告白 3
直樹はずるずると足を引き摺りながら考える。
形容し難いこの感情。
楽しかった。
痛かった。
無駄な時間だった。
手のひらのネックレスの感覚を思い出し、良かったんだと答えを出す。
以前とは違う、俺。
タケシもパクウもマイティーもその他も、皆イイ奴だ。
無駄なんて一つもない。
片方失くしたコンタクトだって、必然だろう。
こんなに腫れ上がっちまってんだ。
着いたままだったら大変だろ?
パクに言われた通り、信号を左に曲がり、真っ直ぐ進む。
その先に、目的の銅像はあった。
紀子が言っていたように、こっちに足を向けている銅像。
これで間違いない。
そこへ近づき辺りを見回すが、紀子の姿は見えない。
「………」
…そうだよな。
随分遅刻した。
そりゃ、帰っちゃうよな。
ここは待ち合わせによく使われる場所なのか、たくさんの人がいた。
茎だけの花束を持って顔を腫らし、流血している直樹を、皆が遠慮のない視線で見つめている。
こんな格好で目立っちゃってる俺に会わなくて正解だよ、久保さん。
直樹は人混みの中、立ち尽くす。
待っていても、いないものは、いない。
そろそろ帰ろうかと決めた頃、
「秋月くん!」
と、声がした。
間違いなく、紀子の声。
ハッとして周りを見渡すが、暗くなり始めたのも助け、人混みの中に紀子を見つけることができない。
キョロキョロする直樹に、後方からカラッコロッと駆け足の音が聞こえてきた。
振り返ると、そこにはいつもと全然違う雰囲気の紀子。
……着物着てる。
その姿を、直樹はボケッと見つめている。
「………」
ジイィィーッ
ジイイィィーッ
賑やかしいセミの声。
…悪かったなぁ、セミ。
さっきはあんなこと思って。
お前たちの声は、最高に夏場を演出してくれている…!!
紀子の姿を見ながら、セミの声を聞く直樹。
紀子は待っていてくれたのだ。
「ちょっとー、めっちゃ遅いやん。っていうか、ナニその顔!どしたん?」
その声に、直樹は現実に戻る。
そうだった。
こんな顔だった。
「…ごめんよ。ヤボ用ができちゃったんだ。それで遅くなっちゃった。
ケガしてこんな顔になっちゃうし。最高だよね。……ごめんよ」
……最近俺は、よく人に謝る。
紀子の顔が目の前まで迫り、
「うわー、ちょっとメチャクチャ腫れてるやん。ちょっとあっちに移動しよ」
足を引き摺る直樹に気が付き、紀子は肩を貸してくれた。
そのまま水場まで行くと、紀子はハンカチを濡らして直樹の顔に付いた血の塊などを拭き落とし始める。
「腫れてるトコってね、実は冷やしたりすると治りが遅うなんねんよ。せやけど痛いもんねぇ。ちょっと冷やしといた方がイイわ」
言いながら、濡れたハンカチを目にあてがってくれる。
「ありがとう。ごめんね、ハンカチ汚しちゃうね」
……俺は最近、お礼もよく言う。
人と関われば関わるほど、お礼と謝罪を繰り返す。
人は間違えながら、人の世話になる。
お礼も謝罪も、以前のペースを考えたら一生分しちまったくらいじゃないのか?
こうやって考えると、人と接しながらお礼を言えない奴ってのは最低なんだろうな。
「私ね、お兄ちゃんがおるんよ。お兄ちゃんもよう悪さして、ケンカして帰って来よったから、ケガの対処の仕方とかよう知ってんねん。
他に痛いトコある?」
「ありがとう。でも平気だよ」
またまたまた、涙が出そうだ。
誤魔化さなきゃ。
「久保さん、その着物、普段着てねーだろ。俺と会うからわざわざ着て来てくれたのかい?」
「えぇ?!……ちょっと秋月くん!人の心境、言わずにおりたいことをハッキリ口にせんといてくれる!?
ちなみにコレは着物じゃなく、浴衣です!」
「………」
「………」
それから、照れたような沈黙がしばらく続いた。
やがて、紀子が口を開く。
「肩車、無理やりされへんように浴衣着て来たんやで?アッハハハッ!
