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狼の妖術師と赤毛の皇太子  作者: 佐々木野楓
狼の妖術師トルム
2/14

騎士クロード

翌朝、モウトーリに挨拶を済ませ、師匠への報告と引っ越しの準備の為に十一都に帰る事にしたトルムは、目立たぬよう茶色のローブを身に着け帝都の街を歩いていた。異国人も多く行き交うこの帝都では、ローブの色を変えてフードを被っていれば、変身していなくても昨日の様に気づかれる心配はあまりなかった。

昨日はユクドの里親の厚意で馬車を用意してもらったが、帰りは乗合馬車の予定である。馬車が出発するまでの時間で、買い物を済ます事にした。

トルムが生活する師匠エレクの邸宅では、自分を含め戦争孤児が現在二十三人暮らしている。生活費は師匠と年長者である自分が稼いでいるがけして楽な生活ではない。それでも、こうやって帝都に来たからには、皆にお土産の一つや二つ買って帰りたいのだ。

「勉強用の本と、あと甘い物でも」

本屋に入ろうとして後ろから右腕を取られた。瞬時に身構え、左手で火紋を描こうとしながら自分の腕を掴んでいる男を見れば、

「あなたは………」

昨日トルムに声をかけてきた若い騎士だった。歳は二十代前半だろう。赤みが強い茶褐色の髪と目をしている。背はトルムより頭一つ分高い。

「昨日は失礼いたしました。少し、お時間をいただけないでしょうか?」

小さい声である。昨日のように騒ぎにはしたくないようだ。無下には出来ず、

「馬車の時間がありますので、買い物しながらでよろしければ」

同じように小声で返すと、

「ありがとうございます。私は第二師団所属の騎士、クロードを申します。家名はエントです。あなたとは、パドアの戦いで同じ戦場にいました」

名に驚いた。エント家は帝国随一の名家であり、皇帝一家と遠戚でもある。そしてこの騎士の名前は、トルムの初陣の時の上官であった。

「失礼いたしました。改めてご挨拶申し上げます。妖術師トルムでございます、クロード様」

「私をご存じでしたか。それではクロードとお呼びください」

「いえ、私の方が年少ですし、エント家のクロード様と言えば第二師団の師団長補佐をされているお方。私の上官です。呼び捨てになど出来ません」

「トルム様は妖術師であられる。出征はされるが、軍籍ではない。部下と言う訳ではないでしょう」

「正確にはそうですが」

「では、私もあなたの事をトルム、とお呼びしてよろしいでしょうか? そしてあなたも私をクロードとお呼びください」

「………わかりました。クロード」

そう呼ぶと、クロードは嬉しそうに笑い、つられてトルムも笑った。

並んで本屋に入り、子供たち用に本を選びながら、

「よく私を見つけられましたね。今日は、緑のローブではないのですが」

「幸運な偶然です。来月また出征しますが、上官に頼まれ地図を探しに来ました」

クロードは、既に購入済みの羊皮紙で作られた地図をいくつか持っていた。

「軍部が用意した物と、こうやって出回っている地図では相違があるので、比較しなければなりません」

「実際に行ってみると、あるはずの川があったりなかったりで、苦労しますからね」

「ええ。トルムは何をお探しですか?」

「子供たちに本を買って帰ろうと思いまして。やはり帝都の品ぞろえはいいですから」

「孤児たちを育てていらっしゃると言うのは本当なんですね」

「ええ。私を含めて二十三人います」

クロードはトルムが手にした本をひょいと取り上げ、

「これは私が購入します。そして子供たちへ贈り物とさせてください」

「クロード、そんな結構でございます」

「こうして知り合えた記念に、ぜひとも贈り物として受け取ってください」

そう言われては断るのも悪く、クロードの善意を受け取る事にした。

本屋を出て、別れの挨拶をしようとしたら、

「他にも何か購入される予定ですか?」

と、問われ、素直に「子供たちにお菓子を」と答えると、

「それではいい店をお教えしますよ」

と、トルムの腕を掴んで歩き出した。

「ちょ、ちょっと待ってください、クロード」

「すぐそこです」

半ば引きずられつつ歩けば、おいしそうな甘い香りが漂ってきた。

「ほら、そこです」

クロードの指差す先にあったのはお菓子屋だった。

