快晴。鮮やかな秋色の木立とともに青空まで湖面に映り込み、水鏡はどこまでも美しい。

 舟は頼りなくふらふら揺れながらも、着実に湖心の島へ近づいていく。

 そして先の占いジジイの言葉通り。遠目に見えるその島には、岩山がそびえているのが分かる。


「財宝かぁ……財宝……」


 船尾では黄雲が櫂を操っている。舟に慣れていない上、まだ見ぬお宝に心を奪われ、櫂さばきはどうにもふわふわ不安定。幸い鋼の三半規管を持つ雪蓮は気にしていないが、常人ならば乗り物酔い必至の揺れっぷりである。

 辿る航路はどうにもふらふらで。

 しかし守銭奴の本能なのか、うわの空にしては舟の舳先だけは確実に、目標の島を追っていた。

 さて彼ら。湖畔の村で舟を借り、現在目標の島目指して通月湖を北西へ進んでいる。

 本来ならば、舟とともに船頭を雇うのが常道。しかしこの銭ゲバクソ道士、船頭の雇い賃をケチったのだ。

 船頭は要りません、舟だけをお借りしたいと無茶苦茶を言い、万が一舟を無くしたり壊したり沈めてしまった場合に備え、勝手に師匠の清流道人を保証人と取り決め。呆れる舟の持ち主を尻目に、意気揚々と出航を遂げたのだった。

 そんなわけで二人、舟の上である。

 

 雪蓮は湖上の景色を楽しみつつ、しみじみ思う。

 本当に綺麗な景色。でもこの世の中には、きっと、もっとたくさん、様々な風景があるはずだと。

 数ヶ月前まで、彼女はほぼ軟禁状態に近い生活を送っていた。彼女が知る景色は、屋敷の庭園とそこから見える燕山と。自室の窓枠の中の、遠い街並みだけだった。

 だからこの通月湖が、雪蓮にはとてつもなく嬉しかった。本の中でしか知ることのない、頭に思い描くことしかできなかった景色が。こんなにも雄大に、目の前に広がっている。


──もっと色んな景色を見てみたい!


 そう少女は思う。

 この通月湖だけでなく、太華には数多くの山が聳え、川の流れが広がり、至る所に街の賑わいがあるはずだ。

 遥か西の山中には、翡翠のように(あお)く美しい沢があるらしい。南の地には、四季に応じて(みどり)黄金(こがね)に輝く田園。北には天を衝くように聳える神山・天究山(てんきゅうざん)。東にはどこまでも広がる大海があるという。


(いいなあ……行ってみたい)


 湖面を眺めつつ、雪蓮の心はふわりと浮き上がり、まだ見ぬ世界へ旅に出る。

 砂漠の道。深い山。涼しい水辺。賑やかな街。

 行ってみたい場所が、たくさんある。

 見てみたいものが、この世界に溢れている。

 夢は遠く、どこまでも。


「ねえ、黄雲くん!」


 気が付けば雪蓮は、だしぬけに尋ねていた。


「黄雲くんには、何か夢ってある?」

「夢?」


 黄雲はと言えば、彼も彼で目標の島影に財宝を思い描いていたところだ。そんなわけで彼女の問いへの答えは。


「財宝を手に入れることに決まってるじゃないですか!」


 現状に即した解答である。そんな彼に雪蓮、「そうじゃなくて……」と眉をしかめた。

 

「あ、あのね! 近々のことじゃなくて……将来の夢、というか……!」

「将来の夢。それ聞いて何になるんです?」

「む、むぅ……!」


 黄雲、質問自体に疑義を呈する。つっけんどんな言い方に、雪蓮の頬がぷくっと膨れた。

 そんな彼女へ「しょうがないですね」とでも言いたげに大げさなため息を吐いて、黄雲は仕方なく質問へ答えた。

 

「前にも言いましたけど、コツコツ稼いで一財築く! それが我が大望ですよ」

「あ、そういえば。以前そんなこと……」


 そう、以前。具体的には勘違いした那吒に襲われた際のこと。

 この守銭奴が披露した長広舌において、その夢は語られている。

 

「ま、今回一攫千金を夢見てこうして月亮島を目指しているわけですが、それはそれコレはコレ! とにかく僕は銭を得たい、稼ぎたい! それだけです!」

「もうっ、ほんっと予想通りの締めくくりなんだから!」


 結局金である。はははと笑う黄雲に、雪蓮はため息をひとつ。

 分かっていたはずだ。こんな答えが返ってくるなんて。

 そんな彼女へ。

 

「で、お嬢さんにはなにかあるんです? 夢」


 黄雲が同じ質問を返してくる。

 待ってましたとばかり、雪蓮は瞳を輝かせた。

 

「私ね! 太華のいろんな所を旅してみたいの!」

「旅……」

「そう、旅!」


 雪蓮は嬉々として語る。先ほどまで心に思い浮かべていた、まだ見ぬ山野のことを。

 

