急流 1
暴力描写があります。
―――― 君の未来を七色と表するならば、三色くらいは僕の細腕で補うものだと思っていました。
約束したわけじゃないけれど、そう信じていました。
ここに記すほどの落ち着きを取り戻したわけでも、取り戻したつもりもない。
もう、かれこれ何冊目だ?
3歳からの付き合いである、僕の系譜。
自分に過失があったと思うと楽になり、また元の位置に降り立つ日昼夜。
我執したつもりがないところが過失なのでは。
そう問うてくれる人がいるわけでもなく、またぐるりと一周して降り立つ。
蔓のごとく張り付いてでも執着すべきだったのか。
そこまで自分に自信がないのは、僕が一番知っている。
ストレスとは自覚症状がないものの積み重ね。
だから蓄積するもの。
完全無欠というものがこの世に存在するのか。
彼は、俺の家は貧乏だと言った。
彼は、誰にだって少なからず背中と腹に傷があると言った。
もし僕がこれであれば……
一度も失敗しなかったということなんだ。
虚妄は罪とも思うが、そこに憂いがあれば、とも思う。
麒麟児という単語を口にしている人を、見たことがない。
だけどその単語に憧れた。
自分はそう表されたいと。
才能とは持ち合わせているもの。
努力でどうこうなるわけではなく、ギッコンバッタン。
僕の身は思考・妄想よりも軽いと知り、ギッコンバッタンする。
その憧れの単語を、僕は彼女に託したんだ。
彼女こそ、その人だと。
憧れ、凝視し、好意を抱き、夢中になった。
でもそんな彼女にも、自分で弱点と表するものが……
暗闇
一つの明かりもない場所
真っ暗闇
そこに身を置くと、過呼吸になり、眠れなくなるという話。
彼女は言ったんです。
これは内緒だと。
トラウマなんてのは、人にああだこうだ言うものではない。
というより、これをトラウマと表していいのかどうかも分からない。
過去に自分の身に何かあったのか。だから暗い場所が苦手なのか。
覚えていないんだと言った。
これをトラウマと表するには早すぎる。
そう言いながら、自分の弱点をこの僕に。
虎、馬の話だと思った。
普通にその単語を用いて話をする彼女の前で、
その単語を知らない。
言えなかった、僕の愚。
辞書に書かれている内容を見て、知るところ。
……幸せだと思った。
僕はそんなものを持ち合わせていない。
僕にはそんなものはない。
完全無欠とは妄想であっていいんだと、知った。
3歳の頃、両親が仕事で僕は留守番。
夜になり、自分の家に帰ろうとする土井さんの腕を引っ張った思い出。
4歳の時には、新幹線の乗り方を覚えた。
思えばあの頃、時刻表などではなく、場所・色・形で覚えていた、新幹線の乗り方。
父の呼び出しに応じるために覚えた、新幹線の乗り方。
酔っ払った大人2人がケンカを始め、それに巻き込まれ、足の骨を折ったことがある。
あの時、足の怪我よりも、乗るはずだった新幹線に乗れなかった不安・恐怖の方が大きかった。
初めて両親に会った時のこと。
学校での班での集まり。
流行りものの、俗物。
思い出せばキリがない。
それらを引き合いに出してみる。
思い出すと、ゾッとはするが。
それらが全て、そのトラウマというものの要素であるのだとしたら、僕は今頃生きてはいないだろう。
これらを要素にするのは、大変厚かましい。
彼女が僕にそっと教えたというのは、大変厚かましいと表したここに理由があるんだろう。
そして、僕に過呼吸などの事実はない。
彼女はそっと、僕にだけ話してくれたんだ。
人に自分の弱点を言い回れる奴が羨ましいと言ったのだから。
よっぽど味方がたくさんいるのか、相当のアホだろうと。
僕にそっと、教えてくれた。
あれは彼女の黒だったのか。
白だったのか。
混じり合った部分だったのか。
もしそんな風に暢気に生きられるのであれば、僕にも弱点があると表して生きたい。
僕の周りには人がいないから……
そのアホになれたらな。
……また人に迷惑を掛けてしまうのだろうか。
でも、そうやって生きてみようか。
僕のことを見ている人はもう、いないのだから…… ――――
◆
もう俺は期待なんかせぇへん。
だから俺に期待させるな。
直樹はある学校の屋上にいた。
何人かの他校の生徒を引き連れて。
そうしてこの学校の生徒たちと、一方的な乱闘を繰り広げている。
直樹の右手は、自分のものとも相手のものとも分からない血で、赤く染まっていた。
「オイオイ、何やねん。ホンマにお前がココで一番強いんか?そがいなこと言われるの、10年早いんちゃうか?」
直樹はそう言いながら、膝をついている相手の前髪を左手でワシッと掴み上げる。
「代表して俺が言うたろかー?」
口からダラダラと血を流している彼は、直樹に哀願する。
「わ、悪かった!ホンマに悪かった!!か、勘弁してくれ!!」
か細いその声を耳にした直樹はしかし、一つニヤリと笑みを浮かべ、次の行動に移るのだ。
「10年早ェんだよッ!!」
言うが早いかするが早いか、直樹は彼の前髪を掴んだまま、顔面に膝をめり込ませる。
グシャッ!!