「あの店で売っている焼き菓子は最高です。日持ちもしますから、お土産にはいいですよ」

「それはいいですね」

日持ちするのであれば、国境近くに出かけている師匠にも食べさせられる。

店に入ると、より一層いい匂いが充満していた。お腹が空く。それに気づかれたのか、

「店内でも食べられるようになっているので、一緒に食べませんか?」

その誘いは断れなかった。

クロードの知り合いらしい店員に奥の席を案内された。椅子に座ると、円卓にはお茶の入った杯、それに、

「林檎の焼き菓子ですか」

かなり大きめの物が二つ置かれた。

「この店で一番美味いです」

トルムはさっそく一口食べ、

「これはおいしいっ」

大きかったはずの焼き菓子は、あっという間に無くなってしまった。

「このお菓子も、今日中なら持って帰れますよね」

子供たちにも食べさせてあげたかった。普段は自分でお菓子を作っているトルムだったが、やはり玄人の作った物は違う。喜ぶ子供たちの顔を見たかった。

「どちらへお帰りですか?」

「十一都です。乗合馬車を予約しています」

「乗合馬車だと、十二都を経由していくので、五計ほどかかりますよ」

「もうすぐ出発の時間なので、着くのは夜ですね」

「それは大変だ。よろしければ、我が家の馬車でお送ります。早ければ二計ほどで到着します」

「そこまでお世話になれません。大丈夫です」

「遠慮はなさらないでください。せっかくこうして知り合えたのです。できたらもっとあなたとお話をしたい」

クロードは早々と会計を済まし、いつの間にか店員に頼んでいたらしい焼き菓子の包みをトルムに渡すと店を出て、

「少し待っていてください」

「あ、あの、クロード」

トルムが止める間もなくどこかへ消え、ややして戻ってくると、

「通りの向こうに馬車を用意しました。行きましょう」

また手を掴まれ、引きずられる。

「クロード、あの、大丈夫ですから、そこまでしてくださらなくても」

「馬車の中なら、ゆっくり話もできるでしょう」

「ですが」

「さあ」

連れて行かれた先に止まっていたのは三頭立ての豪華な箱型馬車で、御者も二名。帝都に来るさい乗ってきた馬車との差に、気後れして乗るのを躊躇していると、

「トルム、どうぞ」

クロードに促され乗り込むと、中はゆったりと広く、大人が七、八人は乗れそうなほどだった。

床には絨毯が敷いてあり足元がふかふかしている。座席は柔らかかい皮が張られていた。

「楽にしてください」

クロードが御者に出立を告げると、馬車が動き出した。車輪がいいのか振動が少ない。座り心地がいい。

向かい合う、正面の座席に座ったクロードに、

「本にお菓子に、そしてこんな立派な馬車に乗せていただいて、ありがとうございます」

と頭を下げれば、クロードは姿勢を正し表情を引き締め、

「あなたがなさった功績に対しての、私からのささやかなお礼です。我が師団は、あの不利な戦況においてあなたの活躍により勝利する事ができました。いつか直接お礼を申し上げたいと思っていたのです。こうしてお会いできてよかった」

真剣な眼差しでまっすぐに見つめられ、トルムは自身も姿勢を正し、

「私は、私が出来る事をしただけです」

クロードは膝の上で拳を握り、

「………あの戦いで、私は師団長の命令で一個大隊を率い右翼から攻め上がりました。しかし、それは敵側に読まれており、気づけば谷の底に追い込まれていました。敵兵は頭上高くから私たちに矢を降り注ぎました。これまでかと、半ば覚悟した時、狼の声が聞こえたのです。そしてその声とともに、炎の塊が敵兵を薙ぎ払いました。何が起こったか分からないまま声の方向を見れば、そう、狼の姿のあなたでした。灰色の毛を風になびかせ、咆哮を上げていました。戦いが終わった後、あなたが成人したばかりの妖術師である事を知り、驚きました。トルム、お会い出来たらお尋ねしたい事がありました。あなたは………初陣で躊躇なく敵兵に向かって行かれましたが、戦場は怖くはなかったのですか?」

トルムは少し目を伏せ、おもむろにフードを取った。右半分は黒髪、左半分はただれた傷跡を、クロードは凝然として見る。

「私は赤子の頃、戦火に巻き込まれこの傷を負いました。家族も殺されたでしょう。記憶はありませんが。私は、私にこの傷を負わせた者、私の家族や故郷を奪った者を許す事はできませんでした。そして、幸か不幸か、復讐するだけの力を得てしまった」

