再び 2
3人はお風呂から上がると、そのホテルがやっているレンタル自転車に乗って、観光地を巡ることにした。
土曜日の昼からともなると、連休でもないのにやたらと人が多い。
前も思ったけど、めちゃくちゃイイ所だ、ここは。
何よりも、海がいい。
直樹が特に気に入ったのは、何枚もの皿のような形をした岩とも砂とも言えないものが広がったところへ、激しい波が打ちつけられる光景。
それを見ながら、少し黄昏る。
一週間後には、更に離れたところに引っ越さなきゃダメなんやなぁ…。
焼きつけとこう。
パクが言った。
「ココ……夜来た方が面白いかもしれんなー。波ザッパーンなってるし」
「そやな。もっかい来ようや」
3人は岩場に立ち、潮混じりの風を浴びている。
そこに、見透かしたようにタケシに言われた。
「秋月、お前ほんまに向こうへ帰るんか」
「…そういうことになるなぁ。俺は自力がないし」
「そうか」
黙ったまま、しばらく海の方を眺めている。
その後、もう2~3箇所ほど観光地を回り、3人は本来泊まるホテルに戻った。
もう一度温泉に入ろう。
そう言ったのは直樹。
自分の意見を曲げるつもりはないが、オヤジ臭くても結構!
そう思っていた。
お風呂から出る頃には、外はもう随分と暗くなっている。
さっき見たあの景色をもう一度見に行こう。
直樹はそう提案した。
……思い出したけど、今回のこの旅行は、俺の送別旅行ってことなんやなぁ。
2人は俺が言うままに付き合ってくれる。
日も暮れかかった頃にそう思い、そして気づいた。
直樹がこうしようと言ったことに対し「よっしゃ、そうしよう!」という返事を、今日は何回も聞いたことに。
昼間のあの場所は風が強く、この季節だとかなり寒い。
「ほら見てみろ、上着がいるだろ!俺のカバンにはコレが入っとったんや!」
そう言ってカバンの中からジャンパーを2枚出す直樹。
「用意いいねぇ!さすがボンボンや!」
2人は直樹が取り出したジャンパーを着込む。
また3人で、並んであの景色を見た。
3人で、まだ昔とも言えない昔話に花を咲かせる。
「せやけど直樹は、あの時初めて人ドツいたんやろ?」
「おう、そうやで」
「アレびっくりしたなぁ、ほんまに!ずーっとタイガーマスク被ってるし!ヒャッヒャッヒャッヒャ!!」
「あ!そういや思い出した!あん時よぅ、ほんまお前ら2人先々帰ってくし!
片っぽはオヤジがオヤジでボンボンや~言うて、片っぽは在日や~言うて!結局朝までおったの俺だけやったんや!」
「ハァ?あん時パクウも先帰ったんか?」
「おう、コイツ一人置いて帰ったでー。
ありゃお前が悪いんやろ。ポリに『死ね!』言うたら、そりゃお前……」
「イヤ、ちょっと待って。在日で早く帰れるって何やねん」
「まーまーまー、いろいろあんねん。変に気ィ遣われたりするんやなー。俺、日本人なんやけどなー」
パクはああ見えて、結構ナイーブだった。
高校では日本の名前を名乗っている。
「俺はイジメられるタイプちゃうから、気ィ遣われんねん」
やっぱり誰にだって悩みがある。
望まなくても、周りが与えたりするんだ。
「ところでな」
と違う話を始めたのはタケシ。
女の話だ。
「ああ、俺はついこないだフラれるまでずーっと女がおったで。直樹もそうやんなぁ?」
「あ、ああ。俺もおった」
「………」
タケシは黙ったまま聞いている。
「こないだフラれた彼女っていうの、高校生か?」
「イヤ、社会人やで」
そこまで言ったところで、タケシのいつもの大騒ぎが始まった。
「お前ら、アホウ!!ちょっとは気ィ遣え!!誰がソコまで俺に説明せぇ言うた!?」
一人だけ立ち上がっているタケシ。
「ハハッ!直樹、コイツはいまだに童貞でおる!ロンリー童貞、頑なに守ってんで!」
「おいちょっと待てェパクウ!秋月は女がおったっていう事実があるだけでな、童貞じゃないっていう保証はないんちゃうか。
ひとつ聞いてみようやないか」
その問いに直樹、
「イヤ……とっくに済ませたよ」
途端、タケシはキャ――――――ッ!!!と発狂した。