「南の方には広い田園地帯があって、美味しいご飯が食べられるんだって。北には清流先生の故郷のお山でしょ、西には宝石のように綺麗な沢。東の海の向こうには、巽さんの故郷の八洲(やしま)もあって……」

「…………」


 雪蓮は湖畔の風景に目を遣りながら、心底楽しそうだ。

 夢を語るのに夢中で、少女は気付いていない。

 それを聞く黄雲の顔色が、曇っていることに。

 

「いいなぁ……行ってみたいなぁ」


 無邪気な願望だった。しかし、あまりに無邪気すぎた。

 

(そんなの、無理に決まってる──)


 黄雲は櫂を握りしめ、前方の少女の横顔から視線を逸らした。

 ぎい、と舟はなおも進む。

 彼女は知府令嬢。この街一番の貴人の娘で。

 その将来はどこかの貴公子へ嫁ぐことが宿命づけられている。

 だから各地を旅だなんて、とんでもない話。

 この夢見がちな少女は、それを分かっているのかいないのか。

 それに。

 

「ま、旅以前にあなたの中の霊薬(エリキサ)をなんとかしなきゃいけないわけですけどね」

「そうね! まったくもってその通りだわっ」


 忘れちゃいけない、彼女の中には未だ霊薬(エリキサ)が居座っている。

 話題をそのことに移して、黄雲はひっそり苦いため息を吐いた。

 少年の心中は複雑だった。無事に霊薬(エリキサ)が祓われたとして、自分と彼女の未来はきっと交わらない。当たり前だと己を律する心の声は、どこかやるせなかった。

 

「ほらお嬢さん、そろそろ近づいてきましたよ!」


 そんな苦々しさに蓋をするように、黄雲はひときわ明るく声を張る。身中に張り巡らした養生の術は、今日も好調で。


「どんな遺跡なのかしら、楽しみね!」

「遺跡よりもお宝ですよ、お宝!」


 必要以上にお宝お宝と繰り返しながら、黄雲は力強く櫂を漕いだ。

 月亮島は、もうすぐ目の前だ。

 

---------------------------------------


 その名の通り、月亮島の島の輪郭は丸い。

 その円の中心から天へまっすぐ伸びているのが、件の岩山だった。

 平らな島に忽然と聳える巍々(ぎぎ)たる岩山は、見ようによっては不自然だ。しかし好奇心の強い雪蓮には物珍しい景観で。黄雲にとっては、財宝を内包する宝箱のようなものだった。

 黄雲、舟を着岸させたりなんだりで色々と働いている間に気を取り直し。

 

「おったからー!」

「待ってよ、黄雲くん!」


 雪蓮を置き去りにする勢いで岩山へ走り着くのであった。

 そして早速岩山の周囲を物色。「お宝お宝!」とこの守銭奴、先ほどまでの内心の感傷はさておき、意識はもはや財宝へ向いている。

 そんな彼が見苦しく岩肌に這いつくばって噂の遺跡への扉を探すのを、雪蓮は後ろからゆっくり追いつきつつ眺めていた。

 雪蓮は雪蓮で、この島へ来た目的を思い出す。月亮島に伝わる言い伝え。あの老人曰く「意中の相手と一緒に訪れると、想いが成就するとかいう」。

 それを聞いた直後は、考える暇もなく黄雲に同行するために身銭を切ったが。

 改めて考えてみると。

 

(意中の相手って……つまり……)


 つまりはそういうことである。

 目の前、岩山の周囲では、石にけつまずいた黄雲が無様にこけるところだ。後ろで結んだ長い茶髪が一拍遅れて彼の背中へ落ちるのを、雪蓮は赤い顔で凝視している。

 

(り……り!)


 そして始まる臨兵闘者(りんぴょうとうしゃ)皆陣列在前(かいじんれつざいぜん)。もはやお馴染みとなった九字を切り、雪蓮は顔に上った朱色をなんとか胸の内に押し戻そうと躍起だ。

 やっと落ち着いたところで。

 ふと少女は顔を上げる。

 なにか、聴こえる気がする。

 

「お嬢さん、ありましたよ! こっちです!」


 黄雲が彼女のもとへ駆け戻っても、雪蓮はぼんやりと虚ろな目。

 

「お嬢さん?」

「……あ、黄雲くん……」


 二度呼びかけられて、雪蓮はやっと黄雲に気付く。どこか生気のない様子に、黄雲。

 

「どうしました? あまり顔色がすぐれないようですが……」

「う、うん大丈夫」


 雪蓮は(かぶり)を振る。

 そして続く彼女の言葉に、黄雲は少々面喰うこととなる。

 

「あの……なにか聴こえない? 私だけかな、耳鳴りのような音が……」

「耳鳴り?」


 黄雲は耳を澄ませてみるが。そんな音は一切聴こえない。水鳥の鳴き声と、湖の水がちゃぷちゃぷとたゆたう音だけだ。

 