トルムは皮の仮面を外し、左半分の顔をさらした。

「私は、私の私怨で戦場に赴いただけなのです」

醜い傷跡に、クロードがどう反応するか伺えば、クロードは身を乗り出しトルムの手を握った。

「敵には『不幸』でも、私にとっては『幸』でした。あなたに私は、我が師団は救われたのです」

「クロード」

「この傷は、痛くはないのですか?」

クロードの手がトルムの顔の左側に触れる。

「ええ、今はもう。季節によって引きつる時もありますが」

予想とは違うクロードの反応に、トルムは戸惑う。「この顔を見ても、あまり驚かれませんね」

人によっては、卒倒される場合もある。

クロードは優しい顔で、

「あなたのこの傷跡については知っていました。しかしここまでひどい傷跡だったとは………目は大丈夫ですか?」

「ええ。多少傷があったようですが、幼いうちに我が師匠が治療してくださったので、不便なく見えています。師匠はこの傷跡もどうにかしようとなさってくださったのですが」

「あなたの目、深い海のように美しいですね」

「そうですか? そんな事を言われたのは初めてです。クロードは優しい方ですね」

「事実を申し上げたまでです」

「お世辞でも嬉しいですね。わたしのような者にも、人から見て美しいと思われる部分があるとは思いませんでした」

「あなたは美しいですよ。確かに傷跡がありますが、傷跡のないこちらは」

クロードの手が顔の右側に触れ、

「闇のような黒髪に、海のような目、白い肌は大理石のようだ」

まるで女性に対する表現に、トルムは顔が赤らんだ。

「ちょ、ちょっと待ってください。クロード、それは、ちょっと、違うと思いますが」

「顔立ちも整っているし、あなたは美しいです。昨日初めて間近で拝顔して、私は衝撃を受けました。狼の妖術師様がこんなにも秀麗な方だったのは………」

「秀麗? 私が? いえ、それは違うと」

「こうして、仮面を外されても、やはり美しいと感じました」

クロードが嘘をついている様子はなく、トルムはただただ戸惑った。どうしたらいいのかわからない。十七年の人生の中で、容姿をほめられた事などは一切ないのだ。

「あなたが女性であれば、私は求婚していたでしょう」

「求婚、ですか」

「はい。美しく強い、まさに狼のようなあなたに、私は惹かれています。女性であれば、ぜひ妻に   なってほしかった」

ますますどうしたらいいのかわからない。                            

(昨夜はモウトーリ様に皇太子の側室になれと言われ、今日はクロードに女だったらと仮定されながらも求婚され、いったいどうなっているんだ)

そんなトルムの混乱に気づかないまま、クロードは正面の席からトルムの右横に移動してきた。広い座席なので余裕で二人並んで座れるものの、問題はそこではない。

「あの、クロード、わざわざ並んで座らなくてもいいかと………」

「並んで座ってはいけませんか?」

「そういう訳ではないのですが」

「ではいいではありませんか。お疲れでしたら、私にもたれてください」

「いえ、それはできませんっ」

「なぜ?」

「なぜと言われても」

「男同士ですから、気になさる事はありませんよ」

「………」

男同士だから問題だと、口から出そうになったが、言ってはいけないような気がして、トルムは黙った。

多少強引でも親切な方だと思っていたが、どうも読めない方である。

(もしかして、男色の気でもあるのだろうか)

軍隊には多いと聞く。それに、貴族の中では好事家の趣味として同性愛を好む風潮もあると聞く。

クロードは師団長補佐と言う軍人で、名家の出である。

世間にそういう趣味趣向があると知りながらも、トルムは自分にはまったく関係が無い事と思っていた。

しかし、クロードの態度はあきらかに自分に対し不埒な思いがあるように感じられるのだ。

(でも、私の勘違いかもしれない)

かなり身分の高いクロードが、こんな醜い傷跡を持つ妖術師をどうこうしようと考えるだろうかと思う。

(そうだ、私の勘違いだ)

トルムは変な考えを払うかのように頭を振り、仮面をつけ直した。フードも被る。

「トルム、この馬車の中には私しかいません。お顔を隠さなくてもいいのですよ」

「いえ、つけていないと落ち着かないのです」

「そうですか。………残念です」

(何が残念なんだろう)

