カデンツァ 完結編 3
自分の部屋の椅子に座り、肘掛に腕を置いて黙ったままでいる。
そこへ1人の部下が入って来た。
「アイツら、あのまま帰して良かったんですかね?」
「ええ?……ああ」
「ほんまに警察行ったりせぇへんのかな。大丈夫かな」
「うん。……ああ」
あの2人の遣り取りの中、あそこに琢磨が入っていることを想像してみた。
……実にしっくりきている。
誰がどんな方向で見たところで、琢磨の居場所はあそこであり、自分の懐ではない。
「アイツらほんまに会長のトコへ行きますかね?っていうか、コッチとしちゃ早う連れてってもらいたいもんですよねぇ」
「え?誰を?」
「イヤ、誰って松本ですやん。秋月さんも大変でしょ。中学生なんか連れて仕事するなんざほんま、会長も何考えとるんやら」
「………」
あの2人にああいう返事をし、2人にとっての進展をさせぬままここから帰した、自分の態度。
誰を思い、誰のためなのか。
計算した上での勝算ありきの行動なのか。
勝算……
……勝算?
何をもって勝利?
人に迷惑を掛けないで生きていくというのは非常に難しい。
いろいろ考えた上で、やはり俺も相当な我侭である。
「そうやな……連れて帰るかもしれんなぁ……」
誰にともなく、そう呟いた。
―――― 奈良の大仏を目の当たりにする。
この辺は少なからず経験として勉強になるのではないか、そう思いました。
柱に彫られているという原寸大の大仏の鼻の穴と同じ大きさの穴。
その穴を通り抜ければ、うんたらかんたら。
それには然程興味はありませんね。
更に五重塔。
盆地である京都には、夏か冬に行ってみたいなぁとは思っていましたが。
いろいろと考えることはありますが、修学旅行は辞退することにしました。
旅行の5日間で他にできることがあると言うお父さんの意見に、概ね同意することができたからです。
僕は常々こう思っている。
それでなくても、人一人が成人するまでに多額の投資がされているというのに、無駄な散財は身分上避けるべきであると。
人それぞれの事情はあると思いますが、自宅でピーピー騒いでいると、親が勝手に丁寧に口移しで餌を与えてくれる。
自分で箸、フォーク、これらを扱えるようになったところで、両手放しでただただ餌を与えてもらうという現状には変わりがないのです。
親のこれらの行為が純粋な愛であるのか、世間の目を気にした類稀なる義務なのか、それとも上質に仕上がった本能なのか。
親の経験のない僕には分かりかねる部分ではありますが、与えられる側である以上、少しは考えるべきだ。
自分は今、借金をしているのだということを。
借りたお金は返さなければならない。
少なからず親にはその期待もあるものと考えるべきだ。
高校野球がテレビで放送されているのを見かけたとき、僕はいつも思います。
この学生一人ひとりが小学生から野球を始めたと計算して、道具の費用、部費。
あの新潟代表の学生が甲子園のある神戸に来るまでの遠征費。
これらをざっと足し算したときに、一体いくらかかっているのだろうかと。
あのボールは1個いくらするんだ?
あの帽子は?あの靴は?
バットは?グローブは?
野球のルールすら知らない僕が、この辺を唱えるのはおこがましいんでしょうか。
僕はなるべく家でピーピーと叫ばない。
物は欲しがりません。
多額の資金を投入し、高校まで野球をやったところで、
野球だけとは限らない。
水泳、柔道、サッカー。
将来それでお金を稼ぎ、自分がした借金を返せるとは僕には到底思えないのです。
部活の帰り道であろう、野球部であろう人たちが帰り道に集団で買い食いをしているのを見かける。
実に無駄な時間だと思うと同時に、帰れば夕飯が用意されているだろうあなたのその手に持たれているパンやお菓子は、一体誰のお金で購入したものなんですか?
