『とよとよ』とした夢
夢を見た。
恋をする夢だった。
その夢は現実と虚構が入り混じっていて、私はなぜかそこに違和感をまったく感じなかった。
例えば現実の私と違い、その働く職場はなんというか……多種多様なイベントに会場を貸し出したりする仕事なのだ。
それだけでなく、自分たちでイベントを企画して行ったりする。
もちろん現実の仕事とは違うのだが、私の会社の上司が当たり前のようにそこにいた。
さらに不思議なことに、旅行先で知った居酒屋の店主なんかもいたり、子供のころから知っている同級生なども一緒に働いている。
見覚えのないバイトの若者もいたが、私はその人物を顔見知りだと錯覚して、忙しい仕事を切り盛りしていた。
そこで知り合った女性がいた。
私は彼女に恋をしたらしい。
彼女のことはよく覚えていない。
現実に知り合っている女性に似ているような気もするし、そうでない気もする。
おそらく今まで付き合ってきた女性や、憧れの気持ちを抱いた人をまぜこぜにしたのではないだろうか。
ただ、くりっとした目の印象が残っている。
どこを好きになったかも覚えていない。
ただ恋焦がれていた。
純粋に好きだった。
少なくとも、夢を見ている間は私は本当に彼女に恋心をもって接していたのだ。
そばにいるだけで心が弾み。
言葉を交わせば、笑顔になり。
姿が見えなくなれば、辺りを見回す。
懐かしい気持ちだった。
恋などいったいいつ振りだろうか。
そんな時、まるで見覚えのない人物が私の目の前に現れた。
しかし、私は彼を友人だと思い、その様子が普段と違うように感じた。
「どうした? 気落ちしているようだが何かあったか?」
そう私が訊ねると、彼は言った。
例の彼女に振られたのだと。
そこで私はようやく気が付いた。
この世界にいるのは私だけではない。
彼女に恋焦がれるのは、私だけではないのだと。
そして、さらに彼は言った。
自分の後に、ある人物が彼女に告白したのだと。
振り返ってみれば、女性に人気のありそうな整った顔立ちの男性がそこにいた。
そいつはとてもお洒落な人物で、またセンスもいい。
人気のある企画を考えては活躍し、よく女性スタッフたちの話にあがるような人物だった。
夢だけは自分の思い通りになるなど、嘘だった。
もうこの恋は叶わないのかもしれなかった。
手遅れといってもいいこの場面で、私はようやく焦り始めた。
そして、夢だという自覚はなかったのだが、このことだけはわかっていた。
私はこの場所に長居は出来ない。
近いうちにここを離れる。
それは避けようのないことで、それはもう間もなくのことなのだと。
私は折を見て彼女に話しかける。
だが、この期に及んでもそのときの私は告白など思いも至らないらしい。
なごやかで満たされた時間であるものの、私はどこか寂しげな思いで彼女と過ごした。
「連絡先、伝え合っているのに一回も使ってないね。ケータイ」
「そうだな。 毎日顔を合わせるし、話す時間が欲しかったら直接言えば早いしな」
「それはそうなんだけど」
「だいいち、いつも話している相手にいまさらなんて送ればいいか、わからないんだ。 ……言葉に困る」
「……そっか」
と、そんな会話をしてしばらくした時のこと。
彼女は私と話しながら、その合間に携帯電話にメッセージを送って来た。
『とよとよ』
それはただそれだけの一文だった。
その場ですぐに気が付いた私は、それを見て『とよとよ』とは何か、と彼女に尋ねた。
「あー、ええと。 ……あれだよ。水に飛び込むときの……」
彼女はぎこちなく手を仰ぐようなしぐさを見せた。
まるで跳ね橋が上下に動くのを表現したかのようだ。
「飛び込み台ってことか?」
「そうっ、それ!」
「へえ、飛び込み台のことを『とよとよ』というのか。聞いたことなかったな」
「……そう?」
「ああ、私は『 』の人間だからな。もしかしたら、ここの方言なのかもしれないね」
そうだとしたら、私がその言葉を知らなくて当然だ。
彼女はその言葉を聞いて、笑顔で頷いた。
「うん……そうだね」
私はその笑顔を見届けてから、メッセージに返答を返すことにした。
文面を考える。
真剣に、だ。
でも、何も浮かばない。
いつも話しているから、なにを送ったらいいのかやっぱり浮かばない。
その瞬間だった。
目が覚めたのは。
起きて30分くらいは彼女のことを覚えていた。
だが、すぐに顔も思い出せなくなる。
出勤したころには、恋の気持ちはなくなってしまった。
所詮は夢の出来事だ。
しかし、ふと『とよとよ』という言葉が気になった。
何をあたったところで、もちろんその言葉に『飛び込み台』などという意味はない。
どこにも『とよとよ』などありはしなかった。
そんなこと考えても意味はないのだが。
しかし思うのだ。
あの時、彼女はどんな気持ちでそんな意味のない言葉を打ったのだろう。
どんな気持ちで私の間抜けな言葉に頷いたのだろう。
あの笑顔の意味はなんだったのだろう。
所詮は夢の出来事。
なのに、そんなことを考えてしまうのである。
読者が主人公と同じような気持ちになるように、と意識して書いてみました
なにかもやもや残るものがあれば…
『とよとよ』には私なりに意味はありますが、主人公がそう思うかは別の話