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急流 3

慶也の塾が見えてきた。

デパートの大時計を見上げると、もう9時を少し回っている。


塾の教室には明かりが点いているが、人の気配は感じられない。

帰ってしまったか。

そう思いながら駐輪場の方へ顔を向けると、2人の人影。

直樹は慶也のことを聞いてみようと2人に近づき、暗がりの中話しかけた。

「あの~、ちょっとごめんね。キミら何年生?」

その2人は女子。

ビックリしたように振り返る。

「え、3年生」

もう一人は、

「2年生」

2年生がいた。

慶也と同級生だ。

「あ、キミ2年生?慶也って知ってる?彼、もう帰ったかな?」

それを聞いた彼女が返事をするまでには、少し間があった。

「……秋月くんの友達ですか?」

「え、う、うーん……そんなトコかな」

「あのね、」

言い掛けた彼女を、3年生の女子が

「ちょっと、止めときなよ」

そう言って制する。

「イヤ、でもね、やっぱりアレはアカンよ。言うとかな」


その遣り取りを見て、直樹はようやく思い出した。

先日の光景 ――――……

本当に、心底ハッとした。

俺は、俺がどんだけ可愛いんだ!?


「え、何!?慶也に何かあった?聞かせてくれる?」

尋ねた直樹に、彼女は一呼吸置いて話し出す。

「私、秋月くんとこの塾で同じクラスなんですけどね。

ちょっとイジメられてるっていうか……何か嫌事されてるっていうか……席が近くやから聞いてしもうとってね。

鈴木くんっていうのが、秋月くんのお兄さんにカツアゲされたらしいんやわ」

「………」

また、直樹の知らない、事実ではない出来事に翻弄されている者がいる……。


カツアゲなんか、したことがない。

膝に力が入らなくなる。


「それでね、イジメられてる感じなんですよ。

塾の先生に言おうかって思うてんけど、何か怖ぁて」

「それで?慶也は?今日もイジメられてた?!」

「今日なんか、終わったらすぐにどこかへ連れてかれよった。ついさっきのことやけど」

「アイツは、慶也は学校でもイジメられてるの?」

「私、秋月くんとは学校が違うから。でもイジメなんかどんどんエスカレート…」


その時、離れたところから、

ガシャ―――――ンッ!!

自転車が倒れたような音がした。


直樹はバッと振り返る。

そちらから、人の気配。


「ありがとう!もう十分やわ。ありがとうね!」

直後、直樹は走り出す。

音のした方向へ、全力で走り出す。


まさか

まさか

俺が原因でアイツがイジメられているとは、万に一つも思わなかった!


路地裏を一つひとつ覗いて行く直樹。

走り続ける。


今日は一体、何て日なんやろう。

これまでもいろんなことがあったけど、こんな1日は見たことがない。


走りながら何ヶ所もの路地裏を覗き込む。

何度目かの行為のあと、漸く直樹は見つけた。

奥の方で慶也の声がする。

「取り消せって言ってるだろ!!兄さんがそんなことするハズないんや!!それは絶対絶対、間違ってる!!」

「うるさいッ!変な大阪弁使いやがって!大体が気に食わんのじゃ、お前のこと!!」


何のものとも分からない物音が聞こえてくる。

とにかく、慌てた。

直樹は路地裏に駆け込んで行く。

走りながら確認した。

ヤラれているのは間違いなく、慶也!


直樹は今出る一番大きな声で、

「おいゴラ―――ッ!!何しとんじゃッ!!!」


こちらに向かって走ってくる直樹に気づいたそのグループ、何人かは慌てて自転車に跨り大慌てで逃げて行く。

全員を逃がすわけには行かない。

直樹は自転車に乗り遅れた一人の首を引っ掴み、そのまま壁に押し付け、叫んだ。

「俺が、その噂のコイツの兄貴や!俺にゼニ奪られたって!?アアッ!!?」

直樹に掴まれたその彼は、今にも泣きそうな顔でジタバタしている。

「俺とちゃう!俺とちゃう!!福井くんが、福井くんが――――ッ!!」

必死で仲間を売る彼。

「何や、フクイくんが俺から金、巻き上げられたんか」

彼は涙をポロポロと流しながら、懸命に頷く。

「そーか。ほんならたった今から、お前がフクイくんや」

「……ッ!!」

彼は大きく口を開け、声も出ない。

「コイツが食ろうた分、そっくりそのままお前に返させてもらうで。一括がエエか、分割がエエか、ドッチや!?」


その直樹の迫力に、慶也もしばらくただ呆然と見つめたまま。

しかし、そこでまず動いたのは彼、慶也だった。


「ダメだ兄さん!!それは絶対にアカン!!それじゃ意味がない!!」

「ハアッ!?お前、何言うとんねん!イジメなんてのはな!どっかで打破せんと永遠に消えんのじゃッ!!

