雪の異変その1
その日、春だというのに雪が降った。
雪は3日たっても降り止まず、凍死者を出しそうになった段階で里の主だった者達が集められた。
会議の後、兵団に一つの通達が送られた。
「居留区はこれを「異変」と定義し第三班が解決に当たる」と。
第三班とはまさに俺たちのことだ。
「異変ってのは何なんだ?確かにこいつはまさに異変だが」
ファーのついたコートを着た杏が答える。
「まさにこういうことさ。妖怪が気まぐれや自分勝手で起こす異変。
だけどそれにはルールがある。人間が決闘で勝つことで異変の主催者は異変を取りやめる。
これはあいつらにとってはお祭りみたいなもんなんだよ。こっちは死人が出るほどだけどね」
ふざけた話だ。天変地異を起こす祭りがあるか。
「祭りだって?ふざけた話だ。なぜこんなことをする」
「理由はいろいろさ。でもね、これは僕ら人間に対して力を示すためらしい。
こうやって驚き畏怖されることでやつらは力を得るのさ。
妖怪同士でも起こした異変によって力を認められるという事もあるらしいよ」
兵団の中は赤さびた達磨ストーブによって暖められているがそれでも寒い。
こんなときにコンクリートは不便だ。
「こっちにメリットは?あと妖怪に止められたらどうなるんだ」
「何も。しいて言えば名を上げて名声を得られるくらいだね。
妖怪に止められた場合は殺し合いになる。だからだいたいは配下の人間を使うのさ」
不快感が増す。つまりこれはゲームなのだ。
人間を使ったゲーム。巻き込まれる側はたまったもんじゃない。
「つまりはこれは政治的なイベントであり、ゲームってわけか。
ここじゃそれが当たり前なのか?」
「当たり前なんだよ。ここから成り上がる事もできる。
だけど、居留区の人間はいつも人質に使われるだけだね。
僕は嫌だ。だからここで上を目指す。君も来るかい?」
「ああ、行かせてもらう。こんなふざけたことをしでかした奴に一発入れてやらなきゃ気がすまん」
ここで俺はふと気になった。
「だが、俺たちが居留区をあけていて大丈夫か?
人命救助はしなくていいのか?」
「それは他の班がやるから大丈夫さ。僕らはただ元凶の所に行けばいい。
だいたいはそれで片がつくんだ。「自分の下までたどり着ければクリア」なんてのも珍しくないしね」
「わかった。協力させてくれ」
こうして俺たちは異変解決へと赴くこととなった。
■
「まずはどこにいく?」
「とりあえず餅は餅屋だね。雪女のところに行くよ。
彼女にこれだけの天変地異を起こせる力はないだろうけど、何か手がかりはつかめるかもしれない」
「聞き込みからか。先は長いな」
「まあね、こんなものさ」
俺たちは雪の中を飛んでいく。
分厚いウインドブレーカーを着てカイロを仕込んでいるがやはり寒い。
白い、全てが真っ白だ。雪に塗りつぶされて風景にはもとの面影が無い。
山のふもとに雪女の家はあった。
古びた茅葺の家だ。
引き戸をノックするとあっけなく扉は開いた。
「ふふふ、やってきたわね14代目遊部妖命!あんたが先代を超えられるか試して……あれあんただれ」
テンション高めに出てきたのは真っ白いサマードレスを着た雪女だった。
白髪は長く腰まで届きそうである。
思っていた人物と違ったようできょとんとしていた。
「あー、僕は第七人類居留区兵団第三班班長の小角杏というのだよ。
今回の異変で君が何か知らないか聞きに来たんだ」
雪女はゴミを見るような眼で面倒くさそうに言った。
「あー……居留区の。これでも見てなさい」
そう言って投げつけられたのは新聞だ。
「何々……遊部妖命、14代目襲名?何の関係が?」
「わからない?これは先代妖命と今代妖命のための祝祭なのよ。
先代には世話になったからね。みんなでいろいろ異変を起こして今代を鍛えようってわけ」
そんな、そんなことのために何人もが命を落としかけたのか。
名前も知らないような誰かの襲名のご祝儀感覚で。
俺は思ったときにはすでに行動を起こしていた。
「雪を止めろ、今すぐだ!」
銃を突きつけて脅す。
脅すだけで意味が無いのならばすぐにでも撃つつもりだった。
「ちょ、違う私はやってないわ!誰かが春を奪ったのよ。
その春の生命力で何か術を組み立てる気のはずよ。多分、先代のために」
杏が確認するようにつぶやいた。
「そんな事をするのは一人しかいないね。鬼院楼蘭だ」
「そう、そうよ。リゾーム日本地区「代表」あんたなんかじゃ会えすらしない!
