竜の医院
鍬次郎が腕をやられたので俺たちは病院に行くことになった。
まあ、俺も杏も細かい怪我は結構していたので渡りに船だ。
病院は居留区から少し離れた山のふもとにあるらしい。
俺たちは装甲したダンプに乗って進んでいく。
車内には腕に包帯を巻いた鍬次郎がいた。
肘から先を欠損しているが、切断面は丸く肉で覆われており、骨や血は見えない。
「普通腕を切断したら骨や肉を切って手術するもんじゃないのか」
「昔はね。今は便利なものがあるんでさあ、増肉剤っていってね。
魔法薬なんでやすけど、こうスプレーみたいになってて吹きかければとりあえず傷は塞がるんですわ」
「なるほど、肉を埋めてくれるわけだ。止血もしてくれるみたいだな。
そういう所は便利な面もあるんだな」
鍬次郎はアルミでできた簡素なスプレーを振ってみせる。
古めかしい書体で「増肉剤・章尾堂薬局」と紙のラベルが張ってあった。
ここは科学文明だけではなく魔法文明とでも呼べる技術が発達し、科学やインフラの欠乏を補っている社会なのだ。
「さあ、見えてきたよ。あれが章尾山医院洞だ。
ここで唯一の医院といえるね」
杏がダンプを運転しながら微笑む。
わずかに楽しそうだ。知り合いに出会えるのが楽しみなとき人はこんな顔をする。
「知り合いがいるのか?まあ、こんな商売をやってたら知り合うしかないだろうけどな」
「まあね、医者の妹が友達なのだよ。素直でいい子だ」
「そうか、楽しみにしてるよ。あんたがそういうんなら、いい子なんだろうな」
「ああ、「きぶだ」はいい子だよ」
医院は洞窟をくりぬいて出来た中華風の建物だった。
邪魔にならない位置に車を置いて俺たちは医院の扉を入る。
扉一つとっても紅色に塗られ、細かい格子が張り巡らされている。
オリエンタルな趣味だ。
待合室も椅子こそ近代的なふかふかとした長椅子だが、青く模様付けされた白磁の壷が飾ってあったりしてどうにも圧倒される美がある。
センスはいいが、ここの主はどうにも貴族然とした主張があるのだろう。
待合室には数人の患者がいたが、あっというまに捌けて行く。
問診表を書くか書かぬかといううちに俺たちの番が来た。
「高石鍬次郎さーん順番です、どうぞ」
「いや、兵団の者たちだろう?面倒だ、まとめて来たまえ」
艶やかでなめらかな声がする。
発音はやや低く、声に厚みがあった。余裕と気品を感じさせる貴族然とした声だった。
診察室に入ると、白衣を着てそこにいたのは150cmほどの少女だ。
金髪をムースで固めてオールバックにし、一本だけウェーブのかかった前髪をたらしている。
鼻が高く高貴な雰囲気のするこの女性が医者なのだろう。
「章尾山先生、すいやせんね。腕をやっちまった」
「僕もところどころ縫わなきゃならないくらいの傷はあるかな、こっちは昼神太陽。新人だね。
傷の程度は同じようなものさ。もっとも、彼の場合自然に塞がりそうだけど」
章尾山という医者の少女は深くうなずくと静かに威厳ある声で語りだした。
「かまわない。自己紹介は不要だ、問診表に書いてあるからな。
では、座りたまえ、治療をしよう」
俺たちが背もたれのある椅子に座ると、医者は一人ひとりの額に手を置く。
「ふむ、なるほどな。この程度ならば問題はない。安静にしていたまえ」
医者が手をさっと振ると空間にノイズが走り、一瞬ブレたと思うともう傷はなおっていた。
鍬次郎の腕も嘘のように治っている。
「すごいな」
俺がつぶやいたのに対し、医者は当然だといわんばかりの態度で答えた。
「然したるものではあるまい。さあ、君たちは今のところ健康だ。
次の患者が待っている。帰りたまえ。
ああ……杏君はきふだと遊ぶならば裏から回って入りたまえ。
私はもてなせないが、好きにするといい」
「悪いね、先生。じゃあ遠慮なく入らせてもらうよ。ああ、昼神君もいっしょでいいかな?」
医者は一瞬忌々しそうな顔で迷った。
「……構わない」
杏は気安く頷く。
医院を出て、裏手に回り呼び鈴を鳴らす。
古風な紐を引いて鐘を鳴らすものだった。
鐘の重厚な音が鳴り、しばらくしてメイドが出てくる。
「杏様ですね、ようこそお越しくださいました。お召し物をお預かりいたします」
吸血鬼だろうか、妙に顔色が青白く、口に牙が見える。
だがそれ以外はこれぞメイドといえる清潔で折り目正しい服と態度だ。
「ああ、きふだにあわせて貰うぜ、月島さん」
「はい、妹様は今日はごきげんもよく、体調も問題ありません。
では、こちらにどうぞ」
メイドの案内で俺たちは屋敷の中を歩く。
板張りに赤絨毯の敷いてある豪勢な屋敷だ。
「それにしても、あの医者の腕前はすさまじいな。ここじゃ皆あんなものなのか」
俺の問いに対し、杏はなぞかけのような言葉を返した。
「蝋陰という妖怪を知っているかい?
