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半額シールの恋人たち 〜 2026年、コスパ最強の結婚プロジェクト 〜  作者: かわさきはっく


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第3話 2025年、最後の決算報告

 2025年12月31日。

 大晦日の夜、蓮のマンションのリビングにはNHK紅白歌合戦の賑やかな音が流れていた。

 だが、それ以上にこの空間を支配していたのは、穏やかな出汁の香りと、カチカチと電卓を叩く音だった。


「……出ました」


 ダイニングテーブルに置かれたノートPCの画面を指し、蓮が厳かに告げた。


「この四日間の『合宿』における中間決算です」


 キッチンから年越し蕎麦が入った丼を二つ運んできた結菜がそれを覗き込む。

 画面には蓮が作成したExcelのグラフが表示されていた。青い棒グラフ (単身生活時の想定コスト)に比べ、赤い棒グラフ (合宿時の実質コスト)は劇的に低くなっている。


「食費、光熱費、雑費を含め、一人当たり換算で約45%のコスト削減に成功しました。特に食費の圧縮率が著しい。自炊による単価ダウンと、廃棄ロスゼロが効いています」


「45%……!」


 結菜が丼を置き、小さく拍手した。


「すごい。数字で見ると感動しますね」


「ええ。これは企業ならボーナスが出るレベルの業務改善です」


 蓮は満足げに眼鏡の位置を直した。

 だが、彼が本当に満足していたのは数字だけではなかった。

 こたつのある部屋 (結菜の要望で蓮がクローゼットの奥から引っ張り出してきた)で、湯気を立てる蕎麦を二人で(すす)る。

 例年なら、コンビニの蕎麦をPCデスクで一人(すす)り、除夜の鐘を聞くことなくベッドに入っていた。それがどうだ。

 テレビの演歌歌手の声に「この曲、懐かしいですね」と相槌を打つ相手がいる。

 この「情緒的価値」を数値化できないのが、蓮は少しもどかしかった。


 ***


 穏やかな空気が一変したのは23時を過ぎた頃だった。


 テーブルに置かれた結菜のスマートフォンが短く振動した。画面に表示された『母』という文字を見て、結菜の表情がふっと曇る。


「……あ、実家からだ」


 彼女はためらいがちにメッセージを開き、そして小さく溜息をついた。


 蓮は手元のグラスを傾けながら、その様子を観察した。先ほどまでの明るい「生活の達人」としての顔が消え、急に自信のなさそうな、弱々しい女性の顔になっている。


「何か、トラブルですか?」


 蓮が尋ねると、結菜は力なく笑って首を振った。


「いつものことなんです。『今年も一人なの?』『二十代も終わったのに将来どうするつもり?』って……。心配してくれてるのは分かるんですけど、今の私にはただのプレッシャーで」


 結菜はスマホを裏返し、視線を蕎麦の残り汁に落とした。


「相沢さんといると楽しいから忘れてましたけど、私、世間一般から見たら『売れ残り』なんですよね。派遣だし、貯金もそんなにないし、こうして年末に他人の家に転がり込んで……何やってるんだろう」


 自嘲気味につぶやく彼女の言葉が蓮の胸に棘のように刺さった。

 ――売れ残り? 何やってるんだろう?

 その自己評価は蓮がこの数日間で観測したデータと大きく乖離している。

 蓮は無言で立ち上がり、冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出した。そして結菜のグラスに注ぎながら、静かに、しかしはっきりと言った。


「小野さん。データの修正をお願いします」


「え?」


「あなたは『売れ残り』でも、無意味に転がり込んできたわけでもありません」


 蓮はPCの画面を閉じて、結菜の目を真っ直ぐに見た。


「僕はこの数日、かつてないほど快適に過ごしています。仕事のパフォーマンスも上がりました。それは、あなたが僕の生活環境を最適化してくれたからです」


「それは相沢さんが場所を提供してくれたからで……」


「いいえ。僕一人ではこの部屋はただの『寒い箱』でした」


 蓮は言葉を探した。論理だけでなく、感情を乗せる言葉を。


「実家のお母様がどう言おうと、僕にとって今のあなたは、なくてはならないパートナーです。……僕といるメリット、小野さんにもありませんか?」


 結菜がハッとして顔を上げた。

 蓮の真剣すぎる眼差しに彼女の瞳が揺れる。


「……あります。私だって、相沢さんといると、すごく安心します。自分のやったことを認めてくれて、必要としてくれて……」


「なら、それでいいじゃないですか。外野の声なんて、ノイズとして処理しましょう」


 蓮の不器用な励ましに結菜の目に涙が滲んだ。

 けれど、次の瞬間には、彼女は泣き笑いのような表情で「はい」とうなずいた。


「……相沢さんって、本当に合理的で、優しいですね」


 ゴーン、ゴーン。


 テレビの中から、ゆく年くる年を告げる除夜の鐘が響き始めた。

 2025年が終わる。


「あ」


 二人は顔を見合わせた。


「あけまして、おめでとうございます」


「おめでとうございます、相沢さん」


 新年の挨拶を交わした後、ふと沈黙が落ちた。

 ただの同居人としての挨拶ではない、何か熱を帯びた空気が流れる。


 明日になれば、2026年。

 カレンダーを見れば、1月4日までの「合宿期限」が刻一刻と迫っている。

 蓮は強く思った。

 ――このまま4日を過ぎたら、彼女はあの寒い部屋に帰ってしまう。そしてまた、一人で震える夜を過ごすのか?

 それは、どう考えても「誤った未来」だ。


 蓮の心の中で、ある計画が芽吹き始めていた。

 まだ計算式は完成していない。だが、答えだけは分かっている気がした。

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