試 1
新幹線代が高額であるということを、また改めて認識した。
もっと安い移動手段があるのは知っていたが、一刻も早く
あのじゅうたんやスリッパやカーテンや
あの窓から見る邪魔な電柱や
それらのものを、とにかく早く払拭したかった。
自由席に座り込み「会いに行くよ」と一人呟く。
……そういえば、一昨日も昨夜も寝てないんだった。
忘れてたよ。
あっちに着くまでの数時間眠ろうと思ったが、案外人が多く、発車して1時間もしないうちに直樹の隣には見ず知らずのおじさんが座っていた。
眠れない。
この眠れないのは、このおじさんのせいにするのが都合がいい。
そう思い、窓から外を眺めることにする。
「あの時」とか「その日」とか「明日」とか。
「もし」とか「たら」とか「れば」とか。
「しかし」とか「それじゃあ」とか「違う」とか。
……思い起こせば、言うことがたくさんあったよな。
そんな気がする。
そうやって頭の中で揉みくちゃにし、ぎゅっと握り締め、一箇所に寄せて……。
……いや、特別やない。
心配するなって。
俺はそこまで愚かじゃない。
誰のせいでもない。
「もし」と言い、「たら」と言い、「れば」と言い、
握っては広げ、握っては広げ……
直樹はこの移動中、そんなことばかりをしている。
……現実のものとし、今後一体俺は、
それを乗り越え、更にその先にあるもの……
父に急須をぶつけられた額がずっと痛む。
風景を凝視していたはずの視線は、いつのまにか窓枠に固定される。
自分の今後についてはまだ考えられないでいたが、ようやく慶也のことを考えるタイミングを見つけた。
一週間ほど前、慶也は話していた。
何だか疲れてきた、と。
頑張れば頑張るほど、成績で上位へ行けば行くほど、周りの人間が離れて行く、と。
「テストなんて、勉強すればするだけ点数に表れるだろ?何で、頑張って嫌味を言われなきゃいけないんだ。
妬みっちゅーか嫉みっちゅーか……みんなスゲェよ、そういうのが」
直樹は、それは無視するしかないと考えていた。
だが慶也の性格を考えると、無視することはできないだろうとも思った。
「勉強のできるヤツが集まった学校でも、1位から最下位がおるからな」
それは永遠のテーマだとも言えず、慶也のことを考えてそう言ったのだ。
「なぁ慶也、しばらくグローブとボール、触ってないんじゃねぇか?キャッチボールでもするか?俺に教えてくれよ」
一週間前の遣り取り。
たった、一週間前。
……そうやねん。
誰も彼も、みんな必死なんや。
直樹が向かうのは、当然パクとタケシの住むあの街。
行っていいのかどうなのかは分からないが、もうあそこしか行くところがない。
直樹はパンパンになったカバンを抱いたまま席に座り、
まだ着かないか
まだ着かないか
そう思いながら、目で追えない景色を見つめている。
寝不足が祟ったのか。
乗り物酔いした、そんな気分だ。
やがて新幹線が停まった。
ようやく着いた。
取り合えず、タケシの勤め先を直樹は知らない。
直樹は電車を乗り継ぎ、パクの元へと向かう。
なるべくお金を遣わないようにとそう思い、駅からは見慣れた街を歩いてパクの職場へと向かう。
そう。
俺はもう、こっちの街の方が詳しいんや。
迷わないんや。
ちょうど良いと思えばいい。
直樹はこの時、自分を勇気付ける必要があった。
向こうの天気も良かったが、今日はこっちも良い天気だ。
フットワークを軽めにし、パクの元へと急ぐ。
徒歩でも20分。
急いだので15分。
その間、考え事はせずに向かった。
その場所を、直樹はまずいろんな角度から眺めてみた。
それから開きっ放しのシャッターの中を覗きこみ、作業をしているおじさんに声を掛ける。
「お仕事中すみません。健さんお見えになりますか」
騒音の中、それは一発でそのおじさんの耳に届いた。
おじさんは振り返り、
「けん?けん……坊か!ちょっと待っとれよ」
そう言って、パクを呼びに行ってくれた。
実は、とても居た堪れない気分なのだ。
仕事中に仕事の邪魔をする。
そして続けて思う。
今日は勘弁してほしいな……。
5分ほど待っただろうか。
向こうから駆け足で作業着姿のパクが近づいてきた。
直樹は、堪えろ、と噛み締める。
「おい、何や直樹。忙しいやっちゃなー!すぐ来るんやったらお前、こないだ帰らんで良かったんちゃうんか?何や、学校休みか」
学校…!?