だからさっさと帰りなさい!それとも、今ここで殺してやろうか!」
鬼院というのは相当に地位が高いらしい。
「昼神、場所を移そうじゃないかね。銃を引っ込めるんだ!失礼した申し訳ない」
「……わかった」
「馬鹿みたい、異変程度で殺気立つなんて。そこの世間知らずにもよく言っておきなさいよ人間!」
「すまない」
俺たちはとぼとぼと道を引き返す。
道すがら、杏が俺を叱る。
「昼神、無茶が過ぎるよ。妖怪にあんな対応をしたら後が大変なんだ」
「だが、奴がやったことなら俺は撃っていた」
それは誇張なしに真実だ。
「異変で張本人を殺したら後で暗殺されるよ。異変では殺害はご法度なんだ」
「こっちは人死が出かけているのにか!?それでそれを起こした奴らは殺しちゃいけないのか?」
「駄目なんだよ。これは妖怪のお祭りなんだ。お祭りに殺人は駄目だろう?後で恨まれる」
「納得いかん」
奴らはお祭り感覚で人を殺していって、それがまかり通っているのか?
こっちは死ぬような眼にあっているのに、奴らはお祭りとしてヘラヘラ笑っているというのか!
ふざけるな、何様のつもりだ。
だが、一方で理性は告げている。所が変わればそんな奇祭もあるだろうと。
祭りに命を懸けて結果事故が起きたなんてものも珍しくは無い。
これもそういうものだというのか?
俺の怒りはそういう見当はずれなものなのだろうか?
「それよりも事が大きくなってきたね。
妖命に鬼院か。リゾームの要人だよ。妖命は異変解決者であり妖怪と人間の調停者。
異変が起きたら「妖命」が収集をつけて異変は終わる。そういう役割の家なんだ」
「特別な役職にあるってことか?人間なのか」
「人間さ。だけど、妖怪よりずっと強い。素のスペックで魔人に匹敵する存在だよ。
多分、これは鬼院が先代を魔人にするためにやったことなんじゃないかな」
「鬼院ってのは偉いのか?日本の代表といってたが」
「リゾーム政府のトップってことさ。外で言えばソウリダイジン?って奴じゃないのかな」
「敵はでかいな……」
「そうだね、大きい。だけどここで引くわけには行かない。
それに、こんな状況で僕らがこれを解決したら最高にかっこいいと思わないかい?」
生存がかかっている状況でそんな事を言っている場合だろうか?