「あなたの黒髪はやわらかそうですね」

「半分は生えていません」

「触ってもいいですか」

「いえいえ、クロード様のように高貴な方が触れていい物ではありませんよ」

物理的ではなく、精神的に距離を取ろうとして『クロード様』と呼んだのに、クロードは気づかなかったようで、

「確かに私はエント家の者ですが、私自身は一介の騎士にすぎません。騎士ごときでは、あなたの髪に触れる事は叶わないのでしょうか」

「………」

切ない目と声で聞いてくる。

(私の勘違い、私の勘違い)

トルムは呪文のように心の中で呟き、

「あの、クロード様はおいくつであられるのですか? 先ほど妻に、と仰られていましたが、もうそろそろ奥方を迎えられる御歳ですか?」

話題を変えようとしたが、

「年齢は二十三になります。あなたは十七で、今年十八になられますよね。私の方が五歳年上ですが、ちょうどよい、歳の差ですよね」

(ちょうどよい歳の差って、何の歳の差だろう)

トルムは得も知れぬ不安に駆られ、もう一度話題を変えようと、

「さすがにエント家の馬車ですね。早い。もう十二都が見えてきた」

窓の外に、帝都と十一都の間にある十二都の城壁が見えた。子供の様に指差すと、その手をクロードが掴んだ。

「ひっ」

変な声が出て、慌てて口を閉ざすトルムに、

「何をびくついていらっしゃるのですか? トルム、私は何もあなたにしませんよ」

「いえ、何も、びくついてはいません」

「どうして私から顔を逸らすのでしょうか」

「特に理由は………」

「狼の妖術師様、私の気持ちをわかってくださいませんか?」

手を引っ張られ、そのままクロードに抱き寄せられた。黒い軍服に顔がぶつかる。

「クロード様っ」

「様などと、付けないでください」

「クロード、放してくださいっ」

「戦場では大きく見えたのに、実際お会いしたらこんなにも細身でいらっしゃる」

「クロード!」

自分を抱きしめる腕の力が強くなった。トルムは慌ててクロードの胸を叩く。

「あなたは誰にもあなたの姿を讃えられた事はないのでしょうか? これほど美しいのに」

「クロードっ」

「女性でなくとも、あなたを口説きたいと言えば、あなたはどうされますか?」

「………」

(私の勘違いではなかった)

トルムは貞操の危機に、指で風紋を描こうとして、寸前の所でその手をクロードに抑えられた。

「狼の妖術師様、術は使わないでください。私はあなたと話をしたいのです」

「話をするだけなら、こんな事をしなくてもいいのでないですか」

「あなたに触れていたいのです」

「男同士で触れても何もいい事はないでしょう!」

「同性でも、いい事はできますよ」

「私は異性がいいのです」

顔を上げて見上げれば、クロードは哀しげな顔をしていた。彼を傷つけたようで一瞬悩んだが、

「クロード、放してください」

低い声で強く言うと、自分を拘束するクロードの手が緩んだ。ほっとしたものの、クロードの手は完全には離れない。

「クロード」

「トルム、ひどい事を言うようですが、あなたのこの傷跡では女性との縁はないでしょう。一生お一人でいらっしゃるおつもりですか?」

確かにひどい言い様だった。

「それはあなたには関係ないでしょう」

他人に指摘されずとも、トルム自身自覚している事である。

「私はあなたの側に居たいのです。どうかお許しいただけないでしょうか」

「何を許せと言うのでしょう」

「どうか、私と心を交わしていただけないでしょうか」

「心を交わす…」

(具体的に、どうしろと言うのだろう)

しかしそれを聞くのは怖い。

「まずは友人として、お付き合いいただけませんか?」

「友人、ですか」

トルムは少し考え、

「友人であれば、かまいません」

「よかった。ありがとうございます」

また強く抱きしめられそうになり、慌てて、

「離れてくださいっ」

「これは友人としての抱擁です」

抗えず、やすやすと抱きしめられた。

「クロードっ」

「はははっ」

顔を赤くして怒るトルムに、クロードは声を上げて笑い、ゆっくり拘束を解いた。

「昨日、あなたと会えたのにすぐ見失って、私はかなり落ち込んでいました。でも、来月の出兵にあなたも召集がかかっている事は知っていたので、また会えると思っていたのですが、まさかすぐ再会できるとは想像もしておらず、この偶然に舞い上がってしまいました。ご無礼、お許しください」