学校のことなどすっかり忘れていた。
学校は一体どうなるんだろう。
……どうもこうも、……もう行けない。
「おい、ほいでお前、何やねん、そのでっかいカバン!何企んどんじゃ……」
そこまで言って、パクは直樹の顔色に気づいたようだった。
そして、
「よっしゃ!折角なぁ、遊びに来たんや。俺も上がるわ!」
そう言った。
「え、何言うとんねん、そういうわけにはいかんやろ。……ごめんな、仕事中に」
「せやから謝るなって。待っとれ、親父に言うて来る」
パクが感じたもの、それは直樹の顔色に加えたものなのだろう。
そんな馬鹿な話はない。仕事が終わるまで待つよ。
そう思いながらも、しかし直樹は止めるのをやめた。
次にパクが姿を見せるまで、10分ほどしか待たなかった。
「タケシに電話したら、あいつも来るってよ。ドコ行くかー?サボッてドコ行くー?」
笑いながらそう言うパクに、直樹は素直に従う。
説明をしなきゃいけない。
そう思うが、まだまだ腰は重い。
2人はいつもの軽トラに乗り、タケシとの待ち合わせ場所へと向かう。
タケシはすでにその場所に立っていた。
「何や秋月、学校休みかいな。こんなにすぐ来るんやったら、いっそおりゃあ良かったやないか、コッチに」
タケシにはちゃんと説明しないと。
パクは何かを察してくれている。
タケシにはちゃんと言わないと……。
……頃合を見計らおう。
「まぁ、休みみたいなモンやな。タケシも仕事中やったんと違うの?」
「イヤ、今日は夜からやねん。取り合えず何か食いに行かんか?腹減っとんねん」
……そこで話そうと決めた。
「待てェ、タケシ」
そう言ったのはパク。
「腹減っとんやったら買い食いするぞ。今日はよ、今から行くんはバッティングセンターじゃ!
なぁ直樹、思いっきり思いっきり、イテこますでェ!」
パクの意図するところは、完全には分からない。
でも完全には腹が決まっていなかったので、とてもありがたかった。
バッティングセンターで打つのは初めてだし、俺は下手クソだろうし、絶対に持て余す。
考える時間はあるだろう。
「よっしゃ!タケシ、お前は荷台へ寝っ転がれ!こりゃあ2人乗りやからな。ポリに見つかんなよー?それと立ち上がるな」
「な!何で俺が荷台や!?」
「当ッたり前やろ。お前はついでや」
「この場合、運転手・助手席・荷台決めるジャンケンやろ!」
「全くグダグダうるさいのぅ!しゃあないな、ほんならジャンケンじゃ」
……結果、助手席がパク、荷台はタケシ、運転手は直樹に決まった。
直樹は大学合格後、すぐに普通免許を取っていたが、完全なペーパードライバー。
すっかりと、2人の空気。
「……よ、よし!じゃあ走るからな!パクウ!見といてよ!?ちゃんと見といてよ!?」
「うわッ!!めっちゃ怖いやんけ!お前、大丈夫か!?」
後方からは何やらタケシの声もするが、よく聞こえない。
軽トラは、ユラユラと蛇行しながら走って行く。
運転中、何度もゴツン!ゴツン!という音が聞こえてきた。
おそらく荷台で横になっているタケシが、どこかにぶつかっている音だろう……。
車を運転するのは教習所以来。
まっしぐらに、ただただ運転に集中できる。
パクの言う通りに進み、バッティングセンターに着いた。
集中は解けるが、憂鬱は消えない。
タケシは車を降りた途端、
「お前、何回ノッキングすんねんッ!何回も頭打ったわ!帰りはまたジャンケンやからな!」
と言ったが、
……謝るのを忘れた。
話すタイミングを見計らっていた俺は、それを話して一体どうしようってんだ。
2人にだって生活があるんだ。
「よっしゃー!ほな行くで!110キロの真っ直ぐのヤツや!」
パクは明るく振る舞い、やはり直樹に気を遣ってくれている。
タケシはいつも変わらず。
表立って何か窺える、そんな様子はない。
俺も明るくしないとな。
そう思うのだが、すぐに椅子に腰を掛け、膝に肘を置く体勢。
そして、俯いてしまう。
アピールではないのだが、そうなってしまう。
「おいパクウ!早よ代われ!」
カーン!カーン!と、いい音をさせているパクの姿を見る。
平日の真昼間ということもあり、このバッティングセンターはガラガラ。
パクだけがいい音をさせていた。
……間違い探しをしてみよう。
そう考えると、
追って 追って 追いかけて、戻って行くとどうしても
生まれた
と、そこに辿り着いてしまう。
降り立ち、思案と銘打ち、悩んでみるのだが、何も覚えていない。
忘れたのが罪なのか
無知であることが罪なのか
それに対する罰だと考えたら、
俺の責任というのは、一体 ――――…
そりゃあ思い出せば、顔が青くなったり、身の毛がよだったりするような恥ずかしい失敗は何度もあるよ。