「くっそぅ!おまいら、ちっとばかりツラがエエと思うて!裏切りモン!裏切りモン!アホウ!肥溜め!!」
「…肥溜めって何やねん」
辺りを見渡すパク。
観光地だけあって、この時間になってもまだ人がチラホラいる。
「タケシ、あそこに女子2人発見。声掛けて来いや」
「エエッ!?」
「ホラ見てみい。な?コイツは目の前にしたら途端にこうなんねん。
お前、人のこと肥溜め呼ばわりしてる場合とちゃうぞ?」
…この年頃は、こういう話題に熱くなるモンなのだ。
「コワイもんしゃーないやんけ!そうや!こん中で一番男前は秋月、お前や!お前、声掛けて来い!
俺は待っといてやるから!お前が声掛けて来い!!」
「えー、ナンパか?やったことないぞ」
大騒ぎの3人の声は、その静かな場所に響き渡る。
2人は
「エエから行け!!」
「イヤじゃッ!!」
を繰り返している。
その観光地の駐車場のすぐ傍の岩場で喋っていた3人。
何かあったのか、それまでチラホラいた人たちが大慌てで車に乗り込み、出て行くのを見た。
「あーあーあーあー、ホラ!チンタラしてるから帰ってまうやないか!
秋月、まだ間に合う!追いかけて来いッ!」
「………」
……タケシはマジだと、悟った。
まぁこれも勉強か。
そう思った直樹、
「しょうがないな!一体何て声かけりゃエエんだ…」
ぶつぶつ言いながら一人その岩場から飛び降り、駐車場に停まっている車に向かって歩き出す。
しかしその車は、直樹を待つことなく出て行ってしまった。
振り返ると、項垂れるタケシの姿。
そんッなに女に飢えとるんか、アイツは……。
直樹がそう思っていると、またその駐車場に車が入ってきた。
お。女だけの車だったらいいなぁ。
が、その車は直樹が声を掛けるにはたじろぐ、というより掛ける必要もない車種。
ベンツだ。
女の子がベンツに乗って来ぉへんわなぁ。
直樹は2人のところに戻ろうと歩き出す。
その背中を車のライトが煌々と照らした。
振り返ると、何台ものベンツが連なって入って来る。
何や一体……?
何でベンツばっかりやねん。
直樹は不思議に思いながら、しかし気にすることもなく元の岩場へと足を向けた。
その時、直樹の後ろから、
「オイ!ワレじゃ!オイッ!!」
その声に先に気づいたのは、パクとタケシ。
こちらに視線を向け、すぐに岩場から飛び降りて直樹の元へと近づいて来た。
そこでようやく、声を掛けられたのが自分だということに気づいた直樹。
振り返る。
1台のベンツから降りてきたのは『いかにも』な人。
夜にも関わらずサングラスを掛け、短いクルックルの頭。
……ヤバイ。暴○団だ。
その男はこちらへ歩いてくる。
「オイ、ワレら、こがいな時間にこがいな所で何しよんや。
今からワシらの会議があるからのぅ、早よ家へ帰らんと見たないモン見ることになるぞ」
辺りを見回してみると、さっき急いで帰って行った女性たちはおろか、人っ子一人いなくなっている。
その場所にいるのはベンツから降りてきた連中のみ。
「何ボサッとしとんじゃコラ!!足痛いんやったら早よ帰らんかいッ!」
そう言って、そのパンチパーマは直樹の足をギュッ!と踏みつけた。
さっき、調子に乗って岩場から飛び降りたとき少し響いた左足。
「イタッ!!」
思わず声を上げてしまうほどの痛み。
それを見てパクがズイッと前へ出た。
「オイコラ、何するんじゃッ!公共の場で俺らが何しようと勝手やろ!知ったげな顔でピーチクパーチク言うとんやないぞコラ!!」
その言葉に、パンチパーマは「ハアッ!?」と言いながら、更に歩み寄ってくる。
足を踏まれてイラッとしたが、いくら何でもこれは止めなきゃいけない。
相手が悪い。
そう考え、直樹は手を伸ばそうとしたが、それより先に動いたのはタケシだった。
「やめェ、パクウ!」
その声に直樹は伸ばしかけた手を引っ込め、タケシを見遣る。
「イヤ、ほんますいません!僕ら観光客で、事情も何も知らなんだんですわ。ほんとに申し訳ないです」
タケシはそう言って、深々と頭を下げた。
それを見て、パクは少し温度が下がったのか、握っていた拳の力を抜く。
だが、相手が相手。
ボクッ!