首をカチ上げられ、吹っ飛ぶ彼。
直樹の左手にはたくさんの髪の毛が残っている。
「キッタねぇから、こういうの勘弁してくれるかー」
そう言って、顔面を押さえのた打ち回る彼に歩み寄った。
苦しみ、暴れ回っている彼を気にすることもない直樹。
胸倉を掴んで、
ガシャガシャンッ!!
屋上のフェンスに押し付ける。
とてもよく晴れた涼しい日。
快晴
青空
……グシャッ!
フェンスがきしみを上げた。
彼の上体はフェンスの外へ、押し出される。
「ッギャ――――ッ!!」
直樹に胸倉を押さえつけられた彼の叫び声が、青空に響き渡った。
「なぁ、お前の脳天の下に車がズラッと並んであるわ。
俺、噂で聞いたんやけどな、車のフロントガラスってな、事故したときに乗ってる人間に突き刺さらんように、粉々になるようにできとるって聞いてん。いっぺん試してみてエエか?」
「ァアアアアア――――ッ!!!もう、勘弁してくれ!!ごめん!ごめん!!ごめん!!!」
「謝んなって。謝ってもらおうなんて思ってへんねん。こっから落ちて一発、お前のエエとこ見せてくれんかー?
ここでプチッといくか、細川ってドレか、教えんかい。
ツレか何か知らんけど、楽になるぞ。ドッチ選んでもな」
「……ッ」
するとその彼はされるがままであった首を少し起こし、周りにいた同じ学校の生徒1人を指差した。
「チッ!」
直樹が胸倉から手を離すと同時に、彼はズルズルとその場に座り込む。
指差された生徒はその場から慌てて逃げようとするが、直樹と一緒に乗り込んだ他校の生徒が彼を取り押さえた。
「オイオイオイ、せっかくここまで来たんやからよぅ、逃げんといてや」
「……ヒッ!」
押さえつけられているその生徒は言葉も出ない。
震え上がっている。
そんな彼に直樹はニコッと笑い、いきなり
ズバーンッ!!
その彼に、首が吹っ飛ぶほどの張り手を一つお見舞いした。
1発だけで彼の口から滴り落ちる、血液。
それを確認した直樹はもう一つ、反対から同じような張り手を食らわす。
ズバンッ!
彼は、今度は反対側に張り飛ばされる。
「な~んで最初っから名乗り出ェへんのや?お前が正直に言うとったら、お前一人で済んだんやぞ?」
「すびばぜん!すびばぜん!!」
そう叫ぶ彼の両耳を掴みながら、直樹は言う。
「これなぁ、ちょっと下へ向けて力入れたら、簡単にちぎれよんのや。知っとったか?耳ってのはな、骨で繋がってへんからな。
どうするんや?ゼニ返すか、耳なくなって男前になるか。俺、優しいやろー?オノレんトコのボスにもちゃんと選択肢あげとるからなぁ。
俺は別に、オノレの片耳1万5千円でも構わへんで」
以前の直樹とは思えない形相。
その学校の生徒は誰一人、仲裁には入らない。
「分かった!返す!返す!!」
それを聞いた直樹は耳から手を離し、その彼から手を離すよう周りに指示を出した。
ポケットに手を突っ込み、ゴソゴソして彼が差し出したお金は2万円。
「おい、ちょい待てェ。こっちは3万って聞いとるぞ。1枚足らへんやないかい。使うたんか」
「イヤ!ちゃうねん!ちゃうねん!!」
そう言ってもう片方のポケットを探る。
そうして取り出したのは、ステッカー2枚。
「何や、こりゃ。ハァ?」
「イヤ、ツレにな、暴走族やっとるヤツがおって、1枚5千円で買わされたんや。だから1万はないねん」
直樹は指先でそのステッカーを取り上げた。
「ほならお前、俺をそのゾクんトコに連れてけ。1枚5千円で買い取ってもらうわ」
「イヤ!勘弁してくれ!!そんなことしたら俺、後でどんな…ッ!」
そこまで言ったところで、直樹の蹴りが顔面にめり込む。
ゴリッ!!