だけど、これに関しては俺は悪くないでしょう?という問いに対して、誰かに、
お前は悪くないよ、と
……言ってもらいたい。
「やっぱりカレーは、母ちゃんのが一番美味い思うてんねん」
と、パクが言っていたのを思い出した。
俺にも、そういう、……なぁ、似てて等しいものが、1個か2個か3個か、あってもいいやないか……。
「おい、直樹」
パクが呼ぶ。
ネットを上げて、手招きをする。
「タケシは後、後!お前もやってみ。スカーン!と何発かなぁ!」
よし、と重くて重くてしょうがない腰を上げる。
まず、早速バットの持ち手を注意された。
……なるほど、左手が下で、右手が上ね。
「おいおい直樹、手と手の間に隙間があったら振りにくいやろ。それも引っ付けんねん」
「ああ、なるほどな」
時速110キロ・ストレートのみのバッティングマシーン。
これがなかなか、うまくバットに当たらない。
バットをブンブン振り回す直樹。
……無心で挑戦したはずなのだ。
20球ほど経過した頃には、手のひらが痛くなった。
左手の親指の第一関節当たりが擦り切れだした。
「おい秋月!早よ代われや!」
そのタケシの声に、
「ちょっと待ってくれよ。まだ1球も当ててねぇ!っていうか、隣空いてるじゃん!っていうか、ガラガラやん!別のヤツで打てばエエやん。
悔しいねん、俺は」
バットを振るという行為が、こんなに体力を消耗するということを知らなかった。
40球くらいになると、息が切れ始める。
親指の皮がめくれ、とても痛いのがまた悔しい。
「くそうッ!!」
思わずそう叫んでしまい、バットを地面に打ち付けた。
……悔しくて、しょうがない。
タケシの催促がなくなったことにも、パクのコーチがなくなっていることにも気づかず、ひたすらボール目掛けてバットを振り続ける。
一度、球切れになってしまった。
無駄遣いはやめよう、そう心に誓ったのも忘れ、財布の中をまさぐり小銭を探す。
「おー、エエでエエで!俺が用意する。好きなだけやれや!」
パクのその声に返事をすることもなく、身構えた。
大きくバットを振る。
そのバットがボールを掠めた。
パクのような、カーン!とかキーン!とか、そういう音ではなく、パスッという音。
「おー! 当たった当たった!!」
後ろから2人の声がする。
……何球目からだったろう。
悔しいのは最初からだった。
涙腺っていうのは、とても厄介だ。
「……やったでー…当たったで!見た?2人ともちゃんと見とった!?当たったぞー!!」
流れる涙を制御することができず、ボロボロボロボロと泣きながら、直樹は2人を振り返る。
あの時と同じで、止めることができない。
……だったら、喜んでいるように見せよう。
「次振ったらホームランちゃうかなあ!?なぁ!?なぁ!」
そんな直樹を、パクとタケシはじっと見つめている。
この空気、固まってしまってはいない。
2人の目線も、悲壮に満ちたものではない。
ネットを潜って2人が入ってきた。
「直樹、危ないからちょっとこっちへ寄れ」
パクの言葉を最後に、しばらくバシュン!バシュン!というボールの音だけがそこに流れた。
止まらない涙と、何も言わない2人に戸惑ってはいるが、近づいて来てくれるだけで嬉しい、そんな気がする。
「……悪ィ。俺、オトナやのにな、……また捨てられた」
顔をごしごし擦りながら、直樹は2人にそう言った。
3人はそこから場所を移し、ファミレスに入った。
そこで直樹は話し出す。
自分は捨て子である、と。
3歳のときに、あの両親に引き取られた、と。
直樹はそこから事細かに約30分間、覚えている限り、思いつく限り、自分のことを話した。
それを聞いて、まず最初に答えたのはパク。
「うーん……あの慶也がなぁ……」
タケシは直樹の話を聞いて明らかに不機嫌になり、まだ手を付けていなかった目の前の料理をガツガツと食べ始める。
まずは何も言わなかった。
「せやけどよぅ直樹。お前、ほんならこれからどうすんねん」
実を言うと、まだそこまで考えは至っていない。
少しの間、沈黙が流れた。
タケシの鳴らす、食器の音だけが響く。
「俺、どうしたらいいと思う?」
そう聞きたかった。
決めてくれ、というのではなく、あくまで参考に……
……イヤ、ちゃうな。
直撃してほしいと思ったんだ。
こっちにいろ、と。
そう言ってもらいたかった。
しかし、パクの意見はそれとは真逆のもの。
「……直樹、お前やっぱり向こう帰れ」
それを聞いたタケシの、ナイフとフォークの音が止まったのに気づいた。
「だってお前、あと2年やろ?○○○大学。アッコ出てんのと辞めてんのとじゃ、雲泥の差やぞ?