どうにもここでは命が軽いようだ。
「とりあえず動こう。座して待つのは性に合わない。どこへ行けばいい?」
「妖怪の街だね。鬼院が術式を編むならそこだ」
雪は、降り止まない。
■
妖怪の街のどこかのビル。
和の雰囲気をあしらった最上級の部屋で二人の男女がいた。
「19区中から春を集めてその力で貴方を最高の式にする。
あなたは人類から魔人へと階梯をあがるのよ」
一人は鬼院楼蘭。リゾーム日本地区の「代表」、妖怪の頂点に立つもの。
緑のドレスが妖艶にゆれる。
「ふむ……私は無意味な延命を望んでいるわけではないのは君には解っているはずだ。
そもそも、「代表」と「妖命」が近づきすぎるのもよくはあるまい」
もう一人は先代「妖命」。老齢に差し掛かっているが矍鑠としており老いを感じさせない。
背筋がぴんと伸び、すらりと背が高い。なかなかのハンサムでもある。
「確かに。妖命を魔人化させるのは先例の無いことだわ。
ですけれど、これからの時代あなたが私には必要なのよ」
その言葉には単なる必要上のもの以上の、女としての情愛があった。
「ふむ……HALとその仲間たちの事かね?」
HAL。ここでその名前が出た。
昼神を救った男であり、外の魔術組織AXYZを率いる男。
「ええ、彼の計画と私の計画は外の世界もこのリゾームもあり方を大きく変えるもの。
世界は微妙なバランスの上に立っていて、私たちはその天秤を崩そうとしている。
これから先は20世紀以上の激動になるはずよ」
頼るように、すがる様にしかし気品だけは忘れずに先代に視線を送る鬼院。
「やれやれ、20世紀ではさんざん働かされたものだが……
まあ、良い。HALと刃を交えるのも悪くはあるまい。
以前より、楽しめそうだ」
先代は獅子のような笑みを浮かべた。
この男は単なる老齢の紳士ではなく、中に獣を飼っていると確信させる眼だった。
まだ、獣は死んではいない。老いてすらいない。
「だけどその前に娘の成長を確かめなくてはならないわね」
「然り。まったく、お楽しみが多くて困ってしまうな。
良い、良い事だ」
くくく、ふふふと先代は笑う。竜のように、獅子のように。
■
妖怪の街の中、ビルの間に壮麗に立つ「遊部神社19区社」の中で今代の妖命はため息を吐いていた。
雪のように白い肌、ポニーテールに結われた黒髪、雪原迷彩の戦闘服。
氷のように冷たく、刃のように美しい。
先代、父が消えた。
行き先はわかっている。あの女の所だ。
代表という地位と、「妖命」という立場はもともと接近しやすいものだった。
そこにあの女は入ってきた。
正直、どうでもいい。
齢60になる父が相手を見つけようと、その相手が「代表」であろうと別に好きにすればいい。
そもそも自分は母はいない。父も遺伝子提供者の一人に過ぎない。
私は私だ。只一人、遺伝子をツギハギされて作られたデザインベビーだ。
そのことにも恨みはない。血がつながらないとはいえ父にはよくしてもらったし、ある意味母である「代表」とも別に仲が悪くはない。
リゾームの管理人として強くあるためにただ強い遺伝子を求めただけ。
そんなもので私のあり方は変わらない。そのはずだ。
「父さんは血のつながっていない私によくしてくれた」
だが、あの代表の都合で父が人間を辞めるのは気に入らなかった。
あの人はどこまでも「強い人間」だった。
そんな所を尊敬していた。それをあの妖怪の都合でどうこうされるのは嫌だ。
老いようと衰えようと、あの人はそれを選ぶだろう。
そしてそれに付き合うのが私の親孝行というものだろう。
あの人を人として死なせてあげたい。せめて、死に際だけでも人間らしく。
あの人は一生をリゾームに捧げてきたのだから。
「父さんが人間を辞める……私は、娘としては嫌」
それに魔人化した父と戦うのも気が進まない。
迷いはあるのだ。あの人に人間として生き、死んで欲しいというのも娘としての身勝手だ。
あの人にはあの人なりの納得があって魔人になるのだろう。
それに父が不老長生を掴むと言うのならばそれはそれで喜ばしいことなのではないかとも思う。
あの人は「妖命」という役割、私という娘がいなかったらきっとどこまでも階梯を上っていっただろう。
そろそろあの人自身の人生を選んでもいいのではないかとも思う。
「でも、父さん自身の人生はどうなるの?
私がいなければ、役目がなければあの人はもっと上を目指せた。
それを今しているだけなのかも」
そして……あの幼馴染、小角杏は来るのだろう。身の程知らずにも。
あれは才気はある、努力もしている。涙ぐましいほどだ。
だが、彼女の出る幕はこの劇に用意されていないのだ。
きっと「代表」の手下によってたやすく妨害されてしまうのだろう。
それを思うと哀れみを禁じえない。
「杏、あなたはきっと来るんでしょうね。でも駄目、意味が無い。
これは家族の問題だから。あなたはきっと退場させられる。
この異変にチャンスはない、ないのよ……」「
父、母、友人。
人としての死、人の夢の不老不死。
娘としてのエゴ、父自身の選んだ人生。
それらの狭間で妖命はゆれていた。
「でも、行かなきゃならないんでしょうね。私も、彼女も。まったく、ままならないわ」
妖命は立ち上がり、戦支度を始めた。