告白 1
紀子からもらった修学旅行のお土産は、直径5センチほどの丸いキーホルダー。
それには金色の文字で『四角形』と書かれている。
直樹は「ありがとう」と言ったと同時に考える。
この人は俺を笑わせようとしているのか。
丸の中に『四角形』
それともマジで、俺が喜ぶと思ってこれをくれたのか。
……分からない。
でも自分のことを覚えて、お土産まで買ってきてくれたことに、素直に喜びを感じた。
「浅草を案内するって言ってたのに、ごめんね。ほんまにごめん」
それに対しての紀子の返事は
「エエよ、エエよ。しょうがないよ」
という笑顔。
最近俺は、よく『ありがとう』と『ごめん』を口にする。
その日の帰り、直樹はタケシとパクにそのキーホルダーを見せた。
大笑いしている2人。
パクは笑いながら、
「一体どがいなセンスの土産や!オモロすぎるやろソレ。何の目的のキーホルダーや!」
「だろー?笑えるやろー!」
そう答えて、直樹も一緒に笑う。
笑われてしまったけれど、これは俺にとって大事なもの。
だから大事にしよう。
そう思い、常日頃から持ち歩いている財布に、そのキーホルダーを付けた。
もうすぐ夏休みが始まる。
直樹はいつもと違う感覚に陥っている。
これまで覚えたことのない感覚。
受験を控えた最後の長い休みである、だからいつもと違うのは当然のことだが、それとはまた違う感覚だ。
一体こんな長い休みの期間、どうやって過ごせばいいんだ。
そんな風に考えた。
紀子に夏休みの予定を聞いてみると、バレーの最後の大会があるということと、田舎のおばあちゃんの家に行くということ。
タケシとパクにも同じ質問をしてみると、
「別にどうもせんよ。毎日グダグダするだけ」
そんな答えが返ってきた。
……夏休みって、退屈なものなのかもしれないな。
それに気づいた気がする。
最近じゃ、周りの皆のことが何となく気になるんだ。
3年生になり、今直樹はクラス全員一人ひとりの名前を覚えていた。
この学校へ来て1年。
ようやくその気になったのだ。
皆は一体どうやって過ごすんだ?
勉強はもちろんだろ。
その他は?
きっと皆、退屈だろう。
違うのか?
……心配せんでエエ。
俺も一緒やで。
『皆と一緒』
これが少しばかり自分に安堵をもたらすということを知り、文字通りほっとする。
夏休みは根を詰めて勉強する。
そう思い込んでいた自分。
これも、皆一緒だと思っていた自分。
……そこに安心感はなかったな。
そんなことを考えていると、ふと関東に住んでいた頃のことを思い出した。
離れてたった1年ほどだが、懐かしいと思った。
よし、2週間だけまたあそこに申し込もう。
俺も暇だしな。
……いや、暇やからな。
休みに入ると、直樹は単身関東に向かった。
小学校時代からずっと参加していた勉強合宿、それに参加するために。
ホテル暮らしをしながら、そのセミナーに通うのだ。
今回の参加には、いろんな目的があった。
あいつらは、今の俺を見てどういう風に思うんやろ。
それも1つ。
俺は勉強で、あいつらに遅れをとったのかな。
それも1つ。
そこに行くと、あの頃のメンバーとほとんど変わらない面子が揃っていた。
参加者たちの、自分に向けられる目。
『こいつ、何だよ』
一目で分かる。
どうだ。
俺、結構変わったやろ。
そう言ってやりたいが我慢する。
君たちと違って、いろんなことを覚えてきたんだ。
厚みが増したはずだよ。
いつもとは違う姿勢。
少しふんぞり返ったように、直樹は席に座っている。
そこに近づいてきたのは、以前の学校の同級生だった男子。
「ねぇ、秋月くんだろ?どうしちゃったんだよ。随分風貌が変わっちゃってさぁ。向こうに行ってから何かあったのかい?
こないだの全国模試、どうだった?僕はさ、都で6番だったよ。まぁまぁかな。
木村っていただろ、○○中の。あいつはノイローゼになっちゃってさ。ハイ、一人脱落~ってカンジだよ。
あとは○○中の……」
「………」
直樹は黙ったまま、彼をじーっと見つめている。
……こいつ、こんなにヤな奴だったか?
知らなかった。
とてつもなく鬱陶しい。
でも以前は俺も、こういった会話に平気で参加していた。
それを知りながらも、
こいつ、こんな奴だったか?