手足首引っ込めとってもエエやんけ。
まぁ、オヤジさんはよう分からんけど、母ちゃんと慶也は心配しとるぞ?」
……帰れねぇ。
あそこにはもう、俺の居つく場所はない。
あの冷たい夜に、俺はそう決めたんや。
そう考え、直樹は俯く。
期待していたものと違う答えに空かされた気がするのと同時に、パクの言い分ももっともだと思った。
パクは続けて言う。
「何するにしても金いるやん。お前が援助を受けるっていう名目で、こっちにおる言うんやったら分かんで。
でもちゃうやん、お前……」
と、そこで
ガチャガチャンッ!!
タケシが皿にナイフとフォークを叩き付けたのだ。
同時に、
「パクウッ!!!」
怒鳴るようにタケシが言う。
「秋月のよぅ!今の状況でなぁ!こうなったら、今一番ボンボンなんはお前じゃッ!!捨てられて!見捨てられて!お前に分かるワケないやんけ!
秋月が今、何言うてるか、お前には分からへんよ!!」
「ハアッ!?今そんな話してへんやろ!俺を持ち出してくるってのは次元が違うやろがッ!!」
ここで2人の小競り合いが始まった。
2人は俺の両親のことも……あの2人のことも悪く言わないんやな……。
確かに、そんな気分じゃない。
直樹は伏し目がちなのをやめ、顔を上げる。
デカ過ぎる怒声で、2人が何を喋っているのかよく分からなくなってきた。
直樹はそれを止めるように、
「決めた!……悪ィ、2人とも。俺、あっちへ帰るわ。悪ィ、ほんまに」
「「………」」
それを聞いて2人は言い争いをやめ、同時に直樹を見る。
タケシが唇を噛み締めた。
そしてはっきりと分かるほどに怒りながら立ち上がる。
「秋月!ソレ本気か!?もしコッチにおるんが、コイツが言うみたいに何ぞ問題があるっちゅーんやったらその問題、俺に言え!!
ゼニ金の問題やったらなぁ!俺がお前の面倒見る!!住むトコないんやったら、俺んトコで一緒に住めばエエ!!
2回捨てられたんやったらなぁ!3回目に拾うヤツがおったらエエんじゃ!!今度は俺がお前を拾う!!
学校なんか休んどきゃエエやないか!よう知らんけど、休学ってあるんやろ?