遠巻きながら、そんな視線で彼らを見ている。
心配はしないでください。
こんな一概で他人には受け入れられない意見を持っている自分は、世の中の一片にすらなっていないことは重々知っています。
そしてこれらが異質であることも理解している。
何故なら僕は帰り道に「さようなら」と言う相手すらいないのですから。 ――――
昼間の喫茶店の片隅で、2人は向かい合って座っている。
「え?でもコレって……アレ?借地権の主張してくるん違うの?」
「イヤ、だからそれをさせんために、こっちが先に抵当権打ってしまうんやないか」
「あー…」
「まぁ要するにや、こっちが新しい地主になってしまうワケよ。債務不履行でな、この土地が競売にかかったときにやな…」
直樹の言葉に頷きながら、ひたすらノートに記している琢磨。
「お前、ソレ何やっとるん?」
「え、何やっとるんって、覚えるためにメモしとるんやんか。…メモ?これもうメモのレベルと違うな。こやって書いといて、帰ってから何回も書いて覚えるんよ」
「ふーん」
「俺、大分アホやから書かな覚えんし。土地の権利関係とかああいうの、難しすぎんねん。まとめてメモ持っとかんと忘れてまうからなー」
「……まぁお前がそこまで覚える必要はないんやけどな」
「何でや?知らんより知っとる方がエエに決まっとるやん」
「そやけど、お前1人の時にお前がこういう問題抱え込むことなんかないやろ?」
この間も琢磨は直樹と目を合わせることもなく俯き、ノートにペンを走らせながら応答している。
「まー、ニイニイはそう言うかもしれんけど、知らんより知っとった方がエエやろ。人はなー、1人ん時に強うないと意味ないからなー」
「……お前もそう思う?」
「え?何が?何でも知っといた方がエエってこと?」
「え、イヤ、1人の……あ、イヤ、ちゃうな、……そうそう」
不快ではない。
不意に発せられる言葉に、ふと立ち止まること。
傾ぐこと。
少し前よりは上手になったと自負している、コイツとの会話。
何気なくコイツから情報を引き出すのも、上手くなったのではないか?
「お前、地元にツレが2人おる言うとったな」
「おるっていうか……『おった』や、『おった』」
「……ま、そらどっちでもエエ。どんなヤツらや?」
「どんなヤツらって、1人は野球好きで、1人は妙に勉強ができるな」
「いつからのツレや?」
「小学校から」
琢磨はそこでノートに向かうのを止め、顔を上げて直樹に話をし始めた。
「野球好きの方は幼稚園から一緒なんやけど、遊ぶようになったのが小学校の低学年で、もう1人の勉強できるのがその頃転校してきたんや」
「ほー…で?その2人もお前みたいな、そんなヤンキーみたいなカッコしとるんか」
「だからヤンキーちゃうって!……イヤ、野球好きのアイツは当然坊主で、もう1人は髪の毛立てて、こーんな頭しとるわ。アイツ、背ェ低いからちょっとでも身長高う見せるように、こーんな頭しとんねん」
「そうか。その2人もお前みたいにケンカ強いんか」
「お前みたいにって。俺が強いかどうかは分からんけど、ヒロは強いなー。…あ、野球好きの方ね。俺が何ぼ顔面ドツイたっても、絶対倒れんからなー。ありゃ首が太いから、脳が揺れんのやろなー。俺なんか1回も勝ったことないよ」
「1回もってお前、ツレ同士でそんなドツキ合いのケンカ、何回もするんか」
「あー、まぁ些細なことやけどねぇ」
「その後こじれたりせんのか」
「こじれる?まー、その場で俺の勝ちや・俺の負けやってちゃんと言うから。その後は普通にするよ」
「………」
「ヒロは高校生とかヤ○ザとか関係ないからな、アイツ。負けたことないし、当然俺も勝ったことない。0勝。0勝何十敗」
身振り手振りを加えつつ、表情を変えながら話をする琢磨。
そんな彼を、ずっと見ている。
「ほんで?こーんな頭したのはどんな子なんや」
「アイツはねぇ…」
話の持って行き方、持って来られ方。
場合によっては、コイツはその友達2人がいる場所へ帰ることになるだろう。
あの2人があの後穂積の元を訪れたかどうか、どのような手段を取ったのか、全てその状況の場合による。
あれからどうなったのか、俺はまだ知らない。
―――― お二人がどんな地で、どのような生活をしているのかは知りませんが、勉強していると知らぬ間にこんな時間になってしまうことがあります。
お二人はまだおやすみ中の時間だと思いますが、初めて見る景色でしたので記しておこうと思いました。
カーテンを開けると、見慣れた景色がとても青いのです。
これまでも、こんな朝方まで起きていたことは何度もありますが、冷静に景色を眺めたことはなかった。