そう感じた、一部始終。
……刮目するんだ。
変わったのは俺だ。
彼の言っていることがしょうもないと感じている俺。
何かを変更した俺が、間違いなく生きている。
変わらず話を続けている彼は、
「まったく、イイ気味だよな。そう思わないかい?アーッハハハハハ!!」
「………」
……とっても、耳障りやな。
直樹はその彼の顔を、いきなりバッと握ってやる。
「ムぎゅッ!」
「……しょーもない話しとるのぅ。ところでお前、名前何やったっけ?」
「……ッ」
直樹に顔を握られながら、体が震え始める彼。
ニヤけてしまう直樹。
そのうち彼はそそくさと、その場を去って行ってしまった。
路線を変更して正解だったと思う。
あんな話は楽しくない。
今の俺は、以前のような焦りがないんやから。
以前から知っている顔が、1ミリもズレることなくズラッと列をなしているように見えた。
この場において、異端なのは俺。
つまる・つまらないの以前に、人種が変わってしまったんだな。
自分を思い、いろんなことで今楽しんでいる自分は、ここに顔を並べている皆よりも勝っているんじゃないか。
……勝っている?
こういう考えはまだ抜け切れてねぇな。
ここで過ごす時間は直樹にとって、また落ち着きを取り戻すために良き場所だったのかもしれない。
1週間が過ぎた頃、直樹が注目せざるを得ない同級生がこのセミナーに途中参加してきた。
直樹はこのセミナー内で行われるテストで、いつも2位だった。
それはいつも変わらず直樹の上を行き、1位を取る彼がいたから。
堀井。
この名前だけは忘れない。
彼はずっと陸上をやっており、100m走、幅跳びでいつもすごい記録を出していた。
その上、顔立ちも端整。
直樹は彼を凝視するたびに、いつも歯が痛くなっていたものだ。
見つめるたびに歯を食いしばっていたからだろう。
こいつにだけは会いたくなかったな。
こいつを見ていると、それまで考えたことのなかった、自分に対してのコンプレックスが滲み出てくる。
運動で勝てない俺が、勉強でも勝てなかった。
その彼に、また会ってしまった……。
「……アレ?秋月くんだよね?どうしたんだよ。随分雰囲気変わったね」
その言葉に、直樹はムカッとする。
コンプレックスの本体に、コンプレックスのコートを羽織らせたような気持ち。
お前に分かるか!!
まったく、人のことを『あいつはノイローゼでリタイアした』なんて言わない辺り、やっぱり余裕だな。
あと残り1週間。
俺も間違いなく、大人の対応をしてやる。
直樹は以前の自分と寸分変わらず、堀井の一挙手一投足に釘付けだ。
それに気付き、
……アレ?
俺、何かおかしないか?
人のことなんか気にならねぇ。
そう思ってたのに。
俺は以前から、人のことをたっぷり気にしてたんだな。
忘れていた。
物まねでも何でも、構わない。
人を巻き込みながら、人の言葉・行動、そういったものに起伏を乱している。
そんな俺は、取って付けたものではなかったんだ。
良かったような気がする。
こいつに対する、この嫉妬。
……俺は人間だったな。
そんなことを考えていると、どんどんいろんなことが気になり始めた。
過去の記憶を捲りながら、自分はデンと構えていようと思った。
しかしそれをすぐに覆し、言ってしまう。
「堀井くん。前回の全国模試、どうだった?何番やった?」
……言ってしまった。
「あー、ダメダメ。ダメだよ、全然ダメ。いろいろ忙しくってさ。前みたいに勉強ばっかやってないんだよね。
えーっと…全国で、えー……230番台」
「ええッ!?何でそんなに順位落としてんだよ!?悪くても20番台にいただろ!?」
「ま、いろいろ忙しくてさ」
この、中学3年生ごときが見せている余裕と笑み。
憎たらしくもありながら、大人に見えてしまった。
……忙しいって何だよ。
じゃ、じゃあ俺だって忙しい!
直樹はそう思う。
以前と同じように、負けていられないのだ。
その日の講義を終えると、直樹は真っ直ぐホテルへと戻った。
食事を終えた後は、予習・復讐と大変なはずなのだが、退屈だなぁなどと考えている。
ゴロゴロしているのも何なので、パクに電話をしてみることにした。
『おい直樹。お前、いつまでソッチにおんねん。明後日、花火大会あんねんぞ?早よ帰って来い』
「花火大会?何だソレ。優勝を決めたりすんのか?」
『……トーナメント方式のモンではありません!
お前、ほんまに花火大会も知らんのか?勉強も大事やと思うけど、明後日いっぺん帰って来いや。遊ぼうや』
そんな会話を10分ほどして、電話を切る。
帰って来いって言われてもなぁ。
途中で抜けるってのは心外だ。
……花火の大会って一体何なんだよ?