……秋月くんね、花火大会って実質、花火上がってるんは1時間ないんやで。知ってた?今から行く?」
俺は久保さんとお話できるなら、花火の大会なんてどうでもいい。
そう思った。
「そうだよね、久保さん人混み苦手だもんね。
ここでお話しようよ。まだ時間いいでしょ?」
何だか……泣きそうだ。
「俺、ジュースか何か買って来るからさ、待っててよ。
久保さんが居れるギリギリまで夜更かししようよ。ちゃんと送るからさ」
そう言って立ち上がった直樹を、紀子が制する。
「イヤ、足引き摺ってる人に行かされへんよ。私が買ってくるから、ちょっと待っといて。
たこ焼きも食べるやろ?アソコに店があったんや。
ちょっと待っててね」
紀子は駆け足でその場を離れていく。
カラコロと響く下駄の音。
見慣れない、浴衣姿。
…久保さんは、俺の遅刻に対して何もなかったかのように、怒らない。
逆だったら、俺にあの態度が取れるかな。
久保さんもまた、やさしい。
……とうとう、辿り着いてしまった。
もう、我慢できない。
直樹は、ぼろぼろ零れ落ちる涙を堪えることができなかった。
「……ッ」
いつ以来か、覚えていない。
泣いたことなんか、あっただろうか。
……記憶にない。
止め方が、分かんねぇ…。
拭っても拭っても拭っても、次々と零れ落ちる涙を不思議に思い、恥ずかしいと思い、必死に止めようとするが止まらない。
この暗さに乗じていれば、バレない、……かな。
何度も何度も、腕でゴシゴシ擦りながら、涙を拭う。
肩を揺らすほどに泣けて泣けて、涙が止まらない。
たくさんの人が行き交う中、他の人たちは一切視界にも入れず、ただ自分の世界を作っている。
泣いているのは恥ずかしい。
そう思いながらも、止められない。
しばらくすると、再び下駄の音を鳴らしながら紀子が戻ってきた。
「………」
少しの間何も言わず、直樹の正面に立っていた紀子。
「……冷めへんうちに食べようか」
そう言って、直樹の隣に腰を掛けた。
「まだどっか痛いん?あ、別に子供扱いして言うとるんちゃうで?私、将来医者になりたいんや。
ジャンルはねぇ、何でもエエかな。医者にさえなれたら。
ほら、冷めるから食べようや」
紀子は買ってきたたこ焼きの上紙を剥がして、直樹に渡してくれた。
……確実にバレてるんだ。
今、俺が泣いてること。
久保さんは、咎めない。
直樹は泣きながら話し出した。
「…じ、実はさ……お、俺ッ、久保さんにわ、渡そうと思って買ったんだけど、ヒッ…メ、メチャクチャになったんだ……ヒーック!」
花束は、何本かのかすみ草しか残っていない。
「……ッ、も、もう、ゴミになっちゃった……ッ」
紀子は直樹の手からぼろぼろの花束をそっと受け取り、
「ありがとう」
そう言ってはにかむように笑った。
「そ、それとさ……っこれも、久保さんにプレゼント。うっく…ッと、友達が、協力してくれたんだ……ッ」
直樹は左手に握ったままだった、すっかり温まってしまったネックレスを紀子に渡す。
「えー、スゴイやん!エエの?こんなんもらって。こんなの着けたことないよ!