夜の残像なのか、日の欠片なのか、窓から見える景色がとても青いのです。
人の往来もなく、とても綺麗な景色でした。
花を愛でる感情や、動物を愛する心を所有していたつもりはないのですが、その空間に少し感動していた。
僕はその景色を数分眺めていたのです。
が、その光景に一台のバイクが侵入してくる。
とても邪魔だと感じたのですが、ここでこの景色もやはり現実の今日であるということを思い出さずにはいられなかった。
新聞配達の方です。
知っていたのに知らなかったとでも言いましょうか。
こんな時間に、もう働いている方がいる。
今から寝ようとしている僕を尻目に、仕事をしている方がいます。
正直焦りました。
ああいう現実を見る度に、早く前へ進まなければとソワソワという動悸が治まらなくなるのです。
お二人もそうでしょうか。
僕は今のお父さんとお母さんに、『お前は鵜飼の鵜である。飲み込まずに吐き出せ』
そう言われたら、黙って従うでしょう。
現段階の僕は、父と母にその言葉を言われたことがまだありません。
それはすなわち、僕にはまだその価値もないということなのです。
勉強は誰の為にするのか。仕事というのは誰の為にするのか。
そんな問いには一片のセンスも感じない。
誰が為に
他の為に
先ほどの新聞配達のあの方が、新聞を一部部屋に届けることで、一体どれだけの人が助かっているのだろう。
誰が為に
他の為に
大人になれは理解できるだろう、そんな考えは自分の中でタブーなのですが、永遠のテーマにしない為、心に刻み込んでおきたいと思います。
早く1人で立ち上がらなければ。
懐刀は一本とは限らない。
1人でいようが誰にも負けない外装と懐を。
1人でいるときに襲われ、負けてしまっては、この時間も無駄になるのですから。 ――――
自分の機嫌や起伏の在りどころで、仕事の出来不出来が決まってしまう。
そんな自分ではいたくないと常々思っている。
が、それに反し、はかどらないと放置していたデスクワークが山のように溜まっていた。
直樹はそれらの仕事を処理するために、朝から机に向かいっきりだ。
ふと事務所の壁に掛けられている時計に目を遣ると、時刻は15時前。
6時間……7時間やっとるんか。
はかどらんな。
琢磨の友達、あの2人が本当に穂積のところへ行ったのかどうか気になっている。
確認するのは容易いが、なかなかそのように動けない。
この辺りの自分の性格も、自分にとっては喧しい以外の何物でもないと理解はしていた。
手を止めたまま、並べられた書類に目を落とす。
焦点が合わず、文字が掠れ二重になり、しかし瞬きでそれを止めようともせず、頭からなかなか退かない琢磨の件、それからメグミのことを考えていた。
今日出社前、部屋のドアを開けると、そこにメグミが立っていた。
彼女の姿をちらりと見ただけで直樹はすぐに背中を向け、ドアの鍵を閉める。
「……どないしたんや。こんな時間に」
「えーっと、シフトが…」
「お前、今日も仕事やないか。寝んでエエんか」
昨夜から降り続いている雨音に掻き消されないほどの声音で、背中越しにメグミに問うた。
「直樹くん」
その呼びかけに直樹はようやく振り返り、メグミと目を合わす。
「あんね……今日めっちゃ……うん、そうそう。私にとっては、めっちゃ重要な話があるんやんか。夜、時間取れる?」
「………」
いつになく神妙な面持ちではあった。
だからお前、今晩はシフトが入って……
それらを考え、直樹の出した答えは、
「分かった。30分くらいは空けれるやろ」
直樹の返事に少し間を置き、メグミは「うん」と肯いた。
それが今朝の話。
直樹は二重に見える書類の文字から目を離さないまま、彼女の言う『重要な話』について頭を巡らせる。
「………」
そこへ、そんな直樹の様子に構うことなく、部下が大声で話しかけてきた。
「秋月さん!秋月さん!!」
「は?」
「これこれ!!」
部下は手に持ったカレンダーの2月を捲り、直樹に見せながらバンバン!とそれを叩く。
「は?何や?」
「2月が29まである!来年閏年ちゃうやろ!」
「あー…ハア」
「一体どがいなミスしとんねん、アソコのオッサン!!気づけや!コレ刷り直しやんけ!!」
「あー…」
「ええー、ちょっと待って。一体いくらのマイナスが出るんやコレ!200は出るよな…」
「あー、うん」
「あ、あーって、秋月さん!最低でも200やぞ!?しかも何でこんな早うに来年のカレンダー印刷させとんねん!コレ、秋月さんがやらせたんちゃうんか!」
「イヤ、あの工場のオッサン、仕事がないっちゅーからな」