原因が俺やっちゅーんやったら、黙っとれるワケないやろ!!」

「だから兄さん!ここで打破しようとしてるんやんか、僕!

殴られて殴ってってしてたら、終わらへんやろ!!」

「…ッ」


直樹は慶也の言葉を聞き、力んだ腕を下ろした。

それから、彼を掴んでいた手を離す。

彼は大慌てで自転車に乗り、一目散に逃げて行く。


……慶也の言葉に、消化される思いがした。


「……慶也、俺のせいでごめんな」

「イヤ、何言ってんだよ。これは僕の問題だよ。謝るなんておかしいよ。

って、兄さん!何や、その顔!まさか兄さんまでイジメられてるんちゃうやろな!?

……そんなワケないか」

いつもながら、ハキハキと物を言う。

こんな状況で。


…慶也。


「せやけどな、お前。俺のせいで」

「だから、兄さんのせいじゃないって。

…うーん、でも今回のコレはドッチに転ぶかなぁ?これで僕は小突かれなくて済むのか。

でも恐怖政治でそうなっても、意味がないんだよな。うーん……

見られちゃったからさ、言うけど、実はね、もう随分前から続いとんねん」

あっけらかんと、淡々とそう言う慶也。

「全く、兄さんがカツアゲなんかするワケないやんか。ねぇ!全く、どんな言いがかりやねん!」


……自分を、試したくなった。


「お前、そんなん言うてるけど、俺ほんまにカツアゲやってるかもしらんで?」

この状況で俯いているのは、直樹の方。

その直樹の言葉に、慶也はすぐさま返事をする。

「ハハッ!やるワケないやん!それに兄さんが自分のこと、○○かもよ~?なんて言うハズないやん」

「………」


2人は路地裏から出て、歩きながら話を続けた。


「僕ら、もうすぐこの街引っ越すやんか。それまでにね、ちゃんと誤解解いときたかったんや、実は。

兄さんだって、自分の知らんところで自分がいろいろ言われてる思うたら嫌やろ?

言われたまんまにしてるのは僕だからさ。何とか説得しようとしてたんだよ」

コイツの方が随分と大人だ。

コイツの言っていることに、間違いなく裏はない。


何となく、何となくだが、ゆっくり話そうと思った。

示し合わせたわけではないが、バスにも乗らず、2人は歩きながら話をする。


「まぁ、火のないところで煙は立たないって言うけど、兄さんがそんな格好してるからって、人のお金を巻き上げるなんて絶対せぇへんわ。

誤解誤解!絶対誤解!