竜の一種なんだけど、目を開けば昼となり、目を閉じれば夜となる。息を吹けば冬となり、吸うと夏になる。飲まず食わず、呼吸もせずに、息をすれば風が吹き荒れる。
彼女はそれなんだ。わかるかな」
それはまるで神か、世界そのものだ。
「つまりは世界の理を支配する能力、か?
すべてが彼女の意のままに改変できる」
文字通りそれが世界を覆いつくすものだとしたら。
空恐ろしいものを感じる。
「そのとおり。射程距離はせいぜい5m半径くらいらしいけどね。
彼女は射程距離にあるもの全てを自在に改変できる能力があるんだ」
加えて、あの鬼熊ほどではないにしろ人間離れしたパワーもあるのだろう。
妖怪とは、そんなやつらなのだろうか。だとしたら人間が太刀打ちできないのも理解できる。
「妖怪ってのは皆そんなものなのか?」
「上位の連中はね。その上とんでもない身体能力もある。
だから妖怪がこの世界を支配しているんだ」
どれくらい歩いただろう。広い屋敷だ。
メイドがある扉の前で立ち止まった。
札により厳重な封がしてある。
「こちらです」
「子供部屋か」
「そんなものさ。さあいこう」
さてこんな部屋にいる子供とはどんなものだろうと思っていたら案外普通だ。
あの医者を白髪でショートにしたらこんな感じだろう。
150cmあるかないかという小柄な体。
だが、雰囲気はまるで対照的だ。あちらが重厚な年月を思わせる貴族ならばこちらは無垢な子供だ。
まるで、外見と年齢が一致しているかのように。いや、むしろもっと子供かもしれない。
この雰囲気はどこかで見たことがある。
「おお、あんがきたぞー!何して遊ぶかー?きふだはおえかきしてたぞ、えらいかー?いいこかー?」
「ああ、きふだはいい子だよ。お手玉を持ってきたからこれで遊ぼう」
杏は帽子からお手玉を出してひょいひょいとジャグリングしてみせる。
「おおーあんはえらいなーすごいぞー」
「練習すればきふだにもできるとも。さあ、まずは一個から投げてみたまえ」
「お嬢ちゃんはえらいねえ、今日は飴玉をもってきやした。お食べなさい」
「んまいなあ!くわじろうはえらいなー」
鍬次郎が飴玉をきふだに何個か差し出す。
子供部屋の雰囲気は幼い子供のそれだ。乱雑に散らかり、おもちゃやファンシーな家具で一杯だ。
ここで、この子の雰囲気を思い出した。障害児のそれだ。
「鍬次郎、この子は……」
「旦那の思ったとおりでしょうよ。心が5歳くらいで止まってるんでさあ。
なりは14、5才てところでしょうがね」
「そうか、だが愛されているんだな。素直に育っている
……治せないのか?」
「先生の能力もこの子には効かないそうで」
「……だろうな」
きふだに卑屈さや捻じ曲がった心は今のところ見当たらない。
純粋で、無垢で、素直な子供だ。
それは愛されて育ったからだろう。それは彼女の姉であるあの医者によるものが大きいのだろう。
そして、医者であり彼女を愛するものが何もしなかったはずがない。
それでも治らなかったからこの現状があるのだろう。
だが、きっと彼女は不幸じゃない。
「おてだまできた!おえかき!おえかきするぞー!ほいほほいっと!できた!んまいか?」
きふだはお手玉を何度か投げると杏に渡し、スケッチブックに向かって色鉛筆でさらさらと何かを書き始める。
極彩色のそれは恐るべき正確さと独特の感性によってアレンジされたお手玉の絵だった。
「ほいっと!」
きふだがとん、とスケッチブックを押すとぽこんと絵に描かれたお手玉が実体化して出てきた。
「もういっこできた!んまいか?」
「ああ、上手いとも。いいセンスだ」
「いいセンスか!えらいか!」
きゃっきゃっときふだが笑う。
「これがきふだの能力なのか?」
「そうとも、「万物を創造する能力」が彼女の力なのさ。
さあ、君も見てないで遊んでやりたまえ。
きふだ、これは僕の仲間で昼神っていうんだ。仲良くしたまえよ」
「あ、ああ……昼神だ。よろしくなきふだちゃん」
きふだはしばらく俺をじっと見ていたが、スケッチブックのページをめくりとんとんとたたいた。
描かれた飴玉がころころと転がり、きふだはその一つをつまんで俺に渡す。
色がさまざまに変化するオーロラを丸めたような飴玉だ。
「んー……これあげる!」
「飴玉か?ありがとうな」
「んまいぞ!」
杏を見るとうなずいた。食べられるようだ。
「食べたまえ、なかなかいける」
食べてみると塩味と甘みと果実の香りが混じった不思議な味だった。
だが、悪くは無い。
「んまいか?んまいか?」
「ああ、うまい。お礼に肩車しよう、怖くないか?」
「かたぐるま!かたぐるま!たかいぞー!」
それからしばらくきふだと遊んで俺たちは帰った。
その帰りの車内のことだ。
「いい子、だったな」
「ああ、いい子だ。僕たちが守っているものでもある」
「そうだな……」
空気が澄み渡り、星が美しかった。
少しだけ誇らしい気分になれた。