「仕事がないからって!コレ、製版も頭悪いし、印刷も気づかなアカンし!まったく……あいつらに全部被ってもらおうか」
「………」
「ウチが被る必要ないやろ?ねぇ秋月さん!」
「ほんならお前、そのカレンダー、閏年のときまで置いといたらエエやないか」
「エ!!何て!?」
「だから、使える年まで置いときゃエエやろ」
「…………イヤ、19××ってもう書いてもうとるやん。曜日が合わんやん」
「ん?」
「大丈夫か、アンタ……」
「何が?」
「………」
その時、突然事務所のドアが大きな音を立てて開いた。
皆が振り返ると、そこへ立っていたのは琢磨。
全身ずぶ濡れで、足を引き摺っている。
部下の1人が琢磨に向かって驚いたように声を上げた。
「どうしたんや!?足怪我しとるんか!あ、鼻血出とるやん!」
「あ、うん、ちょっとね…。何か仕事してるとこごめんなさい。静かにしてるんで、ちょっと隠れさせてください」
「ハア?誰かに襲われたんか?あ、唇めっちゃ切れてるやないか。ちょっと待っとれよ」
びっしょりと濡れた上流血している琢磨に、タオルを渡す者、救急箱を持って来る者がいる。
受け取ったタオルで頭をごしごしと拭いている琢磨に直樹も近づき、声を掛けた。
「何や、何があったんや?」
「イヤ、ちょっとケンカっていうか…」
「そんなトコ座っとったら邪魔や。ちょっとこっち来い」
「あ、うん」
琢磨は持っていたタオルを「ありがとう」と再び部下に返して、直樹の後をついて来る。
琢磨を呼んだのは、事務所の奥にある直樹の個室。
直樹はソファに座ると、自分の向かい側を指差して琢磨に言った。
「まぁソコへ座れや」
「イヤ、俺濡れてんで」
「エエから」
「………」
琢磨は遠慮がちにソファへと腰を下ろす。
「誰にヤラれた?」
「………」
「ウチの会社の関係で襲われたんか?」
「………」
「お前が個人的にやったケンカか?」
「………」
「どっちや。隠しても為にならんぞ」
「イヤ……それが分からんっちゅーか……」
「………」
「知らん人やった。道場行こう思うて、あの俺が寝てるあの遊具あるやん。あっこから出たらイキナリな…。傘ボロボロになるし、どないせぇっちゅーねん」
「フー……それで?ボコボコにされて逃げてきたんか」
そこで琢磨の表情が少し変わった。
声のトーンが一つ上がる。
「一旦な!」
逃げたと表されたことがカンに触ったんか。
「一旦って何や。やり返すん?」
「当たり前やんけ」
「どこの誰か分からん言うたやんけ、お前」
「そんなもん……探すよ」
「どうやって」
「………」
直樹はまた溜息を吐きながら立ち上がり、デスクの背後にある窓へ近寄った。
雨足はなかなか衰えない。
グレーの雲は空全体を埋め尽くしている。
「お前がウチの会社のことでな、イビられたんやったら、黙っておれんのやが…。ガキのケンカやったら、そんなモンよう面倒見れんで」
琢磨もソファから立ち上がる。
「面倒なんか見てもらわなくていいよ。1人でやる!」
直樹は振り返り、琢磨を見た。
「じゃあ何でここへ来た」
「………」
「じゃあ何でここへ逃げて来たんや」
「………」
直樹はほんの一つ、自分の内で噛み締める。
「お前、地元に自分よりケンカの強いツレが1人おる言うとったやないか。ソイツに助けてもろうたらエエんちゃうんか」
「ハア?何やソレ」
「何やソレって、聞こえとったやろ。そのまんまや」
「そんなん無理に決まってるやん。言うたやろ、『前、ツレやった』って。今はツレなんかおらんよ。1人や」
その応えに、直樹はデスク上のボールペンを手に取り、琢磨目掛けて投げつけた。
しかしそれは琢磨ではなく、壁にカツッと当たって割れ、落ちる。
インクが壁に黒い染みを作った。
微動だにせず、直樹をじっと見つめたままでいる琢磨。
「なぁお前」
「何や」
「お前、一応人やんなぁ?」
「ハア?当たり前やんけ」
直樹は窓から離れると再びソファへと歩み寄り、テーブル越しに琢磨にグッと顔を寄せた。
「一つエエこと教えたろか」
「……何よ」
「人で生まれてきたモンがな、この世で1人なんていうことはありえんのじゃ」
「………」
「お前、どっから生まれてきたんや。石の割れ目からニュッと出たか。臍の緒ちょん切ったの誰や。そのお前が着とる服作ったん誰や。お前が昨日食ったモン作ったの、誰や」
言い様、琢磨の胸元を掴み寄せる。
「どこの天才か秀才か知らんけど、あんまり世の中ナメんなよ。お前のできることなんざ、世の中の出来事の何億分の一や」
「……何が言いたいん」
何が言いたい?