「僕にはそれらしき音は聴こえませんね。体調が悪いなら帰ります? お嬢さん」

「ええっ!?」


 帰る。

 その一言に雪蓮は「とんでもない!」とばかりに噛みついた。

 

「や、やだやだやだ! せっかく遺跡探検できるかもしれないのにっ!」

「でも耳鳴りがするんでしょう? 無理は禁物……」

「やだやだやだーっ! 私も行くのー!」

「や、でも」

「全然大丈夫! 全然大丈夫だから! ほら、元気だよ私!」


 しゅびしゅびっ。

 秘伝の白打の型を披露して、雪蓮は自身の健在ぶりを訴えかける。


「……ほんとに大丈夫です?」

「大丈夫だから!」


 そんな雪蓮へ、黄雲は疑わしげな視線を投げかけつつも、その足は既に遺跡の扉目指して歩き始めている。雪蓮も当然のようにそのあとへ続く。

 歩きながら雪蓮は、もう一度耳を澄ませてみた。

 音はまだ、途切れることなく続いている。耳鳴りのようだと形容はしてみたが、耳鳴りのような不快さはなく。


(なんだか、懐かしい……)


 聞いているうちに、彼女の心中にえも言われぬ感情を引き起こす。本来ならば雪蓮、月亮島へ黄雲とともにやってきたことで目的を終えているが、しかし。

 どうしてか、遺跡に行かねばと今は思う。音の源が、そこにある気がする。

 

「ほらお嬢さん、これですよ」


 先を歩いていた黄雲が、目の前を指さしつつこちらを振り返った。

 

「扉ね」

「扉ですよ」


 二人が確認した通り。岩山の岩肌には、石材で造られた扉が設けられている。ちょうど大人一人分くらいの背丈のもので、それほど大きくはない。

 おそらく奥は坑道になっているのだろう。扉は二枚の石板でピタリと入り口を閉ざし、二人の前に立ちはだかっている。

 

「よっと」


 さっそく黄雲は扉を押してみた。彼の見立てたところ、開くとするならば奥側へ向けて開くはずだ。しかし。

 

「くぬっ……! 開かない……!」


 開かない。

 ならば開く方向が違ったか。奥向きの観音開きと思ったのは間違いで、もしかすると引き戸なのかもしれない。

 黄雲、扉中央の合わせ目に指を引っかけ、ぎりぎりと引っ張るが。

 

「く、くぅうう……!」


 やっぱり開かない。

 

「こ、黄雲くん、だいじょうぶ……」

「ならばっ! 奥の手!」


 心配する雪蓮の言葉に耳を貸さず。

 黄雲はすうっと息を吸い込んだ。そして肺の中で氣を練り、慣れた感覚で魂魄に通し、経絡を通じ足から地面へ氣を流し。

 

急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう!」


 呪文一発。

 彼の前方の地面からググっと土が盛り上がると。

 石の扉めがけ、凄まじい勢いで土流が叩きつけられる。扉には激しい圧がかかるが。

 

「あ、開かない……!?」


 わざわざ道術まで使ったにも関わらず、扉は元の通りを保ったまま。単に土で汚しただけに終わる。

 

「なんてこった! せっかく道術まで使ったのに!」

「まあ、頑丈な扉ね」


 黄雲はぷんすかと憤慨だ。とりあえず扉の前に積みあがった土は邪魔なので、やはり道術で片付けておく。

 流れるように土が扉の前から地面へ戻ると。

 

「参りましたね。せっかくこの奥にお宝があるというのに!」

「うーん……」


 扉の前で途方に暮れる少年少女。

 雪蓮は「なぜかしら」と不思議そうな面持ちのまま、なんとなく扉へ触れてみる。

 するとどうだろう。

 

「あ、あれ……?」

「え、ちょ、え、なぜに?」


 扉が開いた。グゴゴと石材の擦れる音を立てながら、奥へ、観音開きに。

 

「…………」


 二人は顔を見合わせた。扉は真っ黒な口を開けて待ち構えている。

 

「……よく分かりませんが、ありがとうございますお嬢さん。あなたの怪力のお陰で道が拓けました」

「か、怪力じゃないもの! 勝手に開いたんだから!」

「へいへい、行きますよ百万馬力殿」

「もーっ!」


 可愛げのないあだ名を付けて付けられて。二人は坑道へ足を踏み入れる。

 しかし、それが間違いだったのだ。

 黄雲はどうしてこんなにあっさり扉が開いたのか、もっと疑念を抱くべきだった。雪蓮は好奇心に任せてこの場所へ足を踏み入れるべきではなかったのだ。

 後の祭り。

 

「あ……」


 暗い通路を数歩進んだ二人の背後で、扉が閉まる。入り口から通路を照らしていた日の光は、段々と光度を落としていく。

 

「え、ちょっと! なんだこれ!」


 慌てて引き返した黄雲の目の前で、無情にもゴンと音を立て、扉はその口を閉ざした。

 暗闇が二人を覆う。

 

「こ、黄雲くん……」

「閉じ込められた……?」

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