私、厚かましいから、くれる言うものすぐもらうよ?ありがとう」
この場所で、2回目の紀子の『ありがとう』
久保さんは、俺を否定しない。
そして、そこで踏み込んだ俺を、追い出さない。
さっき言った『ありがとう』が、返ってくる。
「く、久保さん、ック、さ、…さっきの、医者になるっていうのは、く、久保さんの夢かい…ッ?」
「うん、そうやで。夢やし、絶対現実にしよう思うてる」
「ス、スゲー…スゲーよな。もう夢を持ってんだ。きっとなれるよ…ッ」
涙が止まらないまま、こんな会話。
上等な言葉を書き並べながら、自分には夢なんかなかったことを知る。
机上空論であれ、俺はこうあるべきなんだ、こうならなきゃいけないんだ、具体的な形でただ、そう思っていただけ。
それを、知る。
「……く、久保さん、……うっく……ッ○○○建設○○○グループっていう、ふ、不動産を扱ってる会社、知ってるかい?」
「うん、知ってるよ。こないだ○○町にデパート建てたよね。有名やんか」
「お、俺は、ヒィック……あの会社の、トップにいる人間の、息子です。……ちょ、長男です」
これまで、同年代の人間にこの自己紹介をすると、必ず返ってきた言葉。
スゴイじゃん。
金持ちなんだね。
そして、その度に思っていた言葉。
俺が金持ちなわけじゃない。
だが今回、紀子相手だと勝手が違う。
紀子は、そんなことは言わない。
「長男っていうのはさ、……う、ウチの商売を継ぐもんだろ?お、お、俺もずっとそう思ってた……っ」
一体何を言おうとしてる?
涙が止まらない。
止め方が分からない。
そのついでのつもりか?
「で、でも、俺ね、ふ、不合格になっちゃった。ッヒ…!もう、もう、合格したんだって、油断してたのかもしれない。
お、お父さんはもう、お、俺の前を歩きながら、後ろにいる俺を、き、気にして振り返ることは、ないみたいなんだ、う、う、……ック!
きっと、きっと、失敗作だって、お、思ってるよ……」
あまりにも脈絡がないな。
言ってることが。
説明しなきゃ。
「久保さん、お、俺ね、生まれて間もないとき、で、電○○社の前に、捨てられてたんだ。ヒッ……ッうっく
……電○○社の前に、捨てられながら、お、俺を拾ったのは、郵便配達員……っ
わ、ワケ分かんないでしょ。……フッく……ッ
しかもさ、……うっくッ……お、俺、捨てられたこと、覚えてねぇんだよ。
こ、こんな大事なことを、わ、わす、忘れちゃってんだ…ッ」
「………」
紀子は黙ったまま、ただ直樹の話を聞いている。
「そんな、大事なこと忘れてるのにさ、さ、……ッ3歳のとき、今の両親が、俺を引き取りに、来てくれたときのことは、は、ハッキリ覚えてんだよ…ッ。
ふッ……お、お父さんは、俺、俺に『厳選した結果だ。今度は私がお前を拾ってやる』って、言ったんだ……ひ・うーッく……ッ
で、でもさ、こっから覚えてないんだよ。うれ、うれしくて喜んだのか、どうか……
施設の居心地は、わる、悪くなかったんだけど、お、俺にお父さんと、お、お母さんができたこと、それに対して俺は喜んだのか、どうなのか……お、覚えてないんだよ…ッ
大事なことは、全部、忘れちゃってる……ッヒック……うぅッ」
もう、止まらない。
「5歳くらいにはさ、お、お父さんが、大きな会社を経営してることを理解して、ウチはけ、結構なお金持ちだってことを知って……
お、お、俺、俺は結構幸運だって、思ったんだ。
その頃には、…ッもう、家庭教師が付いてたから、毎日毎日、ッ日記を書いてたよ。
ハー……ック……
面白いこと、楽しいこと、……そ、そういうことがあった覚えもないのにさッ…。
ま、毎日毎日、日記を書いてたよ。
字を書けるってことが、ひ、ひろ、拾ってくれたお父さんに、恩返しできることだって、……そ、そう思ってた……ッ
まず、第一歩だって……」
「………」
まだ説明は、終わっていない。
「く、久保さん、こないだ会ったじゃん、お、俺の弟に。あいつは、俺が拾われて、すぐに生まれたんだ……ッ
りょ、りょ、両親からしたら、予定がなかったから、俺をひ、拾ったんだろうけど。け、けい、慶也は生まれたんだ。
ひ、ひ、…っ
……ッあの頃はそれほど、気にもしてなかったけど、大きくなるにつれて弟が……ック!最大のライバルだって、すぐに知ったよ。
ヒック!ウゥ……ッ
い、椅子は、1個しかないって。
……蹴落とそうとは思わなかったけど、あ、あ、あいつはイイ奴だから。
で、でもさ、久保さん……勝ってるって思ってたのに、15歳にして、早々に追い越されちゃったよ。ヒ・ヒ・ヒ…くッ!!
