神隠し
トンネルを出たら異世界だった。
そんな言葉が現実として俺の前に横たわっている。
目の前には密林。
俺にあるのはバイクとスマートフォン。あと財布にカバン。
それだけだ。
俺は休日を利用してバイクでツーリングをしていた。
トンネルを出たらこの通り、密林の中にいた。
背後を振り返ってみてももうトンネルはなかった。
あいにくと、この状況に対する答えは俺はもっていない。
とりあえずバイクを止めてケータイを見てみる。
おや、アンテナが立っている。
こいつはラッキーだ。ナビで位置を確認してみると……
「検閲済み、不明な場所です」
とあった。
不明な場所、たしかにその通りだ。
周りの植物はTVでみた屋久島かカナダみたいに日本の普通の山ではおおよそ見かけない巨大な代物で、
コケに覆われた地面は永い間人が踏みしめていないことを意味する。
だが検閲済みとは何だろう?
だれかがこの場所を知っていて、検閲したというのだろうか?
さて、どこに電話したものだろうか。遭難は110番だったろうか?
そんな事を考えているとみしりと枝を踏みしめる音がした。
振り返るといたのは密林に不似合いなガーリーな格好をした少女だった。
「はぁい、こんにちわ。道に迷ったの?大きなお兄さん」
さて、どうしたものか。
この少女も、状況も異常だ。
だが、とりあえずはなるべく普通に接してみるのが相手を刺激しない方法だろう。
俺自身の冷静さを保つためにも。
なにより、いちいち大げさに驚いていて疲れるだけだ。
よく豪胆といわれるが、俺としては単に開き直っているだけなんだが。
「そんなところだ。お嬢さん、できれば街なり大きな道になりでる道を教えてほしいんだが」
少女の背丈は140cm弱だろうか。2m近い背丈のある俺からすれば物理的に話しにくい。
「ここがどこだか知らないんだね?」
「ああ、解らない。バイクで東名を飛ばしていたらここにいたんだ」
「じゃあ里……この町の人間じゃないし、外の魔術師でもないんだ」
「魔術師?俺にはオカルト趣味はないな。もちろんこの街の人間でもない」
少女が笑う。
「つまりあなたは……食べてもいい人間なのね」
彼女が可憐な口を開くと、ノコギリのような牙が見えた。
「君は一体何だ?」
「妖怪。ふふ、獅子のような偉丈夫ね。これは食べ出がありそうよ」
少女が飛び掛ってくる。鍛えられた大人でも出せない人外の速度だった。
思わず腕を出して防御するが、すさまじい痛みが走った。
少女は万力のような力で噛み付いて放さない。
俺が腕を振り回して振り払うと、そこにはヤスリをかけたようなひどい傷があった。
血も洒落にならない勢いでぼたぼたと落ちる。
とっさに反撃で俺は少女の目に指を突きいれ2、3心臓とのどに蹴りを入れる。
大の大人でも死に至るえげつない連撃を食らわしても少女はダメージらしいダメージも無く立ち上がってきた。
「えげつない技ね。こんな子供にも容赦なくするなんて、人でなし」
その笑みに俺は本能的に敗北を感じた、許せないことにだ。
このまま何発も入れてもなんら意味はないのではないかと。
「くそっ何だってんだ一体。悪いが付き合ってられねえ」
俺はバイクに乗り悪路を無理やり走行して逃げる。
ミラーを見ると、そこには少女が時速30kmはあるだろう速さで向かってきているのが見えた。
「いよいよバケモノだな」
だが運が幸いした。比較的慣らされた獣道とでも呼べそうな場所に入り、少しは速度が出せた。
少女はそれ以上は速度を出せないようで徐々に差が開いていく。
しばらく走ると、その姿は見えなくなった。
そのとき、スマートフォンが振動した。
少しためらって、イヤホン型の通信端末で受ける。
「もしもし」
「こんにちは、災難だったようですね。
詳しい説明は省きますが、今の状況をなんとかする手札を我々は持っています」
なめらかな男性の声だ。
それなりの年齢を感じさせる低さをもっている。
「あんた、何だ?」
電話の男は慇懃に答えた。
「そちらの状況は把握しています。我々はAXYZ。
そのような超常現象に対抗するための政府機関です。
現在、救出交渉をしていますが、三ヶ月ほどかかるでしょう。
その間、私HALがあなたがたをナビゲートします
よろしく」
「よくわからんが、政府の人間なんだな?」
「そういうことですな」
「それで、あんたが何をしてくれるんだ」
HALと名乗った男はおだやかな声で諭すようにいった。
「落ち着いてください、先ほどの妖怪が追いつくまで約60秒の時間があります。
まずスマートフォンを見てください」
懐から取り出してみると、メッセージが表示されていた。
「AXYZ試作都市制圧用アプリ「ニグレド・オーヴァル」をダウンロードしました。使用しますか?」
都市制圧用。頼もしい響きだ。
即座にYESを押す。
スマートフォンからどろりと水銀のようなものがあふれ出て、驚く間もなく形を形成していった。
ぐらりと体が傾きかけるが、そこは持ち前の身体能力と勘でなんとかする。
液体化した金属によって形成されたものは一本の刀だった。
目の前で起こった驚異に対し、俺にあるのは恐怖や動揺ではなく興味だ。
なんにしろ俺にとって有利そうな事だ。素直に賞賛しよう。
「ひゅう、こいつはすごいな。刀か、これでなんとかしろって?」
「いえ、こちらからその刀を操作します。あなたは構えているだけで結構です。
バイクを止めて降りてください。迎撃します」
「ああ、やられっぱなしは性に合わないと思ってたところだ」
俺はバイクを降り、刀を構えた。
事はそれだけで済んだ。
刀がにゅるりと伸びてはるか彼方の敵を突き、剣先が糸のようになって少女をバラバラにした。
かなり遠くだったが、その様ははっきり見えた。
自分でも驚くほど冷静だった。
「やっちまったか。まあ人間じゃないみたいだし、いいのか?」
「正当なる防衛です」
HALはしれっと答える。
どうも飄々とした奴のようだ。
刀が縮み、元の形になると今度はさらに小さくなってついには黒鉄色に輝く卵型になった。
大きさも卵くらいだ。
スマートフォンを見るとナビが復活していた。どこだかわからないがここの地図が写っている。
「現在、マップが表示されています。矢印があなた、バツ印が敵性存在です。
私のナビゲートに従い目的地まで進んでください。
人間の居留区があります。その内部では妖怪に手出しをされることはありません」
ひとます安堵した所でこいつに疑問が出てきた。
あまりに都合がいい存在じゃないか?と。
あるいは、本当にこいつを信じていいのだろうか?
受け入れるだけで鵜呑みにしていて良いのか?
「それはいいが……あんた、何だ?俺に何が起こっていてここはどこだ。
きっちり説明してもらうぜ」
HALは淡々と答える。冷静に、冷徹に。
「わかりました。説明いたしましょう。
ただし注意をそらさず、油断せずに目的地までたどり着いてください。
できますね?」
「誰に言ってやがる」
俺は事故のときのために用意していた布を当てて止血すると、再びバイクをスタートさせた。