直樹は再びホテルを出て、本屋へと向かう。
花火大会について、調べるためだ。
数分後、ある本を閉じながら、直樹はなるほど、と思った。
恋人同士で行くんだな。
場所取りなんかして。
花見みたいなもんだな。
理解したで~。
だけど、恋人同士で行くんだろ?
パクウは何で俺を誘うんだ?
………
……深く考えんとこう。
選択する本を間違ったのか。
直樹は花火大会について一部誤解をしているが、ソレがある箇所で拍車を掛けることになる。
次の日の朝、直樹はまたいつものようにセミナーに向かっていた。
道路の前方に見つけたのは、堀井の姿。
直樹は、彼が何故あんなに順位を落としたのか、知りたくて仕方なかった。
全国模試。
見上げるばかりだった彼が、知らない間に自分よりも下にいる。
彼に何があったのか、知りたくて仕方がなかったのだ。
そんなことを考えていると、前を歩く堀井に駆け寄る人がいた。
堀井と腕を組むようにして歩く、女子。
「!!?」
……衝撃だった。
直樹は何も考えずに堀井に駆け寄る。
イチャイチャとくっついて歩いている2人の間を裂くように割り込む直樹。
空気を読む術など、彼は知らない。
「堀井くん!!」
大きめの声で話しかけた直樹に、堀井は少し驚いたように振り返った。
「その人、誰なんだ!?もしかして、彼女なんか?君ら付き合ってんのか!?
なぁ、ひょっとして君が成績落としたのは、この子と付き合ってるからなのか!?
どうなんだよ?俺に分かるように説明しろよ!」
それを聞いた堀井は、少しムッとした表情で足を止めた。
「失礼な奴だな!そんなんじゃねぇよ。
もし彼女と付き合ってるので成績落としたんだったら、ソレはソレで構わないし」
失敬な言葉を投げかけた直樹、堀井の言葉は途中から聞いていない。
……ショックだった。
全てにおいて自分より上だと、そう認めていた彼。
俺は彼を抜いてやった。
その余韻に浸ったのは、一晩だけのこと。
堀井に彼女がいる。
また彼は、俺にとって強靭な壁になった…!!
直樹はその後、一言も発することなく方向を変え、ホテルへと戻った。
そして歩きながら、思う。
堀井の彼女……
久保さんの方が美人だ。
更に言うと、性格も久保さんの方が絶対良い。
……あの子の性格は知らないけど。
何キッカケのどういう思考がフル回転したのか、自分でもよく分からない。
が、直樹はセミナーを途中で止め、帰ることに決めた。
紀子に会うために。
論点をズラすなよ。
別に勝った負けたの話はしてへん。
奴に彼女がいたとか、そんなことは関係ない。
ただ、俺だってああやって女子と歩いて構わないんだな。
……知っていたけど、もう一度認めよう。
堀井くん、君はやっぱりデカかった…!!
もう二度と君と会わないことを、俺は願うよ。
直樹は帰り支度をしながら、紀子のことばかりを考えていた。
一人でする妄想・シミュレーションの中に、久保さんが出てくるって俺、苦手なんだよな。
何か知らんけど、……泣けてくる。
久保さんのことを考えると、俺のいろんな部分が浮き彫りになるんや。
親に見捨てられかけてる俺って、どう?
弟に抜かれてしもうたって思ってる俺って、どう?
タケシとパクウの真似ばかりしている俺って、どう?
テストの成績で久保さんに負けたくないって思ってる俺って、どう?
捨て子な俺って、 ……どう?
大人になってしまえばどうってことないだろうという体験。
現状。
現在の多感であろう俺には、身に沁みすぎる。
俺って、恥ずかしい奴だろ?
そう言って笑えばいいのか。
真顔で言えばいいのか。
我が身が重過ぎるような気がする。
だから、久保さんを思うと泣けてきてしまうんだ。
明日は花火大会。
恋人のための大会。
何をしたいのか分からへんけど、俺はセミナーを途中で止めて、新幹線に乗るぞ。
そうして直樹は、今の地元へと帰って行った。
数時間の後、自宅に着いた直樹、
「あら、もうセミナーは終わったの?」
という母の声に、
「はい、終わりました」
と答えた。
荷物を部屋に置き、すぐにパクに電話をかけたが誰も出ない。
この場合、どうすればいいんだ?
