第二節 足音なき絶望の先に
ズブッ
「あ、れ?」
なんだこの感覚は。背中が気持ち悪い。何かが生えたような、しかし埋め込まれているような感覚もある。
寒気がする。手が震えて仕方ない。段々と暖かくなっている今、寒いなんて感覚はあり得ない。
確認したくない。見たくない。そう思いながら、首を後ろに向けると。
時間が凍り付いた。俺は、
「………………………………….え?え?え?ッぎいぃぃィィィッ…!?!?!?!?!?」
金蛇さんの右手に現れた刃物を背中に刺されていた。
痛い。それを見るまで意識出来なかった痛みが、急に逆鱗に触れられた龍のように暴れまわる。
「あァァッ…グぅッ…ううぉぅェッ」
内臓が破れる激痛と自分の見た光景、跳ねる鮮血でこみ上げる嘔吐感を抑えられず、俺は吐いた。目の前に広がると思っていた吐瀉物のほとんどは赤黒い液体だった。
状況が理解できない。なぜ?なぜこうなった?俺が金蛇さんに告白されて…夢?ならなぜこんなに________________________
いたいんだ?
「………………運が無かったわね、枯石くん」
ざずずずずずずぞんっ
金蛇さんは、刺したナイフを一度腹まで貫通させてから引き抜き始めた。
「いだい、いだいいだだだだだだだだだだだいだいぃぃぃ」
俺は泣いていた。恥もプライドも激痛に塗りつぶされて見えない。刃物で刺されたときも痛かったが、傷口を広げながら刃物が引き抜かれていく感覚は、言葉では表せない。
己の力で支えられなくなり、刃物という支えも無くした俺の体はみっともなく床に崩れ落ちる。
裏切られるのは嫌だ。裏切られるのは嫌だ。一度信頼した人に裏切られるのは、いたい、つらい、くるしい。
覚えていないはずの幼少期の記憶が、「裏切られた」という当時の自分の感情だけを抜き出し、フラッシュバックする。
殺してくれ。いっその事、その刃物の一振りで首を落としてくれ…!!死にたいんだ。
だというのに。
なぜ俺の体は、立ち上がろうともがいているのか。
もうそんな力は残っていない。
俺の精神はとうに生きるのを諦めているはずだった。
なのに、俺の体はそれを許さない。まるで自身の精神を鼓舞するかのように、荒々しく、泥臭くもがき続ける。だが、自分の血だまりで滑って立ち上がれない。
それでも、
もがく。
もがく。
もがく。
「ぐぉ…!!」
無様だな、俺は。この期に及んでまだ「生きる」なんて。
金蛇マコはそんな俺を哀れなものを見る目で見つめていたが、ハッと我に返ると、黒いオーラを纏った右手の刃物を握り直す。とどめを刺すようだ。
目線の先は、俺の心臓の真上。
立ち上がる気力は尽きた。
(もう駄目だな…)
俺が諦めかけたそのとき、色々なことが同時に起こった。
金蛇マコが突いた刃物が俺の心臓に届く前に、突然俺の体になかったはずの力が蘇ったのだ。
血塗れの地面を必死に押していた両腕に急に力がみなぎり転びそうになるが、それを堪えてナイフの回避を優先した。
立ち上がろうともがいていた時に、どうにかうつぶせから土下座のような姿勢にはなっていたので、急に力のこもった両腕と足に体重をかけ、全力で後方に跳び退いた。思考せずにほとんど反射で行ったので、回避はなんとか間に合った。
金蛇マコの突きは外れ、彼女は前につんのめり刃物を落とし、俺は後ろの壁に頭を強打し、尻餅をついた。
「いってぇ…」俺は頭を押さえて呻く。
先程あれだけの苦痛を受けたのに、まだこれしきの痛みに反応できる自分に驚いた。
金蛇マコの方は、突きが外れて混乱している様子だが、既に落とした刃物を拾おうとしている。
(このままじゃ次で俺は死んじまうぞ…!)
あと少しだけ踏ん張るんだ、俺!
「うおおおおおおおお!!」
俺は死に物狂いで立ち上がり、教室のドアへ向かう。
「クソッ、待ちなさい!待て!」
後ろから金蛇マコが追いかけてくる。
(速い!手負いの俺では追いつかれる!)
そう思ったとき、「それ」は俺と彼女の間に割って入ってきた。
「グギャアアアアォ!!!」
ガサガサと音を立て、獰猛な雄叫びを上げながら来る「それ」は、
「…カニ?」
「…ちッ」
どう見てもカニだった。でかい。
驚くべきことに、成人男性の身長程の高さの巨大なカニは、どうやら金蛇マコを足止めし、俺に逃げる時間を与えてくれているようだ。この時間を無駄にするまいと俺は廊下を突っ走りながら教室の方に首を向け、
「ありがとうカニさん!このお礼はいつか!」
と叫んだ。
金蛇さんは「どけよ糞ガニ!」と悪態をつきながらナイフでカニに切りかかる。あの分だとカニさんも長くは保たないだろう。俺は涙を流しながら階段に向かう。
そこで気づいた。
周囲に人の気配がないのだ。それは4階だけではなく、校舎全体がまるで空っぽのようになっていた。
(グラウンドからも声が聞こえない…アイツが何かしているのか?)
放課後になってから、想定外のことばかりが起きすぎている。
理解が追いつくはずがない。
外へ逃げることが出来たとして、外もここと同じような状況になっていたら?
もし人に会えなければ、死ぬ場所がずれるだけなのではないか。
しかし、その事を今考えると、思わず足を止めてしまいそうになる。
そうなったら終わりだ。俺は惨めにとどめを刺されて身体に宿るいのちは消える。
(死んで…たまるかよっ…)
俺は、自身に学校の窓ガラスを割り外に出るまでの気概も力もないことを知っていた。
なので、外に出るには玄関しかない。
階段をジャンプで降り、ひざを痛め、息も切らしながらひたすら玄関を目指す。
そのとき、先程降りた階段の方向から黒い影が滑るように迫ってきた。
金蛇マコが、追ってきていた。
2017/4/5 サブタイトルを変更しました。
全体的に表現を改め、描写も追加しました。
また、区切りを変更し、前回の更新の更に先の展開を加筆しました。