「来月の出征………ああ、あれは、自分は取りやめになりました」

クロードの表情が変わる。

「どうしてですか?」

まさか皇太子の側室になる為とは言う訳にもいかず、

「宮殿付き術者の師範として宮殿に上がる事になりました」

と、モウトーリが言葉そのままにクロードへ伝えれば、

「宮殿に上がる? いつからですか?」

「出来るだけ早々にと、侍従長モウトーリ様より命じられました」

「お住まいも宮殿ですか?」

「いえ、子供たちもおりますので、帝都に居を構える予定です」

「それなら、私の邸宅にいらっしゃってください」

クロードの提案を、

「嫌です」

速攻で断れば、

「どうしですか?」

と食い下がられた。

「どうもこうも、理由はありません」

「部屋も余っていますし、子供たちを迎えても充分余裕があります。宮殿にも近い。いい事尽くめだ」

「モウトーリ様が邸宅を用意してくださるお話になっておりますので、結構です」

「モウトーリ卿には、私から話をつけておきますから」

(そうだった。クロードはエント家の方。モウトーリ様より高位だ)

クロードがモウトーリにそう望めば、そうなるだろう。

「子供たちだけではなく、我が師匠もおります。師匠はモウトーリ様とは旧知の間柄。モウトーリ様のご厚意を、私の一存でお断りはできません」

「それはそうですね。では、エレク様には私からお話をしましょう。ちょうどいい。あなた方のお住まいへ伺い、さっそくお話をさせていただきたい」

「エレク様は今、国境沿いの紛争地域にお出かけになられているので、ご不在です」

「それは残念だ。お帰りはいつごろのご予定ですか?」

「それは」

だいぶ先だと嘘を付こうかとしたが、躊躇い、

「七日以内にはお戻りの予定です」

正直に答えた。嘘を付いてもどうせすぐばれるだろう。

「では、七日後にまた伺います。それまでにはモウトーリ卿にも話をしておきましょう」

トルムは頭を押さえた。クロードの強引さは、やはり身分の高さ故だろう。

「クロード様、私は」

「友人に、様はつけないでください」

「クロード、友人と言うのであれば、私の意見も聞いてください」

「私はあなたの側に居たいのです。この気持ちもわかってください」

「………」

(駄目だ。引いてくださらない)

このままでは、男の身の自分に懸想しているらしいクロードの邸宅から、女の体に変身して、皇太子の側室として宮殿に通うと言う、ありえない状況に陥ってしまう。

何か理由を考え、クロードに諦めてもらうしかないが、どうしたらいいのか分からない。下手の嘘や言い訳も通じない。こうなったら、

「クロード、私は、表向きは宮殿付きの術者の師範ですが、実は違う理由で宮殿に上がるのです」

「違う理由?」

「ええ。私は、やんごとなきお方のお相手を務める為に、宮殿に上がるのです」

賭けだった。これで引いてくれる事を願った。クロードも、彼より身分の高い者へはどうにもできないだろう。

「………どのようなお相手をするのか、などと無粋な事は聞きませんが、あなたがそのままのお姿でお相手をされる訳ではありませんね? 変身が得意の狼の妖術師様」

「それは答えられません」

「その、やんごとなきお方と言うのは、私より高位なのですか?」

「はい」

「皇帝陛下ですか?」

「それは言えません」

「皇帝陛下でないとすると、皇太子殿下ですね」

「どうして断言されるのですか!」

勘の良さに焦る。

「殿下も御年十三。色事に目覚める年頃だ。しかしお立場上、表立って女を用意はできない。と、すると、侍従長の考える事となれば、女でない者に女として殿下のお相手をさせようと企んだのだろう。モウトーリはあなたの事をよく知っている。あなた以上の適任者はいない」

クロードの正しい推測に、トルムは急いで指で風紋を描いた。足元から風の渦が巻き上がる。

「トルムっ」

クロードが自分を押さえつけようとする前に、一羽の大きな鷲となると、馬車の窓から外へ飛び出した。

一気に大空へと飛び上がり、下を見れば、窓から自分を見上げるクロードの姿があった。

(どうしよう)

彼が引き下がるとは思えない。

(ややこしい事になってしまった)

トルムは鷲の体を、十一都に向けて吹く風に乗せて羽ばたいた。

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