ごめんね兄さん。言われるばっかりで。僕に力がないから」

……謝るなよ。

どんどん、自分が虫けらに思えてくる。


今まで、慶也ともこんな時間は持ったことがなかった。

そして、このタイミングしかない。

そう思った直樹。

自分の出生や、これまでの成長の経緯をここで慶也に話して聞かせた。


自分が拾われた子であること。

3歳まで施設で育ち、お父さんとお母さんに救い上げてもらったこと。

慶也と血の繋がりがないこと。

それらを含めて、はっきりとした口調で話をした。

腹を決めて話したつもりでいた。

しかし、慶也の答えは直樹の思うところではなく、実に……。


慶也は言った。「そんなの知ってたよ」と。

そこには何の負もなかった。

「小学校の6年のときに、お父さんから全部聞いたよ。

僕ねぇ、頑張らなアカンって思うたんや。その話聞くまで、全然自覚がなかった。

面倒なこと、辛いことって、全部兄さんトコ行っとったんやね。

どんだけ我慢したんやろって、思うたわ。

僕も頑張らなって、本気で思うたから、だから野球も止めれた。塾へも通えた。

お父さんって、あんな人やんか。だから、今はこんな感じなんよ。

だったらこうしよう思うたんが、まず僕が頑張るやろ?ほんで僕がお父さんの会社の人間になって、ほんで兄さんを呼び寄せるんよ。

そらぁ僕だって頑張るけど、これまで積み上げてきたものが違うからね。兄さんの方が優秀なんやわ。

だから兄さんがね、トップに立って、僕が兄さんの手助けをするんや。

絶対この方がエエと思うんや」


……説き伏せられている感じがした。

名案かどうか、そんなのは分からない。

だけど、これが本当の慶也の考えなんだろう。

言いたいことはあったけれど、まずは認めようと思う。


「多分ね、兄さんが警察沙汰になったヤツあったやん。アレをお父さんがいまだに怒ってるんやわ。

そのうち誤解は解けるよ。

兄さんがやらなアカン、僕がやらなアカンっていうんじゃなくて、2人でやったらエエやん。

1回も間違えへん人なんか、おらへんやん。

2人でな、もっともっと力付けて、お父さん説き伏せようよ。ちゃんと説得しよ。

ほんでそん時にね、2人でお父さんのこと、許してあげようや」


この岐路の最中、慶也ばかりが喋っているような気がした。

慶也の声を辿りながら、直樹は考える。

俺がもし慶也と逆の立場なら『2人で許してあげようや』なんて言えるか?

俺だったらこう言う。

『お父さんを許してあげてね』って。


慶也は続ける。

「兄さんと僕が血が繋がっていようがいまいが、そんなの関係ねぇよ。

だってさ、僕の生まれる前の話だろ?僕は知らんもん。

生まれたときからお父さんとお母さんと一緒で、兄さんもおったもん。

僕の兄さんは、兄さんやろー。何回聞かれても、他に答えなんか持ち合わせてないで」


その言葉にも裏はないと信じられた。

……俺は、お前を疑うばかりだったのに。


「まぁ兄さん、今そんな格好してるからね。いろんなトコで誤解されるんかもしれんね」

慶也は笑いながら、そう付け足した。


今日起こったこと。

俺が良かれとも思わず、ただやってきたことは、一周して俺に返ってきただけなんだ。


久しぶりのこの感覚。

ちゃんと謝ろう。

素行を見直そう。


慶也は『あと約2ヶ月を我慢しよう』ではなく『あと2ヶ月でどうすればいいか』と考えていたんだ。

軽々しく言うわけではないが、俺は慶也を尊敬する。

ねっとりとした俺のこの陰湿な感覚は拭い去ることはできないが、真似ならできる。

そう思う。


2人の会話は途中から笑い話へと姿を変える。

夜道を並んで談笑しながら。

2人が向かうのは、同じ家だ。


甘い考えだとも思っているが、一つ一つ謝って回ろうか。

慶也の言葉、リアクションで随分楽になった。

俺は恐らく、多分、他の人たちと家族に求めるものが違うのだろう。

慶也は「そんなの関係ねぇよ」と言ったが、アレはあくまで慶也の意見であって、俺にはちゃんと関係あることなんや。


だけど、楽になった。

助かったよ。

小者で貧弱な俺は相変わらずコソコソするだろうが、それはそれでアリなような気がしてきたんだ。



次の朝、直樹はまずエミコのマンションへ行ってみた。

昨日の自分の態度を、謝るだけ謝ろう。

そう思いながら。


まずそんな確率はないが、また仲良くできれば…。

そんな曖昧な希望を思う。

学校には遅刻でも構わない。


彼女の部屋は、外からでも分かるほど静かだった。

ピンポーン

……無反応。


仕事は11時からなので、まだ寝ているのかもしれない。

そう思った直樹はポケットの中にあった合鍵を差し込む。


これって、今の俺がやるともう犯罪になるんかなぁ。

一瞬そんな考えが頭を過ぎるが、もう開けてしまったものはしょうがない。

謝りたいという衝動でソワソワしている自分を、早く押さえつけてしまいたいのだ。


ドアを開け、

「入りますよー」

と声を掛ける。


リビングに敷かれた布団は盛り上がっている。

予想通り彼女はまだ寝ていた。

直樹はしばらくその場に立ち尽くし、起きてこないかなと期待する。


昨日起こった、あの出来事。

あの、間。

あの、俺の出来の悪さ。

それらを考えると、今日話さないともう話す機会はないだろう。

だからといって、部屋に不法侵入した挙句、彼女を叩き起こすわけにはいかない。

また沸々と彼女に対する思いなど、どれだけ自分が悪者だったかを思い出す。


彼女はなかなか起きて来ない。

直樹は合鍵を返して帰ることにした。

そーっと布団の傍を忍び足で歩き、テーブルの上にキーを置く。

その時、いきなり布団がガバッと捲り上がった。


ヤベェ!起こした!