吹っ飛ぶ彼。
「アレもできへーん、コレもできへーん言うてお前、話が前へ進まへんやないか。オイ!オイッ!!」
直樹は倒れた彼の髪の毛を引っ掴み、振り回し、煽る。
その時後ろから
「おい、ちょっと待ってくれ!!」
声を上げたのは、先ほど相手にしていたこの学校のボスだ。
「ここに2万ある!せやからコレで勘弁してくれへんか!!」
四つん這いになって2万を差し出す彼。
直樹は振り回す行為をやめ、彼に近づきその2万を受け取った。
「…ほんならこのステッカー、2枚お買い上げやな。ほんで釣りの1万円や」
言いながら、ステッカーと1万円札をハラハラと落として一言、
「拾わんかい」
直樹と、一緒に乗り込んできた仲間たちは、そうしてその学校を後にする。
「おいおい直樹!お前、やっぱりメチャクチャ強いやんけ!
お前がハッ倒したアイツ、強うてメチャクチャ有名なんやぞ?相手にならんやんけ!」
それを聞き、返す直樹。
「ハア?あんなモンが強いってか。しょうもない。
もうちょい力入れとったらあのボケ死んどったぞ。余裕じゃ、こんなモン」
……期待して、期待されて、 また期待する。
求めだすとキリがないので、願いは半分にしていた。
直樹17歳。
高校2年生。
次の日、登校すると1人の生徒が直樹を待っていた。
「秋月くん、どうやった?何とかなった?」
校庭を歩きながら、校舎に向かう2人。
「おう、全然余裕や。ほら」
そう言って直樹は財布から3万円取り出し、彼に渡す。
「ほんまにいつもゴメンね。ありがとう。秋月くんのおかげで、お金が返ってくるようになったわ」
「別にかめへんよ。俺はお前らと違うて暇やからな」
「暇って、よう言うわ!そんなん言いながら、テストでいつも必ず30番台には入ったあるやん!
俺なんか勉強しかやってへんのに、100番台にも入ったことないわ。
カツカゲで対抗する……ケンカする力も持ってへんし」
「そんなん別に持たんでエエんちゃう?」
そうして直樹は先々と教室の中へと入っていく。
昨日の大乱闘は、クラスメイトがカツアゲに遭って奪われたお金を、直樹が取り返しに行ったものだった。
この頃の直樹は、友を作ろうと一生懸命なのだ。
しかしこの学校には放課後、直樹と連れ歩き遊び回るような生徒はいない。
昨日一緒に乗り込んだ生徒たちは、全員他校の生徒。
以前直樹と揉めて、手篭めにされた者たち。
『どうせ俺は暇やからな』
これが最近の直樹の口癖だ。
頭の中で言葉にせずとも、いつもそう考えていた。
直樹はこの日、3日ぶりに家へと帰った。
玄関に入ってまず会ったのは、慶也。
「ちょっとー、兄さん!ドコ行っとったん?3日も帰らへんで」
慶也もかなり大きくなった。
中学2年生の彼は父の命令通り、野球を止めた。
陽に焼けて真っ黒だった彼の肌は、今では青白くなっている。
「お前、こないだのテスト、どうやった?」
「あー、…32番だった。アカンわ、まだまだやわ。兄さんみたいにはなられへん」
「何言うとんねん。すぐソコに見えてるやん、俺なんか」
直樹は階段を上り、自室へと入る。
直樹が高校に進学すると同時に、父は単身赴任という形で東京本社に戻って行った。
直樹の思うところ。
父は、慶也が勉強を頑張り始めたこのタイミングで、学校を変えることはないと判断したのだろう。
母、慶也、土井さん、直樹はこの地に残ることになった。
しかし父はそろそろ家族を東京へ呼び戻そうとしている。
世間への体裁を考えて。
父が自分の目の前からいなくなった。
そのお蔭かどうか、俺は自由に、望むようにやっている。
そんな俺は、何て小さいんだろうと思う。
……ビビリやがって。
ある程度の大学には行かないと、とも考え、大学に行かせてくれるんだよな?とも考える。