ほんまやな。
何が言いたいんやろな。
「お前はほんまに俺に騙されてへんのか?泣きっ面、吠え面、お前がその辺かましてる時はもう終わってる時やぞ。大丈夫なんか。お前はほんまに俺に騙されてへんのか?」
言い終えると同時に、琢磨が直樹の手を勢い良く振り払った。
そのまま彼はこちらを一瞥もすることなく無言で部屋を出て行き、乱暴な音をさせてドアを閉める。
「………」
後に残ったのは、自分だけが感じるのだろうどこかよそよそしい空気だけ。
……何が言いたいのか。
俺は今確かにアイツに、友達のところへ帰れと言った。
うんと遠回しではあるが、アイツにそう告げた。
アイツがそれをどう判断するのか。
それは俺にも分からない。
直樹はしばらくの間、閉じられたドアをただぼんやりと見つめていた。
―――― 今日、下校している最中のことなのですが、聞いていただけますか?
5匹の子猫がダンボール箱に入れられ、捨てられているのを見つけました。
こういう光景を目の当たりにするのは初めてだったので少し驚いたのですが、ダンボールの底には丁寧にバスタオルらしきものが敷かれていた。
これを見た時、僕は一体どう思うべきだったのでしょうか。
ダンボールに入れられているということを考え、間違いなく人間の仕業。
捨てたにも関わらず、寒かろうとでも言わんばかりにタオルが敷かれている。
あれは誰に対する、何の為の保険なんですか?
子猫を捨てるという罪悪感に打ちひしがれてしまいそうな自分の心を、あのタオルで誤魔化したのでしょうか。
幸い僕には花や動物を愛でるほどの心意気や余裕がないので、この子猫に関して思ったのはこれだけなのですが、更に続きがあります。
その子猫が入れられていたダンボールの後ろに、葬式会場への看板が立て掛けられていたのです。
この家の方がお亡くなりになり、看板が立て掛けられたのが先なのか、あの子猫たちが捨てられていたのが先なのか。
どちらが先にしても、何故あの場所なのか。
猫と人間を同等に扱うつもりはありません。
これは別に猫に対する侮辱ではない。
僕が人間だから、同等に扱うつもりがないだけです。
ただ生まれたてのものと、この世から消えたものを同じ場所で見たような不思議な気持ちになりました。
僕はあの葬式会場の案内看板を見つけると、道草と知りながらもその矢印が示す方向へ進んで行き、どの家の方が亡くなったのか確認をしてくる癖があります。
今のお父さんとお母さんは健在であるのですが、もし万が一亡くなったのが『お父さん』か『お母さん』ではないかと気になるのです。
こんな雑魚な僕でも、人は死んだら終わりであるということは知っています。
少なくとも、今ある形で明日を知ることはない。
明日、NASAが鉄腕アトムばりの高性能ロボットを開発した。
明日、どこかの大学が毛髪増長剤を開発した。
明日、どこかの病院が100%癌を治療する技術法を見つけた。
死んでしまっては、そんな明日はないわけです。
僕は常日頃、死というものは従兄弟、もしくは二従兄弟のような関係であると思いながら生きている。
いや、思いながらではない。
そういう暗示をかけていますね。
これは恐怖心からなのか、それともただ必ず来ると信じる明日をこの目で確認したいのか、はっきりとは分かりません。
死というものは、人それぞれ必ず一つ備わっている。
それを知りながら、自分だけは今死ぬはずがない。今じゃないなら明日もないだろう。きっと明後日も。
そんな風に考えている。
何だったら、今出た意見も普段は忘れている始末です。
皆は一体どうやっているんでしょうね?
直面した時に慌てふためくのは嫌なので、少し考えておきたいものです。
日記などは保管しておくべきではない。
これまでと同様、下着はいつも綺麗なものに。
通知表だけは分かり易いところに置いておきましょうか。
結局のところ、僕は死というものが理解しきれていない。
ただ漠然と、何かを遣り尽くした後に、粋な形でぽつんと置かれているものであればいいと思っている。
僕はそんな雑魚なのです。 ――――