何て言おう。


振り返る直樹。

そして、更に驚いた。

布団を捲り上げ、起き上がったのはエミコではなく、男。

「何じゃー!お前!?おいコラァッ!」

その声に、エミコも目を覚ます。


直樹がじっと見つめるのは、彼女の方だけ。

…道理で、布団の盛り上がり方が大きいと思った。


起きぬけに何が起こったのか分からないような顔をしている、彼女。

立ち上がり、直樹の胸倉を掴みながら突っかかってくる、男。

これはこれで、ベストな状況な気がした。


直樹は男に向き直り、自分の胸元を掴んだ彼の顔をじっと見つめる。

その彼が喚いている言葉は聞いていない。

胸倉を引き寄せられた状態のまま、直樹は首を仰け反らせ、

「ちょうどエエと思うとるよ。良かった」

そう言って、自分の頭を大きく振り下ろした。

メキッ!ともいうような音を立て、直樹の額は彼の顔面にめり込む。

「いつまで掴んどんじゃ、このボンクラ!!ワレには文句あるんじゃ!

ま、この一発で気張ったるけどな」

そう吐き捨てる。


もうエミコの脅えた顔は見たくはない。

直樹は彼女を見ないようにしながら言った。

「合鍵、ここに置いてるから。ありがとう」

そして粘ることなく、部屋を出る。


「……イタタタタッ!」

その声と、ジタバタしている物音が耳に入ってくるが、エミコの声は一つも聞かなかった。

直樹は部屋を出て、今度は学校へと向かう。


……しもた。

お礼は言うたけど、謝罪はせなんだ。

でももう二度と会わないから、エエか。

そう思い、

彼女はもう、二度と会ってはくれないのだから。

そう結論付ける。



この日の学校での直樹は、妙に明るい。

菅井には「一応、一応な」と言いながら、例の△△高の相手の名を聞き出した。

これはあくまで、一応。


菅井には迷惑を掛けられないから…。


この24時間は、人生の中で稀に見るものだった。

いろいろありすぎた。


昼休み、いつものように直樹は屋上で昼食を済ませ、教室に戻った。

教室に入ると、直樹の机の前に見知らぬ2人が立っている。

その2人の姿を見て、また心臓の走る鼓動音を味わい、少し脅えてしまう。

彼らの頭や腕には、包帯が巻かれていた。


いくら何でも、また更に…?