この折半された思考の中、備えがあればと、以前のようにとはいかないが勉強は続けていた。
その他。
俺はケンカをやったらどのくらい強いのか。
そんなことにはそれほど興味はないのだが、暴れ回っていればその内、……
この身長と、見立ててもらったこの髪型は、あの頃から変わらない俺の目印。
もう、あの疎外感。
あれだけは勘弁してもらいたい。
頼むから俺の周りに誰か、人が居てくれ。
学校では中学時代とは違い、いつも直樹の後をついて回る者が何人もいる。
学校を出れば、他校の生徒たちを引き連れ、街中を練り歩いている直樹。
確実に違うのだ。
以前とは。
学校が終わると、自然と皆が集まる場所がある。
街の喫茶店。
そこで1~2時間大勢でダベッてから、街中を練り歩く。
賑やかなのが良いことで、もう静かなのは勘弁なのだ。
「おい直樹。こないだよぅ、○○高のヤツがな、メンチ切ってきやがったからボッコにしたったわい。
お前の名前出したらビビリ上げとったわ」
「………」
そんな言葉を耳にする、こんなことになるとは思っていなかったけれど、これは良い調子なのだ。
あの時から変わらない髪型とこの身長は、目印。
更に名前が知れ渡ったとなれば……
―――― そのうち、出会うだろう。
そんな目論見を持ちながら、もう2年になる。
いまだに会えない。
静かなのは困るので、周りが賑やかなのは良いことなのだが、以前とは違う。
……前は、たったの3人だった。
いろんな学校の生徒で、こうやってグループを作っている。
いろんなヤツがいると知った。
だけど違和感があり、何か違うのだ。
「俺、今日は先帰るわ」
そう言って、集団から抜け出す直樹。
直樹はまだ、ボクシングジムにほぼ毎日通っていた。
しかしこのことは誰にも話していない。
話していいのかどうかも分からない。
プロテストを受けようと考えていたが、視力が原因で諦めることになった。
こんなことも、誰にも話していない。
今日は会長が何か用事があるとかで、早い時間にジムが閉まった。
このジムの近くには、慶也が通っている塾がある。
あいつ、確か今日は塾だったな。
普段はこんなこと思わないが、ただ何となく、時間があったのも手伝って直樹は考える。
迎えに行って一緒に帰るか。
直樹は塾へと向かって歩き始めた。
直樹はずっと、塾なんてモンは、という考えだった。
だが今、大好きだった野球もやめ、勉強を頑張っている慶也を少なからず応援している。
帰りにたこ焼きでも奢ってやろうか。そんなことも考える。
塾に近づき、建物を見上げると教室にはまだ明かりが点っていた。
どうやら早く着きすぎたようだ。
直樹は道路を挟んだ向かい側の駐車場に座り込み、慶也が出てくるのを待つことにする。
しばらくすると、ゾロゾロと生徒たちが出て来た。
それを見て直樹は立ち上がり、建物へと近づいて行く。
と、彼らの集団の向こう側に、ある人の輪を見つけた。
街灯に照らされた、数人の男子生徒たち。
ゆっくりと近づく直樹。
そして彼らの顔が判別できるほど近寄ったとき、その光景の真ん中にいるのが慶也だと気づいた。
5人の同級生らしき中学生が慶也を取り囲み、小突いている。
正面の彼が慶也を突き飛ばす。
よろめいた慶也を、今度は背後の彼が突き飛ばす。
「………」
……知らない者ならば、無視もできる。
そんなことは容易いが、しかしその真ん中にいるのは間違いなく慶也。
イジメに遭っている。
そう思った。
彼らは何かを喋っているが、直樹には聞こえてこない。
こんなとき、どうすればいいのか分からない。
俺は慶也の味方をして、あのガキたちを一網打尽にしていいのか。
俺は強いぞ。
見て見ぬフリをして、このまま帰るか。
何となく声を掛けてみるか。
……正解は?