頭を下げたままのタケシの腹を、パンチパーマはいきなり蹴り上げた。
タケシはその勢いで尻餅をつく。
「こっちゃあのぅ!売った買ったで生きとんじゃ!冷とうならんうちに帰れ言うたのドッチや!?
クソガキが!調子に乗っとんちゃうぞ!!」
タケシが蹴り上げられたことで、パクの体にまた力が入る。
直樹も同じように拳に力を込める。
「ハハハッ!エエ大人が上等やんけ!ハ~、カッペヤ○ザが田舎でひっそり暮らしとってから、社会の常識知らんみたいやのぅ!
都会のガキがいっちょ揉んだろか!!」
パクはそう言うと同時に、パンチパーマの胸倉を掴み寄せた。
こちらの騒ぎに気づき、何人かが歩み寄ってくるのを目の端で捉えながら、しかし直樹は危ないと思う以上に、頭に血が上っていた。
「おーい!何しとんじゃ!?」
少し離れたところから声がする。
直樹はパクのすぐ後ろで身構えながら、冷静な頭の隅で、この後どうなるんだろうかと考える。
しかし、そんな直樹を遮ったのもまた、タケシ。
タケシはパクとパンチパーマの間に体を捩じ込み、その体勢からパクの横っ面を思いっきり殴り飛ばした。
バキッ!!
横に吹っ飛び、倒れ込むパク。
「ほんまにすいません!」
そう言ってタケシはまた深々と、そのパンチパーマに頭を下げる。
「オイオイ、服シワッシワやないか。コレ、どないするんや」
それを聞き、タケシはすぐにポケットから財布を取り出し、中にある札を全て差し出した。
「これで何とか堪えたってください!」
札を受け取ったパンチパーマを確認して、タケシは今度はその場に膝を付き、額を地面に擦り付ける。
「この2人は普段からアホでどもならんのです!よう言うときます!鎖付けて地元へ帰ります!だから勘弁してください!」
その光景に、直樹とパクは言葉も出ない。
パチパチと音をさせながら、パンチパーマは札の数を数えている。
「……まぁエエやろ。コッチも忙しいからな。
分かったんなら、早よこっから去ね。今度見つけたら、確実に埋めるぞ」
そう言って背を向け、歩いて行ってしまった。
タケシはそれを見てすぐに立ち上がり、2人の腕を引っ張る。
「オイ何しとんねん、早う来い!ホテルに帰るぞ!」
「「………」」
2人は声を出すこともできない。
タケシに腕を引っ張られ、その場を後にする。
3人は並んでゆっくりゆっくり歩きながら、ホテルへと向かった。
誰も何も喋らない。
15分ほど歩いたところで、ようやくパクが口を開いた。
「あー、痛いわぁ!おいタケシ、本気でシバかんでもエエやろお前!」
そうにこやかに言いながら、タケシの肩を突っつく。
タケシの顔はまだ、沈んだまま。
「そ、そうやな、見事に入ったな。パクウ、歯ァ折れてへんやろな?