そう思いながら、直樹は自分の席に着く。

2人の視線は直樹の姿を外さない。


……やっぱり、俺に用事か。


「なぁ、秋月ってキミやろ?」

「え?…あー、ああ。ちゅーか、お前ら誰や?」

直樹は相変わらず、自分と話をする者以外の顔は覚えていない。

「俺らは3年の浜田と下村っていうもんやけど」

「先輩が何の用事やねん。ここ、2年のクラスやで」

憮然としながらそう答える。


……できれば、カツアゲされた金を取り返してきてくれ。

と、言ってくれ。


「今朝なぁ、秋月直樹って知ってるか言われて、知らん言うたらドツキ回された。

俺ら2人の財布まで奪られてしもうたわ」

たくさんのクラスメイトがいる中、教室の空気がピーンと張り詰める。

「……どこの学校の生徒でした?」

「えっとー…あれは、☆☆工業やろ。なぁ?」

「そうや、☆☆工業や」

もう一人が大きめの声で直樹にそう言う。

「昨夜ウチの学校のモンが秋月直樹に襲われた、正直に言うて差し出せ言われたぞ。

キミは一体、この学校に通いながら何をやってるんや?何で俺らがこんな目に遭わなアカンねん。

僕らはもうじき受験なんやぞ。キミとは違うんや。巻き込まんといてくれるか」

その先輩がそこまで言うと、クラスの誰かが声を上げた。

「ウッソやろー!俺らも襲われるんちゃうん!?」

それは直樹にも聞こえてくる。


また聞いた、この言葉。

……何で俺がこんな目に遭わなアカンねん。

言葉はなくとも、付随するもの。

……お前のせいで。


直樹はガタッと音を立てながら席を立つ。

ビクッと驚く2人。

「先輩、どうもすみませんでした。僕のせいで。

何とかしますんで、どうかアイツらに見つからんように家へ帰ってください。本当にすみません」

そう言って、直樹は頭を下げる。

いったん身構えた2人だが、少しホッとしたような顔をして、

「イ、イヤ、そんな風に謝られたら何とも言えんのやけど。

まぁ、お金も2人合わせて8千円やったから、それくらいやったら別にエエんやけど」

そんな風に、直樹の詫びに返事をする。

しかし直樹は途中から聞いていない。


俺はもう、学校辞めて、ちゃんと働いて……

アイツらに話しても、☆☆工業には一緒に行ってくれへんわな。

……何とかせなアカンな。


墓穴を掘るって言うんか。

昨日今日で一体どがいになっとるんや。

俺の良き運は、もう燃え尽きたんかもしれん。

……何とかせなアカンな……。


直樹はずっとそんなことを考えながら、この日の授業を全て受け終えた。



アホになろうと思っていたが、こんなアホでマヌケになろうとは……。

あの時、人に迷惑掛けるかなぁって考えてみただろう。

こんなのは安易に予想できたハズや。

マヌケが付いたらアカンやろ。

許してもらえるハズがないと思うけど、俺1人の中に閉じ込めておくにはあまりにも大きすぎる。


家に帰ろうと、とぼとぼと校庭を歩いている直樹。

溜息を吐いて校門を出たところで、呼び止められた。

「おい、秋月」

ギクッとして振り返る。

そこには正彦と、グループの一人である新田の2人が立っていた。

正彦は直樹に駆け寄り、肩を組む。

「昨日あんな感じやったからよぅ、迎えに来てん」

「………」

正直なところ、かなり嬉しかった。

☆☆工業に狙われているなんていう事実、恐れることはない。


新田が言う。

「茶店行って、ゆっくりするか」

そう言ってもらえるこの状況で、やはり怖いのはコイツらに迷惑を掛けること。

……やはり相談はできない。

一人でやらないと。

狙われるのは俺一人で十分やろう。


「…せやな。昨日、何か悪かったな。

ハハッ!ちょっとイラついとってん。厚かましいことしてしもうたわ」

3人は並んで歩き出す。


コイツらは皆、腕力を競い合いたくて、揉めてナンボだということで集まった連中だと思っていた。

だけど違っていたんや。

いつの間にか俺が核になり、恐怖政治で慄かせ、無言の号令を掛けていた。

…テツの言葉は身に沁みた。

「せやけど、まぁアレや。ちょっと柔らかい感じでよ、俺も行くことにするから」

「は?何やソレ」

別に、通じなくても良かった。

自分の中で理解をしておけば。


3人で並んで歩く。

この時ばかりは本当に、とてもとても嬉しかったのだ。



いつもの喫茶店に近づくと、店の前にいつものメンバーが並んでいるのが目に入ってきた。

「アレ? 何やアレ。何で皆、外におるん?」

直樹が尋ねると、正彦が答える。

「あー、まぁ…。まぁエエやないか。皆、お前待っとったんよ」

「あ、そう」

いつもと違う雰囲気で、出迎えられるように、招き入れられるように店の中に入る直樹。

いつもの席に座る。

皆も同じように店に入って来るが、何故か座ろうとしない。

「アレ、どうしたん?座らへんのん」

「………」

返事も何もなく、皆が顔を見合わせるような仕草をする。

何が何やら、さっぱり分からない。

皆の様子がおかしいと思いだした頃、店のドアがキイッと音を立てて開き、ゾロゾロと人が入ってきた。

彼らの制服に目を遣ると、

……☆☆工業。


「………」

「ハハッ!お前か、秋月言うんは。

売った売った!ちょっと脅したったら、すぐに皆でお前を売りよったわい、このボンクラら!」

そう言った☆☆工業の1人は、新田の髪の毛を掴み、クイッと引き寄せる。

「ビビリが揃うてイチビッとっても、どがいにもならんわな!

秋月、お前昨夜、ウチの1年ヤッてくれたらしいのぅ」

直樹はそこで、ようやく状況を掴んだ。

スッと立ち上がる。


いつものように冷静ではいられなかった。

コイツらが、一体何人いるのか分からない。


「……オイ、お前か。テツやッてくれたんは。ウチの学校のモンから今朝、金巻き上げたんもお前か」

「テツぅ?誰やソレ。金巻き上げた?知らんな。

それより何より、誰が喋ってエエ言うたんや? 