直樹は何も考えず、手が遊ぶまま電話帳をパラパラと捲る。
久保さんのお父さんの名前は分からない。
だけど、あそこは商売をしている。
商業ページで名前を探すと、紀子の家の電話番号はすぐに見つかった。
直樹は何の迷いもなく、その番号に電話を掛けてみる。
ただボタンから指が離れたと同時に、これまで味わったことのない緊張感が直樹を襲う。
ドクドクドクドクする。
それにしても、暑いな……。
雨でも降ってくれりゃ、ちょっとは涼しゅうなるんちゃうか?
……いや、雨が降るとマズイ。
花火大会が中止になる。
受話器の向こうのコール音を聞きながら、その場で足踏みをして緊張感を誤魔化そうとしている。
『はい、久保スポーツです』
明らかに紀子とは違う、女性の声。
「あ、あの、す、すみません、秋月と申しますけれども、紀子さんご在宅になられますでしょうか?」
『あー、ちょっと待ってね。紀子~!』
電話番号探しからここまで、意外と簡単だった。
緊張感を抑えるための足踏みが止まらない。
滴り出る汗を拭いながら、紀子が電話に出るのを待つ。
『もしもし、秋月くん?どないしたん?』
久しぶりの紀子の声に緊張感が吹っ飛ぶが、自分の中で突っ走っている鼓動の速さは止まらない。
「あ、久保さん?あのね、明日何してる?」
『え?明日?何で?』
……早速嫌がられたか……
「明日、花火大会があるでしょ。一緒に……行かへんかなーと思って……」
……急にこんなこと言われても、困るよな……
『花火大会?え~…私、人混み苦手なんやぁ』
「ええッ!?ヤな理由が人混み!?人混みなんかどってことねぇよ!いーじゃん、行こう!人混みが嫌なら、俺がずっと肩車してやるよ!」
『ハァ!?何じゃソレ!ハハハハハッ!』
「………」
『………』
それからしばらく沈黙が続いた。
この間、直樹は念じ続ける。
OKと言ってくれ!
OKしてくれ!!
頼むからOKしてくれ!!
やがて、紀子の返事は
『んー……分かった、じゃあ行くよ』
その答えに、直樹は脱皮したような感覚を覚えた。
生まれ変わった……!!
最近自分が行動を起こすと、その見返りに嫌なことばかりが起こっていた。
そんな気がしていた。
俺は一石投じてやったんだ。
その俺のド真ん中に、命中したんだ。
「今、とっても幸せです……!!」
『はぁ?』
紀子の声に、直樹は知らない間に今の心境を口にしてしまっていることに気づく。
慌てて誤魔化しながら、待ち合わせ場所と時間を決めた。
紀子の指示した場所がどこなのかよく分からなかったが、行けば分かる。
直樹らしからぬ安易な思考は、浮き足立っているせい。
電話を切った直樹、ここに来て重大なことに思い当たった。
そうだ、デートなんかしたことがねぇ!
どうやったらいいのか分からへん!
どうすればいいんだ!?
そんな本、どこにも売ってねぇぞ!?
ソワソワウロウロ落ち着かない。
直樹は、やはりパクに聞くしかない。
そう決める。
どうかどうか、間違っていませんように!
そう思いながら、もう一度パクの家に電話をする。
頼むから出てくれ!
『はい、もしもし~?』
出た!
しかもパクウの声!
「おいパクウ!俺だ、直樹だよ。
相談がある!パクウにしか聞けないことやねん!」
『お、おう、何や?』
「あのな、告白ってどうやりゃいいんだ!?俺、全然分かんねーんだよ」
『告白?何の?』
直樹はここで少し我に返る。
アレ?
何だか恥ずかしいぞ……
「…あ、いやぁ、例えば、例えばやなぁ。女の人に告白する場合、何て言えばいいの?どうやって言うん?」
『えー…そんなの分からへんぞ。
例えばお前がする場合と、俺がする場合はまた違うやろしな。十人十色ちゃうん?
て、直樹、今お前どこにおんねん』
「いやー、家だよ。帰って来てん」
『あ、そうか。じゃあ明日大丈夫やな?6時にいつものトコで待ち合わせやぞ。
俺、ちょっと用事あるから、ほなな』
「あ――――ッ!!ちょっと待って!違うッ!!」
バツッ!
ツー・ツー・ツー……
「……ッ」
電話が切れてしまった。
もう一度かけてみるが、誰も出ない。
おいおいおいおい、どうなってんだよ!?
収穫ゼロな上に、約束までされちゃったじゃないか!
……アカン。
久保さんにもう一度電話する勇気がない……。
直樹らしからぬ行動。
完全に浮き足立っていた。