気が済むまでこっちにおればエエやないか!俺がお前を拾う!何か問題があるか!?」
滲む目でタケシを見上げた。
直樹は思わず、思ったことを口に出してしまう。
「……もんだい、ない」
しかし、それは直樹の望むもの。
あの話の後、直樹はタケシのマンションに厄介になることになった。
自分が思ったところ、考えたところで、
……家には帰りにくい
果たしてそんなレベルなんだろうか。
パクウが俺に「帰れ」と言ったのは、そのレベルで考慮し、考えてのものだったと思う。
タケシはというと、そのもっと先にあるレベルでの、今回の対応。
俺はというと、……よく分からない。
それが正直なところ。
敢えて、
敢えて言うのであれば、俺の中で30%くらいだろうか。
捜しに来てくれないか、という部分。
母と慶也が俺を心配し、考えた結果「あそこじゃないか?」と、連れ戻しに来てくれないだろうか。
……でもあの人は、そんなものは必要ないと言うのだろう。
だから敢えて、
敢えて言うなら30%。
この頃はまだ、学校を辞めたという意識は皆無に等しい。
しばらく厄介になるよ、そんなつもりで居座っている。
これは真意であり、そうするというよりは、そうなると考えていた。
直樹も一週間ほどは、ものの見事に呆けていた。
タケシが自宅に持ち帰る仕事を手伝う程度。
あとは美奈子がやっていた掃除・洗濯・食事の用意などを取り上げて、やっていた程度だった。
いくらか貯金はあったが、これでは心配だと考え始めたのは、この暮らしを始めてから一週間ほど経ったその日。
経緯から考えてパクには相談しにくかったが、タケシは朝から晩までどころか夜中もいない日が多い。
直樹は仕事の面での相談を、パクに持ちかけた。
パクがあの時言った「帰れ」という言葉は、少なからず自分の中で理解できている。
直樹の相談に対して、パクの返事は投げやりなものではなかったが、
「お前なぁ、この期に及んで仕事選ぼうって考えとんちゃうんか。やろう思うたら何でもあるやろ、お前。
ほら、アソコのコンビニ見てみぃ。アルバイト募集いうて貼っとるやないか」
……どこかで甘い考えがあったのかもしれない。
というよりは、満々だった。
ウチで働くか?
そう言ってくれるんじゃないかと、パクの顔を見ながら思っていた。
俺のこの、染み付いた体質。
この際、体臭も含めておこう。
根絶やしにしないと。
そう思う。
直樹はまず、コンビニのバイトから始めることにした。
夜の方が時給が高いのだが、直樹は昼間の勤務時間に決めた。
なるべく美奈子を家で一人にしないように。
夜、留守にしないように。
そのコンビニのバイトを一週間も続けていると、考え出す。
俺は一体……
時給何百何十円 × 時間
1時間おきに、そんな計算をしてしまう。
体質や思考の改善と銘打ったにも関わらず。
この俺の性根の腐り具合。
なのに
俺は一体何をやってるんや。
そう考えてしまうのだ。
職業差別をするつもりはない。
そう思いながら、はっきりとそうしている自分。
弁護士事務所に勤めているのがこうで、アルバイトはああで……
そんなことを言っている場合ではないのが今の俺なのに、俺はまだまだ以前の生活が諦めきれないでいるんだろう。
捨てたのではなく、捨てるしかなかった。
いや、 ……捨てられた
捨てるしかなかったにも関わらず ――――……
この日、直樹は美奈子と2人で夕飯を済ませ、後片付けをしていた。
美奈子の食器をシンクに運ぶ際、彼女が随分と料理を残していることに気づいた。
彼女の場合、好き嫌い云々以前の問題なのだ。
食べてはいけないものがたくさんあり、自分はコレが食べたいという欲が通らないことが多い。
当然それらを考慮して、美奈子の食べられないものを作ってはいないのだが。
皿を見ると、ほとんど手の付けられていない料理もあり、少し心配になる。
直樹がこの部屋に来てまだそれほど日にちは経ってはいないが、その間だけでも日を追うごとに彼女が部屋に閉じこもっていることが多くなった。
この日も食事を済ませると、美奈子はすぐに自室に入り、ベッドに横になっている。
洗い物を済ませ、リビングでテレビを見ていた直樹。
美奈子の部屋からガタンッ!!という大きな音に、考えることなく駆け出す。
部屋のドアをノックしながら、
「どうした!?何かあった?美奈子ちゃん!?」
……返事がない。
直樹は勢い良くドアを開け、部屋の中へ飛び込んだ。
床にうつ伏せになって倒れている美奈子の姿。
「おい、大丈夫か!?どうした?調子悪い?」
美奈子は左胸を押さえていた手を離し、少し笑いながら、
「……えー、何もないよ。寝てただけ」
そんな嘘を吐く。
「あのなぁ、君の場合、気ィ遣って体調が良いフリしたら、逆に周りに迷惑掛けるんやぞ?どうした、心臓痛いん?」
「……痛いっていうか、ちょっとひきつけみたいになっただけ」
そう言って自分で立ち上がり、布団の中に潜り込む。
初めて会ったときの、吐血した美奈子の姿を思い出した。
それ以来目の当たりにしてきた、彼女の体調の悪さ。
……手術すれば、良くなるはずなんだよ。
丸くなってベッドに潜り込んでいる彼女を見つめながら、直樹は考える。
俺には何ができる……?