黙ってついて来るか、ここで半殺しにされて簀巻きにされて連れて行かれるか、どうするんや」

直樹は正彦の顔を見てみる。

正彦はサッと目を逸らす。


多勢に無勢と言うけれど、一体何対何なんや。

お前らは一体ドッチ側なんや。


「フハッ!」

直樹は噴出してしまう。

直後、すかさず判断した。


逃げる!


直樹は振り返り、いつもの直樹の席の後ろにある窓の鍵を開ける。

それと同時に、そこから飛び出した!

一連のその動作が何秒間のことだったのか、その行動は素早かった。

窓から地面までは結構高さがあったが、躊躇はない。

飛び降りた瞬間、先日から痛む足首に響いたが、一切迷わない。

直樹はカバンも店に置いたまま、全速力で走り出す。


一体何人で来たのやら。

後ろを振り返ると、大勢の人間が追いかけてきた。

…その中に、正彦もいたような気がした。

前を向き直すと、前方にも☆☆工業の生徒が。


完全包囲、いうヤツか。

こんだけやってくれたら、悲しゅうもないで。


直樹はそのまま全速力で、前方の集団に突っ込んで行く。


ザッ!!


倒れこむ☆☆工業の連中の中、直樹も転んでしまう。

が、すぐに起き上がり、走り出す。


直樹は逃げるのを止めない。

細い入り組んだ路地裏を、ああだこうだと考えず、

倒してしまった自転車に見向きもせず、

ぶつかったおばさんに詫びもせず、

一心不乱に逃げてみる。


「ハー、ハー、ハー…ッ!」


やがて抜け出した場所は、直樹の来たことのない場所。

車1台分が通れるほどの土手。

広がる河川敷。

直樹は息を切らしながら土手の斜面に座り込み、ここまで来れば安心だろうと高を括る。

「こっちは、ほぼ毎日、走り込んで、鍛えとんねん!ナメんなよ!」

ハア

     ……ハア

ハア

          ……ハア


独り言を言ってしまう、このテンション。

いっぱいいっぱいまで、反り返っている。

これ以上力を入れると、軸より先が折れてしまいそうだ……。


やっぱり走るっていうのはいい。

何も考えんで済む。


しばらくして、直樹は草むらから立ち上がった。

タクシーを拾って帰ろうと、辺りを見回してみる。

遠くに鉄橋が見える。

国道だ。

直樹はまた、走り出す。


迷うことなんか、一つもない。

もう俺が帰るところは、家しかない。

走りながら、後ろから車が近づいてくることに気づき、直樹はスピードを落としながら少し左に寄った。


タクシーかな。

そう思って振り返ってみた。


違う。

白い車。


直樹は向き直り、国道を目指す。

と、

次の瞬間


―――― ドンッ!!!


鉄橋が、逆さまに見えた。


スロウ。


舞い上がる。


顔面が地面に辿り着くまで、少し時間がかかったような気がした。


ダンッ!!


直樹は咄嗟に手をつく。

受身を取ることもできない。

体は土手の斜面に思いっきり打ち付けられ、ズルズルと下へ下へと滑り落ちて行く。

顔に草が擦り付く。

青臭い匂い。


摩擦が止まると、目の前に靴。

―――― 折れ曲がった?足?

しかしそれは、靴のみ。


拾おうと、腕を伸ばそうとするが、体は思うように動かない。

何とか、どうにか体勢をひっくり返す。

土手に視線を上げると、車から降りてくるのは☆☆工業の生徒。

……また、笑ってしまった。


コイツら、マジか。

車で轢きやがった。


「……ハハハッ!」

…もう、行かれん。


これまで一度だけ、足の骨を折ったことがあるが、どういう感覚だったかは覚えていない。

この痛みは骨が折れてしまっているのか。

よく分からない。

体の痛みと反比例して、妙に頭ははっきりしとるもんやな。


☆☆工業の生徒が3人、直樹を見下ろしていた。

「逃げられるワケないやろ。目ェ開いとるな。死んでへんな」

頭だけは、妙にはっきりしている。

落ちたところが柔らかくて、それが幸いしたのか、それとも不幸なのか。

俺はこの後、どうなる?


3人が直樹を抱え上げた。

体に力が入らない直樹はされるがまま。

そのまま直樹はトランクに押し込まれ、間もなく車は走り出す。


真っ暗な中、直樹は呼吸を整えることに集中し始めた。

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