足を止め、その光景をじっと見つめている直樹。
思い、考えながら、時間が過ぎて行くのをただ待っている。
……やっぱり分からない。
そのうち慶也は1人にドンッと強く突き飛ばされ、尻餅をついた。
それを見て、彼ら5人はゾロゾロと自転車に乗って帰って行く。
たった一人残され、座り込んでいる慶也。
……どこまでもどこまでも、
つくづくや。
……俺はなぁ。
イラッとしたが、これは慶也のせいではない。
見守っていて正解だった、とすら思っている。
……相変わらずのクズや。
そう思いながら、自分で二面性と表するようになった、次の態度。
いかにも今通りがかりました、という態度。
「おい慶也、何しとんねん。道端に座り込んで」
……クズめ!!
「ああ、兄さん。どうしたん?こんなトコで」
「イヤ、遊んどってん。ほんでたまたまな。お前、今日塾やっての知っとったからよぅ、寄ってみてん。
俺、ちょっとゼニ持ってるけど、何か買い食いしてくか?」
……しゃあしゃあと!
慶也の態度はいつもと変わりなかった。
「ちょっと暗ぁて躓いてしもうてん」
普段通りの慶也の顔。
前から思っていたけど、こいつは本当にたくましい。
感じるところも、見るところも、俺とは全くちゃうんやろう。
格好が良いと思う。
今のがもし、逆の立場だったら。
……アホか。あり得るか。
直樹は慶也の汚れをパンパンと払ってやる。
俺がイジメなんかに遭うか。
あんな5人、踏み潰したる。
「よっしゃ、ほんなら俺がいつも行くお好み焼き屋へ行こうか」
「おー、いいねぇ。兄さんの奢りやろ?」
「エエよ」
……俺は前とはちゃうぞ。
必死で必死で、
変えたんや。
……どもならん。
◆
何故父は、家族を置いて一人で東京へ帰ったのだろうか。
少なくとも、慶也だけは連れて行くものと思っていた。
女なんだろうな、と思う。
あと数ヶ月で自分たちもこの地を後にすることになるが、慶也の今回のこと。
そのあと数ヶ月、我慢すべきなのか。
あれは、俺にはイジメに見えた。
アイツがやり返すタイプではないのはもちろんだが、相談する相手がいないとは思えない。
いっそ俺にでも言ってくれれば……
中学生相手だろうと、やれることはある。
この際、あの父は関係ないことだろう。
こんな相談をあの父に持ちかけたところで、慶也にだって舌打ちで返事をするに決まっている。
直樹は、自分には関係ない、そう思えずにいた。
それと同時に、同じ頻度で、俺に期待するなとも思う。
次の日も、次の日も、どうしていいのか分からず、そのまた次の日もただ心配をしている。
直樹の学校の生徒はやはり以前と同じく、勉強を本業、糧として生きてきた人たちが多く、話はすれど込み入った話はしない。
そんな仲を保ちながら、直樹はこの学校での日々を過ごしていた。
ある日の昼休み、自分の席に座り外の景色をボケーッと眺めていると、背後から声を掛けられた。
「ねぇ、秋月くん」
話しかけてきたのは菅井だ。
あの墨汁事件の彼。
彼は直樹と同じこの進学校に進み、また同じクラスになっていた。
その声に振り返る直樹。
「あんな、秋月くん。カツアゲされたお金とか、そんなん取り返して来てくれるってホンマなん?」
「誰がそんなこと言うとんや?」
「あ、イヤ…学校中でな、そういう噂になってるで」
「………」
自分の中では正しいことをしているつもりだが、正しいやり方だとは思っていない。
更に言うと、目的を果たすためのキッカケ、手段だと思っている。
「何や、誰かに金奪られたんか。ドコの学校のヤツや?名前は?
名前まで分からんか。ドコの学校や?」
黙ってしまう菅井。
「何やねん、お前。黙られたら分からへんやろ。取り返したるよ。制服見たら学校くらい分かるやろ?」
「……えっと、…えー…△△高校」
「ふーん。そうか。で、ナンボ奪られてん」
俯いた菅井は小さな声で応える。
「それがもう……覚えてへん」
「ハァ?」
菅井から事情を聞くと、彼からお金を巻き上げているのは小学校のときの同級生。
彼らと菅井は違う中学校に進んだが、通行手形料とワケの分からないイチャモンを付けられ、毎月3万円ずつ巻き上げられているらしい。
それを聞いた直樹は驚愕する。
「おい、確か中学時分も同じ学校でイジメられとったよな。
何?ひょっとして小学校のときもソイツにイジメられとったん?」
「………」
返事なく、菅井は肯くのみ。
……ある意味、感心してしまった。
「変な意味ちゃうで?変な意味ちゃうんやけど、お前の親父さん、仕事何やってんねん。
こんな学校へ来てるお前が、アルバイトしてるとは思えへんねんけど」
そこで、菅井は完全に黙り込んでしまった。
……多分コイツは、今まで俺が出会ったどの人間よりもマヌケや。
そう思う直樹だが、その方法が、それを防ぐための方法が見つからなかったその気持ちも分かる。
「よっしゃ、菅井。じゃあな、今日の帰り、俺に付き合えや。俺の仲間と一緒に取り返しに行ったるから。そん時詳しゅう話聞くわ。
放課後、一緒に行こうか」
「え!?秋月くんの仲間!?……僕、前に街で秋月くん見かけたことあるんやけど、あの他校のヤンキーの人らやろ?」
……ヤンキー?