タケシやるなぁ、まだまだ現役やんけ!」
そこでタケシは俯いたまま、少し声を張った。
「あのな!……ワリィ。俺、何か問題起こすワケにはイカンねん。
今の職場も無理やり捩じ込んでもろうたし、クビになったらアカンねん。
母ちゃんおらんし……美奈子がよぅ……俺が稼がなアカンからよぅ……。
こがいなこと言うて、セコイか……?ハハハッ!」
俯いたまま。
直樹は何か声を掛けようとした。
が、先に大声を張り上げたのはパク。
「セコないよ!!!」
3人はその場に足を止める。
「タケシ、ワリィ。ありゃ俺がドアホ通り越えてドマヌケやったわ。
お前のこと考えんでな。悪りかった。スマン。
ヤ○ザと揉めてどないするんやってなぁ。なぁ直樹!」
「お、おう!そうだよな。ごめんな、タケシ」
……俯くなよ。
「イヤ、そんなにして謝られたら、俺も困んねんけど…」
「ハア?何やソレ!じゃあ3人とも気にするなっちゅー話やな。
そういえばホテルの2階にゲーセンがあったな。ホテル戻ったら遊ぼや。
あがいなカッペパンチパーマにゼニ全部くれやがってほんま!俺が奢ったるからよ」
さっきまでの雰囲気に戻った。
……良かった。
直樹も何か言おうと思い、
「なぁ、ホテル戻ったらもう一回温泉入ろうや」
その言葉にタケシとパクは振り返る。
「……俺はもう、お前とは風呂には入らん。なぁタケシ!所詮俺らはスズメとツバメ。
○ン○が独立して『一人でできるモン!』って言うてるヤツと一緒には居れません!」
そう言って、2人は駆け足をし始める。
「何じゃそら!!喋るワケないやろ!!」
走れない直樹、早歩きで追いかける。
……一週間後にはこの2人と、遠く離れて暮らさなきゃいけないことになる。
そう思うと、いろいろ言わなきゃいけないことがあったような気がする。
パクウもタケシも、何かにまみれて生きてるんや。
体に良いこと全て試してみるのもいいかもしれないが、あの頃の俺は生きているのやら死んでいるのやら。
……一週間後には、2人と離れなきゃいけない。
それ以後、誰も昨夜の出来事に触れることはなかった。
楽しい出来事ではなかったからな…。
次の日の昼過ぎにはその地を離れ、地元へと戻った3人。
前回もそうだった。
逸る気持ちといきり立った心境の中で移動した行きはとても長く感じたのに、帰り道の何と早いこと。
昨日待ち合わせたあの駅に、もう着いてしまった。
「あんよぅ、有給休暇取ってしもうたから、また日曜にってワケにはいかへんねん」
当初は、余分にかかった金額は直樹が負担するという話だったのだが、その分はタケシが全て出してくれた。
奪られてしまったお金とは別に、カバンに忍ばせていたお金。
まぎれもないタケシのお金で払ってくれた。
「あー、構へんよ。お前は将来おエライさんになるんやろうから、そん時また奢ってくれや」
俺がエライさんになるかどうかは知らないが、タケシの言う通りなんだ。
負担しようとしていたあのお金は、俺が稼いだものではねぇんだよな。
自分の限界に、身をつまされる思い。
それと等しく感謝し、感心し、……寂しかった。
俺も向こうに行ったら、アルバイトをしよう。
「多分、見送りには来れへんねん。悪ィな。
今回の家にはよぅ、電話もあるからよ。向こう着いたら電話番号教えてくれよ」
そう言って、タケシは小さな紙に自宅の電話番号を書き、渡してくれた。
「じゃあな!バイバイ!」
そして去って行くタケシ。
『さようなら』ではなく『バイバイ』で良かったと、いまだに思ってしまう。
この場で『家まで送るよ』はおかしいんだろう。
