第4話 新春セールと未来への投資
2026年1月2日。
この日、日本の主要都市は「初売り」という名の戦場と化す。
蓮にとって、人混みは最も忌避すべき非効率な空間だ。だが、今の彼には頼もしいナビゲーターがいた。
「相沢さん、次は4階の生活家電フロアです! 限定5セットの『新生活応援・高級トースターセット』、整理券配布まであと3分!」
「了解。エスカレーターは混雑しています。東側の非常階段ルートを選択しましょう」
巨大デパートの人波を縫うように進む二人。
結菜がセールの情報を収集し、蓮が最短ルートを算出する。その連携は熟練した特殊部隊のように洗練されていた。
周囲のカップルが「えー、疲れた」「どっちでもいいじゃん」と殺伐とした空気を漂わせる中、蓮と結菜は次々と目当ての品――半額以下の高級フライパン、福袋限定のタオルセット、そして本命のトースターを確保していった。
「やった……! 全部買えましたね!」
戦利品の紙袋を抱え、デパートの屋上ベンチで結菜が弾けるような笑顔を見せる。
「まさか、ここまで完璧な運用ができるとは。僕一人では入り口で回れ右をしていました」
蓮はスポーツドリンクを渡しながら、心からの敬意を表した。
「いえいえ、相沢さんが荷物持ってくれたおかげです。……あー、楽しかった」
結菜がドリンクを一口飲み、ふと遠くを見る。
「私たち、結構いいコンビなのかもしれませんね」
その言葉に蓮の心臓がトクンと跳ねた。
「……同感です。非常に生産性が高い」
照れ隠しのような言葉しか出てこない自分をもどかしく思いながら、蓮もベンチに腰を下ろそうとした。
その時だ。
「あれ? 結菜?」
不意に男性の声が降ってきた。
結菜の肩がビクリと跳ねる。顔を上げると、ブランドもののショッパーを抱えた、派手な服装の男が立っていた。隣には若い女性がいる。
「……武田くん」
結菜の声が強張る。元彼だ、と蓮は直感した。
男は結菜の足元にある、生活感溢れる福袋や割引シールの貼られた商品を見て、鼻で笑った。
「お前、まだそんなことやってんの? 正月から割引狙いとか、相変わらず夢がないねえ」
「う……」
結菜が小さくなる。
「俺らなんて今、そこのブランドで新作買ってきたとこ。やっぱ金は使って回さないと。お前のそういう、みみっちいとこが息苦しかったんだよなー」
男の隣の女性が「やだ、言い過ぎだよぉ」と笑う。
結菜は俯き、紙袋の持ち手を強く握りしめていた。楽しかった空気が一瞬で凍りつく。彼女が大切にしている「堅実さ」が、ただの「惨めさ」として踏みにじられた瞬間だった。
蓮の中で、何かが切れる音がした。
それはこれまで「波風を立てない」ことを是としてきた彼の理性が、感情によってオーバーライドされた音だった。
「失礼」
蓮は二人の間に割って入った。
身長差のある男を冷ややかな目で見下ろす。
「誰ですか、あんた」
「彼女の……現在のパートナーです」
蓮は淡々と、しかしよく通る声で告げた。
「訂正させていただきます。彼女は『みみっちい』のでも、夢がないのでもありません」
「はあ?」
「今の日本経済において、キャッシュフローを管理し、無駄な支出を削って資産を守る能力は、何よりも得難い才能です。彼女はただケチなわけじゃない」
蓮は一度言葉を切り、結菜の方を振り返った。そして、怯える彼女に優しく微笑みかけてから、再び男に向き直った。
「彼女は未来に投資できる賢い人だ。……僕には彼女が必要なんです」
言い切った。
計算も、理屈も超えた本心だった。
男は蓮の迫力と、あまりに真っ直ぐな言葉に毒気を抜かれたのか、「……なんだよ、熱いねえ」と捨て台詞を吐いて、そそくさと去っていった。
屋上に再び静けさが戻る。
蓮は大きく息を吐き、少し震える手で眼鏡を直した。言い過ぎただろうか。
「……相沢さん」
背後から結菜の声がした。
振り返ると、彼女は泣き出しそうな、それでいて光が差したような顔で蓮を見ていた。
「私……ケチだとか、貧乏くさいとか言われるの、コンプレックスだったんです。でも、相沢さんは……」
「事実を言っただけです。あなたのその堅実さが僕の生活を救ってくれましたから」
蓮が不器用に言うと、結菜は涙を拭い、今日一番の――いや、出会ってから一番の、柔らかく愛おしそうな笑顔を見せた。
「……ありがとうございます。私、相沢さんに会えてよかった」
冬の乾いた風が吹いているはずなのに、二人の周りだけは春のように温かかった。
福袋の中身よりも、ずっと価値のある「確信」を二人は手に入れたのだ。
明後日は1月4日。この夢のような合宿が終わる日。
だが、蓮の腹は決まっていた。終わらせない。むしろ、ここから始めるのだと。