仲間と評しながら、ヤンキー……
コイツから見たら、俺もやっぱりヤンキーなんかな。
「……ちょっと僕、怖いんやけど」
……こういうヤツはもし次に何か選択肢を与えても、無理と言う。
アレもコレも、できんと言う。
分かってる。
「よっしゃ、分かった。じゃあ俺一人で行ったるわ。
△△高校のヤツやったら、つい一週間くらい前にインネンつけて来たから張り倒してやったんや。
俺一人でも余裕やろ。そん代わり、ついて来てもらわなアカンで。どんなヤツか分からへんからな。
今日早速行こうや。放課後早めに抜け出すでー」
ようやく顔を上げる菅井。
「ほんま?取り返してくれる?」
「うん、エエよ」
すっかり関西弁も板についた直樹。
今の自分にとっては、こんな形でも構わなかった。
俺に期待するなと思いながら、期待されると喜んでしまい、そしてそれと等しく期待もしてしまう。
そんなことを考えながら、俺はこんなに便利なヤツだったのかと思う。
都合が良すぎるんちゃう?俺。
直樹と菅井は放課後のホームルームを前に、学校を出た。
△△高校はここからそう遠くない。
自転車で向かう2人。
「なぁ菅井、あの学校って○○郵便局前のバス停の傍やったんなぁ?」
「うん、そう」
「じゃあ15分くらいで着くな。ソイツがおるかどうか分からへんけど、見つけたらお前はすぐに逃げるんやぞ?足手纏いやからな、おってもろうても」
「うん、分かった」
交差点に差し掛かり、信号待ちをする、
横断歩道の向こう側で、同じく信号待ちをしている数人は2人が目指す△△高校の生徒だ。
「おい菅井、アイツらとちゃうか?」
直樹は彼らを指差しながら尋ねる。
しばらくじっと見つめ、
「あの中にはおらへんわ」
菅井がそう答えた直後、直樹の横で彼の自転車が大きく音を立て、倒れた。
ガシャンッ!
それと同時に菅井は道路に倒れこむ。
ハァ!?
そう思った直樹。
瞬間、自分の自転車も強い力で横に倒されそうになった。
何や?!
直樹はサッと自転車から飛び降りる。
振り返ると、ソコには△△高の制服を着た生徒が3人。
直樹の後ろに立った1人が大きな声で叫んだ。
「おーい!!コイツや!コイツが秋月や!!コッチから出向かんでも、わざわざ自分から来よったで!!」
それに反応したのが、横断歩道の向こうの生徒たち。
赤信号に構わず、こちらに向かって駆けてくる。
「おいコラ、ワレか、秋月いうんは。こないだウチのツレ、エライ目に遭わせてくれたらしいのぅ」
言いながら、1人が直樹の胸倉を掴み寄せ、グッと押し上げた。
……えっと、えーっと……1、2、3、4、5、……7人か。
相手の人数を数える、冷静な直樹。
「おい、おい!お前!」
直樹はここで菅井の名前を呼ばないようにと気を遣う。
「こん中におるか?」
尻餅をついたままの菅井は声も出ず、ただ首を横に振って答えた。
「何や、おらんのかい。ほんならお前らには用事ないわ。早よ帰れ」
直樹の言葉に、彼らは頭に血を上らせ、
「お前、エエ根性しとるやんけ!!ちょっとこっちへ来いッ!」
菅井をスルッと通り抜け、移動を始める8人。
直樹は4人に引き摺られながら、振り返る。
「こりゃあまた明日やな。今日は帰った方がエエで。っちゅーか早よ帰れ」