そういえば、俺はタケシの言葉に返事もせなんだなぁ……。
「俺はお前、メッチャ暇やからよ。直樹、明日何するー?」
パクはそう言う。
あと一週間、付き合ってくれるんだ。
ホテルでタケシの支払いをする姿を見て、確信した。
ここから東京までの新幹線の往復代。
これは今の俺にとって脅威的な数字なんや。
毎週末こっちに遊びに来るよ、なんて言うたら、タケシに怒られそうやな。
そのあと一週間の放課後を、直樹とパクは何をするでもなく共に過ごした。
これはこれでちゃんと意味がある。
そんな風に思う。
―――― 数年の我慢と、当初は思っていましたが……
いざこの地を後にするとなると、今度は違う我慢が身を包む。
108つのいくつかが、俺の神経を邪魔しているんだろう。
土井さんは元々こっちの人なので、あっちには一緒に行かないらしいです。
こっちに残るそうですよ。
向こうに帰ると、今度は新しいお手伝いさんです。
土井さんがいいんだけど。
そう思うのと、
土井さんが羨ましい。
そう思う。
逆算なのか何なのか、俺がもう少し早く生まれていれば、今この瞬間、もう稼ぎがあって引越ししなくて済んだんじゃないかと思ってしまいます。
身も蓋もなく、あっちが立たないのは分かっていますが、そう思ってしまいますよ。
『お父さん』
『お母さん』
最低でも一月11万丸々必要な感じで、今の俺には到底追いつけない金額です。
だったらこうしようと思ったこと。
気丈に振舞おうと思います。
独活という木の大木で、握り拳も柔らかく……
ですが、自分を呪うにはまだ早いような気もしています。
違いますか……?――――
その日、○時の新幹線に乗るというのはパクに教えていたが、気がかりばかりの直樹。
朝から母親を質問攻めにしている。
向こうで住むのは以前住んでいた家なのか。
向こうで通う高校は何て高校なのか。
こっちの高校の手続きはもう済ませているのか。
すると、編入手続きは向こうに着いてから、という答えが返ってきた。
俺は別に、そんなことはどうでも良かった。
未練があるから聞いていただけ。
会話というには少しレベルの低いもので、直樹は珍しく母と新幹線のホームに来るまで喋り続けている。
「僕はもうコッチに慣れちゃったからさぁ。言葉遣いも変になってもうたし。ほんまは引っ越したくないなぁ」
はっきりと言った慶也のその言葉に、直樹は心の中で肯きはするが、俺もお前も……と考える。
新幹線に乗り込もうとしたその時、パクが見送りに来てくれた。
その後ろには、タケシの姿も。
「悪ィ!遅なった!」
パクが言う。
「何やタケシ。仕事は?」
直樹のその問いに、
「イヤ、ちょっと時間もろうたんよ。やっぱりな、見送りくらい来んとな」
タケシはそう言ってくれた。
少しは社会人のルールを知っているつもりだ。
有給休暇を取った翌週に抜け出す時間をもらうなんて、どれだけ難しいことだったか。
俺だって知ってるつもりや。
直樹は何と言っていいか分からずにいた。
言葉が出ない。
新幹線の開いたドア越しに、2人の顔を見つめながら。
やがてタケシが、何かの包み紙を直樹に差し出した。
「これなぁ、餃子やねん。こんな小っちゃいヤツ。お前の家がこんなん食べるか分からんけど、一応な」
「マジかよタケシ。ありがとう、頂くわ」
直樹はそれを受け取る。
そのタケシの隣で何やらモジモジしているパクも、後ろ手に風呂敷の包みを持っている。
…もうエエ加減、諦めろよ。
「ひょっとしてパクウ、ソレも土産?俺にくれるヤツちゃうん?ちょうだいや」