い、1+1がさ、2なら簡単だろ?
2-1が1なら、簡単でしょ?
そ、そういう風には、できてなかったよ……ッ
い、今、今となっては、俺の、俺の、椅子なんか、最初からなかったような気がする…ッ」
久保さんにこれを話して、何がしたい?
……こんなはずじゃなかった。
その時、それまで黙っていた紀子が口を開いた。
「ふーん……それで?秋月くんは家を追い出されそう、とか?」
「……いや、ま、まだそれはないと思うよ……ッ」
「ふーん……で?どうしたいん?」
どうしたい?
そこまで考えてなかった。
どうすればいい、ってことだよな。
「お、俺、頑張ろうと思うよ」
直樹はそう答える。
それに対し、紀子は
「よし!じゃあソレで行こうや」
そう答えるのみ。
そして紀子は首元にネックレスを着け始めた。
「ちょっと、コレ高いモンちゃうん?中学生がこんなモン着けとってかめへんのん?
ちゅーか、似合うてる?」
まだ泣き止まない直樹、紀子の『よし!じゃあソレで行こうや』
その答えを乗せながら、答える。
「……うん、うん。すごく、似合うよ…ッ。
そ、それは、きっとさ、久保さんが着けるために、つ、つく、作られたもんなんだよ。
それくらい、……っ似合ってる」
「アーハハハハハッ!泣きながらようそんなこと言うねぇ!関東人はキザで困るわぁ」
紀子はしばらく黙った後、口を開いた。
「……秋月くん、泣きながらでエエから聞いてぇな。
私ら、あんな進学校におって、勉強に関してはいつも競争やんか。
私ね、それだけじゃイヤでバレーやってたんよ。
だって、つまらんやん。あの人こないだ何位やった~、この人は何位に落ちた~って、話しよんの。
そんな中でね、私ら2人、いつも1位2位やん。
これってね、しのぎの削り合いから生まれた戦友やと思わへん?
私ら、ウマが合うと思うよ?
秋月くんね、こんなこと言うてる私のこと、好き?」
「はい、そんなことを言おうが言うまいが、……僕は、久保さんが好きです。前から」
「ほんまぁ。きっともっと話したら、もっと気が合うと思うよ、私ら」
俺も、もっともっと喋りたいと思ってた。
ずっと、そう思ってた。
「こんなエエもんもろうてな、こうなったら私ら、付き合うしかないんちゃうん?
どう思う?秋月直樹くん?」
もっともっと、泣けてくる。
「はい……!僕も、そう思います…!!」
何故か敬語の直樹。
……もっともっと、泣けてくる。
俺の生い立ちについて、深く聞こうとしなかった久保さん。
追及されても、もう話すことはないんだけど。
聞かれたらきっと、答えはあったんだよな。
でも、彼女は聞かない。
「よし!」
そう言って、紀子は立ち上がる。
「ここまで話が落ち着いたら、ケガしてる秋月くん、こんなにして外におらす必要ないよね。
帰ろうや、一緒に。…あ、でもたこ焼きだけ食べて行こうか」
2人は並んで、たこ焼きを頬張った。
結構長く話したんだな。
そう思う。
たこ焼きが冷めてしまっている。
久保さんはバレーの大会では一回戦で負けて、これからは受験に専念するだけ。
結構時間あるよ。
そう言った。
俺も、友達と遊んでるだけ。
だから、いつでも時間あるよ。
そう返した。
堀井キッカケで今回の行動に移った直樹。
でも、彼のことは思い出さない。
紀子と手を繋いで、暗い道を帰る。
その頃になって、直樹はやっと泣き止むことができた。
誰の許可もいらず、手を繋いだり、2人で話したりできるんだよな?
これからまた、笑うことが増えるんだろうな。
そんなことを考える。
花火は見えないが、遠くからドーン……ドーン……!という音が何回も聞こえてくる。
それを背に2人は手を繋ぎ、歩いて一緒に帰った。