するとパクは、その風呂敷を前に持ってきて言った。
「イヤ~、何ちゅーか…コイツの後に出しにくいんやがなぁ。コレも一応食いモンやねん。
ウチのババァがよぅ、直樹が今日引っ越す言うたら、新幹線の中で食べてもらえ!言うて。焼肉の弁当やねん。
お前の母ちゃん、こんなん食わへんよなぁ。まぁでも、もろうたってや」
そう言って、直樹の前に風呂敷包みを差し出した。
…ヤバイ、と思った。
いろんなことを思い出してしまう。
もう少し大人になれば、これくらいのこと難なくクリアできるようになるんだろう。
直樹はその風呂敷を受け取るために、一歩前へ出た。
体が半分、新幹線からはみ出す。
そして受け取り、もう一歩前へ出る。
タケシからもらった紙包みと、自分の荷物を脇に抱え、新幹線から外へ出る。
それほど時間はなかったが、……悩みに悩みに悩み抜いてみた。
「……なぁパクウ、これはよぅ、持って帰ってくれよ」
「え?何で?」
「お前んトコの焼肉って、あのゴムやろ?前から言おう思うてたんやけど、アレってめっちゃマズイやん」
「………」
パクは結構な秒数黙り、そして、
「……え……な……え・え~~~?!
ちょ、ちょっと待ってくれや。お前、てっちゃんキライ……キライやった?コレ、イヤ、コレはな、てっちゃんとちゃうぞ?
えぇ~~~……いらんのか?」
この遣り取り。
「ブ――――――ッ!!!」
まず噴き出したのはタケシ。
それにつられるように、パクも直樹も笑い出す。
「アッハッハッハッハ!!お前、どういうつもりやねん!ココで言うかー!?
気ィ遣わせたら悪いけど、気ィ遣え!!
ハァッハァッ……ほんま、腹痛いわ!笑わしやがる!
ウチのオカンもビックリするぞ!」
「秋月、お前のボンボン体質、もうちょっと揉んだりたかったけどなー」
トゥルルルルルルルルルルッ!
新幹線の発車を知らせる合図が聞こえてきた。
3人は同時にホームの天井を見上げる。
そこで、直樹は思ったことを口にした。
「決めた!!何とかなるよ!!」
「おい直樹、お前何やっとんねん。早よ乗らんかい。ドア閉まるぞ?」
パクの声ももちろん、アナウンスも聞こえはしたが、直樹は動くのを止めた。
……これまで一度も、我侭なんか言ったことなかったな。
絶ッッ対にアカン!!っていう答えが返ってきたとしても、粘らせてくれよ。
コレに乗ったら、従うしかないやろ?
プシュウゥゥゥゥッ!
新幹線のドアが閉まっていく。
「「あ――――ッ!!」」
大声を上げる2人。
それに対して余裕の直樹。
新幹線は走り出す。
直樹をその場に残して。
呆気に取られているパクとタケシ。
「……おいお前、何やっとんねん……」
「……エェ~~~~ッ……!?」
別にびっくりさせてやろうとは思ってなかった。
だけど、びっくりしている2人の顔が心地いい。
相談は後からだ。
あと1年、別にいいだろ…?
直樹は2人の肩を抱きかかえ、歩き出す。
「パクウ、その弁当、何人前あるの?」
「……あ、イヤ~、……3人分。お前の母ちゃんと慶也と、お前の分」
「だったら今から3人でソレ食おうや。なぁタケシ、マズイ弁当皆で食べようや」
「イヤ、だからコレはマズないって……!」
直樹はそれから高校を卒業するまで、こっちで一人暮らしをすることになる。
誰の意見も聞いていないが、賛成してくれるであろうこの2人が70%。
反対してくれるであろう母と慶也が20%。
その方が都合がいいんだろ?と思う、直樹の中の父が、10%。
これは俺の、他人を巻き込まない我侭だろう。
だからいいんだろ?
『お父さん』
『お母さん』




